「なんで‥‥いるのよ、響」

鬼ヶ里祭を目前にして起きた大乱闘、鬼頭を潰す為のそれは華鬼のブチ切れで幕を降ろした。

あれから半年、入院していた鬼達の世話を率先していた土佐塚 桃子だったが、回復の早い鬼のこと、2ヶ月もすれば重傷を負った者も通常の生活に戻る。
朝霧 神無の懐妊を貢 国一経由で知り、一番の重傷だった堀川 響も回復すると、それに伴い桃子も生活環境を整え、国一にだけ別れを告げた桃子は女性ばかりの職場を見付けて働き出した。

「あんなに手厚く看護してくれたのに、『彼氏』の俺に一言も言わず居なくなるなんて酷いじゃないか、なあ? 桃子」

就業を終えた同僚達が、社のエントランスでやけに黄色い声で騒いでいたことを思い出す。
鬼の中でも類い稀な美貌を備えたこの男がいたからだったのだ。

邪気なく笑むその表情は見る者をことごとく魅了するが、生憎桃子は彼が他を騙す時に用いられるものと学習している為、苦々しく響を見返す。

「『彼氏』だなんて、いつの話をしてるのよ。そもそも、彼氏を作った覚えがないわ」

「ひどいなぁ。あんなに『熱いキス』を交わした仲じゃないか」

するりと口唇をなぞった響に、瞬時に顔が赤らむ。

「あれは! あんたが勝手にしたんじゃない!」

『あの時』を思い出してしまった桃子は、時をなぞるように服の袖で“汚れ”を力の限り口を擦る。

「傷付くじゃないか。ほら、手を離せ。赤くなるぞ」

口元を力強く拭い続ける桃子の手を、響は離させる。
その手を、桃子は反射的に振り払った。

「痛いじゃないか」

「触らないで、この変態」

「つれないな、『最後まで面倒をみる』って言ったのは桃子じゃないか」

「ちゃんと完治したじゃない!」

「腹に一発、入れるんだろう?」

響と話してるといつも苛々する。
その感情のまま、空手の突きの型のように響の腹へ渾身の力を以て拳を突き出す。

避けもせず吸い込まれた拳に、手応えは余り感じなかった。

「ハエが止まりそうなトロいパンチが俺に効くかよ」

「――ホンット、ムカつく‥‥っ」

避けもせず、腹に力を入れて反発することなく、響はただ脆弱な桃子の拳を受け入れたのだった。

「用事は済んだでしょ? あたしとあんたはもう、仲間でも共犯者でもないから」

だから、あたしの前から消えて。

言外に告げたにもかかわらず、響はその場で桃子を見つめたまま、ゆうるりと笑った。

「俺にその口の利きよう、やっぱりお前、面白いよ」

「‥‥あたしに、もうあんたを楽しませるようなことってないと思うんだけど」

「そうか? 俺にその態度をとるのはお前だけだぞ」

「悪趣味」

「俺は楽しく生きたいんだ」

「変態」

「男は大体そんなもんだ」

「――とにかく、もうあんたと話すことなんてないの。話したいなら、あたしの死に際にでも来てくれれば相手してあげないこともないわ。覚えてたらだけど」

「そんな必要はないな」

「はあ?」

「死に際まで待てないって」

「バッカじゃないの!」

「逐一お前をからかってた方が面白いだろ」

「やっぱあんた最ッ低!」

激情のままに、右手を振りかぶる。
もちろん響の頬を打ち据える為に、だ。

しかし難無くそれを受け止めた響は、その手を自らへ引き寄せ、苦々しく歪んだその口唇を柔らかく塞ぐ。
固まってしまった桃子に、それはそれは楽しそうに笑んで再び口吻けると、華鬼をやり過ごした時のように口吻けは深くなっていく。
逃げようにも、がっちり腰を抱え込まれてては逃げられない。
拒絶の意思を示すように突っぱね、肩を叩いても、響には赤子の戯れであろう。
自分勝手なこの鬼には、全く通用しないのだ。

「〜〜〜っハ、」

ようやく離された時には、息も上がり、桃子は呆然としていた。

現実に戻されたのは、胸元への生暖かく柔らかで、それでいてチリッとした痛み。

目線を下げると、顎の下に響の柔らかな髪の下からのぞく、喜色を滲ませた双眸。

その光景で、何をされたのか、桃子はやっと悟った。
乱されたスーツの胸元を掻き抱き、慌てて後退さる。

「な、なにを‥‥ッ」

「なにって、桃子に俺の刻印を付けたんだけど」

「ハア!? あんたやっぱバカでしょ! 意味わかんない!!」

やはり響は人を苛つかせる天才だと憤る。
目尻が釣り上がるのが、自分でもわかった。

「求愛に意味も意義も見出だしてない男がなにしてくれんのよ! あたしを花嫁にしたって利用価値もクソもないじゃん!!」

息を乱しながらの抗議も、響には柳に風で、鬼ヶ里でも同じことを繰り返していたなと、更に苛立ちを募らせる。

「あの女が鬼頭の子を孕んだろう? 『上』のお鉢が俺に回ってきて煩いんだ。だからお前、孕めよ」

「なんで! あたしが!」

「どうせなら面白い女の方が良いじゃないか」

ニヤニヤ笑う響に桃子の苛々の沸点が越え、辺りに乾いた音が響く。

「やっぱあんた最低! 変態!」

「俺から逃げられると思うなよ」

響の頬を打った後、5歩後退した桃子に2歩で距離を詰め、響は桃子を肩に荷物のように担ぎ上げた。


「ギャーーッ! 人攫いー!!」






3ヶ月振りに、響の隣に憮然とした桃子を見た国一は、本人から事の顛末を聞いて苦笑するしかなかった。


(やっと響の不機嫌から解放される‥‥)


その日から堀川邸では、元気な声とやたらめったら機嫌の良い響が見られたそうな。



20100715
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