「いたいっ!」
 ユミが突然声を上げた。驚いて振り返ると喉元を押さえてうずくまっている。ぼくはコンロの火を止めることも忘れて彼女へ駆け寄った。
「お兄ちゃん」
 目尻にうっすらと涙を湛えた瞳がぼくへ向いた。顎に手を添え、上を向かせる。ユミの喉には奇妙な赤い線が浮かんでいた。
「なんか、切れたみたいに痛かったの」
「うん。喉に傷がある。引っ掻いたりした?」
 問うとユミはかぶりを振った。
「変だな……」
 呟いて不安になる。
 なにもしていないのに妹の喉に傷跡が浮かぶ。有り得ないはずなのに、最近よく見る夢と何か関係があるのではないかと考えてしまう。
 というのも、ぼくはここのところユミによく似た女の子を殺してしまう夢を見る。
 女の子の手を引いて山道を駆け抜けるぼく。だれも見付けられないような奥深くまで立ち入って、ぼくは女の子を抱き締めるのだ。
「ごめんね」
 そう言って、彼女の喉を引き裂く――――。
「お兄、ちゃん?」
 気が付くとユミが不思議そうにぼくを見上げていた。ぼくは慌てて笑顔を作り、ユミの頭を撫でた。
「もう手伝いはいいからソファで休んでな? 近いうちに病院いこうね」
 ユミは素直に頷いて、おぼつかない足取りでソファへ近寄った。確かに座ったのを確認したぼくはまた夕食の支度に取りかかった。




 ぼくとユミは双子の兄妹だ。ぼくたちが生まれたとき、両親は同時に男女の子どもを授かることができたと喜んだ。けれど父方の祖父はそうでなかった。
 昔から双子は畜生腹だとかなんとかで忌まれていたらしい。弟や妹の方を殺してしまうということもあったようだ。おじいさんやおばあさんの中にはまだそういう考えを持っている人がいるようで、ぼくたちの祖父もそうだった。
「ねぇ、お兄ちゃん。男女の双子ってね、前世で心中した恋人同士の生まれ変わりなんだよ」
 ベッドに寝かしてやったユミがうっとりとした目でぼくを見た。
 前世。心中。恋人同士。
 その言葉たちはぼくの中に黒々とねばついた感情を生み出し、方向の曲がったユミへの愛情を掻き立てた。
 それを自覚するたび、祖父に浴びせられた「穢らわしい」という言葉が胸に突き刺さる。祖父はなによりぼくとユミが男と女であることを嫌がった。
 ぼくはユミをそんなふうに見たことはないのに。
 やりきれない思いに瞼を閉じる。
「お、お兄ちゃん」
 布団の中からユミの白い手が伸びる。指がぼくのシャツに食い込み、弱く引っ張られた。
「わたし、今日怖い本読んじゃって」
「うん」
「一緒に……」
 豆電球のぼんやりと暗い明かりがユミの薄く染まった頬を照らした。
「寝て」
 ぼくは頷いてユミのベッドに潜り込んだ。こんなところを両親に見られたらきっと怒られてしまう。ユミの笑顔を目と鼻の先で見つめるとどうでもよくなるのだけれど。
 ユミの頭を何度も優しく丁寧に撫でてやると、ユミは気持ち良さそうに目をとろんとさせ、眠りに落ちた。




 ぼくは山道を息を切らしながら走っていた。真っ暗な中を月明かりだけを頼りに先へ進む。
 手を引く女の子の吐息を感じながら、彼女の手をまるで宝物でも包み込むかのように優しく、けれど決して離すまいと強く握りしめていた。
「あっ!」
 突然女の子が声を上げて転んだ。ぼくも巻き込まれるようにしてその場に膝をつく。
「鼻緒が……」
 女の子が涙声で呟く。
「裸足で……」
「うん……」
 女の子の手を引っ張り、乱暴に立たせた。そしてはっと彼女のうしろへ視線をやる。松明の灯りがすぐそこまで来ていた。
 早く逃げなければ、捕まる!
 ぼくたちは無我夢中で走った。女の子はきれいな着物を身だし、はだけながらも山の奥を目指した。
 やがて。
 月明かりも差し込まないほどの奥地へ迷い込んだ。
 追ってくる松明もなく、安堵のため息を吐きながら木の幹へもたれ掛かり、ずるずるとその場へ崩れ落ちた。
「わたしたち、やっと、死ねるのね」
 涙をはらはらと溢しながら、嬉しそうに彼女は言った。ぼくの胸はもう張り裂けそうで、無我夢中で彼女の身体を掻き抱いた。そうしてふたりで声を上げて泣いた。
 身分も境遇も、なにもかもが不釣り合いなぼくたちだった。けれどどうしようもなく好きで愛してしまった。惹かれ合ってしまった。
 ぼくはずっと握りしめていた脇差をゆっくりと引き抜いた。ぼくの目からはとめどなく涙が溢れ出る。
「来世こそは」
「幸せになりましょう」
 脇差の尖端は迷うように震え、ぼくの叫びとともにユミの喉へ振り下ろされた――――。




「お兄ちゃんっ!」
 ユミの声がぼくを悪夢から引っ張り上げた。
「どうしたのお兄ちゃん。こんなに泣いて、怖い夢でも……」
 何かを考えるよりも先に、ぼくはユミを抱き締めていた。ユミの困惑は服を通してぼくの肌にひしひしと伝わってくる。
 あの女の子は、ユミだった。
 やっと気付いた。ぼくを侵していたあの、醜い感情は、きっと前世のぼくのものだった。
 ユミの肩に顔を埋めるともう止まらなかった。嗚咽を堪えきれず、決壊した涙腺からは涙が氾濫する。
 本当のことのように思い出せる。ユミを刺したときの感触を、ユミの断末魔を、それでも事切れる最期の瞬間に言ってくれた「好きよ」という言葉も。
「ごめん。ユミ。ごめん、なぁ……」




 神さまは心中した恋人同士を双子に転生させることでふたりを結ぼうとしたのかもしれない。けれど血の繋がった者同士で結ばれるのはまた罪だ。そうすればふたりは別の者と結ばれ命を育み添い遂げる。
「神さまってばかだよね」
「こら!」
 ぽつりと呟いたらお母さんにげんこつをされた。ぼくは今、ユミと同じベッドで寝たことについてお叱りを受けている真っ最中だった。もう子どもじゃないんだからうんたらかんたら言っているけれど、両親はいつもぼくたちを子ども扱いする。まったく、都合のいい話だ。
 朝になると、夜中にビービーと泣いていたことが嘘のようにけろっとしていた。
 ユミが時々ぼくを心配するような視線を送ってきたけど笑顔だけ返した。そこで気付く。いつの間にかユミの喉の傷が消えていた。ぼくの汚い感情の固まりもどこかへ行った。
 ユミと肩を並べてレモネードを啜りながら夢のことを思い出す。
 ぼくは決して結ばれることのない兄妹に恋人たちを転生させた神さまのことをばかだと思った。けれど前世のぼくたちはきっとこうしてふたり隣に座ってお茶を飲むことすら許されない身分だったのだろう。
 気兼ねなく話ができて喧嘩ができて、同じ布団で寝てもお叱り程度で済んで、案外神さまはそこのところを分かってるのかもしれない。
 ぼくの隣で微笑むユミを見つめて、静かに目を閉じた。










20111105



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