河川敷の方を歩いていたら、ひとりの少年と対峙した。
 少年は吸い込まれるような黒の双眸でわたしを見つめている。ふいに、わたしの脇を男が追い越していった。その男は少年の方へまっすぐ進み、少年の体をすり抜けていった。なるほどな、と頷く。
 わたしは少年から目を逸らし、歩き出した。少年のすぐそばを通り過ぎてしばらく歩くと、後ろから着いてくる気配を感じた。肩越しに振り返れば、さっきの少年がすぐ後ろにいた。
「きみ」
 少年の声が耳にかかる。
「ぼくのこと、見えてるね」
「うん」
 わたしは素直に頷いた。幽霊にストーカーされるなんてことは別段、珍しくもなんともない。ただ、不愉快なのはいつだってそうだが。
 そうして出会った少年はわたしの家まで着いてきて、そのままわたしに取り憑いた。もう一ヶ月になる。




 見えないものが見えるわたしは、異形のものとして見えない迫害にあっていた。うっかり幽霊さんと口をきいてしまって変人扱いされたことは多々ある。
 そういうこともあり、今日も人間の友達でなく例の(霊の)少年と下校していた。
 彼との一ヶ月間の生活で分かったことと言えば、タツキという名前であることと享年十八歳であることだけだ。
 わたしたちは会話もなく、黙々と家へ帰っていく。その途中、もうそろそろだとさりげなく後ろを浮遊する幽霊へ視線を投げた。河川敷にさしかかったところで、タツキは動きを止めた。毎日、決まってこうなのだ。物思いに耽るようすで川面を見つめている。
 わたしはタツキを待ってやることはせず、放っておいて歩き続けた。




 家へ帰りしばらくして、夕食の時間となった。
 母さんと父さんがテーブルを挟んで仲睦まじく談笑している。その中、母さんの後ろへ味噌汁を啜りながら厳しい視線を送る。タツキが立っていた。じぃっと母さんを見下ろしているのだ。
「あっちへ行け」と目で訴えると、タツキは霧散しどこかへ消えていった。
 夕食を終え部屋へ戻った。するとタツキが物憂い気な表情で窓の外を眺めていた。彼の隣に並ぶ。
「アヤネちゃん」
 ぽつりと呟いた。
 アヤネというのはわたしの母さんの名前だ。どうしてタツキがわたしの母さんの名前を知っているのか。無言で問いただすとタツキは重い口を開いた。
「高校生の頃、ぼくとアヤネちゃんは付き合ってたんだ」
 わたしは盛大に叫びを上げた。その凄まじさといったら階下から両親が慌てて駆け上がってくるくらいだった。
 なんでもないよ、と苦し紛れの言い訳で両親を追っ払い、タツキに話の続きを促した。
「ちょうど今くらいの時期……、アヤネちゃんの誕生日の少し前、ぼくは彼女の誕生日プレゼントに指輪を買った。もちろん、ダイヤが付いてるような立派なやつじゃなくて、おもちゃみたいなやつだけれど」
「なかなかやるな」
「ぼくはアヤネちゃんをとても好きでアヤネちゃんもぼくをとても好いてくれてた。だから、アヤネちゃんの誕生日に、指輪をプレゼントして言おうと思ってたんだ。高校を卒業したら、結婚しようって」
「わぉ!」
「……なんで茶化すの」
 タツキが不満そうに目を細めた。彼は非常に真面目な話をしていたらしい。わたしはおとなしく黙っておくことにした。
「でもアヤネちゃんの誕生日にぼくは事故で死んだ。あの河川敷で。車に跳ねられた拍子に指輪を取り落とし、転がって川に落ちてしまった。どうしても渡せなかったそれが気掛かりで……」
「成仏できなかった、と」
「うん。でも」
 タツキは目を閉じて、ゆっくりと開いた。寂しい色だ。
「アヤネちゃん、結婚しちゃった」




