×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -



つまずいたり、立ち止まったり


 秋大一回戦を週末に控えた、とある日の午後。 
 食堂にはベンチ入りメンバーが集まり、テレビを囲んで試合映像を凝視していた。
 縦縞のユニフォームは選手の身体の大きさを強調し、その堂々としたプレーからは風格すら漂う。

 東東京の頂点に君臨する王者帝東高校。
 青道の次の対戦相手だ。

「何度か練習試合はやっているとはいえ東地区のチームだからな」
「このDVDも高島先生が知り合いから借りて来たってよ」
「新チーム知ってるやついる?」  

 試合をスコアに書き起こしつつ、選手達の雑談に耳を傾ける。めぼしい情報は特になさそうな感じだ。帝東の選手と対戦経験のある選手がいないかと淡く期待していたけど、でもまぁ、そんなに都合よく有力な情報は手に入るものじゃない。

 でも、高島先生のおかげで帝東のブロック予選決勝と、今夏の試合映像は数試合ほど手に入った。肝心のエース向井君の投球シーンは少ないけど、野手の半数は現チームにも残っている。
 とりあえず、これだけ試合映像があればある程度のデータ分析はできるだろう。ここからが私の腕の見せ所。ペンを握る手にも力が入る。

「甲子園出場数は春夏併せて二十一回、うち全国制覇二回。常勝軍団とまで呼ばれるようになった言わば甲子園の顔。
 強肩強打のキャプテン乾、一年で甲子園デビューを果たした向井。一回戦でバッテリーごと入れ替わり、その後チームを牽引。ベスト十六進出の立役者二人ね」

 高島先生の脳内データベースから、帝東の輝かしい戦績と、甲子園を経験したバッテリーが残っているという情報が引き出される。さすがは甲子園で数々の名勝負を繰り広げてきた強豪校。「帝東」のネームバリューだけでも、対戦相手を震え上がらせる。
 そんな実力者の揃う帝東で、三年生を押し退けて甲子園でプレーしたのなら、乾君と向井君は相当高い能力を持っているのだろう。帝東対策にも骨が折れそうだ。

「二年生にも140km/hを投げる投手がいるけど……実質的なエースはこいつなんだろーな……」
「左のサイドスローで決め球はスクリューか」
「あまり見ない軌道だけにやっかいかもな」
「ああ……特に左打者には背中から飛んでくる感じだろう……」

 青道の上位打線には左打者が多い。御幸君、倉持君、白州君は、やや左腕との対戦成績が振るわないので、向井君へ警戒感を強めているみたいだ。
 確かに左のサイドスロー投手は珍しい。
 プロでもそのフォームで活躍しているのは、たった一人だけ。こればかりは対策するのが難しいから、ぶっつけ本番で球筋を見極めるしかない。

「低めの変化球の見極め……甘く入ってきたボールを叩く。シンプルだがこれを徹底してやろう。あとはエンドラン! 足を絡めた攻撃で徹底的に揺さぶりをかけるぞ。当然向こうだって仕掛けてくる。その中でいかに自分達の野球ができるか。まずは強者との戦いを楽しめ! その上でこの一戦を獲る!」

 最後は片岡監督がきっちりと締めて、ミーティングは終了。選手達は席を立ってグラウンドへ向かっていく中で、御幸君はただひとり人並みに逆らって私のそばにやってきた。書きかけのスコアに人差し指を置き、トントンと叩く。

「向井の情報は少ないですけど、データ分析は大丈夫そうですか」
「ん、なんとかやってみるよ。本当は向井君の映像がもっと欲しいところだけど、贅沢は言えないからね」
「いつもありがとうございます。すげー助かってます」
「どういたしまして。それより向井君の対策が厄介だね。左のサイドスローなんて再現できないでしょう」

