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同じ道を、それぞれの速度で


 今日は、秋季大会二回戦。
 まさに「スポーツの秋」にふさわしい気持ちの良い晴天。絶好の野球日和だ。

 このグラウンドはアンツーカーとフィールドグリーンが眩しいくらいに鮮やかなのが特徴的だ。日差しの照り返しがキツくて目が眩む。

「向こうもそろそろ試合開始ですね」
「さっき高島先生から試合開始の連絡が来てたよ。イニングごとに速報してくれるって」

 青道の試合会場である江戸川区球場から離れ、私と渡辺君は大田スタジアムに訪れている。
 目的はもちろん、次の対戦相手を予想している稲実の偵察だ。

「チームが心配ですか?」
「まぁね……なんたって沢村君の公式戦初先発だし、しかもまだインコースに投げられない状態だし」

 渡辺君に気持ちが浮き足立っているを見透かされて、じわじわと恥ずかしさがこみ上げる。
 試合中のチームから離れるのは、今日が初めてのこと。絶対に勝ってくれると信じているけど、試合に立ち会えないとどうしても不安になる。

「きっと大丈夫ですよ。御幸だって『絶対に勝ちますから』って言ってたじゃないですか」
「そうだね。私達は偵察に集中しようか」

 チームと分かれて出発する時に「偵察は頼みます」と御幸君から念を押されたことを思い出す。
 明日の対戦相手は、おそらく稲実。
 夏の決勝戦の再戦とあって、選手達も気合をみなぎらせている。だからこそ、この試合をしっかりと見なくちゃいけない。
 新チームになった稲実を丸裸にすること。それが私と渡辺君に託された役割だ。

「OK! 悪くない!! 追い込んでんだ遊びはいらないよ!! ね・じ・ふ・せ・ろ!!」

 稲実の先発は二番手の平野君。
 今日は成宮君を温存し、レフトで出場させている。彼は五番を打てる打撃力があるので、温存とはいえスタメンからは外せない。レフトからマウンドの平野君に向かって、野次のような声援を飛ばしている。

「成宮君、元気そうだね」
「なんだか機嫌が悪そうですね」

 成宮君の強烈なプレッシャーに負けることなく、平野君は初回を三者凡退で抑え、上々の立ち上がりを見せた。
 二番手とはいえ、平野君も甲子園準優勝した稲実投手陣の一角。国友監督の信頼を寄せる投手のひとりだ。

「平野はスライダーが切れてますね」
「初回は変化球の割合が多かったね。ここから少しずつストレートを増やしていくかな」

 私は膝の上に広げたスコアを書き、渡辺君はビデオ撮影をしながらメモをとる。
 成宮君のピッチングが見られないのは残念だけど、打席のデータはしっかり取らせてもらおう。 

「相手真っ直ぐにタイミング合ってないじゃん。押せ押せストレートで!」

 多田野君を指差し、成宮君が鋭い指摘を飛ばす。エースは正捕手のリードにご不満らしい。
 多田野君も日頃から苦労が絶えないだろうな、と敵ながら同情してしまう。

「口うるさい小姑みたいだけどね」
「でも、合理的な指摘ですよ」

 一回裏、稲実の攻撃。
 一番神谷君がセーフティバントで出塁に成功。
 二番白河君のヒットでチャンスを広げ、四番山岡君の犠牲フライで、あっという間に一点を先制。

 先制をきっかけに稲実の流れになるかと思いきや、予想を反して五回までゼロ行進が続く。
 稲実打線は快音こそ響かせるも、微妙に芯が外されて打球が伸びなかったり、ヒット性の打球も好守に阻まれる攻撃が続いている。

「あのカーブ、いったい何km/h出てるんだろう」
「ここから見た感じだと……100km/hは出てなさそうです」

 鵜久森のエースは130km/h台のストレートとカーブのコンビネーションで稲実打線を翻弄。
 初回こそ失点を許したものの、五回も無失点で抑えてしっかりと試合を作っている。

「メークチャンス? メークミラクル!? 意味はよくわからんがそんな感じだ!! 怒逆転すっぜ!!」

 三塁側、鵜久森ベンチの前に広がった円陣から元気な声が上がる。
 あの稲実を相手に一点差で試合を作れているのだから、鵜久森の選手達も気合が入るだろう。
 確かにリードはされている。それでも重たい空気を感じさせないエースの言動には、素直に好感が持てた。
 彼の名前が気になって選手名簿を開き、鵜久森のページを指でなぞる──「梅宮聖一」君というらしい。ちゃんと覚えておこう。

