×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -



どうしたって、溶けてくれない


ザクッと勢いよくスコップを袋に突き立てると、破れたビニールから塩化カルシウムがボロボロと溢れ出す。
黒土のグラウンドに白い塩化カルシウムのコントラストは、まるで薄っすらと降り積もった雪みたいで綺麗。
でも、うっとりと見惚れている余裕なんてないから、スコップをトンボに持ち替えて白いそれを土に混ぜて丁寧に均していく。
なんだかココアパウダーに粉砂糖を混ぜているような、そんな感じ。
普段お菓子作ったりしないから、イメージだけど。

「みょうじ、手伝うよ」
「あ、東条。Aグラウンドはもういいの?」
「三年生たちが手伝いに来てくれたから、とりあえずこっちに来てみた」

白い息を漂わせながらトンボ片手に駆け寄って来たのは、東条だった。
今日はグラウンドでの練習を中止して、降雪対策のために融雪剤の塩化カルシウムを巻く作業を行っている。
さっきから一人で黙々とBグラウンドの外野で作業していたので、まるで救世主が現れたかと思うぐらいに嬉しいし、すごく有り難い。
下ばかり向いていて気がつかなかったけど、内野にも何人か部員たちが増えていて、思わず「助かったぁ」と心の声が漏れ出てしまった。

「ごめんな、すぐに来れなくて」
「謝らないでよ。むしろありがとうだし」

申し訳なさそうに眉を寄せて謝られると、別に何にも怒ってなんかいないけど東条のすべてを許してあげたくなる。
冷えて赤くなっている鼻先が可愛いなぁと眺めていると、ちょっとした違和感に気づく。
東条の首元には真新しそうな黒いネックウォーマーがつけられている。
金色でメーカーのロゴマークがついているだけのシンプルなデザイン。
他の部員と比べると比較的色白な東条にとても良く黒色が映えている。
一体いつ手に入れたんだろう。オフなんてあっても自主練に費やしているみたいだし、買いに行く機会なんてあったかな、と思考を巡らせると一つの選択肢が思い浮かぶ。
もしかしたら、誰かからのプレゼントなのかもしれない。
だって、東条って友達多いし、男の子も、女の子も。まさか、友達じゃなくて彼女、だったりするかもしれない。
もし、本当に彼女からのプレゼントだとしたら、私は

「……おーい、話聞いてる?」
「ごめん、ちょっと聞いてなかった」

呼びかけられて、飛んでいた意識が手元に戻って来る。
無意識だったのに、足元を見たら塩化カルシウムを混ぜている最中だったのでちゃんと仕事はしていたらしい。
一度自分の世界に入ってしまうと、なかなか妄想が止まらなくて困る。
というか私以上に東条が戸惑っているみたいで、ぶかぶかの軍手をはめた手のひらを合わせた。

「で、なんの話しだっけ? 」
「本当に明日雪降るのかなって」
「天気予報のサイトを全部見たけど、どこも降雪確率100%だったよ」
「あーやっぱりそうかー」

東条は作業の手を止めて、トンボの持ち手を掴んだまま深く肩を落とす。
本当に残念で仕方がないという仕草に、声を出さないように口元だけで笑う。

一週間前からニュースや天気予報で、東京にも積雪が予想されると報じられてきた。
天気予報は予報というだけあって、100%当たるかどうかは当日になってみないとわからないところだけど、どうやら予報は当たりそう。
空を見上げると、灰色の分厚い雲が覆っていて今すぐにでも降り出しそうな感じ。
日付が変わる頃には降り出すということなので、あと数時間もしないうちにこの広大なグラウンドも、粉砂糖をまぶしたガトーショコラみたいになるはず。イメージだけど。

「本当に降らないと融雪剤撒いてる意味なくなっちゃうからね」
「そうだけどさーグラウンドで練習したいじゃん」
「だよねぇ」
「ロングティーやりたかったのにさー」

東条が駄々こねるなんて、珍しくてちょっと面白い。
外野ノックもバッピもピッチング練習もやりたかったのに、と指折りながらやりたかった練習を数え出した。
野球を始めたばかりの野球少年のように無邪気に見えて、微笑ましくて自然と頬が緩む。
話しながらでも作業を進めないと終わりそうにもないので、止めていた手を動かして二袋目にスコップを突き刺さしたタイミングで「ねぇ」と再び声が降ってきた。

「ん? どしたの? 」
「みょうじ、マフラーとかしないの?」
「持ってくるの忘れちゃった」
「じゃあこれ貸すから、使いなよ」

はい? と聞き返すより先に、ネックウォーマーに手をかけて首から引き抜くと、私の目の前に差し出してきた。
いやいやいや、それ東条が使ってたやつだし。
しかもそれ、彼女からのプレゼントかもしれないのに。

「いいよ、私は寒くないから」
「いや、でも耳が真っ赤だよ」
「これは生理現象で……」
「あ、もしかして俺が使ったやつだから嫌だった?」
「違う、そんなことないけど」
「じゃあ、なんで遠慮するの?」

真顔で一歩、また一歩と距離を詰められると本能的に逃げ出してしまいたくなる。
普段は穏やかで良心的な存在なのに、東条はこういう状況になったらかなり頑固だ。
まぁ、この状況も東条の良心あってこそ発生しているわけだけど。
どうしても逃れたくてジリジリと後ずさるけど、踵に積み重ねられた塩化カルシウムの袋が当たって、もうこれ以上逃げられないことを悟る。
アーメン、南無阿弥陀仏。

