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不協和音で奏でる協奏曲


 今日は秋季大会、三回戦。
 対戦相手は、稲実を倒したダークホースの鵜久森高校だ。
 
 車窓を流れていく空は雲ひとつない晴天。穏やかな秋晴れである。
 十月の日差しは夏よりやさしいけど、徹夜明けの私には刺激が強すぎて目が溶けそうになる。
 甘ったるいエナジードリンクを胃の中へ流し込み、強制的に目を覚ましてノートを開く。そこにはミミズが這った跡のような文字が羅列していて、読解に少し時間がかかった。どうやら寝ぼけながら作業していたらしい。自分で書いた字なんだけどものすごく読みにくい。 

 昨晩の試合前ミーティングはデータ分析が間に合わず簡易的にしかできなかった。
 一晩かけたデータ分析の結果は、移動中のバスで今まさに共有している。球場に入るまでの時間も一分たりとも無駄にできない。
 バスに揺られながらノートを読みあげているとだんだんと気持ち悪くなってくる。
 普段は車酔いするタイプではないんだけど、さすがに睡眠不足だと三半規管も弱くなるみたい。

「──渡辺君と私からの情報共有は以上です」

 徹夜して分析したデータでもほんの五分程度で話し終えてしまう。費やした時間と労力に対して、得られるデータは決して多くない。
 それでも真剣に耳を傾ける選手達を眺めていると、徹夜してもお釣りが来るほどの達成感で胸が満たされる。頑張ってよかったと素直に思えるのだ。
 でも、ここで満足するのはまだ早い。今日の試合に勝ってこそ、私の失われた睡眠時間に意味が生まれるのだから。

「ちなみに夏もメンバー入りしていた人は仙泉学園の真木君のカーブを攻略した時の対策を覚えてますか?」

 私の急な問いかけに、夏大もベンチ入りしていたメンバーは目を合わせる。覚えてるか? と視線だけで会話しているらしい。
 鵜久森のエース、梅宮君の決め球はカーブだ。
 夏大で対戦した仙泉の真木君もカーブを決め球にしていた。仙泉戦の経験がもしかしたら今日も役に立つかもしれない。

「強打したり引っぱろうとせずにバットを内側から出して、投手の頭上を超えるような打球を意識すること」
「記憶したカーブの軌道を思い出して、自分の『頭上に出てくる感覚のカーブ』だけを狙うと、軌道にバットが入れやすくなる──でしたっけ?」

 倉持君と御幸君が模範解答をしてくれた。大きく頷いて、選手達の顔を見渡す。

「真木君のカーブに比べると梅宮君のカーブはそこまでキレがないし、球速も遅い。しっかり引き付けて自分のスイングで打ち返せれば、攻略は難しくないと思います。みんな、頑張ってね」
「「「はい!」」」

 情報共有を終えて席に座ると、車内には試合前の緊張感が満ちはじめる。水を打ったように静かだ。
 ふと、移動中ってこんなに静かだったかな? と疑問が浮かんでくる。いつもならもっと会話が飛び交って、賑やかだったような。鵜久森はあの稲実を倒したダークホースだし、変なプレッシャーを感じていないといいけど──。
 シートに身をゆだねると眠気がふわりと全身を包み込み、しだいに意識がぼやけていく。

(……なんだろう……やっぱり……なにかおかしい気がする……)

 それはまるで、ミステリー小説の伏線のような、日常にさりげなく差し込まれる違和感。
 でもなにがおかしいのか、どこがいつもと違うのか、明確にはわからない。
 違和感の正体について考えているうちに視界がとろんと溶けて、ぷっつりと記憶が途切れた。



「そのエナジードリンク、何本目ですか」
「まだ一本目」
「いや、日付越えた後に一本飲んでましたよね?」
「てことは二本目ってことか。あははは」

 渡辺君に冷静につっこまれると笑ってごまかすしかない。本日二本目(らしい)のエナジードリンクを一気に飲み干し、缶のゴミ箱に放り込む。
 グランドインまであと二十分。ウォーミングアップ中の選手達をじっくりと観察していると、さっき感じた「違和感」の正体にようやく気づいた。
 チームの雰囲気がなぜか、ものすごく重たい。

「東条君、金丸君、ちょっといい?」
「はい」
「いま行きます」

 どことなく居心地の悪そうにストレッチをしている彼らを手招きする。
 東条君と金丸君は「なんで呼び出されたんだろう」という感じで首を傾げ、こちらへと駆けてきた。人目につかないようにふたりを自販機の影に移動させると、金丸君が不穏な空気を察して眉をひそめる。

