×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -



てのひらの青い鳥



「それ、なに折ってんの」

 ふいに頭の上から降ってきた声。
 その声が私に向けられたものかわからなくて、確認するためにすぐさま視線を上げるとレンズ越しのくっきりとした二重と目が合った。前の席の御幸君から話しかけられるなんて、すごく珍しい。クラスメイトになって二年目になるけど、席が近くになるのも初めてのことだし、この距離感にはいまだに慣れない。
 彼の問いかけに答える前に、パチっとカメラのシャッターを切るみたいにまばたきをする。こうすればしばらく御幸君の整った顔の残像を楽しめるからだ。

「鶴だよ」
「それ、野球部の千羽鶴のだよな」
「そうそう」

 御幸君がわざわざ後ろの席の私に話しかけることなんて、今まであったかな。中間テストが終わって席替えをしてからもうすぐ二ヶ月が経とうとしているのに、私たちの毎日の会話は朝の挨拶とプリントを回す時にお礼を伝えるくらいだ。
 今日は珍しいことがあったから、七十五円の棒アイスでも買えば当たりが出るかもしれない・・なんて、くだらないことを考えたりして。

「マネージャーに頼まれたのか?」
「うん、幸子に頼まれて」
「仲良いんだな」
「一年生の頃に同じクラスだったから。毎年手伝ってるよ」
「へぇ」

 気のない返事をした御幸君は、まじまじと折りかけの鶴を凝視する。人に見られながらの作業は気が散るんだけどなぁ・・。
 そんなことは言えないから黙々と続きを折って完成させると、その一部始終を見ていた御幸君は目を丸くする。大きな目がさらに大きく見開かれて、明るいブラウンの瞳に光が集まりキラッと輝いた。

「折るのすげー早いな」
「慣れてるからね」
「・・」
「・・どうしたの?」
「俺もそれ作っていいか」
「えっ・・別にいいけど」

 選手たちのための折り鶴なのに、はたして御幸君が折ってもいいものだろうか?
 ふとした疑問が脳内に浮かんだけど、私が答えるより早く御幸君は青の折り紙を手に取った。さてお手並み拝見かな。と思って手を止めて観察しようとすると、私にも折り紙を差し出してきた。え、なんで?

「鶴の折り方、わかんねーから教えてほしいんだけど」
「・・うん、いいよ」
「おいコラ、笑うな」

 鶴の折り方すらわからないクラスメイトの御幸君と、一年生から不動の正捕手の御幸君のギャップが、あまりにもすごすぎて。噛みころしたつもりの笑いが唇の端から零れ落ちてしまう。
 じっとりとした目つきで睨まれても不思議と全然怖くないから、我慢するのをやめて笑い声を口の中でころころと転がす。形の良い唇を尖らせる仕草は、面白がって笑う私への不満の現れなのかな。さすがに笑いすぎてもかわいそうだ。
 小さく咳払いを一つ。ちゃんと真面目な顔を作ってから、折り紙を受け取った。

「じゃあ、折り鶴教室を始めます」
「よろしくお願いします」

 なぜかお互いに敬語になってしまった。律儀に小さくお辞儀を交わし合い、折り紙教室を始める。一から手順を説明しながら折り進めていくけど、御幸君のペースに合わせているからだいぶゆっくりだ。
 目の前で紙の端を揃えて折る手は、よく日焼けしていて骨張っていて分厚くて、爪は短くきれいに切りそろえられている。『男子』というよりも『男』らしさを感じる指先が、丁寧に紙を折っていくと段々と鶴らしい形になっていく。
 説明を聞いている時の御幸君の表情は、打席に立つ前の真剣なそれとよく似ているなと、ふと気づいた。
 あぁ、この瞬間を録画できたらいいのにな・・そうしたら何度も見返すのに。頭の片隅でぼんやりと、鶴を折っている御幸君をスマホのカメラで録画する妄想をしているうちに、折り鶴は手の中で完成していた。

「これで完成だよ」
「初めて折ったけど折り鶴って結構大変なんだな」
「あはは、慣れたらそうでもないんだけどね」

 肉刺が潰れた痕がいくつもある手のひらに、ちょこんと乗せられた折り鶴がかわいらしく見える。初めて作ったわりには上手く折れているようで、御幸君ってやっぱり器用だし要領が良いんだなぁと思い知った。
 私は完成させた折り鶴を机の端の鶴の群れに合流させる。もう一羽折るために青の折り紙を手に取ると、紙の下から机が見えた。どうやらこれが最後の一枚らしい。

「? 何してんの」
「これが最後の一枚だから、お願い事を書こうかなぁと」
「・・お願い事?」

 春に甲子園のアルプススタンドから見た、御幸君の打席を思い出す。試合で何度かタイムリーヒットを放っていた姿が、今も目に焼き付いて離れない。今年の春は、野球部のおかげで人生で一番楽しくて、充実していた。
 でも、私はあの春のアルプススタンドに一つだけ心残りを置いてきてしまったのだ。それを取り戻しに行きたくて、私はこの折り鶴に願いを託すことにした。
 ペンを手に取って折り紙の白い面に願い事を書きつけて、それを彼の目前に差し出す。私の願い事を見た途端に、吹き出して笑う御幸君。私はニヤリと口角を上げて、あえて挑戦的な口調で問いかける。

「・・叶えられそう?」
「ハッハッハッ! そんな期待されたら叶えるしかねぇな」

 折り紙には『御幸君が甲子園でホームランを打てますように』と書いた。あまりにも図々しい願い事なのに、御幸君は笑って肯定してくれるから優しい人だ。
 最後の折り鶴は丁寧に願いを織り込んで完成させると、御幸君は大切な物を扱うかのようにそっと手に取った。青い折り鶴を見つめるまなざしは優しく緩んで、どことなくあどけなさを感じる。初めて見るその表情に胸がぎゅっと掴まれて、私は静かに動揺してしまう。
 だって今の御幸君は、あまりにも隙がありすぎる。ただのクラスメイトの私の前で、そんな無防備な顔を見せてもいいんだろうか。

「みょうじっていいヤツだな。今まで知らなかったわ」
「あんまり話したことなかったもんね」
「それはみょうじが話しかけてくれねーからじゃん」
「だって今まで話しかけづらかったんだもん」
「じゃあ、今は?」

 今度は、御幸君が挑戦的な口調で私に問いかける。

「もう全然平気!」
「俺も」

 白い歯を覗かせながら無邪気に笑いかけられる。その無防備な笑顔に今度こそ心が鷲掴みにされて、胸の中から鮮やかに奪われてしまった。奪われてしまった心と引き換えに、青の折り鶴が手の中へと帰ってくる。
 あー、もうすぐ授業が始まるっていうのに、ニヤニヤが止まらなくて焦ってしまう。
 御幸君が前の席なのはせめてもの救いだ。ふやけた顔を見られずに済む。
 
 と、思っていたのに、次の休み時間に悪い顔をした御幸君が話しかけてきた。

「みょうじ、授業中にニヤニヤしてただろ?」
「・・えっ」
「なんか良いことでもあったのかよ」
「あのー、えっと・・うーん」
「やらしいことでも考えてたのかよ」
「ち、違うし!」
「はっはっはっ」

 とっさに上手い言い訳が出てくるはずもなくて。口ごもる私を遠慮なくからかう御幸君は意地悪だ。まったく、大変な人を好きになってしまった。もう後戻りなんてできそうにない。
 でも、なんだか楽しくなってきたから、まぁこれはこれでいいかなと思うことにした。