ことのはじまり

 それは刹那の出来事だった

 春の風が吹き荒れる国境での戦場。長い長い冬の間、進軍も叶わず雪に閉じ込められていた鬱憤を晴らさんばかりに右目の制止に聞く耳をかさず、常のように前線へと踊り出る。振り向かずとも、確かめずともわかる、背には苦笑しながらも離れることのない己が半身。
 久方にしては悪くはない戦だった。まみえるは佐竹。雪溶け後すぐに仕掛けられる戦は冬という季節が伊達を腐らせていないか探る、力試しだ。どちらも全勢力を投入しての戦ではない。だが弱ったところをみせればすぐさま国境を越え、攻め入られる。
 冬の間も鍛錬を欠かすことなく、荒ぶるほどに士気の高い自軍。不利に陥ろうと統率乱れることなく仕掛けられる敵方の攻撃は心地よくさえある。真田幸村と対峙した時の、この瞬間の為にこそ己が命はあるのではないかという高揚感にはほど遠いがつい、血が騒ぐ。だが伊達軍優勢は明らか。勝利の天秤は大きくこちらに傾いていた。
 それが慢心に繋がったのか。
 油断ともいえない小さな不運。だが政宗は知っている。大局をあと少しで手にしようとしていた人間が、路傍の小石ほどの不運で命さえ容易く落とすと。
 手ごたえのある将とやり合ううちにいつのまにか僅かな手勢と共に本陣を少し離れた小高い丘へと誘導されていた。周囲には木立も繁り、あまり気分のいい場所ではない。誘い込まれたか。ごくありきたりなやり口だが、佐竹軍らしからぬ策に妙な空気を覚えた。
「深追いはなりませぬ!ここは一旦本陣へとお戻りを・・・!」
 同じことを察しているであろう右目の進言にshit!と舌打ちをして引き返そうとした途端にごうっ、と突如巻き起こった強烈なつむじ風。とっさに閉じた隻眼。刹那、感じた敵方の殺気。右後方だった。
 ひりつく瞼をこじ開け振り向くと霞む視界に捉えたのは天頂にあった太陽の光に黒く逆光になり、頭上に振りあげられた敵の刃。切っ先だけがぎらりと反射し、凄まじい早さで政宗へと襲いかかる。まずい、とまだ抜いていなかった六爪へ手をかける間もなく己の名を呼ぶ声が聞こえた。
「政宗様!!」
 舞うように振り上げられる特有の太刀筋が空を切り、目前に迫っていた敵兵が血飛沫をあげ崩れ落ちる。
 そこまでは珍しいことではない。自分達は幾度もこうやって死線を掻い潜り、戦い、勝ち抜いてきた。ご油断召されるな、と飛ばされるきつい諫言にオレの背中はお前が守るんだろう、と笑って応え再び戦いの渦中に身を投じればそれでよかった。
 だが躓く不運の小石は一つではなかったのだ。
 再び起こった春嵐の風。しかも今度は敵方の背後から吹き付けたせいで相手は目潰しをくらうこともない。独眼竜の首を獲るにはその右目を先ずは討つべしと最初から狙いを定め隙を伺っていたのだろう。砂塵に鈍る視界に映った三方向から同時に繰り出された槍と刀の動きは明らかに選りすぐられた手錬れのもの。
 政宗を守るべく跳びすさった不安定な姿勢ながらも素早く一刀で小十郎は槍と刀を叩き斬ったが、残り一人。やや後ろから迫る切っ先が常ならばけして詰められることのない小十郎の居合いに入り込んだのを認めたときすでに政宗の躯は動いていた。
 それはとっさの行動では、あった。だが政宗が一番赦されない行動だったのだ。
 だが、どうしても。
「小十郎!」
 やはり六爪は間に合わない。
 握ったひと振りの刀を辛うじて握りなおして踏みしめた土を蹴り、陣羽織に描かれた月を斬り裂こうとする刀を薙払い、返す刀でそのまま相手を斬り捨てる。だが政宗は敵が土に倒れ伏す様を見届けることは出来なかった。
 刀と刀が交わった際にこぼれたひとかけの刃。
 咆哮と怒号轟く戦場に響いたキン、と空気を裂くようなつめたい金属音。吹きすさぶ風とは真逆の麗らかな日差しを受けてちかり、と光る小さな輝きと飛び散った鮮血が春霞んだ空に見える。 
 きらきらと、美しい光。
 それが真っ直ぐに政宗の左の瞳に降ってくるまでの時間はまさに瞬き一つできないほどの僅かな時間であった。皮膚に感じた返り血のぬるさ。瞬時に網膜が真っ赤に焼け付いて脳髄の奥までもが鋭い激痛に貫かれ、すぐに真っ暗な闇に侵蝕されてゆく。同時に左腕にも衝撃。一太刀受けたか。さらなる刃が宙を斬る音。
「――――政宗様ァッッ!!」
 血を吐くような叫びを間近に聞きながら政宗は左目の光をも失った。
















人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -