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プロ御と球団グッズ担当


 スニーカーの紐をきゅっと結び直し、球場のコンコースを全速力で走る。
 腕時計をチラッと見ると、時刻は十三時三十分。練習開始まであと三十分はある。いつも早めにグラウンドインする彼なら、きっともうベンチにいるはずだ。

 晴天のグラウンドへ足を踏み入れると、すぐに大きな背中を発見した。すでに荷物も下ろして軽いウォーミングアップを始めているみたい。足音を忍ばせて背後からぐるりと回り込むと、彼はサングラスに覆われた目を丸くする。

「御幸さん、見てください!」

 ジャーン! の効果音つきで今朝納品されたばかりのTシャツを拡げる。黒いTシャツの真ん中には拳を高々と突き上げる御幸さんの姿がプリントされている。 

「ん? なにこれ新商品?」
「先日のサヨナラタイムリーの記念グッズですよ!」
「あぁ、そういうことね」

 御幸さんがサヨナラタイムリーを放ったのは、三日前のこと。こういう特別な勝利を収めた試合では、ヒーローのグッズを作成するのがお決まりだ。
 試合が終わってデザイナーさんが徹夜でデザインしてくれて、翌日には発注、今日にも試作品が届いた。なんてスピーディーな商品化。すでに受注の申し込みは今日から始まる段取りも整っている。
 仕事が早くて商品のセンスが良いとファンから評判が高いのが、球団グッズ担当の自慢なのだ。

「おー。いいじゃん」

 御幸さんは数秒ほどTシャツを見つめただけで、たいして心もこもっていない口調で言った。表情は笑顔を保ちながらも、心の中で盛大に舌打ちを鳴らす。
 この人の語彙力は基本的に「おー。いいじゃん」「へぇ、いいんじゃね?」のふたパターンしか存在しない。
 今日こそは「かっこいい」とか「すげぇ」とか言わせたかったのに。地団駄を踏みたくなるのをぐぅっと我慢する。大切なグラウンドを傷つけたらいけない。

「ということで、さっそくですけどこのTシャツを着てください」
「えぇー」
「御幸さんの着画をSNSにアップするんです。SNSで告知すると売り上げが全然変わりますから」
「俺、SNSって苦手なんだよね」

 御幸さんは愛想笑いを浮かべながら短いえりあしをガシガシと掻く。
 このご時世にSNSのアカウントを作っていないプロ野球選手はきっと御幸さんしかいないだろう。今はプロ野球選手も知名度を上げるために誰しもがSNSで情報発信をするのが定番。それでも周りに流されることなく自分の意志を貫く姿勢は、ある意味で尊敬に値する。
 しかし、今回は御幸さんの協力が絶対に必要だ。徹夜で働いてくれたデザイナーさんのためにも、わたしはわたしの仕事を全うしなくてはならない。

「今回協力してくれたらたくさんグッズが売れて、グッズ収入のインセンティブがいっぱい貰えますよ」

 爪先立ちで御幸さんの耳元へ唇を寄せ、魅力的なフレーズを囁く。「インセンティブ」の甘美な響きにクラクラしないプロ野球選手もまた、この世には存在しない。
 グッズ収入の数パーセントは選手へ還元されるので、グッズの売り上げを気にしている選手も少なくないのだ。

「……交渉が上手くなったな、みょうじさん」
「この一年でいろいろ学びましたから」

 どうやら交渉は成立したようだ。
 御幸さんをベンチ裏へ誘導し、さっそくTシャツを手渡す。
 着替えのあいだ少し席を外そうと思っていたのに、御幸さんは間髪入れずに勢いよくユニフォームとアンダーシャツを脱ぐ。
 目を逸らしたいのに、つい筋骨隆々な身体に魅入ってしまう。腹筋が彫刻作品のように綺麗に六つに割れて、肩や胸の筋肉も分厚いし、腕もすごく太い。
 わたしと同じ生き物とは思えないほど、御幸さんの身体は美しく鍛え上げられている。生唾がぬるりと喉の奥へと流れていく。

「みょうじさん、見すぎ」
「ハッ、すみません! つい魅入ってしまって……」
「まぁ減るもんじゃねーし、別にいいけどさ」

 御幸さんは照れ隠しが下手くそだ。ほんのりと耳の先が赤くなっている。女性に裸を見られるのだって慣れていそうなのに、意外なリアクションだ。
 それにしてもいい身体だった。上半身裸の写真をプリントした抱き枕を作ったらすごく売れそう──と名案を思いついたけど、即却下する。御幸さんは露出NGなのだ。真夏でも長袖のアンダーシャツを愛用しているほどに。