「なんですか、みょうじ先生」
「今日の雰囲気、なんか悪くない? 私の気のせいかな」

 声のボリュームを絞って問うとふたりは顔を見合わせて「実は……」と声を潜める。

「昨日の夜、ちょっと揉め事があって……」
「誰と誰が揉めたの?」
「御幸さんとゾノさんです」
「主将と副主将がバチってるんだ。それは雰囲気も悪くなるよね。ちなみに揉めた理由は知ってる?」
「それは俺たちにもよくわかんないんです」
「その場に居合わせただけで」
「殴り合ったりはしてないんだよね?」
「まぁ……未遂って感じですね」

 あー頭が痛い。目の奥がズキズキする。
 この頭痛は寝不足だけが原因じゃない。
 呻きながらこめかみを抑えると、東条君は苦笑いを浮かべ金丸君はため息をつく。

 チームの違和感には昨晩からなんとなく気づいていた。
 いつもはプレハブに冷やかしにくる御幸君が顔を出さなかったし、自主練する前園君が妙にカリカリしているのを目撃していた。公式戦の前夜は、どうしたって緊張した雰囲気も流れる。
 でも、昨晩のそれは「公式戦前夜の緊張」とは違う、刺々しい感情が空気の中に微かに混じっていた。

「でも、まぁしょうがないか」
「みょうじ先生は心配じゃないんですか」
「これから試合なんすよ」
「今すぐ仲直りしろって言っても無理でしょ。しかも仲直りって強要するものでもないし」

 チームの雰囲気が悪いことには問題があるけどここまできたら開き直るしかない。
 もうすぐグランドイン。試合開始まで時間も無い。

「でも、プレーに影響があったりしたら」
「プレーに影響があったら、君達が先輩を引っ叩いて目を覚まさせてよ」
「そんな無責任な……」
「私はベンチに入れないからね。それに試合が始まったら、ちゃんと野球やるでしょう。試合に『勝つ』って目的はみんな同じなんだから」

 不安そうなふたりの背中に手を回し、腰のあたりをポンと叩く。
 もしも御幸君と前園君がベンチで喧嘩を始めたら、金丸君に身を挺して止めてもらおう。

「絶対大丈夫だよ! さぁ、もうすぐグランドインだよ。気合い入れていこう!」

 選手同士で揉めようが、チームの雰囲気が悪かろうが、時間は止まってくれない。
 青道が目指すのは「勝利」のみ。
 同じ志を持っているなら、絶対大丈夫!──なはず。

 プレイボールは刻一刻と近づく。
 決して負けられない戦いの幕が、もうすぐ上がろうとしている。







「……とんでもない試合になりましたね」
「えぇ、そうね……」

 高島先生の表情に、疲労の色が濃くにじむ。重たい頭を持ち上げて、スコアボードを見上げる。
 八回が終わって、八対七。青道が辛うじて一点のリードを保っている。 

 試合展開は予想していなかった乱打戦。 
 青道の先発は降谷君。
 初回から四番梅宮君にスリーランを打たれ三点を失う不安定な立ち上がりだった。

 試合の先行きが危ぶまれたものの、その後は立て直して無得点に抑える。
 青道打線も得点を重ね、降谷君を援護。
 五点差までリードを広げていたけど八回に降谷君が鵜久森打線に捕まってしまう。四連打を浴び、一気に四失点。怒涛の猛攻に心臓は縮み上がった。

 青道打線もよく打ったけど一時は五点差まで開いたリードが一点差にまで詰め寄られるなんて、誰も想像できなかったはず。
 稲実を倒した鵜久森の実力は本物だ。
 勢いだけで勝ち上がってきたチームでは無いことが、今日の試合ではっきりと証明されようとしている。

「九回は沢村君に継投するようね」
「そういえば沢村君、七森学園との試合でインコースへ投げられるようになったんですよね?」
「えぇ。ボールになったり、コースが甘くなったりはしているけど、インコースに投げられていたわ」

 昨日の七森学園戦。
 先発した沢村君が「インコースを投げた」と聞いた時には、本当に驚いた。
 稲実の偵察で不在だったとはいえ、決定的な瞬間を見逃したのは悔しかった。 
 でも今日、九回のマウンドに沢村君が登板する。インコースへ投げ込む姿をきっと私にも見せてくれるはずだ。