「樹ー!! 強気で行け強気で!! 守りには絶対入るな!」

 レフトから拳を掲げて多田野君を鼓舞する姿は、まさにチームの大黒柱──エース「成宮鳴」そのもの。
 いつでもマウンドに登る準備はできている、と言わんばかりに左肩を大きく回して、ベンチへのアピールも忘れない。
 鵜久森はあっさりと二死に追い込まれる。
 しかし、鵜久森はエースで四番の梅宮君がヒットで出塁、盗塁も成功させて、二死二塁のチャンスを作る。

「梅宮君は投打で大活躍だね。この場面で盗塁まで決めちゃうなんて」
「鵜久森のプレースタイルは荒削りだけど、出塁したら積極的に次の塁へ進もうとする果敢さは厄介です」
「稲実相手に怖気づいてないし、鵜久森の積極的な走塁の姿勢は青道も見習わなきゃだね」

 五番も初球を打ちライトへ前ヒットを飛ばす。
 これで二死一・三塁──と思いきや、二塁走者の梅宮君は三塁を蹴り、トップスピードを保ったまま本塁へ突入するも、ライトからのバックホームで本塁憤死。
 一瞬の隙を突く攻防に、心臓はバクバクと激しく脈打つ。
 正直、あの浅いライト前ヒットで二塁から本塁を狙うなんて、想像もしていないかった。でも、それを仕掛けてくるのが鵜久森の野球。
 この走塁判断を「暴走」と捉えるか、それとも「積極的な走塁」と捉えるかは、チームによって意見は異なりそうだけど。

「タッチ……したよね?」
「……正直、際どいですね」

 梅宮君は両手を広げて驚愕の感情を露わにする。タッチアウトの判定に不満を訴えているように見えたけど、審判は判定を覆さない。

「無茶苦茶に引っ掻き回してこっちのペースに引きずり込んでやろうぜ!!」
「おぉ!!」

 梅宮君はやや不服そうな態度で引き下がったけど、すぐに気持ちを切り替えて仲間を鼓舞する。
 審判には嫌われそうだけど、高校野球ファンには好かれそうな選手だと思う。
 
「梅宮君ってなんだか沢村君に似てる気がする」
「声がでかいところとか、どんな状況でも元気なのは似てますね」

 六回表。稲実は下位打線で一死二塁のチャンスを作り、一番神谷君に打順を回す。
 それでもなお鵜久森バッテリーはあの遅いカーブを続け、神谷君をレフトフライ、二番の白河君もサードゴロに打ち取った。梅宮君はまたも無失点に抑える。

 渡辺君の偵察ノートは稲実の打者の特徴や、リードの傾向などのメモでびっしりと埋め尽くされていく。
 彼がいるおかげでスコアを書くことに集中できるので、一人で偵察に行くときよりもずいぶんと楽だ。試合を観ながら情報交換ができるのもいい。

「リードは変えずに徹底してカーブで攻めますね」
「カーブがあの遅さだから、そこそこのストレートも体感はもっと速く見えるだろうね。しかし打てそうで打てないね、あのカーブ」

 七回表。稲実は一死から、四番山岡君の左中間を破るツーベースで得点圏に走者を置き、五番成宮君の打席を迎える。
 これまでカーブを連投していた梅宮君は、この打席で初めて縦の変化球を投じる。

「え、なにあれ……縦スラ?」
「いや、軌道はカーブと同じように見えましたけど……球速がずいぶん上がってますね」

 成宮君の打球は詰まって、サードゴロになる。二塁の山岡君を進塁させない。
 六番にもあの縦の変化球を使い、ショートゴロに打ち取り、鵜久森はピンチを切り抜けた。

 七回裏。鵜久森の攻撃は先頭打者がヒットで出塁し、次の打者もまた初球を打ち、無死一・二塁とチャンスを広げた。
 この状況だと、ワンヒットでまた本塁を狙ってくるかもしれない。稲実バッテリーに緊張が走る。

「二盗を警戒してスライダーを避けたら、ストレートに山張りされてた感じかな」
「序盤から積極的に盗塁を仕掛けてきたのも、今の攻撃の伏線になってます」
「鵜久森は最初から終盤に勝負を仕掛けるつもりだったのかも」
「戦略は荒っぽく見えて、実は結構策士ですね」