「似合ってますね。サイズもちょうど良さそうです」
「着心地も悪くないぜ」
「お褒めいただきありがとうございます! では、写真を撮っちゃいましょうか」

 スマホのカメラを向けた途端、御幸さんの表情が消えてしまった。そんなにSNSに写真をアップするのが嫌なのか。

「御幸さん、笑ってください」
「みょうじさんが笑わせてよ」
「じゃあ、打席に入る時の御幸さんのモノマネしますね」

 スマホをバットに見立てて御幸さんのルーティンを完全再現してみせると、ツボにハマったのか御幸さんの笑いが止まらなくなる。この人、笑い上戸なんだ。シャッターチャンスが到来したのですかさず連写する。

「ハッハッハッ! 再現度高すぎんだろ!」
「いい笑顔ですね、その調子ですよ! ピースもしてください!」

 御幸さんは笑っている間は素直に言うことを聞いてくれたので、撮影はスムーズに進んだ。どの写真もいい笑顔で撮れている。撮れ高は上々だ。

「ご協力いただきありがとうございました。いい写真が撮れましたよ」

 被写体にも写真をチェックしてもらうためにカメラロールを見せると、唐突にスマホを奪われた。4.7インチのそれは御幸さんの大きな手のひらにすっぽりと収まっている。

「これ、みょうじさんのスマホ?」
「そうですけど」
「ふーん」

 あまりスクロールしないでほしいんだけどな。カメラロールの中は野球関連の写真と、友だちと撮ったセルフィーと外食の写真でほとんどが埋め尽くされている。残念ながら彼氏とのツーショットは二年くらい遡らないと現れない。

「女性がTシャツを着てる写真もあった方がいいんじゃねーか?」
「それは後で別のスタッフにお願いして撮影しますよ」
「それならみょうじさんが着たらいいじゃん」
「今わたしの話聞いてましたか?」

 わたしの話を完全に無視して、御幸さんはまた豪快にTシャツを脱いだ。今度も視線を逸らす暇もない。脱ぎたてのTシャツがバサリと顔にかけられて、一瞬視界を奪われた。Tシャツから微かにいい匂いがする。男性物の香水の残り香。アンバーの香りかな。

「早く着て」
「ここで着替えろと!?」
「Tシャツの上から着ればいいだろ」
「確かに」

 御幸さんに着てもらうために持ってきたTシャツなので、サイズはかなり大きい。わざわざ脱ぎ着しなくても大丈夫そうだ。
 言われるがままに袖を通すと、ほんのりと残る御幸さんの温もりに頬がカァッと熱くなる。服に残る体温って、どうしてこんなに生々しいんだろう。

「みょうじさん、笑顔が硬いよ」
「被写体は慣れてないんです」

 御幸さんはぎこちない仕草でシャッターを切る。この人、野球以外のことは不器用なんだ。また新たな一面を知れて、微笑ましい気持ちが胸の奥からふつふつと湧き上がる。
 カシャッとシャッター音を鳴らし、御幸さんは小さな画面を覗き込んで満足げに笑みを浮かべた。

「今いい感じで撮れた」
「本当ですか。ありがとうございます!」

 そろそろ十四時になる。撮影はここで終了。スマホがようやく返却されたのでさっそく写真をチェックする。にやけた顔をした自分の写真を見るのは、正直しんどい。でも、最後の一枚だけは自然に笑えていた。これだけは使えそう。

「その写真、俺も欲しいんだけど」

 御幸さんは背後から画面を覗き込みながら、スマホを指差す。

「別にいいですよ。マネージャーさんに送っておきますね」
「いや、直接送ってよ」
「?」

 わたしは選手の連絡先を知る由もない。
 新商品の打ち合わせをする時は、マネージャーさんを通して選手にアポイントを取るのが決まりだ。そもそも、選手と連絡先を交換するほど仲良くなる機会がない。

 御幸さんは不敵に笑う。イタズラに成功した子どものように白い歯をこぼした。

「ここに俺のアカウントを追加しておいたから」

 御幸さんはホーム画面に浮かぶ緑色のアイコンを指先で軽く叩く。

「えっ、いつの間に!?」
「さぁ、いつでしょう」

 肝心な問いをはぐらかして、御幸さんはグラウンドへと歩き出す。どうしてそんなことをしたのか追いかけて問い詰めたかったのに、タイミングよく練習が始まってしまった。
 なにかの冗談かと思ったけど、友だちリストには見慣れないアイコンが表示されている。愛用のキャッチーミットの写真と、「御幸一也」の文字。マジか。







『みょうじです。今日は撮影にご協力いただきありがとうございました。撮影した写真を送ります』

 つい浮かれそうになる気持ちを必死で抑えつけながら、何度もメッセージを打ち直した。
 結局、業務的なメッセージと御幸さんの写真を数枚ほど送信する。きっと返信は無いだろうと思っていた。御幸さんだって忙しい。

 でも、その日の試合が終わった翌日、御幸さんから返信が届いた。

『俺のじゃなくてみょうじさんの写真が欲しいんだけど』

 ──それってあの、いったい、どういう意味なんでしょうか。

 何度もスマホの上を親指が滑っては、また消してを繰り返し、試合の無い月曜日の夜がゆっくりとふけていくのだった。
 
 

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