私は起きるなり、横の障子を勢いよく開け廊下に飛び出した。まだ興奮が冷めていないため、足から伝わる廊下の冷たさが心地よい。落ち着くためにしばらくうろうろしたが、無駄だと分かり、私は一目散に駆け出した。目指すは、侘助の部屋。途中の、障子が開いた部屋の時計の針は、5時を指そうとしていた。今更ながら、しまったと後悔する。あとでみんなに怒られるだろう。しかし、私の足は止まらない。そしてあっという間に目的地に着いた。肩を上下させながら、耳をすます。…よほど疲れているのだろか、どうやらまだ起きてないようだ。ほっとしながら、私は悪戯っ子の笑みを浮かべ、障子に手をかけた。そろそろと開け、真ん中で未だに寝ている侘助の背中に忍び足で近付く。これから自分がしようとしている事に笑いを堪えながら、大きく息を吸って、彼の耳元で叫んだ。
「コケコッコォーーーー!!あっさっだよー!おっきろー!」
瞬間、尋常じゃないくらい目の前の肩がびくりと波立ち、ぐるりと気だるそうな目が向けられた。
「…朝っぱらからうるせえ」
放たれた言葉は、寝起き特有の重苦しさを含んでいて、いかに侘助が不機嫌であるか分かった。まあそりゃそうだろう。誰だってこうなる。自分がやった事だというのに、私は彼にひどく同情した。彼は枕元の時計を見て、わざと大きく聞こえるように舌打ちをした。
「まだこんな時間かよ。まじありえねえ」
「朝を制するものは一日を制する!」
「他人を巻き込むな」
「他人じゃないよ。いとこだよ。あれはとこだったけ?とりあえず家族ですー」
らちがあかないと察したのか、侘助は私を一回きつく睨んでから背を向けて、再び眠りにつこうとした。私は慌てて彼の体を揺すった。
「聞いて聞いて!栄おばあちゃんが夢に出てきたの!」
今度は違う意味で侘助の肩が揺れた。彼にとっては、タブーな言葉なのだ。いい意味でも、悪い意味でも。
「…だからなんだ」
「でねでね!侘助も横にいたの。三人でおばあちゃん挟んで縁側に座っているの」
私は膝を抱え込んで、知っている言葉全てを使って、出来る限り忠実に伝えようとした。侘助は何も発さず、身じろぎひとつもしなかったが、長年の仲だからだろうか、きちんと聞いていると確信していた。どう思いながら聞いているかは別として。
「…で、だんまりを決め込んでいた侘助が一言だけ言うの。“ごめん”ってね。私が何のごめんなのかちゃんと言いなさいよって怒ってたらおばあちゃんが、」
自分が興奮に息を飲むのが分かった。しかし急に今までの高揚していた気分が醒め、次の言葉を自分だけのものにしたくなった。どうせ言ったって、しょせん夢だと馬鹿にされるだろうし。言うか言わないか、爪が伸びたつま先を弄りながら、私はしばらく悩んだ。
「何て言ってた」
震えた声が静かに部屋に響いた。それは私のものではなく、目の前の人間からだった。私は少しびっくりしてから、聞こえないようにくすりと笑った。なんだ案外真面目に聞いてたんじゃないの。からかいたくなる衝動を、自分の両足首を握りしめる事で抑え、言葉を続ける。
「凄くゆっくりとした口調で、ちゃんと分かってる。って。たったそれだけよ。あ、とても嬉しそうに笑ってた。満足?」
「はっ何だよそれ」
気が抜けたかのように笑い、体を天井に向けて、右腕で目元を覆い隠した彼を眺めながら、私は諭すように呟く。
「…確かに夢だけど、きっと生きてても同じ事言うと思うよ」
侘助は何も言わなかった。反応を待っていたが、最終的に聞こえてきたのは寝息だった。そっと立ち上がり部屋を出る。今度は音を立てないように慎重に廊下を歩き、自室に戻り、布団にダイブした。
侘助が救われる事はないだろうけど、少しずつでも彼の重荷が軽くなりますように。
微かににおってくる味噌汁の香りを感じながら、そしてうとうとしながら、私はそんな事を考えた。
i know you know110908