×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -



グロウアップ


 帝東との大熱戦の余韻も冷めぬうちに、バスは青道へと出発。選手達はうつらうつらと船を漕ぎながら帰路に着いた。

 私はしれっと御幸君のウィンドブレーカーを着たままで。誰かが気づいて冷やかしてこないか心配したけど、ほとんどの選手は夢の中。
 通路を挟んだ隣の席でニヤけていた御幸君にイラつきつつ、こっそりと胸を撫でおろした。

 下り方面の高速は順調に流れ、一時間ほどで青心寮へと帰ってきた。雨に体力と体温を奪われたので、片岡監督はすぐに入浴するよう指示を出す。

 私も湿ったシャツからジャージに着替え、スタッフルームへと向かう。今ごろ指導者陣で感想戦を始めているだろう。

「いやーナイスゲームでしたね。最後まで冷々でしたが。前園にも一本でましたし、これはチームに勢いがつくんじゃないですか?」

 ドアを開けると太田部長の興奮した声が聞こえてきた。秋大優勝候補とも囁かれていた帝東を破っての初戦突破ということもあり、声のテンションもご機嫌そうだ。
 盛り上がる会話を邪魔しないように、そっと入室する。

「インコースにボールを本当上手くさばきましたからね。狙い打ったというよりも自然とバットが出たという感じで……」
「今のチームで一番バットを振っているのは前園だからな。他の選手達、特に試合に出てない奴らにも刺激になったんじゃないか?」
「夏までは同じスタンドにいた者同士、嬉しい反面、悔しさもあるでしょうしね」

 誰もが前園君を評価する中で、なにか考え込んでいた落合コーチがおもむろに口を開く。

「一つ質問いいですか? 六回の継投について……あそこで早々に降谷を諦め交代させたのは正解だったんでしょう、結果的に……ですが、なぜ沢村? 安定感という意味で言えば川上だし……沢村はイップスという重大な欠陥が」
「……欠陥って」

 心の声が口から転がり出ていた。
 落合コーチはひんやりとした視線をこちらへ寄越し、「口を挟むな」と無言の圧力をかけてくる。
 でも、それは──その言葉だけは、絶対に指導者が言っちゃいけない言葉だ。

 一瞬で目の前が真っ赤に染まった。
 もう我慢できない。その言葉だけは、許せない。
 
 無意識のうちに落合コーチへと一歩踏み出した時、高島先生に肩を抑えられた。
 何も言わずに首を振る。「我慢しなさい」と目が訴えていた。
 言葉に詰まっていた片岡監督が、口を開く。

「……心構えです。あの時点で十分準備できていたのは沢村だけでしたし、相手が帝東だからとか関係なく自分の投球を貫く心構えができていた。
 もちろん帝東がインコースを強く意識していてくれたことは大きかったっですが、予定にない八回まで投げてくれました。これだけの投球を沢村がしてくれたのは“チームにとっても“大きなプラスになるでしょう……」
「チームにとって?」
「……ええ。人が一人で努力して成長するには限界があります。
 互いに意識し、競い合い、高め合うことができるライバルの存在。そういう仲間がいるからこそがんばれる。もっともっと成長してくれる。
 それこそ我々の想像など軽く超えてくれる程の……チームが成長すれば選手達はより強くなってくれる。これは前のチームから教えられたことです」

 片岡監督の力強い言葉が、沸騰しかけた私の頭を秋雨のように冷やしてくれる。
 この人は今もチームのことを一番に考えてくれている。そして、チームの成長には、選手全員の成長が必要なことも、十分に理解してくれているのだ。
 燃えるような怒りが徐々に温度を下げていく。片岡監督のおかげで冷静さを取り戻すことができた。

「高島先生、すみません。ありがとうございます」
「いいのよ。あなたが熱くなるのも無理ないわ」

 高島先生は軽い調子で肩を叩く。
 あのまま落合コーチに突っかかっていたら、収拾がつかなくなっていたかもしれない。  

「片岡監督……あと一つ勝てば稲実との試合!! 選手達だって雪辱に燃えています、夏の借りを返してやりましょう!」

 太田部長が意気込み、その言葉にみんなが頷く。
 落合コーチは脂汗を顔中に浮かべ、おろおろと視線を漂わせるだけだった。







 関東の上空に横たわっていた秋雨前線は後退し、東京の秋空は晴れ渡っている。

 最近になってようやく、暑すぎず寒すぎない快適な天候が続くようになった。
 今日も絶好の野球日和。
 放課後のグラウンドでは実践形式のシートノックの後、バッティングケージを設置しての打撃練習がスタートした。

「おおー壮観ですね! ケージを五つに増やすと」
「選手達も数打てて嬉しいんじゃないですか?」

 太田部長はぐるりと首を回して、それぞれのケージを見渡す。高島先生も迫力満点の打撃練習に満足そうな顔をしている。
 グラウンドのあちこちで打球が飛び、秋の空に放物線を描く。鳴り止むことのない金属音が、チームに活気を呼び込んでいるよう。

「ああ。この提案をしてくれたのは落合コーチだ」
「え?」
「常日頃から実践形式の練習をしているだけあってうちの連中の野球に対する意識は高い。それだけに今はあまり頭でっかちにならず気持ちよくバットを振らせてはどうかと」
「はーなるほど」
「みんな好きでしょ? バッティング。他にもいろいろと考えてますよ」

