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恋が弾けて、夜に花咲く


 夜二十時を過ぎた公園には、私の他には誰もいない。周囲を住宅地に囲まれているせいかこの辺りはとても静かで、虫たちの鳴き声だけがやたらと大きく響く。蝉と鈴虫の絶妙なアンサンブルが、夏の終わりと秋の始まりを同時に知らせている。
 どこかの窓から流れてくる夕飯の匂いとか、爽やかなシャンプーの匂いに混じって、火薬の燃える焦げた匂いが鼻をついた。
 早く来ないかなぁ、と待ちぼうけの私は暑さと緊張で薄っすらと汗をかいてしまう。家を出る前にシャワーだって浴びてきたというのに、夜になってもこの蒸し暑さではまるで意味がない。二の腕を鼻先まで持ち上げて入念に匂いチェックをしたって、火薬の焦げた匂いしかしなかった。

 青道からほど近くのこの公園には、遊具はブランコしかなくて、あとは申し訳程度にベンチと街灯が一つずつ佇んでいるだけ。正直、この程度で公園だと言われてもちびっこたちは遊びがいが無さそう。
 なんてことをぼんやり考えていると、遠くの方から誰かが走ってくる音が聞こえてくきた。その慌てた様子の足音は迷いなく公園へと入ってきて、私の目の前まで来てぴたりと止まった。頭の上で荒い息遣いが聞こえて顔を上げると、いつもの怒ったような表情で金丸が私を見下ろしている。こめかみに青筋を立てながら。

「おい、お前……何やってんだよ」
「あ、金丸やっと来た! 遅いよ!」
「遅いよ!じゃねーよ! いきなり呼び出しやがって。俺はお前みてぇに暇じゃねーんだよ!」

 今にも胸倉を掴まれて殴打してきそうな勢いで、金丸が声を荒げる。おそらく私が男子だったら、今ごろ怒りの鉄拳が振り下ろされていたんだろう。なんだかんだ金丸は女子に対して、手をあげることはない。
 チームメイトの沢村くんは何度もしばいたことがあったとしてもだ。

「暇じゃないのに来てくれたんだ。金丸って優しいよね」
「助けて! とか言われたらさすがに心配すんだろ。なにのんきに花火なんかやってんだよ!」
「金丸は毎日野球漬けだろうから、花火でもして夏の思い出を作ってもらおうと思って。ほらこれ、金丸の分ね」

 金丸の怒りはなかなかおさまってくれなくて、せめてものお詫びの気持ちを込めて花火を差し出す。さすがに呼び出し方がまずかったらしい。十五分ほど前のことを思い返してみる。
 夜ご飯を食べ終えたタイミングで突然電話をかけて『金丸、助けて! 今すぐ近くの公園まで来て、待ってるから!』と切羽詰まった口調でまくし立てたものだから、金丸も二つ返事で『すぐ行くから待ってろ!』と了承してくれたのだ。
 ……さっきの電話で聞いた金丸の声、男らしくてかっこよかったなぁ。

「余計なお世話だ! これから自主練始めようって時によぉ」
「それは本当にごめんなさい」

 こうなったらもう平謝りするしかない。金丸はまだ怒っているくせに、差し出した花火を拒むことなくすんなり受け取った。
 なんだかんだと言っても、金丸は甘い。優しい。面倒見もいい。そういうところが好きだと、改めて思う。
 多少の演技してしまったけど、金丸と花火をしたかったという気持ちに偽りは無い。断言できる。長い長い夏休みは、過ぎていった時間の分だけ金丸との距離を隔てた。
 学校が夏休みに入れば、必然的に学校まで行くことも無いし、金丸は寮とグラウンドを往復するだけの生活だし、接点がまるで無いのだから仕方ない。
 今年の夏は友達とお祭りにも、花火大会にも、海にも行ってみたけど、いつも何か物足りなかった。その何かの正体は少し考えればすぐにわかってしまうのだけど、その正体がわかってしまった途端に夏休みは味気のないものになってしまう。そう考えたから、八月三十一日まで思い出さないようにしていた。金丸のこと。好きな人のこと。

 金丸はどんな夏休みを過ごしてたのかな。やっぱり野球しかしてないんだろうな。私がお祭りとか、花火大会とか、海に遊びに行っている間にも、ずっとグラウンドにいて、炎天下の中でボールを必死に追いかけてたんだろうなぁ。
 そんな想像をするだけで急に居た堪れなくなって、夜が明ければ学校で会えるのに、気づけば仏壇の蝋燭とライターと去年やり残した花火を手に取って、私は家を飛び出していた。
 せめて少しの時間だけでもいいから、今すぐに金丸に会いたくなった。金丸と夏らしいことがしたくなった。
 金丸にも、花火をして束の間の夏を楽しんでほしいと思った。それが例え、余計なお世話だったとしても。


「なんだよ、しかも線香花火しか残ってねぇじゃねーか!」
「線香花火以外が湿気っちゃってて。ごめんね 」
「……チッ。しょうがねぇな」

 ぶつくさと文句を言うくせに、しっかり線香花火に火をつけるのだ。火薬の燃える匂いがさらに強く鼻をつくのに、金丸と並んでいるというだけで不快ではなくなる。不思議だ。むしろ夏っぽいフレグランスかなとさえ思う。
 恋の魔法ってすごい。恋は人の五感さえもバグらせる。

