***本文より一部抜粋***



 表情を変えず、手当てを続ける腹心に小さく舌打ちをした。
 昔からそうだ、本気で反省を促すときは激昂するのでなく、こうして静かに此の方の非を正してくる。
 たしかに、真田幸村と対峙しているときの政宗は一国の主として相応しくはなかろう。そのことを誰よりも知っているのは小十郎の指摘とおり、政宗自身である。  
「おまえ、真田の忍びが止めにはいるって知っていただろ」
 それは、気まずさを誤魔化すため、何気なく口にした問いかけだったのだが。
 薬を塗っていた大きな手がぴくりと揺れた。
「真田を呼び戻したのは猿飛ではなく信玄公のご判断。甲斐の虎の胸中など――小十郎に知る術もありませぬ」
 ごく、僅かな違和感。説明のつかない不協和音。
「じゃあなんで、あんなにあっさり引いた」
 政宗に危害が及ぶことにおいては辟易するほど神経質な男がああやって遠くから見守っていることは正直意外だった。
 しかも小十郎は政宗の前に幸村と手合わせをしている。真剣勝負とあればどちらかが命を落とす可能性があることを、その刀ではっきりと理解していたはずだ。
「では、お引止めすればご自重してくださいましたか」
 無論、そんなはずもないが。
「あなたはあのような場所で命を落としたりなど致しません。―――決して」
 ふいに、政宗はすぐ側に座して、手をとっている男がどこか遠い彼方にいる錯覚陥った。この感覚も初めてではない。梵天のころから、そう、あの雨上がりの庭で感じたときから幾度も。
 意味のわからない焦燥にかられ、政宗は手当てを終えて離れてゆこうとする小十郎の手首を、痛みが走るのもかまわずに強く掴んだ。
「小十郎」
 数えきれぬほど呼んだ名であるのに、呟いた声は体内に渦巻く熱を孕んでいて、まるで他人の声のようだった。
 そうしてぼんやりと、焦燥感の根底にあるものがなにであるか、政宗は気がついたのである。
「……手首は今夜一晩、冷やしたほうがよろしいでしょうな。氷室より氷を切り出してくるよう、言いつけてまいります」 
「こんな捻挫、ほっときゃ治る」
 主の傷は丹念に手入れをするくせに、あちこちが擦り剥けたままの、荒れて厳つい手に、猫がするように頬を押し当ててみると、ずっと己が望んでいたことがすんなり浮かび上がった。
「今夜は血が騒いで眠れそうにねぇ。おまえも真田と一戦交えたんなら、わかるだろ」
「―――酔っておられるのですか、政宗さま」
 残念ながらそうではない。酔うほど飲ませてくれなかったのは小十郎である。
 これほど忠義を尽され、我が右目であり半身であると信じられる存在であるのに、どこかが遠い。
 本能が告げる。この男のすべてを手に入れてはいない、と。 
 政宗が知りえない、なにかがある。
 それが正体不明の焦燥となって政宗の首筋をちりちりとこがす。
「―――おまえをオレのものにしたい。全部だ」
 触れていた手が、強張った。
 構わずに身を起こし、名を呼んでも視線を合わせようとしない小十郎のくちびるに、逃がさないとばかりに噛み付いた。
「……っ、」
 共に盃を傾けていたはずなのに、酒の匂いがまったくしない、あつくてぬるついた粘膜を舌で強引にまさぐり、湯を浴びてすぐだからか、汗の匂いも、土の―――こびりついている血の匂いもしない肌。随分念入りに清めてきたものだと手を這わせた。求愛というより、服従を求める獣が急所に噛みつくような仕草だ。
 身体を繋げることですべてを手にいれることが出来ると思えるほど、政宗も馬鹿ではない。だが、勝負で放てなかった熱に疼く若い身体は、今最も欲しいものが何であるのかを直裁に訴えていた。幼いころから、ずっと共に在ったこの男を手に入れたい。
「お、やめください」
「Ha,やめるんなら最初からしねぇ」
 いつも己を護ってくれる逞しい身体を抱きしめ、欲をはっきりと認めれば、いろいろな理由が曖昧になるのだから男などいい加減なものだ。だが求めるものはごく単純で明快になる。
「おまえを寄越せよ、小十郎」
 ぬくもりを分かてば、足りないなにかが見えるだろうか。
「……これ以上あなたに捧げるものを小十郎は持ち合わせておりませぬ。それを不実とお思いならば、どうか」
 ぎり、と奥歯を噛み締める音。ひとつ息を吸うと小十郎は澱みなく言い放った。
「どうか、この至らぬ右目を手打ちになさいませ。すでにあなたは立派な将の器であられる。家臣のひとりを失ったところで、伊達軍は揺るぎますまい。もとよりあなたに捧げた命。御随意になさいませ」
 素直に応じてくれるはずもなかったが、拒まれるとも思っていなかった。
「……その言葉は本気か」
 単に男と寝ることを拒まれるのなら、わかる。だが無意識の内に自覚していた。自惚れではない。小十郎もまた、政宗を欲していると。
 そう―――肉欲さえ含めて受け入れてくれるのだと。
 顔を背けているせいで、無防備になっていた喉笛に手をかけ、もう一度「本気なのか」と問えば、きつく瞼が閉じられ、低い声が搾りだされた。
「あなたの手にかかるのなら、なんの未練がありましょう」
「――――おまえ……!」
 ぐ、と首に触れる指先に力をこめかけた時。政宗は自分がひどくちぐはぐなことをしている気がした。
 喉元を締め上げ、怒鳴り、詰るのは簡単である。
 このまま強引に組み敷いて、抱いてしまってもかまわない。最終的に拒み通せるはずがないと今も確信している。
 だが、何かが引っかかった。首に手をかけられた小十郎の表情が十も年上の男を求めた主を諌めるが為にしては、どこか恍惚としているのは何故だ、それが本心だからか。本気で絞め殺されてしまいたいとでも?それにしても。
 自分はなにか思い違いをしているのではないだろうか。
 誤った答えを正解であると信じきり、取り返しのつかないところまで道を進んでしまっていないか。
 政宗の耳元でもうひとりの自分が囁く。
 急くな、真実を見極めろ、と。
 そうだ、何かがおかしい。
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