「やっと投げられるようになったんですね。本当に良かった」
「まだ安心はできないわよ。なんたってリードは一点しかないんだから」

 細指でメガネのブリッジをくいっと押し上げる。高島先生は緊張の面持ちを崩さず厳しいまなざしをグラウンドへ向けた。

 鵜久森の猛攻の余韻が濃い霧のようにグラウンドを包み込む。
 夏の決勝戦と似たシュチュエーション。
 緊張のボルテージはマックスに近づいている。

「しかも九回はクリーンナップへ打順が回るんですね。確かに厳しいなぁ」
「沢村君に託すしかないわね」

 九回のマウンドへ登る背番号「18」を見つめ、両手は自然と祈りの形を結ぶ。 
 野球の神様、どうか沢村君に力を貸してあげてください。青道を勝たせて── 

「ここからだぞー!!」
「鵜久森ーー」
「絶対このまま終わらねぇよ」
「最終回何か起きるぞ!!」
「梅宮にも回るからな」
「絶対目が離せねぇ!!」
「鵜久森!」
「鵜久森!!」

 私が祈っている最中だっていうのに、観客達の「鵜久森コール」にかき消されてしまう。
 それにしても、青道のアウェー感がすごい。八回に一点差になった瞬間から、鵜久森は高校野球ファンのハートを根こそぎ奪ってしまった。誰しもが鵜久森の大逆転を期待している。
 稲実に勝った時のように、鵜久森がまた大金星を上げる瞬間に立ち会いたいのだろう。高校野球ファンはこの試合を語り草にしたいのだ──「俺は鵜久森が青道に勝った試合を見てたんだよ」という感じで。

 投球練習を終えてマウンドへ向かった御幸君は、なにやら沢村君と談笑中。
 これほどの青道アウェーの雰囲気で笑っているのだから、やっぱりあのふたりは肝が据わっている。 
 さぁ、君達はいったいどうやってこの雰囲気をどうやって断ち切る? 

 先頭の三番が放った打球はマウンドの手前で高くバウンドし、沢村君のグラブを掠めた。急いで倉持君がバックアップに入ったけど、送球は間に合わず。完全に打ち取っていた打球だけど飛んだところが悪かった。
 ショートへの内野安打で、無死一塁になってしまった。同点の走者が出塁する。

 そして、鵜久森で一番警戒しないといけない四番梅宮君に打席が回ってしまう。 
 初球の入り方が大事だ。息を詰めて沢村君の横顔を見つめる。
 御幸君は静かに動き、梅宮君のインコースへ構えた。セットポジションから沢村君が始動する。

「ワンバンしないでインコースへ投げた! しかも結構くさいところに!」
「あとはストライクゾーンへ投げ込めるかどうかね」

 初球はボールになってしまったけど、インコースへ投げることができた。嬉しくて舞い上がりそうになるのをグッと堪える。
 手放しで喜ぶにはまだ気が早い。
 二球目はアウトコースをファール。
 三球目はアウトハイへボール。
 四球目はボール球を打ってファール。
 これでボールカウントはツーボール、ツーストライク。バッテリー有利なカウントに整えられた。

 あとはくさいところにボール球を投げても、三振か内野ゴロに打ち取れるはず──と思いきや、変な間が空く。
 沢村君はじっとサインを待っているようでなかなかセットポジションを取れない。
 あの御幸君でもリードに迷うほどに、梅宮君は厄介な打者ということか。

 ほんの数秒の空白の後、御幸君は静かに移動して梅宮君のインコースに構えた。
 今日はまだインコースへストライクを投げられていないのに、ここでまた要求するんだ。 

 ──沢村君、頑張って!

 使い古された言葉だけど「頑張って」というフレーズには、ありったけの想いが込められる。
 強くつよく、心の底から願う。
 インコースを投げ切ってほしい、と。
 
 沢村君の投じたボールは、右打者への強烈なクロスファイヤー。梅宮君のバットがそれを捉えた瞬間、ガキンッと鈍い金属音が響く。打球は沢村君のグラブに収まり、素早く倉持君へ送球され、一塁へ転送される。一塁、二塁ともにアウト!

