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 Cheer × Cheer !!
 カレー、ラーメン、うどん、生姜焼き定食、ハンバーグ定食……。
 「美味い、安い、早い」が自慢の食堂のメニューが頭の中をぐるぐると巡る。
 さて、今日の昼飯はどれにしようかな。
 さっきまで体育でサッカーしてたし、グラウンドを駆け回っていたから腹はめちゃくちゃに空いている。
 いまの空腹具合なら二品ぐらいぺろりと完食できそうだけど、残念ながらそんな時間は残されていない。
 体育は好きだけど、四限目っていうのが嫌だ。
 着替えの時間で昼休みが少なくなってしまうし、今日は運悪く部長に遭遇して立ち話をしていたらさらに時間が削れてしまった。
 通行量の多い廊下を人波を縫いながら食堂を目指していると、ふと小学生の頃に観に行った神宮ナイターのことを思い出す。
 父さんにもらった千円札を握りしめてイニング間で売店に買い物に行く、あの時間。
 食べたい物はたくさんあっても、早く席に戻らないと次のイニングが始まってしまうし、そういう時に限って好きな選手に打席が回ってきそうになるんだ。
 あの時の焦る気持ちを、いまでもよく覚えている。
 それと、7入口の近くの売店の温かいうどんをよく食べていたことも思い出した。あとカレーもよく食べたっけ。サラサラのルーがピリ辛で、家のカレーとはちょっと違ってあれも美味しかった。
 昔の思い出に食欲がかき乱され、カレーかうどんかのどちらかで悩みながら食堂にたどりつき、結局うどんを頼む。今日は時間がないし、うどんの方が早く食べ終われそうだからだ。
 稲実の食堂には暗黙の了解で部活の縄張りみたいなものがある。
 手前の角のテーブルはサッカー部やラグビー部と決まっているし、野球部は食堂の奥のテーブルだ。おそらく、俺たちが入学するずっと昔から決まっている伝統校ならではのルールなんだろう。
 どんぶりを満たす汁がこぼれないよう慎重に歩いていると、視界の端に見覚えのある女子の姿を見つけて自然と立ち止まってしまう。
 
 ──みょうじさんだ。
 
 彼女とは一年生の頃に同じクラスで隣の席だった時期もあるけど、残念ながら二年になってからはクラスが離れ、ここしばらくは顔を合わせていない。
 みょうじさんはいつもはクラスでお弁当を食べているはずなので、食堂で姿を見かけるのは結構レアだ。新しいクラスの友達とテーブルを囲んで話に花が咲いているようで、ホッとすると同時に寂しさも感じるから、片想いは辛いなぁ、と心の中でつぶやく。
 久しぶりに会えたからせめて声だけでも聞いていたくて、彼女の真後ろの空席に腰かけて静かにうどんをすする。耳を澄ませなくても女子たちのよく通る声のせいで会話の内容まで聞こえてしまうから、いまさらになって罪悪感がわいてくる。どうやらいまは友達の惚気話を聞いているらしい。
 
「うんうん、それでどうなったの?」

 みょうじさんは会話の隙間に適度な相槌を打ったり、合いの手を入れることが上手だ。
 俺も隣の席だった時に部活の愚痴をよく聞いてもらったし、特に鳴さんの話はたくさん話したと思う。
 鳴さんのピッチング練習を受けたいですと直訴すれば断られてばかりだとか、逆にバッティング練習をしようとしている時に限ってピッチングに付き合えって言ってくるとか、その他もろもろ。
 みょうじからしたら退屈な話ばかりだったかもしれないけど、いつだって口元に薄く笑みを浮かべながら、「多田野君はがんばってるよね」と、俺の苦労も努力も、そのすべてを肯定してくれた。
 だから俺は、彼女のことを好きになった。

「なまえって、最近になってチア部に入ったんだよね?」
「ねぇねぇ、なんで?」
「野球部の応援がしたかったんだよねぇ」
「うん、まぁ、そうなんだけど……」

 みょうじさんは曖昧に言葉尻を濁すけど、彼女を囲んだ三人は黄色い声を上げてはしゃぐ。
 女子って他人の恋の話も聞きたがるし、内緒にしてと耳打ちしても次の日にはクラス中に噂が広まっていたりする。なんというか、理解しがたい生き物だ。

「野球部に彼氏でもいるの!?」
「……そんなんじゃなくて」
「じゃぁ、好きな人がいるとか?」
「……うん」
「えー、誰が好きなの!? もしかして鳴ちゃん!?」
「違うよ」

