日本人が一番慣れ親しんでいる渡り鳥といえば、ツバメだろう。
 繁殖期を日本で過ごし、日本の冬を越すために台湾やシベリアへ渡る。春から夏にかけて日本で幅広く繁殖をするから、日本人でツバメを見たことがない者なんていないと思う。
 京都のばあちゃん家では、毎年ツバメが巣を作りに飛来して来る。ツバメの糞で玄関や軒下が汚れることを嫌って巣を取り外してしまう人もいるけれど、ばあちゃんはツバメと孫の巣立ちを見守ることが余生の楽しみだ、と言って有りのまま巣を残していた。日々人とばあちゃん家のツバメの観察をするのも、夏の楽しみの一つだ。
 その年は夏休みを京都で過ごそうと、いつもなら父と母を含めた四人で新幹線に乗って帰省するところを、小学生の俺たちだけで自転車を漕ぎ、ばあちゃん家を目指した。
 三日間の長旅の末、ばあちゃんは予め俺たちのために買っておいたのだろう、きんきんに冷えた瓶入りのラムネをくれる。
 シュワシュワ、と。薄い水色のビンに沈んだビー玉の周りには小さな気泡が集う。カラカラに渇いた喉をほのかに甘い炭酸がいたずらに通り過ぎると、体が少しだけ気泡のようにふわふわと浮き上がるようだった。
 疲れてたんだな。改めて思う。
 なのに子供の時は不思議と体が疲れていても好奇心がそれを打ち負かしてしまうらしく、例外なく、休憩もそこそこに日々人は強引に俺を誘ってきて、二人でばあちゃん家の周りを散策する。それが毎年帰省時のお決まりコースだった。
「おい、日々人!早く来いよ!」
 この時は俺が待たされる番だった。
 日々人は俺を急かした割に麦茶とラムネ数本を一気飲みしたせいか、外に出る直前にトイレに駆け込んだものだから、俺は無計画さに飽きれながら、何度も日々人の名前を呼んだ。ちゃんとタオルで手を拭かなかったのか、指先からぽたぽた雫を垂らしながら、日々人が外に出てくる。
 俺はといえば、直射日光を浴びて汗を流しているにも関わらず、そこから退くことも憚られて動けずにいたから、不思議そうな顔をした日々人に向かって必死に手招きした。
「どーしたんだよ、ムッちゃん」
「ほら、これ」
「え、うわ、何このもじゃもじゃ」
「馬鹿、ツバメの子供だって」
「何でこんなとこに」
「巣から落ちたんだよ」
 日々人がわー、とか、うー、とかよくわからない唸り声を上げる。気持ちはわかる。どう見たって俺たちの知っているツバメのイメージ像から遠過ぎるヒナの姿は、正直言ってあまり可愛くない。
 衰弱しきっているのか、照り火照った地面の上に倒れた身動きの少ないまだらな羽のヒナを基点として垂直に見上げると、餌待ちのヒナが巣の中に四羽。この弱そうな体に似合わずくちばしだけがやたらと大きいもじゃもじゃは、きっと五羽目の子供なのだろう。
「でもムッちゃん、どーすんの、飼うの」
「駄目だろ、こういうのは親が育てるから意味があるんだ」
 俺、ちょっと調べてくる。だからお前、見張ってろ。それだけを言い残し、俺は家に舞い戻ってばあちゃんを探し当ると「ばあちゃんパソコン貸して」と頼み込む。親族から送られてくる孫の写真データのために買ったというノートパソコンの使用許可を求めると、孫に甘い、が定評のばあちゃんは二つ返事で貸してくれた。
 パソコンが起動するまでの間、放置してきた日々人が気になった。任せて来たはいいものの、あいつただ見てるだけだったりして。
 ある程度の目ぼしい情報をかき集めるだけかき集めて俺が戻れば、日々人は「ばあちゃん家の近くの池にある蓮の葉をもぎ取ってきた」とヒナの上に日陰を作ってやっていた。
「衰弱してるな」
「スイジャク、って?」
「弱ってる、ってこと。巣から落ちて結構時間が経ってんのかも。巣にいないと餌も貰えないからな。調べてわかったんだけど、ほらここ、目の周りが窪んでるだろ」
「たしかに」
「これ、脱水症状起こしてるサインなんだって」
「ダッスイショウジョウ、って?」
「あーもう、だから、餌とか水分とかやらねーと、この雛が危ない、ってことだよ!」
 洗いたてのタオルでそうっとヒナを包み込み、まずは補水と保温だ、と家の中に連れ帰る。
