何でだろう、俺は、つい最近、この変な旅人と会ったばかりなのに。不思議な縁ってやつなのか。
 最後の仕上げとばかりに、急激に動きを緩めたと思ったら、すぐに激しく、それも深く奥まで咥えられた。何度も何度も。水音も激しくなる。波の音なんて聞こえやしない。最早堪えることもなく、俺はぎゅ、と目を閉じ、脳裏にインプットされた快感を追いかけるようにして腹に力をこめ、射精した。
 自称旅人のヒビトは、旅人に不必要すぎるセックス用品をきちんと揃えてた。ゴムは男の嗜みとして。ローションはオナニーするときにあまりに滑りが悪かった時用の万が一の対策だという。
 俺の尻の穴を念入りに広げて、ヒビトの固いペニスは入ったことは入ったけれど、血が出た。あまりに狭くて、ヒビトも挿入したままイッたのはイッたけれど、気持ち良いというよりはあまりの狭さと苦しさに、強引に絞り出された、って感じ、と途切れ途切れの荒い呼吸の中で呟いていた。
 だからだ、まさか今日もこいつは挿れたいのか、とフェラを施しながら伸びてきた指が尻の割れ目を柔く撫でた瞬間、「マジかよ」と驚いてしまった。
「え、だめ?」
 口を開いたそこから、でろでろと唾液と混じり合いながら手のひらに吐き出されているのは間違いなく、俺のさっきイった時の残骸だ。三センチほどの水溜りみたいなそれを、俺の穴に塗りつけ、あ、ちょっと足りないわ、なんて羞恥と快感の狭間で虚ろな目をする俺に背を向け、ローションを手繰り寄せた。
 舌の動きは滑らかで気遣いを吐き気がするぐらい込められた優しいものなのに、穴にぶちまけるローションのかけ方は豪快だ。太ももまで伸びたそれを、楽しそうに手でさわさわ撫でたり押したり、時々揉んだりしながら「だめ?」と強請る。
 そういえば今日、最後に見た水平線はぼやけてたな。雨が降るかな。風が強いし嵐が来るかもしれない。覆い被さってきたヒビトの目は、そこから雨が降り出しそうなほど水分を含んでいる。
 ヒビト、来い。情けないことに声が砂を噛んだように掠れた。歯磨きをしたはずなのに隙間風のせいで潮の味がする。潮風でかさかさに乾いたヒビトの髪が指先を刺した。
 上半身にのし掛かる重みは、どこまでも甘い。


 俺たちは毎日セックスをする。
 空腹を紛らわすために。喉を潤すために。眠気覚ましに。いつも何処か満たされない空虚な胸をいっぱいにするために。
 汗と太陽と海の匂いが混じったヒビトの匂いを嗅ぎながらのセックスは、寝るよりも飯を食べるよりも良い気持ちになれた。
 それでもいつか別れが来ることを知っているから。セックスを終えて眠るときだけは、触れ合わない程度の距離を保っていつも眠った。
 明日、行くわ。
 そう日々人が俺に宣言したのは、初めてこの町で出会ってから一ヶ月経った頃だ。
「金、貯まったのか」
「うん、貯まりすぎてるぐらい。この町の人、優しいから」
「行くんだな」
「俺、どうやらそうしなきゃいけない人として生まれたみたいだから。自分探しって、すげぇ、めんどくせぇ」
 ヒビトと俺は、その日一日、何処にも行かず、飲み食いも忘れてたっぷりセックスをした。爪先、髪、耳の穴、そんなとこ舐める必要ないだろ、ってけらけら笑えるぐらい不必要なとこも舐めるような。人間らしくないセックス。
 最後は疲れ切って倒れ込み、それでも眠る直前まで今度はいろんなところを噛んだ。強く噛んだり甘く噛んだり。ようやく眠りから覚めたとき、俺はヒビトの指を咥えたまま寝ていて、赤ちゃんが何か噛んだり吸ったりする行為は全部生きるために直結するんだと、殴られたような強い衝撃で実感した。
 さすがにこんな別れ方もアレかな。ヒビトがぐしゃぐしゃになったシャツを羽織りながら苦笑する。俺があげたやつだ。その辺は旅人らしいというかなんというか、まともに綺麗な服をほとんど持ってなかったので、俺のいらない服をやった。若干肩幅がキツイと文句を言われたが、半袖なら大丈夫だろ、と何着も。洗ってあるはずなのに、ムッちゃんの匂いがする、とか言って俺をどうしようもなく困らせる。
「俺、もうちょっとマシな別れ方したい」
 別れたくない、ってのは言葉にしないのな。いつも通り甘えた顔をするヒビトを見ながら今度は俺が苦笑をする番だ。
「お前にとってのマシって何だよ」
「例えば、死ぬ寸前ってよく、思い出が走馬灯のようにー、って言われるだろ」
「ああ、あれ」
「あれ、信じてるんだけどさ。その走馬灯の中って良い思い出も確かにあるんだけど、一番最後に思い出すのって、悲し別れのシーンなんだよ」
「その言い方、お前見たことあるような感じだな」
「うん、ある。正確にはあった。しかも、あったことを今思い出した。まあそれはもう今この時点じゃどうしようもないから、せめてその走馬灯を変えるぐらいにはマシにしたい」
 着替えを終えた俺に手を差し出す。
 その手を取った。星、見に行こう、ムッちゃん。ヒビトは屈託なく笑った。幼い頃を知らないはずなのに、小さなヒビトが俺の視界の端で笑っていて、思わず唇を噛み締めながら、うねる黒髪を掻いた。