 御幸君はわずかに顔をしかめる。
 サイドスローのフォームで投げられるのはチームで唯一、川上君だけ。しかも右投げ。左のサイドスロー独特の球筋をバッティングマシンで再現することはできない。
 帝東バッテリーのリード傾向を分析することはできても、バッティング練習ができそうになかった。完全にお手上げである。

「ぶっつけ本番で対応していくしかなさそうですね」
「左のサイドスローと対戦したことはあるの?」
「無いですね」
「だよねぇ」

 しばしの沈黙。
 重たい空気が足元に漂いはじめたのを察したのか、御幸君がはっきりとした声で沈黙を破った。

「とにかく、データ分析はよろしくお願いします。みょうじ先生のこと頼りにしてるんで」
「りょーかい。打つ方は頼んだよ、御幸君」
「任してください」

 御幸君は律儀にお礼を言ってから、足早に食堂を後にした。「頼りにしてるんで」の余韻が鼓膜に残る。
 頼りにしてる──か。
 口元がだらしなく緩むのを引き締め、頭を振って邪念を払う。これくらいのことで浮かれるな、と自分に言い聞かせて、一時停止していた映像を再生させる。
 
 だって、ここからが本番だ。
 本大会で優勝してセンバツ出場が当確すれば、片岡監督の辞任を撤回させられるかもしれない。その可能性があるのなら、すべてを賭けて挑まなければ。
 選手達には、片岡監督のもとで成長してもらいたい。これは個人的な願望だけど、チームの誰もが共感してくれるはず──ただひとり、落合コーチを除いては。
 
 ふいに、御幸君が言った「獲るぞ、秋大」の声が、耳の奥でよみがえる。
 獲るぞ、秋大。
 同じセリフを口の中で転がすと、武者震いが全身に走る。私だってチームの勝利に貢献したい。たとえ相手があの帝東だとしても、絶対に勝つ。

 テレビ画面の中、マウンドで不敵に笑う向井君を睨みつけた。







「ボス! 俺投げますよ!」

 グラウンドから元気な声が響いてくる。
 スコアの書き起こしが終わり、少し遅れてグラウンドへ顔を出すと、そこには衝撃的な光景が広がっていた。
 マウンドにはヘタクソなサイドスローで投球する沢村君の姿。新しいギャグなのかな。もしかして、本気? あまりにも不器用すぎるサイドスローを見せつけられ、開いた口が塞がらない。

 近くにいた前園君と目があう。彼も戸惑いの表情が隠しきれていない。

「前園君、アレはいったいなんなの?」
「俺にも詳しくはよう分からんのですが……落合コーチが助言したみたいで」
「落合コーチが?」

 沢村君のサイドスローは、落合コーチが考えた向井君対策らしい。多少下手くそなフォームでも、左の方サイドスローの軌道は確認しておいた方がいいでしょう──ということだろうか。
 へなちょこボールが情けない音を立てて捕球される。誰が見ても実戦で使えるボールじゃない。背中に冷や汗が噴き出す。

「試合まで四日間ですか!? いけと言われればバッティング投手やりますよ!? 何なら横だけじゃなく下からでも!!」

 どうやら沢村君は本気みたい。
 しかし、彼は試合で投げる可能性だって充分ある。それなのにいま投球フォームをいじってしまったら、本来の投球フォームが崩れ、ピッチングに悪影響を与えてしまう。

 落合コーチが沢村君を戦力構想から外したがっているのは、薄々勘づいていた。
 だからって、監督に話も通さずに投球フォームを変えるように指示するのは、いくらなんでも横暴すぎる。 

 片岡監督は厳しい表情で落合コーチを睨み、沢村君へ向かって声を荒げる。

「そんな下手くそなサイドスローはいらん! 練習の邪魔だどけ!!」
「アップ始めるぞ」

 片岡監督は沢村君を一喝。御幸君は冷静に選手達へアップの指示を出す。

 へなちょこピッチングは中断したものの、沢村君はマウンドで悔しそうに歯を食いしばっている。彼なりにチームのことを考えて行動してくれたと思うと、気の毒でしかない。
 不調な時って空回りしがちだし、沢村君もそのパターンにハマっているのかもしれない。あとでこっそりフォローしよう。

