またも別ジャンル
2012/12/09 20:39
日々を生きていることは幸せか、そうなんの前触れもなく問い掛けられて顔を上げるが言葉を発した男はうつむいたままだった。何か続きがあるのかと黙って男の細い指が厚い本のページを捲っていくのを見つめる。長い前髪が表情を隠してしまっているため、マールーシャはその問いの真意を窺うこともできない。
いくら待てどもゼクシオンがそれ以上何か言葉を続ける様子はなかった。大袈裟にため息をついてマールーシャは手入れしていた一本の薔薇を手にする。
たった一言だけだったがそれは部屋を包んでいた静寂を破るのには充分だった。
マールーシャは問いそのものよりも干渉し合うことを嫌うゼクシオンがなぜそんなことを問うのか、そのことに興味を惹かれていた。
「独り言か?」
「答えられないのであれば結構です。無駄な話をするつもりはありませんから」
冷たく言うゼクシオンにマールーシャはくつくつ笑う。まったく可愛くないことを言うものだと呆れてしまう。
「幸せなどという表現が適切かどうかは知らんが、つまらぬ生なら謳歌する必要もないな」
「……」
「幸せとやらになりたいのか?」
手入れした薔薇を一本ゼクシオンに差し出しながらマールーシャは笑う。ゼクシオンはそれを受けとることなく首を振った。
「貴方に聞いた僕が間違っていたようですね」
本を閉じるとやれやれといった様子で立ち上がる。マールーシャはもう一歩ゼクシオンに近付き手首をつかむ。
「なんです?」
「幸せのお裾分けというやつだ」
薔薇を無理矢理ゼクシオンに握らせる。
無表情だった顔に濃い険悪が足される。眉間の皺が深くなり目付きも鋭くなった。
「ノーバディーに感情など存在しません。ばかなことをするのは止めていただけますか」
「言い出したのはお前だ。受け取れ」
「所詮人間だった頃の記憶です。あなたは花ひとつで幸せを感じる人間だったんですね」
冷たく吐き捨てるように言うゼクシオンは苛立っているように見える。ますます真意がわからない。
「なにやら難しいことを考えているようだが、事は単純だろう?美しいものを見れば幸せだ。それの何がいけない」
「貴方ほど僕は単純ではありません」
受け取った薔薇を机に置いて新しい本を広げ、ゼクシオンは冷たく言う。
ゼクシオンは単純だとマールーシャは思う。ただひどくひねくれているだけだと。
「日々の幸せど身近にあるものだ。それに気付かないのは余裕のない証拠だな」
マールーシャら優雅に微笑み別のはなを手入れし始める。背中越しに冷たい視線を感じるのもお構いなしになおも続けた。
「それとも、自分が不幸だとでも言うか?ゼクシオン」
「……感情のないノーバディーにその問いは無意味です」
一体先程の書物に何が書いてあったのか。人間だった頃の記憶に触れるような記述でもあったのか。それをマールーシャが知ることはできないが、どうやらゼクシオンは幸せとやらになりたいらしい。
「私の隣にいることが不幸なわけがあるものか」
「それこそ勘違いも甚だしいですね」
それっきりどちらかが口を開くことはなかった。
静寂が戻り紙を捲る音と花を手入れする音だけが響く。
マールーシャからすればこの空間と時間さえ幸せだというのに。
それともゼクシオンはただ構ってほしかっただけか。
それに気付くとマールーシャは先程の辛辣な物言いさえも甘い愛の囁きに感じるのだった。