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ロマンスは水曜日の箱庭で
 青道野球部には、普段あまり使われていない部室がある。
 なぜ普段あまり使われていないかというと、野球部専用グラウンドが校舎から離れた場所に建っているから。運動部専用の部室棟は校舎とグラウンドの間に建っているため、部室で着替えてから野球部専用グラウンドへ向かうと到着が遅れてしまう。
 そのため野球部員たちは、寮生は寮の部屋で、通いの部員は教室で練習着に着替えて、それぞれ野球部専用グラウンドへ向かうことが青道野球部の習慣となっている。
 野球部の部室は備品用の倉庫になっていて、部室へ立ち入るのは顧問とマネージャーくらいなので、寮生には部室の存在を知らない奴もいる──たとえば、沢村とか、降谷とか……沢村とか。

 毎週水曜日の昼休みは、備品チェックと掃除のためにこの部室へ訪れる。
 不足しそう備品はないかチェックをしてノートに書きだし、太田部長に許可がもらえたらマネージャーで買い出しに行ったり、スポーツ用品店に注文して補充するところまでが、私の仕事。
 今回は特に発注の必要もなさそうなので、埃をかぶっている棚を拭いたり、整理整頓をしたり、六畳ほどの室内を掃き掃除する。
 そうしていると、ノックもせずに引き戸が自動ドアように滑らかに開いた。

「遅いよ」
「わりーな。沢村たちがクラスに来ちまって時間かかった」
「言い訳は聞きたくないなぁ」
「文句は沢村に言ってくれ」

 昼休みが終わる十五分前。
 私より少し遅れやってくるのは、倉持。
 ここにくる名目は「マネージャーの手伝い」だけど、真の目的は別にある。
 そして、それは私たちだけの秘密。

「掃除、もう終わったのか?」
「どっかの誰かさんが来るの遅いから、とっくに終わらせてるよ」

 いつもはふたり揃って真面目に備品チェックと掃除をするのだけど、今日は暇すぎてひとりですべての作業を終えてしまった。
 そして、仕事が終われば週に一度の待ちに待った時間が訪れる。私に近寄ってくる倉持の足取りは、心なしか普段より親しげだ。

「悪かったって、怒んなよ」
「怒ってないよ、洋ちゃん」
「その呼び方、恥ずかしいからヤメロ」
「じゃあ、洋一」
「おー」

 洋一の広げた腕の中に身体を滑りこませて、私も腰に腕を回す。お互いに遠慮なくぎゅうぎゅうと抱き締めあうこの十五分間を、私たちは一週間もずっと待ちわびている。

 私は野球部のマネージャーとして、洋一は選手として出会って、一緒に日々を過ごしているうちにいつの間にかお互いに惹かれあって、想いを伝えあったのは二年生の秋大が終わってからのこと。
 でも、私たちの立場上、付き合っていることを他の部員たちに宣言するべきじゃないことは、お互いに理解にしていた。
 マネージャーは部員たちにたいして平等でなければならないし、選手も特定のマネージャーに肩入れしていることが公になることは、部内の人間関係をギクシャクさせてしまう要因になりかねない。
 そのため、私たちのお付き合いは校内の誰にも内緒にしている。
 勘の鋭い御幸は多少察している感じではあるけど、周囲に気遣いのできるふたりだと理解しているため、どうやら黙認してくれているらしい。

「最近疲れてんな」

 ゴツゴツした手のひらがやんわりと頬を包み、親指が目の下のあたりを触る。
 さすが、洋一。私の変化には敏感だ。
 周囲に悟られないように振る舞っていたって、彼氏にはお見通し。溜まりに溜まっていたストレスが、ため息と一緒に流れ出てくる。

「んー、秋大終わってから取材が多くてさ。外部の人が来たりすると気を遣うし、いつもより仕事が捗らなくてさ」
「いつもマネが来客対応してくれてるもんな」
「練習補助にも入りたいのに、お客さんを出迎えたり、ご案内したり、お茶出ししたり、世間話に付き合ったりで、もう本当に大変なんだよね……」

 ブレザーの胸元にぐりぐりと頬を押しつけて小さな子どものように甘えると、洋一は全身で受け止めてくれる。洋一の匂い、体温、鼓動、息遣いに包まれて、張り詰めていた気持ちの糸がたゆむ。
 いま、この時間だけは、「野球部のマネージャー」じゃなくて「洋一の彼女」でいられる。
 洋一も「ただの野球部員」じゃなくて「私の彼氏」になる。
 お互いに一週間分の寂しさを埋めるためにすきまなくぴったりくっついて甘えて恋人気分を味わい、そしてまた一週間後の水曜日まで「野球部員」と「野球部のマネージャー」として過ごすのだ。
 