「ゲッツー! て、今インコースに投げてましたよね!?」
「今はちゃんとストライクゾーンに投げこめたわね」

 高島先生とハイタッチを交わしている間に、五番は内野ゴロに仕留めて、スリーアウト。 

 青道が八対七で勝利し、ベスト8へ進出。
 秋大優勝まで、あと三勝だ。







 青心寮、スタッフルームにて。
 指導者陣が集まって今日の試合の感想戦が繰り広げられている。
 寝不足でぼんやりしつつ、先生方の談笑に耳を傾け、適宜相槌を打つ。
 太田部長もご機嫌そうでなによりだ。

「いやーーまさかあそこでゲッツー取れるなんて……沢村の悪運ここに極まれり! しかもインコースですよあれだけ外で勝負しろって言ったのに……」

「グラウンドにいる御幸がそう判断したんだ。あの雰囲気、状況で沢村ならここに投げられると……」

「外と内の揺さぶり、今のところそれが沢村君の一番の武器ですからね」

「アウトコースへのコントロールも良くなったし、これでイップスを完全に克服できたらピッチングの幅も広がりますね!」

 沢村君のイップスに克服の兆しが見えてみんなの表情は明るい。ただひとり、落合コーチが不満そうなのは気になるけど。

「ただ今日のことではっきりと見えたな。沢村がさらに上に行くための課題が──」

「課題ですか? 今でも十分通用してますが、沢村にしては」

「変化球ですね」

 沢村君の課題。それは、内と外への投げ分けと「緩急」。
 打者のタイミングを外す「決め球」が必要、ということ。
 沢村君の持ち球は、右打者の内角を抉るカットボールのみ。「まっすぐ」はナチュラルに動くので変化球に近いけど、決め球に数えられるほどのクオリティではない。

 今日の梅宮君が投げたカーブや、川上君の投げるスライダーのように、なにかひとつ「決め球」を増やすことができれば、ピッチングの幅も広がる。
 それに左腕なら「チェンジアップ」の習得は必須だ。チェンジアップは稲実の成宮君の決め球でもある。 

「先の長い話です。オフ……そして二年生の間に自分の投球を見つけてくれたら」

 片岡監督と落合コーチの視線が交わる。
 オフからは「落合監督」に沢村君を託す──暗にそう言っているような発言。
 正直、不安しかない。
 落合コーチの降谷君贔屓は露骨すぎるし、なにより沢村君を信用していないことがはっきりとわかるから。

「これは降谷もうかうかしてられませんよ、常に後ろから追いかけてくる相手がいるワケですから。それに川上! 川上だってこのままじゃ終わらない──」

「なるほど……片岡さんも残酷なことを考えますね……つまり沢村は降谷の力を押し上げる当て馬だと……降谷がいる限りいくら頑張っても沢村は二番手止まり。それは片岡監督あなたが一番わかっているでしょう。
 それを踏まえて沢村の成長を願うとは、私よりもよほど残酷な考えの持ち主だ」

 落合コーチが口を開くと、空気にピリッとした緊張感が走る。
 「残酷」や「当て馬」という発言を聞いた瞬間、掴みかかりたくなった衝動を深呼吸でなんとか抑え込む。もし人を殴っても許されるなら、今ごろ馬乗りになってあの髭面をボコボコに殴っている。

「ざ……残酷って……片岡監督は選手としてだけではなく人としての成長を望んで……」

「そんなものは大人の欺瞞だ。番号や結果に一番こだわるのは戦っている選手達でしょ……ベンチに入れるのはたった二十人……エースナンバーをもらえるのも一人。頑張ってもどうにもならないことがある……そう教えてあげることも優しさだと思いますが……」

 落合コーチの言葉が不快すぎてもう耐えられない。
 片岡監督の反論を待たずにドアを開け、高島先生の制止を無視して部屋の外へ出た。イラつきすぎて叫びたくなる衝動を飲み込んで、その代わりに特大のため息を吐き出す。
 
 監督の去就に、選手同士の不和。
 秋大の最中だっていうのに、どうにかしないといけないのは「次の試合」だけじゃない。 

「あー、もう! ほんっとに……腹立つなー!」

 プレハブに逃げ込み思いっきり叫ぶと、ちょっとだけスッキリした。それでもまだ怒りで脳が煮えたぎっている。
 とにかく今は、私にできることをやるしかない。 

 次の相手は、都立王谷高校。
 東東京代表として甲子園に出場したこともある都立の星。
 試合映像は既に手元にあるし、今日のうちに情報を整理しておこう。そうすれば明日がちょっと楽になる。
 それに今は、頭と手を動かして気を紛らわせたい。さっきの片岡監督と落合コーチの会話を思い出すと冷静でいられそうになかった。 

 パソコンの電源を入れ、ノートを開き、さっき買ってきた本日三本目のエナジードリンクのプルタブを開けた。
 さぁ、ここからは私が頑張る時間だ。  




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