 うどんの汁をすすっていた瞬間に聞こえてきた「鳴ちゃん」の愛称に、思わず吹き出しそうになる。
 後輩にまで鳴ちゃんって呼ばれているのか、鳴さん。しかもみょうじさんには「違う」って即答されてるし。
 いつもなら女子からモテモテで野球部でも人気No.1なのに、おもしろいな。なんだか気分がいい。
 
「キャッチャーの子、わかる?」
「……えっと」
「名前なんだっけ?」
「いつも鳴ちゃんに怒られてる子だよね」
「多田野君っていうんだけど」

 ゴフッ、ゲフゲフ……! 飲みこんだはずの汁が誤って気管に入りそうになって、口を手で押さえつつ胃のあたりを叩いた。
 空咳が聞こえないように背を丸くして収まるのを待つ間、いま確かにみょうじさんの声で「多田野君」って言ったよな、と何度も自分自身に確認する。
 たぶん、聞き間違いじゃないはずだ。多田野って名字のヤツも、校内じゃ俺ひとりのはず。
 ということは、やっぱり……そういうことか!?
 
「一年生の時に多田野君と同じクラスだったんだけど、隣の席になって色々話しているうちに、ちゃんとした形で応援したくなってさ」
「なにそれ、めっちゃ青春」
「好きじゃん!」
「めっちゃ好きじゃん!!」
「ちょっと、好きって連呼しないでよ!」

 チア部に入った動機を真剣に語る声も、恥ずかしがって上擦る声も、俺の心臓をあの細指できゅうっと掴むように締めつけた。
 みょうじさん、いまどんな顔をしてるんだろう。
 後ろを振り返って見てみたい気もするけど、こんな状況になってしまった以上、絶対に無理だ。あぁ、でも、頬を紅くしているみょうじさんの照れた顔も見てみたい。

「おい、樹」
「め、鳴さん!?」

 突然、鳴さんが俺を呼ぶ声がして顔を上げると、澄んだ空みたいな目が見下ろしている。
 背後に聞き耳を立てつつ静かにうどんをすすることに集中していたせいで、人が近づいてくる気配にも気づけなかった。背筋にぞわぞわと寒気が駆け抜けていく……嫌な予感がするぞ。

「やっと見つけた。なんでこんなところで食ってるわけ?」
「いや、それはちょっと、いろいろありまして……」
「は? いろいろってなんだよ」

 背後の人の気配が騒めきだして、途端に気が気じゃなくなる。鳴さんって苛立っていると無駄に声がでかくなるから困るんだ。
 背中の向こう側から、「ねぇ、鳴ちゃん先輩だよ」、「近くで見るともっとかっこよく見える!」、「写真って撮ってもらえないかな?」と、ひそひそと話し合う声が聞こえくる。
 もちろん、そこにはみょうじさんもいて、おそらくこちらを見ているとしたら、俺も視界に入っているはずで。
 恐る恐る声がする方へ振り返ると、顔が真っ赤に染まったみょうじさんが小刻みに震えながら俺を見つめていた。うわぁ、見つかっちゃったよ……。

「成宮先輩、あの!」
「一緒に写真撮ってもらえませんか!?」
「私もお願いします!」

 一瞬、みょうじさんと俺の間に流れる空気が凍りついたけど、タイミングよく彼女の友達が揃って鳴さんに声をかけた。というか、本人には「鳴ちゃん」って呼ばないんだな、とかどうでもいいことを考えて一瞬だけ現実逃避をする。
 鳴さんが女子に声をかけられて写真撮影やサインに応じることは、よくあることだ。ちやほやされることが大好きな性格で、声をかけられればいつも嫌な顔ひとつせずに対応する鳴さんには、新聞や雑誌が書きたてるようにやはりスター性が備わっているんだと思う。
 鳴さんの「別にいいけど」の一言で写真撮影会がはじまって、俺とみょうじはふたりだけが輪の外に取り残されてしまった。
 みょうじさんはこれから尋問する裁判官のような厳しい目つきで、俺の目をじっと見つめる。これがまた怒っている顔も、結構いい。

「……私たちの話、聞こえてたよね?」
「……うん」
「どこから聞いてたの?」
「みょうじさんが最近チア部に入ったんだよね、のくだりから……」
「えっ、そこから!?」
「ご、ごめん!」

 両手を合わせて頭を下げるけど、ちらりと盗み見たみょうじさんは唇をわなわなと震わせて白い首筋まで紅く染めていた。
 こんなに慌てたり怒ったりするところを見るのは初めてで、盗み聞きをした申し訳なさと新たな発見をした嬉しさがこんがらがって、どんな顔をすればいいのかわからなくなる。
 みょうじさんは深く長いため息を吐き出して、意を決したような強い表情で口を開く。