「いつも感謝してるぜ。ありがとな」
「もっと褒めてぇ」
「なまえは頑張ってる、えらい」
「頭撫でて〜」
「おー、よしよし」

 洋一の手は冬でもあたたかい。やさしい手つきで頭の輪郭を撫でてくれるから、ブラッシングをされる飼い猫になった気分でうっとりとまぶたを閉じる。
 マネージャーは決してグラウンドの主役ではない。
 常に裏方として選手たちを支えるために働いているし、そのことに対して不満を感じることはないけど、選手と違う立場であっても努力していることには変わりないと思う。
 マネージャーにも、たまにでいいから思いきり誰かに褒めてもらったり、ねぎらってもらいたくなる瞬間がある。
 そんな私の気持ちを察してか、洋一は付き合いだす前からささいな場面で感謝の言葉を伝えたり、ねぎらいの言葉をかけてくれることが多かった。
 私はマネージャーにも細やかな気遣いができる洋一が副主将になってくれて嬉しかったし、なによりも彼に人として強く惹かれていった。
 そして、これは余談だけど、洋一は不満も漏らさずにテキパキと働く私の姿に惹かれて好きになったと言っていて、惹かれあった部分が似通っている私たちは感性が似ているのかもしれない、と私は思っている。

「洋一も頭を撫でてあげよう」
「俺は別にいいって」
「いいじゃん、減るもんじゃないし」
「なまえが撫でたいだけだろ」
「バレちゃった」

 重力に逆らうようにツンツンと上を向く前髪、硬くて太めな髪質を楽しみながら頭を撫でる。まるで大きな犬を撫でているような気分。
 ふたりきりのときの洋一は、名字じゃなくて名前で呼んでくれる。とてもやわらかい声で、いつもより落ち着いたトーンで、まぶしいものを見つめるように目を細めて。それがすごく嬉しくて、私は余計に甘えてしまう。もっともっと、洋一のやさしい気持ちが欲しくなる。
 それと、私のやさしさも、思いやりも、いとおしさも、すべてを洋一にあげたくなる。私があげた分だけ返してくれる洋一で、私はいっぱいになってしまいたい、と切実に思う。
 本当は一週間に一回じゃ足りなくて、十分だけじゃ満ち足りなくて、それはきっと洋一も同じだ。

「……なまえ」
「……ん、」

 頭の輪郭をなぞっていた手を捕まえられて、身動きが取れなくなる。熱っぽく潤んだ瞳が、鼻の少し先でまばたきをした。
 
 ──あ、スイッチが入った。

 そう思った瞬間に、額にキスが降ってくる。上から順番にまぶた、鼻、頬、そして、唇へ。
 洋一の吐息が薄い唇のすきまから漏れ出して、頬に触れると私の体温を上昇させる。
 触れるだけのキスから角度を変えてだんだんと深くなっていき、まるで別の生き物みたいな熱い舌がリップクリームを丹念に塗った唇をこじ開ける。ふわり、と桃の香りが鼻腔をくすぐった。

「おら、舌出せ」
「んっ……ぁ、」
「……甘ぇな」

 舌と舌が絡まると同時に、さらに力強く抱きしめられて爪先立ちになってしまう。私も洋一も、お互いのしたと唇を味わいあうのに必死で、崩れてしまいそうなバランスを洋一に託すしかない。
 陸にいるのに、まるで溺れているみたい。泳いでいるときの方がよっぽど上手く息継ぎできている気がする。肺活量なら選手の洋一の方がずっと優れていて、私はすぐに息が上がって甘い苦しみに息が乱れてしまう。
 鼻からの呼吸も、ましてや口からの呼吸も、ほんのわずかしか酸素を吸えなくて、情けなくくぐもった声が漏れる。
 そんな鼻にかかる声を欲しがって、洋一は唇をずらす合間で「もっと声聴かせろよ」と意地悪な要求をするんだ。
 でも、もうギブアップ。本当に息ができなくてしんじゃう。こんなところで私はしんだら、秘密の逢瀬がバレてしまう。
 しがみついていた背中を軽く叩いて、ちょっとストップの合図を送ると、ほんの一瞬唇が離れる。
 洋一の頬は桃色に蒸気して、ぺろりと舐めたら甘い味がしそう。

