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触れると、熱いの


こんなマンガみたいな出来事って本当にあるんだなと思う。
食パンくわえて曲がり角でイケメンとぶつかるとか、イケメンと同じ本を取ろうとして指が触れ合うとか、そんなロマンチックな展開だったら、どれだけ幸せなんだろう。
鏡の中の私は、中肉中背で平凡な顔立ちをしているし、そもそもイケメンと出会ったところで釣り合いが取れないから物語が始まらない。自分で言っていて虚しくなる。そして現実を受け入れたくなくて目を閉じる、また開く。
定規で線をを引いたかのような毛先が、気弱そうな眉の上に並ぶ。明らかに切りすぎた前髪が広いおでこに鎮座していて、その堂々たる風格はさすが私の前髪といったところか。主張が強い。
試しにいろんな角度から顔を見てみる。上下右左、上目遣いとかもやってみるけど、やっぱりどの角度から見ても美人系でも可愛い系でもない顔面。
そして、やっぱり前髪は短い。

「お前どうしたんだよ、その前髪」
「見ればわかるじゃん、切りすぎたんだよ」
「ウケる」
「金丸は最近髪薄くなったんじゃない?」
「は、やめろよ気にしてんだから」

おはよう、よりも先に前髪をいじってくるところが金丸らしくて呆れる。わざとらしくため息をついてみた。
帽子を取って短く刈られている後頭部をワシャワシャと乱暴に撫でているので「優しく触った方がいいよ」と追い討ちをかける。金丸って神経図太いけど髪は案外細いから将来のことを心配しているらしい。恨めしそうに睨んでくるので、アハハと乾いた笑いで応える。

「ずいぶん思い切ったね。イメチェン?」
「女が髪を切るということは……まさかブロウクンハートか? 失恋なのか?! 」
「沢村うるさい、お口チャックして」

なんだか賑やかな話し声が近づくてきたなと思ったら案の定沢村たちで、降谷もいたらどうしよう、いっそ走って逃げようかと考えたけど彼らが追いつく方が早かった。
沢村と小湊の頭の間から、眠たそうな瞼を擦る想い人の顔が見えた。今日もちゃんと左耳の上に寝癖がついてる。かわいい。

「アハハ! 自分で切ったのかそれ!」
「あーもう三十秒経っちゃった?」
「いやまだ二十秒くらいじゃない?」
「しつけ直すか……」
「おい! 無視すんな!」

沢村があんまりにも騒がしいので、自分自身をコントロールするためだと嘘をついて「お口チャック」を覚えさせたのは二週間前のこと。覚えたと言っても、黙っていられるのは三十秒がやっとだし、しかも日に日に秒数が短くなっている。

「はぁ」
「ため息禁止だぞ!」
「降谷くんはどう思う? みょうじさんの前髪」
「そうだ降谷! ハッキリ言ってやれ!」
「降谷、素直な感想でいいんだぞ」

終始うとうとしている降谷に、小湊が問う。余計なことを……と視線で訴えかけてもニッコリと微笑むだけで、本当に小湊先輩に似ているなと絶望する。小湊家には抵抗したところで勝てそうにない。ここぞとばかりに金丸も降谷を煽るし、さっきいじり返したことを軽く反省するけど、後悔はしない。
眠たそうな瞼がスッと開かれて、見上げた視線とぶつかる。思わず前髪を両手で隠したけど、今更すぎて意味が無いことはわかっていた。数十秒の沈黙を、その場にいる全員が固唾を飲んで見守る。沢村はお口チャック中より長く黙っているので、ちょっと泣きたくなった。やればできるんじゃん……

「僕は、いいと思う」

長く流れた沈黙を破って、降谷がぼそりと感想を述べる。嬉しさのあまり、ぶわっと鳥肌が立って、心臓が高鳴って、顔に熱が上がっていくのか感じる。嬉し恥ずかしいってこんな感覚だろうか。頬が熱い、今きっと顔が赤い。
降谷のコメントを聞いて彼らは「おぉ……」とか「そこはいじるところだろ……」とか言って動揺しているので、あとで引っ叩いてやろうと堅く拳を握る。
覚えてろよ、沢村と金丸。