「忘れて」
「え」
「さっき聞いたことは、全部忘れて」

 お願い──と念を押すように付け加えると、あとは俺が「わかった」と同意するのを待つように唇を真一文字に縫った。
 背後で行われている写真撮影会では、アプリやフィルターを目まぐるしく変えて、「このフィルターの方が盛れる」とか、「こっちの方が肌がきれいに写るんだよ」とか、鳴さんも一緒になってキャッキャッと騒いでいる。こちらはしばらく放っておいても大丈夫そう。
 いま向き合うべきなのは、目の前にいるみょうじさんだ。

「嫌だって言ったら?」
「なんで!?」
「みょうじさんが俺を応援したくてチア部に入ったって聞いて……嬉しかったんだ」
「……うぅ」
「だから、忘れたくない」

 意思をこめてはっきりとそう告げると、俺の首筋もじわじわと体温を上げて熱を持つ。頬が腫れているかのように熱くなる。
 首筋まで真っ赤にした男子と女子が顔を突きあわせていたら、「あのふたり、なにかあるんじゃないの?」って噂されても仕方ないと思う。
 それでも、俺はみょうじさんとなら噂になっても構わない。というか、噂になりたい。
 と言おうとして口を開きかけた瞬間につむじへと手刀が落とされて、頭がゴスッと鈍い音を立てる。
 
「いってぇ」
「樹のくせに、俺を無視して女の子といちゃついてるとかいい度胸じゃん」
「いちゃついてないです!」

 写真撮影会を終えた鳴さんが解放されたらしく、気づかないうちにまた背後を取られていた。
 みょうじさんは間髪入れずにいちゃついていることを否定して、鳴さんの目をまっすぐに見上げている。彼女の挑みかかるような表情を物色するように観察してから、鳴さんは「まぁ、お似合いなんじゃない?」と比較的おだやかな声で告げた。

 ──鳴さんにお似合いって言ってもらえたぞ!
 俺は喜びを噛みしめるようにテーブルの下でガッツポーズを作り、みょうじさんは熟れた果実のようにさらに頬を紅く染めて恥ずかしそうにうつむいた。

「で、いつから付き合ってんの?」
「付き合ってないです。まだ」
「……まだ?」
「……まだ?」

 鳴さんとみょうじさんは疑念を声に含ませて、同時に同じ言葉を発する。
 そのことにお互いに気づいていないらしく、ふたりとも疑いのまなざしを鋭く研いで俺へと向けた。
 みょうじに問い詰められるならわかるけど、なんで鳴さんにまで問い詰められなきゃいけないんだ。理不尽にもほどがある。

「まぁ、細かいことは別にいいや。きみ、樹のことよろしくね」
「は、はぁ」

 いろんなことをオブラートにくるんで俺の存在を託されたみょうじさんは、「はい」と言いきれない曖昧な返事をする。
 鳴さんはその返事で満足したらしく、俺たちに背を向けて出口へと踵を返す。あれ、確か俺に用があって声をかけたんじゃなかったのか? 
 鳴さんの背中を追いかけようと慌てて立ち上がると、彼女とばっちりと目が合った。俺は大急ぎで用意したセリフを、口早に告げる。

「みょうじさん、あの、夏大が終わったら時間ちょうだい」
「うん」
「その時に俺の気持ち、ちゃんと話すから。だから、みょうじさんの気持ちも教えてほしい」
「……わかった」
「みょうじさんの応援、楽しみにしてるから」
「あんまり期待しないでね。まだ入部したてで上手じゃないから」
 
 みょうじさんは自信がなさそうに肩をすくめると俺が笑いかけると、緊張で膨れ上がっていた表情をやわらかくほころばせた。まるで蕾だった花が開く瞬間を目の当たりにしたような喜びが、手のひらをじんわりと痺れさせる。
 
「多田野君も野球、がんばって」

 果実のように甘酸っぱい声で、背中を押してくれるみょうじさんが好きだ、と強く想う。
 彼女にも同じくらいの強さで、俺のことを好きになってほしい。だから、今日も明日もその先も、かっこいいところが見せられるようにがんばろう。

 意気揚々と食堂を後にして、制服姿のエースの後ろ姿を追う。
 ようやく鳴さんの背中に追いついて声をかけると、心底うんざりした表情をして俺の顔めがけて、こう吐き捨てた。

「おまえ、顔がニヤけすぎ!」
 

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