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春の夜の夢


「忘れ物はない?」
「多分」
「携帯の充電器は持った?」
「……後で確認する」

ガランとした食堂の隅で二人、顔を見合わせた御幸はばつが悪そうに頭をかいた。
手元には宿舎に持って行く備品リストと、部誌が開かれている。

あと数時間後、ついにメンバーが兵庫の代表校宿舎へと出発する時が近づいていた。
前々から事前に出発準備をしておけと口酸っぱく言っていたのに、一部のメンバーは慌てていま荷造りをしているらしい。
「バナナはおやつに入りますか?!」と外から絶叫が聞こえてきて、同じタイミングでため息をつく。
まったく荷造りをしていなかったであろう沢村は、案の定パニクっているらしい。
「入らねーよバァカ!」と鋭いツッコミを入れる金丸の声が聞こえてきたので、とりあえずフォローに行かなくて大丈夫そう。
沢村の同期にしっかり者が多くて本当に良かったと思う。

「悪いな、残ってもらうことになって」
「いいって。居残り組のことは任せてよ」

さっきから気まずそうにしているのはなんでだろうと思ったら、どうやら東京に残る私に申し訳なさを感じていたらしい。
マネージャーとして宿舎に行けるのは2人と限られていて、記録員の幸子は確定として私か唯のどちらかが春乃と共に東京に残るしかなかった。
それならと私の方から辞退を申し出て、メンバーの留守を預かることに決めたのはつい数日前のこと。
本当は私だってメンバーと一緒に行きたい。でも東京で練習を続ける居残り組のことだって気がかりだし、春乃のことも心配なのだ。

「夏は私が一緒に行かせてもらうことになってるから、よろしくねキャプテン」
「センバツ開幕前なのに気が早すぎるだろ」
「どうしたの? 珍しく弱気じゃん」
「ちげーよ、緊張してんの」
「あはは、緊張してる御幸おもしろい」
「おいコラ、からかうなよ」

眉間にシワを寄せて睨んでくるけど、本気で怒ってるわけじゃないのがわかるから全然怖くない。

秋大以降、御幸は少しずつ素の感情を見せてくれるようになった気がして、私はこっそり嬉しかった。
以前は素直に「緊張してる」なんて口にしなかったし。最近はちょっとずつ気持ちの距離が近づいてるのかなって思う。
もちろん、選手とマネージャーとしてで、それ以上を望むなんておこがましいことはできない。
今はこのままでいい。甲子園に行く選手をマネージャーとして支えられること以上の幸せなんてないのだから。
最近はそう自分に言い聞かせることに必死だったりする。

「しばらく寮に戻れないから、みんなホームシックにならないかな」
「いや、あいつらホテル暮らしを満喫するんだって張り切ってたぞ」
「みんな薄情者だなぁ」
「もちろん俺もそのつもり」
「….…むかつく」

「遠慮」という言葉は御幸の辞書には書かれていないみたいで、腹が立つ。
せっかく出発前の最終確認に付き合ってあげてるのに。
どうやら私がどんな気持ちでメンバーを見送るのか、わかっていないらしい。

「そんな怒るなよ」
「私、寂しいんだよ。みんなにしばらく会えないから」

無表情を装っているつもりが、怒りが顔に出てしまっていたようですぐさま謝罪される。
思わず本音もぽろっと出てしまって、感情的になっている自分に気がついた。

そうだ、私は寂しいんだ。タイヤを引きずって走る沢村も、沢村に負けじと並走する降谷も、ひたすらティーバッティングに打ち込むゾノも、キャッチャー姿の御幸も、五日間も見られない。
たった二日長いだけで、三日しかない年末年始の休みより遥かに長く感じてしまう。
一週間近くメンバーと離れ離れになることなんて初めてなのだ。
でもそんなこと言ったって、東京に残ることを決めたのは私自身だし。
御幸は何にも悪くないのに八つ当たりをしてしまった。

ちゃんと謝ろうと思ってうな垂れていた顔を上げると、なぜか目の前に御幸の白いガラケーが差し出されている。
状況が理解できなくてまじまじと顔を見つめると、やっぱりイケメンなんだよなぁ悔しい、って思ってしまう。

「夜九時」
「んん? 」
「家着いてる時間だろ」
「うん、そうだけど」
「毎晩電話するから、絶対出ろよ」
「えっ」
「居残り組の練習の様子を教えてほしいんだけど」
「あ、そういうことか」

なんだ、びっくりした。
思わず声がひっくり返ってしまって焦る。電話するって、業務連絡のことか。
主旨を勘違いして、少しだけ期待してしまった自分が恥ずかしい。
でも、業務連絡だとしても毎晩御幸と話せるのか。会えなくても声が聞けるんだ。
私が東京に残るという現状は変わらないのに、御幸の提案一つで気持ちが前向きになる。我ながらなんて単純なんだろう。

「それにどっかの誰かさんが寂しがってるかもしれないしな」
「……」
「開会式まで会えないけど、それまで我慢な?」
「……ほーい」
「返事はハイ」
「はぁい」
「今からポール間走10本やるか?」
「申し訳ございませんでしたぁ!」

照れ隠しにテキトーな返事をしたけど、気づかれていないだろうか。
プレー中は勘が冴え渡る御幸も、グラウンドの外では鈍感なところもあるので心配はなさそう。

さっきから話してばかりで進んでいなかった最終確認の作業を再開させて、忘れ物が無いかリストにチェックをしていく。
共有の備品は全部揃えられているみたいで一安心。昨日マネージャー陣で手分けして買い出しに行った甲斐があった。

「あともう少しで出発だね」
「そうだな」
「女の子にキャーキャー騒がれて調子に乗ったらダメだよ」
「それは沢村に言ってやれよ」
「無理して怪我しないでね」
「それは……気をつける」
「一人で抱え込まないで、周りを頼ること!」
「ハイ」
「離れてるけど、私もいるから」
「そりゃ心強いな」
「アルプスで応援してるからね」
「あぁ。絶対に勝つから、応援よろしくな」

離れていてもちゃんと繋がっているって確認できたから、もう大丈夫。
寂しさより、甲子園に行ける嬉しい気持ちが勝ってきた。
試合までの間はメンバーは現地で、私たちは青道グラウンドで頑張ろうと決意を新たにすることができて良かった。

御幸は席を立つと、わしゃわしゃと無造作に頭を撫でてくるから驚いて固まってしまう。
イタズラが成功した子供みたいに白い歯を見せて笑うと「沢村たちの様子を見てくる」と言い残して一足先に食堂を出て行った。

撫でられた髪を整えながら、触れられた手のひらの体温を忘れないように、私の手を頭にそっと乗せてみる。
御幸の方が遥かに大きくて骨ばった手をしていた。
その感触と温かさを思い出して、私はきっと今夜眠れなくなる。