「……はぁ、息できないよ」
「もういいだろ」
「きゃあ、ちょっと、だめ!」
「こうすれば、腰が抜けても大丈夫だろ?」

 いきなり抱き抱えられ、机の上に座らされて、脚の間に洋一が割って入ってきた。そして、恋人同士に許された行為を再開する。
 なにが大丈夫なのか、全然わからない。
 腰を抱いていた腕が背中を這い、無防備な太ももを這い、洋一は私のやわらかいところのすべてに触れようとしてくる。
 
 ──駄目、ダメ、だめ。
 抵抗しなきゃいけないのに、洋一の瞳も舌も手も、全部が熱くて抗えない。
 それに私ももっと触れて欲しいし、洋一のやわらかいところに触れたくて、泣きたくなる。
 私たちを包むブレザーもワイシャツもスカートもズボンも、全部が邪魔で焦ったくて、肌と肌を隔てる物をすべてを取り除いてしまいたい。
 いまこの瞬間に洋一で満たされるなら、選手とマネージャーの関係性も、この後の授業も、世間体も倫理観も、すべて、全部、どうでもよくなってしまう。
 
 ──もう、このまま流されてしまってもいいかな。 

 湯煎したチョコレートのようにとろとろに溶かされた頭の片隅で、最後の理性を手放そうとしたとき、廊下から校内放送のアナウンスが流れてお互いにびくりと肩を振るわせる。
 ブレザーもワイシャツもスカートもぐちゃぐちゃにして抱き締めあっていた私たちは、ようやく我に帰って、唇を離して粗い息を整えた。
 止められてよかった、と思うと同時に、止めないでほしかったな、と心の中で悪態をつく。
 本来の私たちは好奇心旺盛なので、時間や立場が許すのならどこまでぴったりとくっつけるか、どこまで深くお互いの熱を分けあえるのか、知りたくてしかたないのだ。

「……悪い、ちょっとがっつきすぎたな」
「……ううん。私も夢中になりすぎちゃったね」

 壁掛け時計を見上げると、昼休みは残り五分しか残されていない。恋人同士の時間のタイムリミットが迫っている。
 一緒に退室するところを誰かに見られて怪しまれるといけないので、いつもは洋一に先に退室してもらって、後から私が施錠して職員室に鍵を返してから教室に戻るようにしている。
 ただし、いまから急いで職員室へ向かわないとチャイムがなるギリギリで教室に滑りこむことになってしまう。
 慌てて着衣の乱れを直していると、洋一は申し訳なさそうな顔をして私の前髪を手櫛で整えてくれる。
 私は代わりにネクタイの結び目をきっちりと整えてあげた。

「じゃ、先に戻るからな」
「よういち」

 引き戸に手をかけた洋一を呼び止めて、肩に手を添えて背伸びして、彼の薄い唇の端に最後のキスを。
 恋人同士の時間が名残惜しくて「また一週間後ね」という言葉を唇にこめて、もうひとつの唇へと移す。
 本当に、一瞬だけのキス。さっきまでの貪りようなそれよりも、ずっと幼くて、浅くて、切なくてなってしまう。
 びっくりした洋一の瞳が昼間の猫みたいに細くなって、大きな手を私の後頭部に持ってきて、ぐいっと引き寄せてくる。
 重なる口火、深くなる角度、交わる吐息、唇をなぞる舌。
 ほんの数秒だけ、もう一度、恋人のキスになる。
 そして、やっぱり名残惜しそうに透明な糸をひいて離れるふたつの唇。

「……ばかやろー、あんま煽んなよ」
「ごめん、でもありがと」
「おー、じゃ、またあとでな」

 最後に頭をひと撫でして、ガラガラと引き戸を開ける寂しい音を残して、洋一がいなくなる。廊下を軽快に駆けていく足音があっという間に遠ざかり、たっぷり十秒数えて再び戸を開けると、もうすでに洋一の姿は見えない。スパイクを履いてないのにこの速度なのだから、本当に足が速いんだなぁと感心してしまう。
 またあとで。グラウンドで顔を合わせればいつも通りの選手とマネージャーになる。
 それでも分け合った熱がまだ舌の上を焦がすから、寂しくない。恋人の時間は来週の水曜日までお預けでも、大丈夫。

 乱れた息と鼓動を整えてから、残り三分の廊下を駆ける。
 やっぱり、さっきも走っているいまも、スカートは邪魔だな──なんて考えながら。





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