 稲実ベンチが動く。ここで好投した平野君を降板させ、レフトからエース成宮君を投入。
 期待していなかったエースの登板に、渡辺君のペンも留まることなく走る。

 成宮君は一人目を三振で切ってとり、いきなりエンジン全開のピッチングを披露。それでもなお一死一・二塁と稲実のピンチは続く。
 エース成宮君を相手にしても、鵜久森は積極的な走塁を試みる。
 四番梅宮君の打席で、稲実の隙を突き、二塁走者が三盗を成功させた。

「普通この場面で走る!?」
「成宮が三塁に背を向けているとはいえ、この状況で三盗を仕掛けるなんて……青道ではありえないですね」

 鵜久森の積極果敢な走塁に、口が塞がらない。
 でも、観ていて楽しい野球だとも思う。
 こちらの予想をはるかに超えてくるし、なによりも選手達が全身で野球を楽しんでいるのがよく分かる。
 鵜久森には敗北のプレッシャーが無いように見える。渡辺君が「青道ではありえない」というのも納得できた。
 青道であれば、稲実を相手にリスクの高い攻撃は仕掛けないだろう。
 敗北=片岡監督の辞任が確定している以上、青道は絶対に負けられないのだ。
 鵜久森とは、置かれている立場もチームカラーも違いすぎる。

 稲実はすかさず守備のタイムを取り、マウンドへ伝令を送る。内野は前進守備で、三塁走者の生還を許さないシフトを敷く。
 梅宮君もワンボール・ツーストライクからファールで粘り、稲実バッテリーを追い込む。
 成宮君はしきりに首を振り、緊迫した時間に変にな間が空く。バッテリーのサインが決まらないのは、この試合で初めてのこと。

「成宮君、やたらと首振るね」
「決め球が決まらないんでしょうか」

 決め球はスライダーか、あるいはチェンジアップだろうか。私達の予想は外れて、投じられたのはストレート。
 梅宮君はフルスイングで弾き返し、打球を右中間へ運ぶ。三塁走者は悠々と本塁へ生還。一塁走者もトップスピードで三塁を蹴り、クロスプレイを掻い潜って本塁を陥れる。
 四番梅宮君、値千金の逆転二点タイムリーツーベース!

「……成宮君が打たれた」
「どうしてあの場面でストレートを投げたんでしょうか……変化球なら打ち取れそうだったのに」
「変化球もファールにされてたし……成宮君はストレートも速いからねじ伏せられる自信があったんだろうね」

 成宮君はマウンドの土を蹴り、悔しさを露わにしている。
 おそらく、多田野君は変化球で打ち取りたかったはずで。今ごろキャッチャーマスクの下で唇を噛んでいるだろう。

 八回は、稲実と鵜久森ともに三者凡退。
 スタンドの観客達が騒ぎはじめる。
 誰かが「稲実やばくね?」と言った声がはっきりと聞こえた。

 九回表。稲実の攻撃は二死二塁に追い詰められ、四番山岡君に同点の望みを託す。
 しかし、山岡君の打球はファーストファールフライになり、スリーアウトで試合終了。

 わずか一点のリードを守り切り、鵜久森が勝利。
 甲子園準優勝の稲実を都立の鵜久森が下す──番狂わせの大金星を挙げた。

「まさか鵜久森が稲実に勝つなんて……こっちの試合を見に来てよかった」
「本当ですね。御幸達も驚くと思います」
「私達も早く帰ろうか」

 大急ぎで荷物をまとめて電車に飛び乗り、帰る道中もスコアとノートを開いて意見を交わした。

 一時間半ほどで青心寮に帰り、息つく暇もなく食堂へ向かう。たぶん、コールド勝ちで早めに帰ってきた選手達が首を長くして待っている。

「ただいま戻りました」
「ただいま……すぐ試合見るよね」
「おお! 頼むわ」
「おかえり、ナベ、みょうじ先生。現場で見てどーだった? 鵜久森のチーム力」

 案の定、選手達は食堂で私達の帰りを待っていた。
 さっそく御幸君が意見を求めてくるのでここは渡辺君に任せて、私はビデオの準備を始める。

「うん、稲実の方が力を出し切れていないようにも見えるかもしれないけど、夏もベスト十六に残っただけあって実力は本物だよ!」
「すいません、本当に……あの成宮さんが打たれて負けたんスか?」

 おもむろに席を立った沢村君が、渡辺君へ真偽を問いかける。それはまぁ、稲実が負けたと聞いても信じられないだろう。
 頼りになる三年生達がいたチームですら成宮君を完全に攻略できなかったのに。
 夏大ベスト十六の都立校が稲実を倒してしまったんだから。