「自分で切ったの?」
「うん、切りすぎちゃったけど」
「すごいね」
「えーそんなことないよ」

オレたちの時と態度が全然違う……と聞こえてくる声をシャットアウトして、まっすぐに降谷を見上げる。
降谷は他人をいじったり、からかったりしない。いつもマイペースでのんびりしていて、それなのにマウンドに上がると別人みたいに力投する。そんなところが好きなのだ。
すっかり機嫌が良くなって、ニヤニヤしていると、降谷の大きな手のひらが伸びてきて、前髪を隠していた両手を掴んだ。え?なにするつもり?と問うと、何も答えずにグッと掴んだ手を下に降ろされる。なんてことしてくれるんだ、せっかく隠してたのに!

「ちょっと、降谷」
「隠さなくていい」
「う、うん?」
「短い方がみょうじさんの顔がよく見えて、いい」

一瞬、息の仕方を忘れた。
降谷は天然だから、たまに真意のわからない爆弾発言をすることがあって、今の発言もその類いだとわかっている。沢村たちも降谷を囲んで「お前ってたまに大胆だよな!」とか言って笑ってるし。一気にその場が和やかな雰囲気に包まれて、私もつられて引きつる口角を無理に上げて笑う。降谷は何を考えてるかわからない表情をして、静かに私を見下ろしている。
アハハ、私もちゃんと笑えてるかな?

「おい、もう行こうぜ」
「先輩たち来ちゃうね」
「オレが一番乗りだ!」

雑談に足を止めていると、土手の向こう側がザワザワとしはじめる。先輩たちが寮から出てくる気配を敏感に察知して、グラウンドに向かって走り出す背中をぼんやり数える。いち、にい、さん。あれ? 一人足りない。

「……降谷? 置いてかれてるよ、早く行きなよ」

まだ横に佇んでいた降谷は、何か言いたげにまっすぐ私を見下ろす。彼は私をどうしたいんだろう。ゆでだこにでもするつもりなのかな。好きな人にそんなに見つめられたら、私はどうしたらいいのかわからなくなる。

「あの、」
「早く、行きな! 先輩たち来ちゃうよ」

耐えられなくて私から先に視線を逸らして、大きな背中に回り込む。ググッと背中を押すと、のそのそと歩み始めた。背中に触れた手のひらが、熱い。さっき掴まれた感触を思い出してしまって、恥ずかしくて、嬉しくて、走りたくなる。大きく腕を振って、息を切らして、走って、走って、振り向いたら、息も切らさないで隣を走る降谷がいて、なんだか面白くて笑えた。

「私の方が速いと思ったのに!」
「それはない」
「そこは強気!」

おでこに薄っすら汗をかいて、短い毛先が張り付いて気持ち悪い。でもいいんだ、降谷が褒めてくれたし。さっきまでの憂鬱が、台風一過の空みたいに綺麗サッパリなくなった。まるで雲ひとつない青空みたいに晴れやかな気分。降谷ってすごい、魔法使いみたい。でも、彼は空は飛べないし、薬草を調合もできない。そうだとしても、言葉一つで私の気持ちを前向きにしてくれるし、喜んだり落ち込んだりしてしまう。最初は何人もいる部員の中の一人だったのに、いつの間にか好きになっていた。まるで魔法にかけられたみたいに、降谷のことがキラキラして見える時があるのは、きっと恋をしているせい。

「髪、乱れてる」
「?! 自分で直すよ!」

降谷はいともたやすく近づいて、右手の人差し指で前髪を掬った。反射的に飛びのいて、手櫛で前髪を整えていると、膝を折って大きな身体を屈ませて顔を覗き込んでくる。

「うん、やっぱりそっちの方がいい」

目を細めて、薄くて形の良い唇が弧を描く。そんな優しい顔、しないでほしい。深みにはまって引き返せなくなりそうだから。
交わった視線を逸らせなくて、今度こそ本当にゆでだこになりそう。