「だってそれ、貰ったやつでしょ」
「え、そうだけど。なんで知ってるの?」
「だっていつも付けてなかったから」
「だからか。でもよく気付いたね」
「やっぱり彼女に貰ったんだ……」
「は、なにそれ。誰がそんなこと言ってるの?」

憶測が思わず口をついてぽろっと溢れてしまった。
しまった、と思ってすかさず誤魔化そうとしたけどもう遅くて、さらにもう一歩距離を詰めた東条が不機嫌そうに「彼女、いないんだけど?」と言い切る。
不機嫌そうな東条と正反対に、私はその言葉を聞いて心底安堵した。
彼女いないんだ、勘違いで良かった。一安心だ。
肩の荷が下りたように体が軽くなるけど、東条の顔は怖いままでちゃんと答えないといけないと腹をくくる。
深く息を吐いて、心を落ち着けてから、口を開く。

「ごめん。私の勝手な勘違いなんだ」
「誰かが噂話してたわけじゃないの?」
「はい、すみません」
「なんだよービックリしたー」
「申し訳ございません」
「そんな謝んなくていいよ」
「私、東条に助けられてばっかりなのに恩を仇で返してる……」
「だから、そんなに落ち込まなくていいって」

野球部にはかなり貴重な存在である善良で優しい東条に、不機嫌な顔をさせてしまった罪悪感がすごい。
勝手な憶測で落ち込んで、一人でぐるぐるして、結果として東条に不愉快な思いをさせてしまった。
埋まりたい、今すぐここに埋まりたい。
スコップで穴を掘ってしまおうか、でもそんなことしたら監督に怒鳴られる。本当にしばかれて埋められてしまうかもしれない。
グラウンドに埋められるなんて、マネージャー冥利に尽きるかもしれない。
とか、くだらない現実逃避で思考を停止させていると「ちょっと、動かないでね」と告げてまた一歩、東条が歩み寄る。
つま先とつま先が触れそうなくらい、近い。

「え、ちょっと、近い近い近い」
「えい」
「えっ、と、うじょう」
「あはは。似合うじゃん、ネックウォーマー」

東条のつま先が、顔が、息が近すぎて、わけがわからなくて、軽くパニックになる。
予期せぬ事態に慌てる私をよそに、東条は持っていたネックウォーマーをズボッと頭に被せた。
一瞬、視界が真っ暗になって何が起きたのか理解できなかったけど、首元の温もりとイタズラが成功したかのような東条の笑顔が目の前にあって、ネックウォーマーをつけてもらったことに気付く。
あまりに一瞬の出来事で呆気にとられている私は、口をポカーンと開けてアホ面をしていたみたいで、東条は腹を抱えて笑いだした。さすがにちょっと傷つくぞ。

「……」
「あはは、ごめんごめん……ははは」
「笑いすぎ! 」
「……彼女じゃなくて安心した?」
「え、そ、それは」
「母さんが送ってくれたんだ、それ」
「へー! そうなんだぁ」
「疑ってる?」
「疑ってない!」
「本当に?」
「本当に! もう、早くやっちゃおう」
「りょーかい」

半ば無理矢理会話を中断させると、少し不服そうだけど大人しく土を均し始めたので、私も作業を再開させる。
寒くないと強がったけどやっぱり鼻先が冷たくて、つけてもらったネックウォーマーに顔を埋める。
ほのかに柔軟剤の匂いと、ちょっとだけ汗の匂い。
なんだかもうたまらない気持ちになって、思いっきり息を吸う。
私、いま東条の匂いで満たされてる。どうしよう、びっくりするぐらい幸せな気分。
好きな人の持ち物の匂いを全力で嗅いでいる自分が変態的すぎて引いてしまう。
こんな変態に好かれている東条はちょっと可哀想だ。
でも、私が東条を好きになったのは彼に思わせぶりなところがあるからだと思っている。私なんてただのマネージャーなのに、東条はいつも優しくしてくれる。
今日だって、英語辞書を貸してくれたし、スカートのプリーツが乱れていることを教えてくれたし、今だってわざわざ手伝いに来てくれたし、ネックウォーマーも貸してくれたし。
東条はただのマネージャーの私なんかに、事あるごとに気にかけて優しくしてくれるのだ。
そのたびに好きって気持ちが胸の中に降り積もる。毎日降っては積もって、苦しくなる。
いっそ、こんな行き場のない気持ちなんて雪みたいに溶けてしまえばいいのにとも思う。でも、人間の感情とはそんなに単純なものではないらしい。
いつか、この想いがキャパを超えて溢れてしまわないか心配になる。
そんな時が来たら、私はどうなってしまうんだろう。

「あ、降って来た」
「マジで?」
「ほら、沢村が叫んでる」

東条が指差す先には、Aグラウンドのマウンドで「降ってきたぞ!」と叫ぶ沢村の姿があった。
沢村は今日も元気だなぁと呆れながら眺めていると、鼻先を雪が掠めた。
どうやら予報より早く降り出したらしい。

「ちょっと急ごうか」
「うん」
「みょうじ、雪ついてるよ」

わざわざ軍手を取って、私の鼻先についた雪を親指で掬う。
「見て、これ」とすぐに溶けてしまいそうな結晶を見せて、くしゃりと笑う。
こんな些細なことに嬉しくて舞い上がって、私ってやっぱり馬鹿なんだと思う。

また「好き」が一つ降り積もって、胸が小さく音を立てて軋んだ。