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バニラを溶かす横顔


 ──あ、また捕まってる。

 練習が終わったグラウンドは、整備の真っ最中だった。
 いくつものトンボが土をかく音の中に、微かに女子の話し声が混じっているのに、ふと気づく。
 洗い物をする手を一旦止め、顔を上げて声のする方をじっと見つめてみると、正門付近に人影が三つ。ランニングから帰ってきた真田先輩と、女子テニス部の三年生がふたり。キャッキャとはしゃぐ声が耳障りで、無意識に舌打ちを鳴らしていた。

 彼女たちが部活中の真田先輩に絡みだかるのは、今に始まったことじゃない。むしろ常習犯である。
 真田先輩は校内でも人気者なので、いろんな人に話しかけられるし、本人も社交的なので愛想良く対応してしまうのだ。
 それがたとえクールダウンでランニングを済ませ、疲れ切って帰ってきた後でも。 

 あの女子テニス部のふたりは、確か真田先輩のクラスメイトだったはず。
 毎日同じ教室で過ごしているのに、額の汗を拭い続ける真田先輩が疲れた顔をしていることに、どうして気づかないんだろう。

「──あの!」
「真田さん!」

 思いっきり息を吸い込んで発声したのに、わたしの倍ぐらいのボリュームの大声に掻き消される。 
 真田先輩を呼んだのは、秋葉の声。
 駆けていく足音がわたしを追い越して、あっという間に土で汚れた背中が小さくなる。秋葉はちらりとわたしの方を見てこくりと頷いた。まるで「後は任せておけ」とでも言うように。

 秋葉は愛想の良い笑顔を浮かべて会話に混じり、ほんの数十秒で真田先輩を救出してくれた。女子テニス部のふたりは嫌な顔ひとつせず、にこやかに帰っていく。
 真田先輩と秋葉は手を振って彼女たちを見送った。

 鮮やかな奪還劇だった。思わず拍手したくなるのを我慢して、洗い物を再開する。
 あとは泡を流して拭いたら、今日の仕事はおしまい。 

 終わりの見えない井戸端会議から解放された真田先輩は、ふらふらと水道へやってきて隣の蛇口を捻り、喉を鳴らして水を飲む。片手に持っていたスクイズボトルは空っぽになっていたらしい。

「相変わらずモテモテですね、真田先輩」
「まーな。みょうじちゃん、もしかしてヤキモチ?」

 濡れた唇をタオルで拭う仕草。蛇口を捻る手の甲はゴツゴツしていて男らしい。
 真田先輩からは高校生離れしたセクシーな雰囲気が漂う。風にもてあそばれた前髪とか、ちょっとくたびれた横顔とか。真田先輩ガチ恋勢が見たら、さぞかしたまんないんだろうなって思う。 
 ただし、わたしはそんな彼女たちとは、趣味嗜好が少し違っている。

「……」
「わかってるって。そんな睨むなよ」

 チームの中で唯一、わたしの趣味嗜好を把握しているのは真田先輩だけ。上手く隠していたつもりが、やたらと観察眼の鋭い真田先輩の指摘は誤魔化せなかった。

 ──みょうじちゃん、秋葉のこと好きだろ。

 口角をニヤッと吊り上げながら真田先輩は耳元で囁いた。わたしだけが知っている秘密をあっさりとあばかれたら、さすがに動揺を隠せるはずもなくて。 

 そんなやりとりがあったのは、確か去年の夏だったような。わたしの片想い歴はもうすぐ一年になる。
 ただ見ているだけで、ただただ拗らせるだけの恋。発展させる気は、今のところ無い。

「早くクールダウンしてください。部室の鍵閉めちゃいますよ!」
「おー」

 真田先輩の背中を軽く押し出して、強制的に会話を中断させる。 
 さっきまで彼女たちの前ではケロリとしていたのに、部室へ向かう足取りはフラフラ。クールダウンにしては長すぎる距離を走っていることを、わたしは知っている。
 膝の故障もあってそれを咎めた時もあったけど、真田先輩の穏やかな笑顔を前にわたしは反論すらできなかった。 

 疲れが溜まった時でももう一踏ん張りできる体力が欲しいんだよ──そんなふうに言われたら止められなかった。 
 わたしたちのエースはいつだってかっこよくて、他人に努力を見せたがらない。
 真田先輩がモテる理由もよくわかる。

「それ、運ぶの手伝うか」

 どれほど真田先輩が魅力的でもわたしが好きなのは、この人。 
 秋葉はさりげなくそばにやってきて、いつもわたしの仕事を手伝ってくれる。
 薬師高校野球部はマネージャーがわたしだけ。男所帯で荒波に揉まれて悪戦苦闘を強いられる日々の中で、秋葉は唯一わたしを労ってくれる存在。

「わたしはジャグを持つから、秋葉はスクイズのカゴを持ってくれる?」
「ジャグのが重たいだろ。みょうじがカゴ持てよ」
「ありがと」

 確かにスクイズボトルの入ったのカゴよりもステンレス製のジャグの方が重たいけど、そんなのどうってことない。マネージャー業で鍛えられてきたから、わたしは女子の中でも力持ちな方だと思う。
 それでも秋葉は重たい物を率先して運んでくれる。雨の日でも風の日でも、どんな時でも秋葉は優しい。 