 太田部長は感心したように頷き、落合コーチはドヤ顔を披露する。
 なるほど。
 確かに合理的な提案だけど、あのドヤ顔だけは私の神経を逆撫でしてくる。落合コーチは悪い人ではないはずで、ちょっと言葉選びが癪に障るだけなんだ、たぶん。そう自分に言い聞かせた。

 グラウンドへ目を向けると、バッティングピッチャーを務める沢村君と降谷君を発見した。
 降谷君の対戦相手は金丸君。
 豪速球のストレートをコーナーへ目がけて投げるけど、金丸君も負けじとフルスイングで弾き返す。打球はライナー性の軌道を描いて、レフト前に弾んだ。ナイスバッティング。

「おぉー降谷の真っすぐ初球から、しかも打ち負けてない!!」
「最近アピールしてますね……彼」
「金丸君はストレートを弾き返すのが上手ですね。降谷君だって手を抜いてないのに、力負けしないで外野に運べるのはすごいです」

 相変わらず金丸君は沢村君のピッチング練習によくつきあっている。自分のことだけじゃなく、仲間のことも考えて行動できる彼が、チームの中で頭角を表しつつあることは喜ばしい。

「さあ来い!!」
「わははは! 後でこっちこいよ金丸ーー」
「うるせえ! てめぇぶつける気だろ!!」

 野球部の同期であり、クラスメイトでもあるふたりは、なんだかんだ仲が良い……と思う。
 沢村君が一方的に金丸君に絡んでいるようにも見えるけど。

「いいですね、二年生だけじゃなく一年生も活気があって!」
「ええ、土曜日にある七森学園戦ではいろいろ試してもいいかもしれませんね」
「意識するなと言っても……無理な話。鵜久森も夏の大会ベスト十六の強豪とはいえ……三回戦の相手はほぼ間違いなく……」

 いま全員の頭の中には「稲城実業」の文字が浮かんでいる。今度こそあの成宮君を打って、青道が勝つんだ。

「みんな気持ちは一つですよ」

 高島先生の言葉に、深く頷く。
 稲実に勝って、夏の雪辱を果たす──三年生達が流した汗と涙はグラウンドに染み込み、彼らの想いは後輩達へとしっかりと受け継がれている。



 バッティング練習の後は、走者を置いて実践形式の投内連携が行われている。

 マウンドにはサウスポーの沢村君、一塁走者は俊足の倉持君。
 チラチラと目で牽制されても倉持君は果敢にスタートを切り、沢村君から盗塁を決めた。

「あの足はいいですねー使える……」
「足にスランプはないですからね。倉持が塁に出るか出ないかで次の攻め方が大きく変わってきます」

 降谷君以外には辛口な落合コーチも、倉持君の俊足には感心している。
 一年生の秋から背番号「6」を背負わせていることもあり、片岡監督もリードオフマンとして多大な期待をかけている。もっと出塁率が上がれば、走塁を絡めた攻撃を積極的に仕掛けられるようになる。

「わははは! 引っ掛りましたなぁ」

 樋笠君を牽制で刺し、沢村君は大袈裟に喜んで見せる。最初はぎこちなかた牽制もずいぶん上達した。

 一つひとつの技術を丹念に磨いて、選手達は少しずつ能力と経験値を底上げしていく。
 ある日突然に才能を開花させることはできなくて、日々の練習で己のプレーを磨き実戦に備える。そして、試合の中で経験を積んで、能力を伸ばす。
 もちろん、時にはスランプに陥ることだってある。
 不調と好調を繰り返しながら、選手達は少しつづ成長していくのだ。







 十月八日、試合前日。
 練習開始の前に、指導者陣がプレハブへ集められた。そこにはキャプテンの御幸君の姿もある。おそらく、明日の試合のオーダーについての話だろう。

 片岡監督は開口一番に「明日の降谷はレフトで使う」と告げた。太田部長は酷く困惑している。

「え? 次の試合、降谷はレフトですか?」
「ああ……いつでも行ける準備はさせておくが少しでも怠慢なプレーをしたら即ベンチに下げる」
「この前の試合のペナルティーですか? ……にしては厳しいですね」

 降谷君を贔屓する落合コーチも、片岡監督の発言に眉をひそめている。

「レフトにいてもエースとしての立ち居振るまいはできます。チームメイトは全てを見てますから」
「では先発は……?」

 太田部長の問いかけを遮るように、勢いよくドアが開く。

「失礼します!! 不肖沢村入ります!! こ……この度はどのような用件で? 本日の授業ほぼ爆睡してしまった件なら、ふ、深く反省しております」
「……そうなんだ」
「私の授業の時も船漕いでたよね」
「え? その件じゃない!?」

 入室してきたのは沢村君だった。
 私の授業中に船を漕いでいたことを思い出し、こめかみに青筋が走る。怒りを込めてギロリと睨みつけると、沢村君はおろおろと視線を漂わせた。

「か……片岡監督もしかして……」

 太田部長の予感は、おそらく当たっている。二回戦の七森学園の先発は背番号「18」

 ──沢村栄純。






.