「沢村、お前は今外角のボールを磨こうと意欲的に取り組んでいたんじゃないのか? どうしてそれを貫かん? チームの為に一肌脱ぐ……気持ちは有り難いが中途半端なサイドスローにフォームを変えてお前に何が残る」

 片岡監督の鋭い指摘に、沢村君は大きな目をさらに見開いた。悪夢から目が覚めたように顔色を青くして、左の手のひらをじぃっと見つめる。自ら手放そうとしていたものの大切さに気付かされた瞬間だった。

「御幸、今日は実践形式のシートバッティングで投手にも準備させとけ!」
「はい!」
「同時に打撃陣はランナーを置いてのサインプレー。塁上から投手に揺さぶりをかけろ!!」
「「はい!!」」

 今日の練習はシートバッティングから始まる。
 私はノックが始めるまでデータ分析に専念することを片岡監督に報告した。
 近くにいた御幸君と目があって、軽く会釈される。任せておいて、のメッセージを込めて親指を立てた。

「監督、シートには沢村も参加させますか?」
「……ああ、ちゃんと自分のピッチングをするように言っておけ。大事な戦力が大会中にフォームを崩す、そっちの方がチームにとって大きなマイナスだ」

 片岡監督は鋭い眼光を向け、落合コーチを牽制する。臆するそぶりも見せない落合コーチは、不満そうに目を細めながらグラウンドを眺めていた。



* *



 九月三十日。帝東戦まで、あと二日。 
 グラウンドでは、ゲージをセッティングして三人同時にフリーバッティング練習の最中。
 グラウンドの至る所でティーバッティングをしたり、素振りをする選手達の熱気が立ち込めている。いい雰囲気だ。

 ベンチには高島先生、太田部長、落合コーチが集まり、選手達の放つ打球を眺めている。

「そうですか……昨日も」
「ええ……みんな遅くまで特打してたみたいですよ。向井君は一年生ながら巧みなコーナーワークで打者を翻弄するタイプ。ボール球には手を出さない為には、ギリギリまでボールを引きつけセンターから右へ」
「おーさすが小湊」
「小湊君は右方向と左方向のどちらにも広角に打てるのがいいですね」

 兄の亮介君を思い出させる巧みなバットコントロールは、さすが弟の春市君だ。
 倉持君との一・二番コンビで、チャンスメイクが期待される。

「しっかりとボールを呼び込むことでしか低めの見極めは出来ません。こういう意識を選手全員が徹底できているのは、やはり前チームに比べ得点力不足を自覚できているからでしょうね」
「いやいや結城達の練習量もすごかったが負けてないですよこの子たちも」

 選手達は日を追うごとにたくましさを増していく。そんな彼らを、高島先生と太田部長は誇らしげなまなざしで見つめる。

 グラウンドでは片岡監督が身振り手振りを加えて指導し、打席に立った前園君は強い打球を右方向へ飛ばす。まっすぐな弾道が青空に一本の線を描く。前園君らしい、気持ちのいい打球だ。

「前園に当たりが出始めるとチームが盛り上がるからなー打ってもらわないと」
「前園君はクリーンナップですし、どんなボールにも食らいついて得点に貢献してほしいですね。彼の尊敬する伊佐敷君のように」
「えぇ。見慣れない左のサイドスローとはいえ……右打者の方が球の軌道は見えやすい。帝東の試合でカギを握っているのは右打者になりそうですね」

 バットを振る選手達の姿を、オレンジ色の西日が照らし出す。眩しすぎはる夕日が遠くの街並みの向こう側に沈んでいく。
 ナイターが消灯される直前まで、グラウンドでは絶え間なく打球音が響き続けていた。




.