 母親の元カレと親しくなるというのは、父さんに対して申し訳ない思いでいっぱいなのだけれど、憑かれている以上仕方がない。
 日曜日にわたしはタツキを連れ、川へとやって来た。肌寒いこの季節に足だけでも浸けるのは正直辛い。けれどわたしは意を決し、川へ足を入れた。
「ちべたいっ」
「が、頑張って」
 顔のまわりを浮遊する幽霊が無責任なことを言ってくる。両手を浸し、じゃばしゃばとさせながら指輪を探した。
 指輪をなくしたのは二十二年前。タツキの記憶もおぼろげなようだった。秋真っ只中に川遊びするわたしへ、変わり者の視線を送ってくる人間が増え始めた。そろそろ止めたくなったころ、タツキが声を上げた。
「あれ! あれ! ほらぁ!」
 タツキの指差す先へ視線を這わせる。水面下にきらりと耀くものを見た。わたしはすぐに駆けつけ手探った。そして。
「あったああぁぁぁっ!!」
 ついに見つけた指輪を高々と夕日にかざした。満面の笑みを浮かべたタツキがわたしの方へ突進してきた。幽霊に触れることはできなかったがわたしたちは確かに手を取り合い喜びを分かち合った。


 わたしに向けられる奇異の視線を振り切りながら帰る最中、タツキが言った。
「アヤネちゃん、喜んでくれるかな」
 半透明の少年の横顔はどこか恥ずかしそうで嬉しそうでもあった。
 家の玄関を開けて真っ先に耳に飛び込んできたのは「おかえり」ではなく、両親の楽しそうに話す声だった。タツキの顔が強張る。
「ただいまー」
 言いながら靴を脱ぐと、母さんが居間から顔を覗かせた。
「ねぇ聞いてよー。お父さんたらねぇ……」
「いや、おかえりって言ってよ」
 よっぽど面白い話をしていたのか母さんは笑いながら涙を拭っている。父さんがいかに可笑しかったかを頬を上気させながら饒舌に語った。わたしは相槌を打ちながら、タツキがどんな気持ちで母さんを見つめているのか気になって仕方なかった。
 タツキはぼぅっとした目で母さんを見つめ、やがて空気に溶けて消えた。
 夕食時になってもタツキは現れなかった。部屋に戻っても気配のひとつも感じない。何度か名前を呼んだがそれも無駄だった。
 けれど、布団を敷いて眠りにつき始めたころ、枕元にタツキの姿が浮かんだ。きっちりと正座してわたしの顔を見下ろしている。
「アヤネちゃん」
 タツキが呟くと、彼の目から水滴が一粒零れ落ちた。涙は私の顔に落ちることなく途中で消える。
「もう一度触れたい。それさえ出来れば、ぼくは成仏するよ」
 その言葉にわたしは身を起こし、タツキと向き合った。両手を広げると、タツキの半透明な体が倒れ掛かってきた。タツキの体が溶けるようにしてわたしの中へ入ってくる。体が火照って、頭がぼうっとし始めた。
 ふらり、とわたしの体が立ち上がる。そこに私の意志はない。タツキの意思でわたしは動いていた。
 机の上に置いておいた指輪を手に取り、階段を降りてゆく。母さんは台所にいた。わたしに気付くなり、母さんは笑顔を向けてきた。
「どうしたの」
 母さんの顔がぼやけて見えた。どうしたのだろうと思ったら涙が溢れ出てきた。タツキが泣いている。
「ア……」
 わたしの唇が僅かに開いた。
「アヤネちゃん」
 瞬間、母さんに驚愕の表情が浮かんだ。タツキは母さんへ歩み寄り、両手で強く抱き締めた。母さんは動揺しているのか、目を泳がせている。
「タツ……」
 そこでわたしの意識は途絶えた。



 目を覚ますと朝だった。しかし時計の針は十時過ぎを指していた。これでは完全に遅刻だと慌てて制服に着替えたが、母さんに休むよう言われた。どうやら昨晩のわたしは熱にうなされていたらしい。
 母さんに布団を敷いてもらい、おとなしく横になる。わたしは母さんに気付かれないよう首を動かしタツキを探したが、どこにもいなかった。
 逝ってしまったか。
「あれ、母さん」
 タツキの指輪が母さんの首にぶら下がっていた。
「あぁ、これね。だって、あなたがくれたプレゼントだもの」
 嬉しそうに笑う母さんに「いやそれは」と言ったが、口をつぐんだ。
 タツキのものだと言って、どうする。
「母さん」
「ん?」
「似合ってるよ」
「うふふ。ありがと」
 わたしの額を優しく撫で、母さんは部屋を出て行った。そうしたら部屋の中は異様に静まり返り、寂しさすら感じた。
「タツキ」
 魂すら消えてしまった彼の名を呼んで、わたしは息を吐いた。









20111103



 


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