「思ってたより元気そうだね」
「は? なんだよいきなり」
「決勝戦で負けちゃったから、まだ落ち込んでるのかと思って」

 この一ヶ月の間、ずっと気にかけていたことをようやく口にする。最後に金丸の姿を見かけたのは、夏の大会の決勝戦のスタンドだった。
 結局、決勝戦で青道は負けて、甲子園出場は叶わなかった。人目をはばからず泣き崩れる三年生と、悔しそうに唇を噛む金丸の横顔が、ずっとまぶたの裏に焼き付いて離れなくて、不安だった。
 あの試合に勝っていれば、甲子園に行けたんだ。きっと金丸のショックも大きかったんじゃないかと心中を察して、軽率に送ろうとしていた励ましのメッセージを、打っては消してを何度も繰り返していた。だから夏休みの間はもどかしい気持ちを抱え込んだまま、不安で仕方なかった。
 せめて、金丸はいま元気かどうか、早く顔を見て確かめたかった。

「決勝からもう一ヶ月も経ってんだ、いつまでも落ち込んでらんねーよ。それに秋大も来週から始まるしな」

 金丸はたった一言で、私の杞憂を軽やかに一蹴した。しかも、お得意の勝気な笑みを見せつけながら。私の心臓は重たい杞憂から解放されて、飛び跳ねるように律動する。
 久しぶりに会った金丸は、いつもの金丸だった。自信があって、負けず嫌いで、努力家の金丸だ。

「秋大は金丸も試合出られるの……?」
「おう。メンバー入りしたからな」
「えっ! すごいじゃん! 金丸、頑張ってたもんね」
「まぁな」
「ドヤ顔が暑苦しい」
「テメェ….…引っ叩くぞ!」
「……優しくしてね?」
「お前なぁ、ちょっと黙れ!」
「あ、金丸が騒ぐから花火落ちちゃったじゃん!」
「俺のせいかよ」

 金丸はめんどくさそうに線香花火を一つ摘んで私に寄越す。私は新しい線香花火に火をつけながら、表情が緩むのを我慢できずにいる。
 金丸がメンバーに選ばれたってことは、公式戦でプレーしている姿を応援できるってことだ。スタンドで一緒に応援するのではなくて、金丸は青道のユニフォームを着て、野球をするんだ。なんてサプライズな発表なんだろう。すごく嬉しい。金丸があの、かっこいいユニフォームに袖を通すのか。
 私はそんな光景を目の当たりにして、正気を保っていられるか、またも不安になる。金丸がヒットを打って、ボールを捕ってアウトにしたら、私は絶対に叫ぶ。嬉しくって思わずキャーッて言ってしまうかもしれない。そして、やかましいから静かにしろ! と金丸に睨まれてしまうかもしれない。私の豊かな想像力だと、その流れが容易に想像できる。

「背番号貰えて良かったね。一年生でメンバー入りってすごいよ」
「まぁ、でも勝負はこれからだな。試合に出て結果残さねぇと」
「……」
「な、なんだよ」
「いや、金丸が珍しくかっこいいなぁと思って」

 と、そこまで言って我に帰る。つい口が滑って本音を零してしまった。これで好意がバレてしまったらどうしよう。金丸が引退するまで、告白するのは我慢しようって、決意しているのに。

「珍しくってなんだよ!」
「……耳まで赤いけど照れてる?」
「照れてねぇよ!」

 なんとか誤魔化そうとして、からかうような言葉を選んでみたけど、金丸は顔を赤くして声を荒げるのに、どうやら満更でもなさそう。
 もしかして脈あるのかな? と期待したいけど、年頃の男子が女子から「かっこいい」と褒められれば誰にだって顔を赤らめるだろう、とすぐに冷静になる。
 まぁ、焦らなくても時間はまだ二年あるわけだし。少しずつ意識してもらえるように頑張ればいい。いつかちゃんと気持ちを伝える日までは、この想いを胸の中にひた隠して。

「秋はたくさん応援しに行くよ」
「おう」
「金丸の打席で黄色い声援を送ってあげるね」
「……頼むから普通に応援してくれ」
「ねぇ、金丸」
「なんだよ」
「頑張ってね」
「……おう」

 最後の線香花火には、二人で同時に火をつけた。パチパチと音を立てながら、小さな火球の周りに火の華が咲いては一瞬で消えていく。
 ぼんやりと火花を眺める金丸の横顔を、気づかれないように息を潜めて見つめる。目つきの悪さも、乱暴に荒げる声も、よく目くじらを立てる怒りっぽいところも、頼れば文句を言いつつ助けてくれるところも、好きだなぁ、とまた想う。何度でも想う。馬鹿の一つ覚えのように。

「みょうじ」
「なに?」
「また今度呼び出す時は、普通に用件を言え。別に嘘なんかつかなくても来てやるから」
「……本当に?」
「時も場合によるけどな」
「えー」
「文句言うな! 来てやるって言ってんだろ!」

 金丸はまた眉根を寄せて、目くじらを立てている。でも、顔が真っ赤だからあんまり怖くない。
 私の好きな人は、照れ隠しが極度に下手みたいだ。まぁ、そんなところも含めて好きなんだけど。しかも根は優しいから、ただのクラスメイトにも「また今度」を許してくれる。ありがたい。
 私はまたどうしようもない気持ちに苛まれたら、金丸の優しさに漬け込んでしまうんだろう。

「あー……あと、花火はありがとな」
「花火、楽しかった?」
「まぁ……そこそこな」
「ふへへへ」
「ニヤニヤすんな!」

 これまで生きてきて今が一番ハッピーな瞬間なんだから、表情筋がだらしなくなるのも許してほしい。そんな私のニヤけた顔を見て、金丸はバツが悪そうに視線を逸らした。
 また明日から毎日会えるのが今から楽しみで、早く夜が明ければいいのにと思う反面、まだもうちょっとだけ一緒にいたいとわがままの言えない私は、新しい話題で間を繋ぐ。

 あと少しだけ、もうちょっとだけ。
 夏休み最後の夜を、延長させて。