 そんな秋葉の優しさに救われて、その野球に取り組む誠実な態度に惹かれ、そしていつの間にか好きになっていた。 
 性格は優しくて野球に誠実な選手に、マネージャーが恋をする。ここまではごく自然な流れだと思う。
 
 だけど、秋葉はわたしの想いをつゆほども知らない。たまにふたりきりになる時、ほんのちょっとだけ色目を使ったことがあったけど、それでもまったく気づいていない。鈍感にも程があると怒りたくなるほどの鈍感。 
 まぁ、そんなところも秋葉の良さだったりするんだけど。

 ふたりで並んで歩くと頭ひとつ分の身長差があるから、秋葉はわたしと話す時に少し屈んで耳を傾けてくれる。さりげない仕草にも優しさを感じるから、ますます深みにはまってしまう。まるで底なし沼。
 わたしはいったいどれだけ秋葉を好きになってしまうんだろう。

「さっきはごめんな」
「ん、なにが?」
「みょうじが真田さんに声かけようとしてたのに、俺が遮ったから」

 秋葉は申し訳なさそうに眉尻を下げて謝る。意味がわからなかった。むしろ感謝したいくらいなのに。

「ていうか、むしろありがとうなんだけど。わたしも女テニの先輩たちから真田先輩を引き剥がしたかったから。秋葉が助けに行ってくれたから手間が省けたよ」
「そっか」

 ポツリとこぼした独り言のような声量の小ささ。さっき真田先輩を呼んだ大声とは対照的だった。
 カゴの中のスクイズボトルが歩くたびに揺れて、カタカタと音を立てる。俯く横顔に影がさし、表情を隠そうとする。
 もしかして秋葉、元気が少ない?

「真田さんってさ、モテるよな」
「まぁ、そうだね」
「みょうじも好きだろ……真田さんのこと」
「ハァ!?」

 秋葉の爆弾発言に動揺しすぎて、思わず大声が出てしまう。校舎に反響するほどの大声にふたりして驚き、持っていたカゴを落としてしまった。
 ガシャン、カラカラ。派手な音を立てて散乱するボトルの数々を、ふたりでせっせと拾い集める。

 反射的に「ごめん」と言ったら、ほぼ同時に秋葉も「ごめん」と謝り、ふたつの声が重なった。 
 その「ごめん」はどういう意味なの? わたしの恋心を傷つけたことに対しての謝罪?

「俺、今すげー無神経だった」
「うん、無神経だね。ていうかわたし、真田先輩のこと好きじゃないし」
「マジで?」
「マジです」

 ──ていうか、わたしが好きなのは秋葉なんだけど。 

 と言えるだけの勇気が足りなくて、きゅっと唇を結ぶ。告白するにしても、今じゃない。
 わたしたちには恋よりも優先すべき目標がある。 
 
 秋葉はポカンと口をあけ、その場にヘロヘロとしゃがみ込んでしまった。あともう少しで部室なんだけどな。もうちょっとふたりで話せるなら、まぁいいか。 

 わたしもしゃがみ込んで目線の高さを合わせる。ふと、秋葉の薄い耳がほんのり赤く染っていることに気づいた。
 夕日が真っ赤に燃えているせいか、それとも──。

「おーい、秋葉。大丈夫?」
「……ごめん。俺、勘違いしてた」
「許さない」
「え」
「秋葉に勘違いされて傷ついたわー」

 ──これはもしや、チャンスなのでは? 
 悪戯心がちらりと顔を覗かせる。 
 おおげさにため息をつき手で顔を覆うと、秋葉は途端に顔色を青くした。手のひらで覆った顔はニヤリと笑って、ちろりと舌を出している。
 このまま上手くわたしの演技に騙されてね。

「本当にごめん」
「本当に悪いって思ってるなら、それなりの誠意を示してほしいなー」
「誠意……?」
「そ。誠意だよ、誠意」
「俺にどうしろって言うんだよ」

 困った顔した秋葉も好きだ。でも、これ以上困らせたらかわいそう。

「アイスが食べたい」
「アイスでいいのか」
「ただし一週間分ね」
「しょうがねーな」  

 交渉成立の瞬間、わたしが先に立ち上がって秋葉に手を差し出す。その手をがっちりと掴まれた時、全身に汗がブワッと吹き出した。
 手を触ったくらいでこんなに緊張してるのに、いま以上に距離が近づいたとしたら、わたしはいったいどうなってしまうの?

「帰り道のコンビニでいいだろ」
「うん」
「よし、さっさと片付けて帰ろーぜ」

 律儀な秋葉はわたしとの約束を守って、それから一週間、毎日帰り道にアイスを買ってくれた。
 
 冷蔵ケースの中はあらかた食べたはずなのに、わたしが覚えているのは秋葉の日に焼けた横顔と、甘く溶け出すバニラ味だけだった。






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