 ヒナのために薄めた砂糖水やら寝床やらをてきぱき用意する俺の側をひたすらうろつく日々人は、手持ち無沙汰、というよりは何だか俺に置いていかれるのが寂しいのか、不安気な顔をして様子をじ、と見守っている。
 弟はいつも俺と同じものを見たい、知りたい、聞きたい、とくっ付いてきていたから、今の日々人は、一人ぼっちにされたようで悲しいのだろう。
 保温のために寝床を照らすスタンドライトを設置しながら、空いた片手で俺の頭をぽん、と叩いてやる。
 大丈夫、俺が助けてやるから。笑いかけてやったら、日々人はどうにか唇を持ち上げて、ほ、としたように眉を下げたから、俺も作業を再開した。

 ツバメのヒナは、俺たちの介抱で随分と元気を取り戻したようだった。ヒナの羽毛は体温が逃げやすいせいで、低体温になりやすく、下手すれば衰弱して死んでしまう。保温は大事だ、と二人で交代しながら寝ずの番で、寝床に作ったぬるま湯入りのペットボトルのお湯を変えた効果もあったようだ。
 目のくぼみは取れ、自ら口をぱくぱくさせるようになった。餌も砂糖水から、固ゆで玉子のすり潰しペーストに変えて餌付けを続け、早三日が経った頃。
「ムッちゃん、落っこちんなよ」
「わーかってるよ。絶対、絶対離すなよ」
「うん、ちゃんと持ってる」
 日々人が押さえた脚立に登り、恐る恐るといった手つきでヒナを巣に戻した。巣に戻せたからよくわかったけれど、俺たちが介抱したヒナは他のヒナより幾分か小さいようだった。
 調べた情報によると、他のヒナとの餌の競争に負けたんだ、って。餌が上手く貰えずに体だけが弱り、自力で巣にいられなくなったんだ、って。他人事だからこそ、淡々とネットの波に書き綴られていた。
 それって悲しいな。俺の話を聞いた日々人は鼻声になりつつ声を絞り出す。
「でもそれが、生きてる、ってことなんだな」
 何処かのドラマや本から引っ張ってきたような台詞だ、と思ったけど、日々人の顔があまりに真剣に、少し目を赤らめて言うものだから、俺も一度だけ頷いた。隣に並んで立つお互いの距離は、いつもより少し近かった。
 一番の心配は人の手の世話になったそのヒナを、親のツバメが再び受け入れてくれるかどうかだった。しかしその心配の必要もなく、巣に戻したその日から小さなヒナはその体には大き過ぎるぐらいの黄色いくちばしを開き、懸命に餌をねだっている。親もそれに答えるように、何度も何度も巣に帰ってきた。
 ツバメのヒナの巣立ちは羽化しておよそ、三週間後。ばあちゃんに聞いて大体の目安をつけると、俺たちが拾ったヒナは生後二週間も経たないぐらいだった。もう世話をする必要もないのに、巣立ちの日を待って、飽きもせず玄関の軒下に椅子を二つ並べる毎日だった。
 いつもなら、ばあちゃん家に集まってきた従兄弟達と川へ泳ぎに行ったり、魚釣りをして楽しむのに、ことごとく楽しい夏のイベントの誘いを断るものだから、じいちゃんが「お前らは鳥になりたいんか」と畑仕事で焦げた顔で笑いながら、すいかを差し入れしてくれた。
 こうなると、すいかの種飛ばしが始まるのも、俺たちの中のお決まりだ。
 俺の種は、それこそ真っ黒なツバメのように一直線にひゅう、と茜空の中を飛んだ。
「すげー、ムッちゃん!前より飛んでるじゃん!」
「簡単だ、これぐらい」
「ずりぃよ、コツ!俺にもコツ教えて!」
「やだね。お前何でも俺より先に出来るし。逆上がりとか、縄跳びのはやぶさも。弟のくせに」
「けど出来ねぇこともあるよ」
 ムッちゃんがいなきゃ、あのヒナは助かってなかったかもしれない。
 空も雲も、ばあちゃんが大事に育てている萎んだ朝顔も、夕陽の液に浸されたように、同じ色をしている。日々人も淡い夕陽色で顔を染めて、その中でくっきりと浮かんだ瞳は、線香花火の先にある、丸い火玉みたいだった。世界を映してるみたいだ、って思った。
「なに言ってんだよ日々人。気持ち悪ぃ」
「思ったこと言っただけだろ。ムッちゃんがいたから、助けることが出来たんだ。ムッちゃんはスゲーよ。ムッちゃんは、スゴイ」
 次に飛ばした種は、さっきよりも一段と遠くへ飛んだ。日々人が、また、スゲー!って声を張り上げたから、うなじの辺りが少しむず痒かった。


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