 裏手に大きな山に囲まれているせいで、ここは使える土地自体が狭く、暮らしを確保するために漁師たちが住む家々はとてつもなく長い階段沿いに建っていることが多い。
 上りは大変だけれど、下りは楽。事後特有の気だるさと流せてない汗と精液の匂いを抱えつつ、心の中で下りの有り難さにひどく感謝しながら海辺に降り立った。
 さく、さくとかき氷を掻き分けるような音を鳴らしながら砂浜を歩き、ちょうどいい大木が転がってるのを見つけてその上に腰を下ろした。
 しばらく無言のまま、晴れた夜空を二人して眺めていた。
 ここは驚くほど星がよく見える。昔からだ。開拓されない町、そして何も変わらない町は、人工の光を日に日に失うごとに、見える星も人が生まれるよりと遅いスピードで増えていく。
 宝石や、金銀を砂のようにたっぷりと混ぜた夜の空に際立つ星。そこにねじ込むような、物言いたげな意思が溢れ切った無言。無言のはずなのに、言葉を交わしているかのような胸の高鳴りのせいで、体がじわじわと熱を帯びる。
 その感覚は久しくなかったものだ。俺が生まれてこれまでも。もっとそれ以上。今の俺が俺じゃなかった、それぐらい昔から。もうずっと、忘れていた感覚だ。
「お腹空いた」
 ヒビトが足元に落ちていた、小指の爪ぐらいの巻き貝をぽん、と高く空に投げた。
「狂ったようにセックスがしたい。楽したい、苦しい思いなんてしたくない」
「うん」
「なのにどれだけムッちゃんとヤッてもら幸せになれた気がしない。死んでるみたいだ、まるで。生きてる気もしない」
「遅いな、俺はもう三年前に気付いてた」
「はは、三年前って、微妙。そっか、そうなんだ、じゃあ俺たちが今見てる星も、もう死んで地球から見えなくなった星なのかな、あの浮かんでる月は、月になりそこねたやつかな」
「元は二つ月があった、っていう学説の話か」
 ジャイアントインパクトが起きて、月にも地球にも集積されずに月になりそこねた月はやがて、月の裏面に衝突して消えたという。その死んだ月が今ここにあるのだとしたら、それじゃあこの星たちは、本当に消えて亡くなった星たちかもしれない。
 答えを告げるように、ひときわ強く星が瞬いた気がした。
「ムッちゃん。俺たちがここから消えるとき、今度もちゃんと人間で生まれるかな」
「お前も思い出したのか」
「本当に。今日、ヤッてるときに。ムッちゃんは、いつ」
「お前より三日ぐらい、早く」
「なあ、次は兄弟で生まれると思う?」
「さあ、な。どうだろ」
 ヒビトが手を握った。汗ばむ手を強く握り合い、指を絡める。骨が鳴く。
「兄弟じゃなかったら、って俺、思った。ごめん、一度だけ。ムッちゃんが、俺の知らないところで死んで、棺桶に横たわってんの見たときに、本当に一度だけ」
「そんなの、俺も同罪だろ」
 それに俺の場合は一度や二度なんかじゃねーから。ざまーみやがれ。と胸を張って言ってやったら、何故か苦しげな顔をするから、こっちが面食らって胸がぎりぎり痛んだ。
「ごめん、ちょっと泳いでくる」
 ヒビトが砂を蹴るようにして、海の波に揉まれていく。
 恐怖を覚えるぐらいの黒に怯まず立ち向かう姿は、やはり俺の弟そのものだった。
 クロールの見事なフォームはイルカのように美しく、一度跳ねるように頭から浮上したヒビトはやがて頭から入水し、白い腕も消え、最後に足の指先が消えた。
 頼まれもしないのに、数を数え始める。昔はそんなことなかったのに、いろいろ長すぎて、いろんなものを数えてる。
 ヒビトが一番長く潜っていたのは127秒。
 ヒビトとしたセックスは28回。
 ヒビトと出会うまで31年だ。
 水面と手を取り合って踊る真っ白な月は眩しすぎたから、逸れるように首が痛くなるほど上を向いた。あとでヒビトに笑われるだろうか。無邪気に笑い飛ばして欲しい。そうしなきゃ俺は海に飲み込まれてしまう。
 あとどれほど数を数えれば、ヒビトと俺は、新しく命を得られるんだろう。
 ヒビトのいない人生は、あと何年続くんだろう。俺はここを動けない。ヒビトだって旅立つことをやめられない。
 兄弟じゃない俺たちは、立ち止まることを知らない。
 霞みそうになる視界の中で、星がひとつ流れた。箒をくっ付けて。
 きっと今頃地球の外では、新しく星が生まれたことだろう。
 名もない命が、またひとつ増えた。
 今ので生まれた星は、確か5893個目だ。
 海から上がったヒビトにそのことを教えたら、ヒビトは俺を抱きしめた。冷たい。海の匂いがする、その体で。
「そんなもの数える必要がないぐらいに、また宇宙行こうよ」

 最高の、告白だ。


終、
2013.11.03
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