「焦んな沢村、まず見よーぜ!」
「俺だって驚いてんだからよ」
「調子は悪くなさそうだったけど……バッテリー間でサインが合ってなかったように見えたのが……」
「納得いかねーっス!! 夏の借りを返す前に勝手に負けられても困るんですけど……」
「座れ、沢村。負けたチームのことよりも明日の相手だ。早く頭の中、切り替えろ!」

 御幸君が張り詰めた声で諭し、沢村君は納得できない様子で腰掛けた。
 試合には勝ったというのに、妙に空気がピリピリしている。あの稲実を倒したダークホースの鵜久森を警戒しているのだろう。

「てゆーか普通に考えたらラッキーだろ、成宮との対戦避けられてよ!」
「そんな考えじゃ打てなくて当然だな……」
「あ!?」
「稲実倒した勢いのまま向かってくるんだぞ。油断してたら俺達だって……」
「その考えの方が弱気だろ!! 勝つのは俺達だ!!」

 麻生君の後ろ向きな発言につっこみが続出するけど、御幸君は静かに口を閉ざしている。
 明日、再戦できると思っていた稲実は敗退。御幸君の胸中にはどんな感情が渦巻いているのだろう。

「当面の目標にしていたチームですからね。選手達のモチベーションに影響しなければいいですけど……」

 太田部長も心配そうに選手達を見つめる。
 次の試合は明日。気持ちをすぐに立て直さないと、稲実のように足元が掬われてしまうかもしれない。

「ビデオの準備ができました。再生します」

 その場にいる全員の視線が、テレビ画面に注がれる。リモコンの再生ボタンを押すと、秋晴れの空と大田スタジアムのグラウンドが映し出された。







「先発は降谷、スタメンは明日発表する。相手は稲実を倒して勢いに乗っている。
 勝負の際、勝つまで決して気を緩めるな」
「「「はい!!」」」
「以上、解散」

 試合の映像をチェックし、渡辺君の偵察報告をもって、今夜はひとまず解散となった。
 この後は配球チャートを作ったり、数字を拾ってデータ分析もして、投手と打者の傾向をチェックして──。
 一晩でやらなくちゃいけないことが多すぎて、頭を抱えたくなる。

 指導者陣のみでのミーティングがあるため、一旦スタッフルームへ移動する。
 明日のスタメンについても意見が交わされるだろう。

「そうですね。ワンマンチームのように見えますが守備もいい。夏のベスト十六に残る実力校ですからね。攻撃的な走塁といい侮れない相手ですよ」
「全国的に見ても足で揺さぶりをかけてくるチームは増えているからな。ポイントになるのはやはり降谷の立ち上がり。こういう相手を前に自分のピッチングができるかどうか」

 片岡監督は不安定な降谷君の立ち上がりを心配している。確かに、鵜久森に先制を許してしまうと、波に乗っているチームを余計に盛り上げさせてしまう恐れもある。
 しかも鵜久森を「稲実を倒したチーム」と意識すると、チームの雰囲気も固くなってしまいそう。余計な心配が芽生える。

「いやいややってくれますよあいつは! 今日はずっと燃えてましたし」
「だから心配でもあるんですけど」
「それにしても渡辺のこのメモは素晴らしい! 選手の特徴まですぐ分かる」
「入部してきた時は線が細くて一年持つか心配でしたけど、これはもうチームにとっても大きな存在ですよ」
「御幸が直接頼んだんですよね?」
「えぇ……ですがまだ秋。新チームになったばかりだから本人がどう思ってるか」

 太田部長と高島先生の会話に介入することなく、片岡監督は渡辺君の偵察ノートを読み込む。一字一句漏らさず、真剣な横顔で熟読している。

「みょうじ先生はどう思いますか? 渡辺と一緒に偵察してきたでしょう」

 太田部長が話題を振ってくる。
 「どう思いますか」の問いの裏側には、「選手として」の意味は含まれていない。
 でもそれを判断するのは、私ではない。

「最近はデータ分析班を置くチームも増えてきました。試合で戦力になれなくても、培ってきた野球の知識や観察力は活かすことができる──でも一番大切なのは、本人の意志ですからね」

 私個人としては、渡辺君にはメンバー入りの可能性を諦めてほしくはない──という本音は、あえて口にしない。
 自分のことは自分で決めてほしいから。誰かに指図されて自分の目標を捻じ曲げてほしくない。
 
 片岡監督はノートに視線を落としたまま私の言葉に深く頷いた。




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