「うわ、もう外が真っ暗」と沙良が隣で騒ぐので面倒に思いながらも顔を上げた。
「本当だ。月も出てる」
 言いながら私のすぐ横をすり抜ける男友達をちらりと睨み付けた。見山は気づく様子もなく、窓に張り付く沙良と肩を並べた。
 教室に差し込む月明かりが、ふたりを見つめる私の頬を白く照らす。私の中に芽生えた嫉妬心が小さく燃ゆる。傍から見ると、きっと恨めしそうにしていた私へ沙良が振り返った。どきりとする。
「帰ろっか」
 私は頷いて席を立った。




 教室を出て、月明かりがぼんやりと照らす廊下を歩き始めた。
 沙良と見山がまた自然な様子で肩を並べている。そのことに気付くや否や柄にもなく私は慌てふためき、思い切って「えい!」と間に割り込んでみた。
「な、なによ!」
 驚いたらしい沙良が声を少し荒げる。「ごめん」とおざなりに言った私は、見山を見上げた。肩がぴったりとくっつくくらい密着しているせいか、見山の顔がすぐ近くにある。胸を高鳴らせた私の顔を見、彼はにこりと笑った。私の方もぎこちなく笑い返すと、信じられないことに手を握られた。見山の手は山で出会ったときよりも随分大きくなっていた。
「ねぇ、あんたたち」
 沙良が私たちの顔を覗き込もうと首を伸ばした。そして「げっ」と変な声を出す。
「なんで手ぇ繋いでんの!?」
 沙良のごく直球な質問に、私はさらに慌てた。対して見山は飄々とした顔で私の手を握り続ける。沙良は私と見山を交互に見やったあと、眉をハの字に下げ、目を逸らした。そして「……あたしね、好きなヒトがいるの」と突然言い出した。
「だれ?」
 すかさず見山が訊く。
「天津くん。中学、一緒だった子」
 恥ずかしそうに沙良が言うと、見山は茶化すように「へぇ」と言った。一方で私は違和感を感じて、首を捻った。
「天津って、女じゃなかったか?」
『えぇっ!?』
 沙良と見山が同時に声を上げた。私は驚いて仰け反ったが、ふたりは私以上だった。
「何言ってるのよ!」
「……君は」
 見山が睫毛を伏せたのを見て「しまった」と口を押さえる。
 もうヒトの雄雌の区別がつかなくなり始めている。さきほどからむずむずとする尻を振り返り、あぁもうサヨナラの時間だとひとりごちた。
「あっ! 天津くん!」
 沙良がふいに足を止め、嬉しそうに声を弾ませた。ちょうど階段の手前で私たちは天津と遭遇した。その時、見山が私と繋いでいた手をパッと離した。その行為に私の心は思いのほか傷つけられた。
 沙良が天津に一生懸命話し掛けている間、見山は私の側を離れ、廊下をきょろきょろと見回した。私は空いた手を開いたり閉じたりさせた。窓の外へ目を向ける。まぁるい月がこちらを覗いていた。
「ねぇ、きて」
 見山の声がすぐ耳元で聞こえた。驚く暇もなく、見山に手を引かれ階段を駆け上がった。
「何さ」
「まぁ、座って」
 階段に腰を下ろし、見山が手招きする。私は気恥ずかしい思いで隣に座り込んだ。そうしてしばらくの間、私たちは互いに言葉を交わさずにいた。階下から沙良と天津の笑い合う声が聞こえてくる。
「好き」
 唐突にそんなことを言われた。私は顔を上げ、見山の白く照らされている顔を見つめた。煌々と耀く瞳が美しかった。
「好き」
 見山が繰り返した。私は返す言葉がなく、視線を落とした。
 見山の気持ちは、嬉しい。けれどその想いに応えるには私は不確かな存在だった。
 見山の視線が私の背後にあるのを感じた。私の銀色の尾を、ただ冷めた目で見ていた。
「分かるだろう」
 私が呟くと、見山が私の肩にしなだれかかった。
「私は、狐なんだ」
 廊下の窓へ目を向けると、いつの間にやら妖たちがわらわらと硝子に張り付いていた。私が指差すと、見山もそちらを向いた。一瞬怯えたような表情を浮かべ、私の腕を強く掴んだ。
「好きなんだ」
 妖たちは私を取り戻さんと、鍵の架かった窓をこじ開けようとする。硝子を引っ掻くような不快な音が溢れる中、見山の「好きなんだ、行かないで」という言葉だけが鼓膜に優しく染み渡る。いつの間にか熱を帯び始めた喉をごくりと飲み込み、私は立ち上がった。
「待って!」
「覚えているかい、見山」
 硝子に群がる妖たちに私は片手を上げた。それに呼応するようにあたりの妖気が強まっていく。
「昔、山で会ったね。そのときアンタは子供で、山を降りられないのだと泣いていた」
 三百年もの月日を生きてきた私にとってヒトの子供は退屈を紛らわせる道具だった。遊んでやろうと思ったのだ。そしてつまらなくなったら喰ってやろうと。けれどその子供は、見山は私の銀の尾に触れ、きれいだと言った。きれいだと言って笑ってくれた。
 あのとき気紛れで助けてやったヒトの子が今、どんな生活を営んでいるのか、ほんの興味本位で人里に降りた。それだけの話だ。
「さようなら、見山。……今度はもう、山に迷うな」
「待って……、銀狐!」
 あぁ、覚えていてくれたのか、そんな適当にでっちあげた名を。
 窓を開くと妖たちが我先にと窓枠に身を乗り出した。それを私は妖気で払い退ける。私の妖気に負け霧となって飛散した妖は山へと逃げ帰っていった。振り返ると見山は山で迷ったときと同じ顔で私を見ていた。ヒトならざる私の力を目の当たりにした見山は何を思っているのだろう。これでもまだ好きだと言ってくれるのだろうか。
 私はかぶりを振り、前に向き直った。そんなことを考えたところでどうにもならない。ヒトにはなれぬ。
 窓枠にのぼり「さぁ、帰ろう」と山へ呼びかけた。一瞬の静寂の後、木々を薙ぎ倒しながら風が吹き渡ってきた。それに飛び乗り、私は妖たちと空を舞った。私の名を必死に呼ぶ見山の声を聞きながら私は山へと帰っていった。




 あれから幾らかの月日がたった。三百年余りを生きた私にとって、見山や沙良と過ごした季節など蝉の命程度の長さに過ぎない。
 その日は大変良い天気だったこともあり、私は山のてっぺんから人里を見下ろしていた。そうしていたらヒトが列をなしているのが見えた。目の良い私はそれを見てヒトの嫁入りであることに気付いた。俯きがちに歩く花嫁は私ほどでないにしろ、美しい女だった。ふと、花嫁の横に目をやると覚えのあるヒトの雄が見えた。
「見山」
 呟いた名前は寂しさを含んだ、懐かしい響きとなって消えた。
 見山はあの娘と短い生涯を遂げようというのか。悪くはないだろう。あの美しい娘ならば。
 幸せそうに花嫁と微笑み合う見山を見つめる私の双眸からは、何百年ぶりかの涙が流れた。








(修正・加筆するかもしれない……)
20111016


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