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今宵はきみだけのヒーロー


 
 十月下旬のナイトゲームは、指先が氷のように冷えきるほどに寒い。さっきまで握りしめていたカイロはすっかり温度を失って、コートのポケットの中でくったりと寝そべっている。

 北風がスコアボードの上に掲げられた旗を翻し、カクテル光線に照らされるグラウンドを通り抜け、わたしの頬を撫でると全身が震えた。
 昼間の日差しの暖かさに油断して、防寒対策を考えずに出かけてしまったのが失敗だった。
 こんなに冷えるならストールでも持って来ればよかった、と後悔しながらコートの襟をかき合わせて、ため息をひとつ。

 一也から今日のチケットを渡されたのは、先週末のことだった。誘われたのはホームの神宮球場、今季の最終戦。
 すでにペナントレースの順位が確定しているけれど、今日もたくさんのファンがスタンドに駆けつけている。
 どうやら試合後にセレモニーがあるようで、チケットも早々に完売した、と隣の席から聞こえてきた会話で知った。
 めったに試合観戦に来てほしいと言わない一也が、わざわざチケットを寄越した理由がなんとなくわかって、思わず口元がゆるむ。

 先日、一也の所属するチームが白熱のペナントレースを勝ち抜き、六年ぶりにリーグ優勝を飾った。
 リーグ優勝の瞬間はビジター球場で迎えたため、わたしはその場に駆けつけられず。それを悔やんでいたのを、一也なりに気遣ってくれたのだ。
 せめて優勝セレモニーには立ち会えるように──と。

 歓喜に沸いた夜から数日が過ぎ、今日は完全な消化試合。
 若手の選手を中心に火花を散らしつつ、決勝打を一也が放っておいしい場面を掻っ攫っていったのが、今日の試合のハイライト。

 一也は今まさにヒーローインタビューのお立ち台に登り、ファンからの視線を一身に集めている。今ごろ奮闘していた若手の選手たちに陰でブーブーと文句を言われているに違いない。

 まずはインタビュアーが試合展開を振り返り、一也が決勝打を放ったシーンの感想を述べると、ファンからの賞賛の拍手が雨のように降り注ぐ。
 わたしも拍手を送っていると、こちらに背を向けていたインタビュアーがバックネット裏を振り返る。最前列の端に座るわたしと一瞬、目が合ったような気がしたけど。ほんのわずかな時間だったので気のせいかな、と思っていた。


「ところで御幸選手は、先日ご結婚を発表されましたね。改めて、ご結婚おめでとうございます!」
「あー、はい。シーズン中に私情でお騒がせしてしまってすみません」


 インタビュアーはにこやかに「その話題」に触れてきたので、苦笑いを噛みころそうと唇を引き締める。
 ファンもその話題に質問が及ぶことを期待していたのか、今日一番の大きな拍手が巻き起こり、茶化すような指笛がどこからか響く。

 つい数日前に報じられた「御幸一也選手・電撃結婚」の一報。

 それは瞬く間に日本全国を駆け巡り、朝から晩までお茶の間を賑わせ、S N Sでは結婚相手である「一般女性」は誰かとファンの間で議論が飛び交った。ちなみに、正解に辿り着いた人はまだいない。

 実際はすでに婚姻届を提出、入籍を済ませてから数ヶ月経っていて、オフには挙式の予定も立てている。あとはいつ、どのタイミングで結婚を公表するか。それだけが決まっていなかった。

 ふたりで何度も話し合って、シーズン中ではあるけれどこの時期に結婚を公表しよう、という結論に至ったのは、つい最近のこと。
 わたしが一般人のためプライバシーに配慮して、世間の注目が早く過ぎそうな時期を検討した結果、レギュラーシーズンとポストシーズンの狭間である今、ということになったのだ。
 クライマックスシリーズが始まれば自然とそっちに話題が集中するだろ──と提案したのは一也だった。

「なんと今日は奥様がスタンドで応援に駆けつけたというお話も聞いています!」

 インタビュアーが声高らかにオフレコな話題を振り、ファンの驚く声で球場がどよめいた。
 わたしは驚きのあまり腰を抜かして、椅子から滑り落ちそうになる。
 あのインタビュアー、確信犯だ。おそらく一也になにか仕込まれているに違いない。

 周囲のファンの「御幸選手の奥様」を探す視線を避けるように、キャップを目深に被り、背中を丸めて身を縮める。これだけたくさんのファンの中で見つかるはずないって、わかっているけど。
 インタビュアーがまたこちらへと視線を送ってきて、嫌な予感が背筋を駆け抜けていく。

「今季の活躍を支えてくれている奥様に向けて、一言お願いします!」

 インタビューの内容、試合と関係無いじゃん! と内心で盛大に突っ込み、背広姿の背中をジッと睨む。すると、インタビュアーの肩越しに一也と目が合って、ここからでもスポーツサングラスに覆われた目が笑うのがわかった。

「えーっと、そうですね……おっ」

 最初からここにいるって知っていたくせに、一也はたった今わたしを見つけたように驚いた様子で手を振り、はにかんで笑いかけてくる。
 そんなことをされて、無視できるはずもなくて。わたしも小さく手を振りかえすと、周囲のファンのヒソヒソと話す声や視線を背中に感じて、顔から湯気が出そうになるほど頬が熱くなる。さっきまで凍えていたのに、今は全身が火照ってしかたない。
 一也は少し逡巡してから、マイクを通してスタンドにいるわたしへと語りかけた。

「ふたりで切磋琢磨して頑張っているので、今日いい結果が出せたところを妻にも見せられて良かったです」

 普段はそんな大層なことを言わないくせに、ヒーローインタビューの時だけはやたらと饒舌に語ってかっこつけたがるのは、一也の悪い癖。
 インタビュアーはおおげさに頷いて、さらに問いかける。

「御幸選手にとって、奥様はどんな存在ですか?」

 随分と大胆な問いかけに、一也は照れ隠しをするように苦笑いを浮かべる。
 いつもは言葉で愛情表現するのを避けたがるのに、今日は特別サービスをしてくれるらしい。一也は言葉を探して唇を閉じ、グラウンドは穏やかな沈黙に包まれる。
 ひんやりする両手でふつふつと火照る頬を包み、熱を冷やす。あぁ、恥ずかしいな。でも、すごく、すごく嬉しい。

「いや、もう本当に──宝物ですね」

 潤む視界の真ん中にカクテル光線を浴びて煌めく御幸選手──最愛の夫──の姿を収めて、カメラのシャッターを切るように何度もまばたきを繰り返す。

 インタビューを終えてスタンドへ手を振る一也と、そしてわたしに。ファンから祝福の拍手がフラワーシャワーのように降り注いだ。






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このお話は2021年クライマックスシ○ーズ セ フ○イナルステージ第二戦のヒーローインタビューが元ネタです!
気になる方はネットで検索してみてください。