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7 鼻歌まじりの昼下がり


 そろそろかな、と思って腕時計をちらりと見る。十二時五十分ジャスト。
 授業の終了を告げるチャイムが鳴ると、気だるげな雰囲気に満ちていた教室が一気に活気づく。待ちにまった昼休みの時間である。

「よっこいしょ」

 おっと、いけない。この口癖は「オバサンっぽいから止めたほうがいいよ」と生徒に指摘されたばかりだった。抱えた地図が地味に重たくて、腕の中からずり落ちそうになる。
 準備室の片隅でほこりを被っていた地図を引っ張りだしたのは、この教室のプロジェクターが故障しているからだ。本来は便利な設備のはずなのに、電源すらつかないんじゃただのオブジェだ。頼むから早く直してほしい。

「みょうじ先生、こんにちは」
「ちわす」
「……こんにちは」

 ずんずんと廊下を歩いていたら、前に立ちふさがった人物がふたり。
 野球部主将の結城君と副主将の伊佐敷君だ。
 このコンビはグラウンドでも校内でもよく見かける。いつでもどこでも野球部で固まってつるむのは、どこの野球部も同じみたい。
 神山高校時代の同期たちも、よく野球部でつるんでいたことを思い出す。野球部ってなんとコミュニティの狭い生き物なのか。

「それ、持ちましょうか」
「え、別に大丈夫だよ」
「遠慮しなくていいっすよ」

 まだ同意もしてないのに、取りあげられた地図は結城君の腕の中に納まって、抱えていたテキストは伊佐敷君が持ってくれている。
 一気に身軽になったのはいいけど、生徒をパシリのように扱うのはいかがなものか。
 それらを取り返そうとしても、彼らはずんずんと先に歩きだしてしまった。
 ちょっと待ってよ! と呼び止めたって聞きやしない。

「二人ともお昼まだでしょ? 早く食堂に行っておいで」
「ついでだから気にしなくていーすっよ」

 ニカッと笑う伊佐敷君の隣で、結城君がこっくりとうなずく。
 素直に「ありがとうね」とお礼を述べると、急に結城君が距離を詰めてきた。
 な、なんだ……距離が近いぞ。

「ところで、みょうじ先生は将棋を指したことはありますか?」
「将棋は無いかなぁ。結城君は将棋も好きなの?」
「はい」
「まぁ、哲は激弱なんすけどね」

 伊佐敷君のいじりにも動じずに、まっすぐなまなざしで私の目を見る。私になにかを期待しているような圧力を感じるけど、その「なにか」には検討がつかない。
 首を傾げて頭上にクエスチョンマークを浮かべると、結城君は爽やかな口調でこう提案してきた。

「俺がルールを教えるので、将棋を覚えたら手合わせをしませんか」
「えっ」
「おい、哲! みょうじ先生が困ってんじゃねーか!」
「私、オセロとか壊滅的に弱いんだよね。将棋はちょっと自信ないなぁ」
「そうですか」

 うつむく結城君があまりにも悲しみのオーラを放つから、焦って伊佐敷君の目を見た。
 どうしよう! という思いをこめて送った視線の意味を察知して、とっさに助け船をだしてくれる。

「あー、みょうじ先生って他に趣味とかないんですか?」
「私、漫画読むのは好きだよ」
「え、なにを読んでるんすか!?」

 今度は伊佐敷君が食いついてきた。目がすごい真剣だ。彼は強面だから内心ビビってしまう。
 伊佐敷君の場合、顔面の迫力が高校生のそれではないのだ。

「オーフリとかラスイニとか……あとは夏空エールとか」
「夏空エール読んでるんすか!」

 目の前に差しだされた手を条件反射で握ってしまったけど、私はなぜ伊佐敷君と握手してるんだろう。彼の瞳の中がキラキラして──まるで少女漫画のヒロインの瞳みたい。
 打席に入っている時ですら、そんなにいい表情を見たことないぞ。

「いいっすよね……夏空エール」
「トランペットの女の子が健気で可愛いんだよね」
「ダイスケもいいヤツなんすよね! 弱気なツバサを励ましたりして」
「お互いに励まし合える関係性って、いいよね」

 「そーなんすよ!」と明るい声で頷いた伊佐敷君を見て、結城君は穏やかに口元を緩める。
 そんな一部始終を目撃して、彼らはお互いにいい相棒同士なんだろうなと、改めて感じた。

 少女漫画の話題で距離を縮めた私と伊佐敷君は、それからたびたび少女漫画トークに花を咲かせるようになった。
 伊佐敷君おすすめの少女漫画も借りたりして、私は完全に布教対象としてロックオンされたらしい。

 ちなみに、あのあと結城君は「サルでもわかる将棋のルール」という本を貸してくれたが、数ページ読んでもやっぱりよくわからなかった。
 「この本を読んで理解できないヤツは猿以下だ!」という表紙の煽り文にイラついたので、自宅の本棚に押しこんで、しばらくそのままになっている。
 ごめんね、結城君。しばらくしたら返却するね。


*・*・*・*


 今朝はすっかり寝すごしてしまって、朝食を抜いて家を飛びだしたら、授業中にぎゅうぎゅうとお腹が鳴ってしまった。
 お腹の音をごまかすためにひたすら話しつづけたら、余計にお腹が減って悪循環だった。生徒たちに空腹がバレてないことを祈りつつ、急ぎ足で食堂へ向かう。

 今日のお昼はがっつり食べようと決めて、珍しく食堂にやってきた。
 一番好きなメニューの生姜焼き定食を注文する。小皿に杏仁豆腐をつけてくれる心遣いが、定食のいいところだ。
 昼休みの食堂は生徒たちでごった返すし、気が休まらないので普段はあまり利用しないけど、今日は特別腹ペコなのでお構いなしだ。
 さて、どこに席を確保しようか。
 ぐるりと辺り見渡すと、とあるテーブルからひらりと手が挙がり、手招きをしてる。
 私ではない誰かを呼んでいるのだろう、とスルーしていたら「みょうじ先生」と名前を呼ばれてギョッとした。
 声のした方をよく見てみると、声の主は小湊亮介君だった。

「ここの席、空いてますよ」
「座ってもいいの?」
「どうぞ」

 招かれた席には増子君、楠木君、門田君、坂井君もいて、六人がけのテーブルの真ん中に通された。
 声を揃えた弾むような「ちわーす!」に、軽い会釈で応える。テーブルには、麻婆豆腐やらカレーやらオムライスやらが並んでいて、いたる所から美味しい匂いがただよっている。
 私も手を合わせて「いただきます」をしてから、食事の輪に加わった。

「みょうじ先生が食堂に来るの珍しいっすね」
「普段あんまり見かけないのに」

 話しかけてきた楠木君はカレーを、同調して頷いた門田君はオムライスを頬ばった。
 いずれも山盛りなのは、食堂のおばちゃんたちのサービスのおかげだ。

「今日はすごくお腹減ってたから、定食が食べたくなっちゃってね」
「生姜焼き定食、上手いっすよね。増子も食べてるし」
「増ちゃんは杏仁豆腐目当てなんだよね」
「うがっ」

 坂井君の箸で掴んだ唐揚げはこんがりといい色に揚がって、とても美味しそうだ。
 増子君をからかうように話を振った小湊君は、お品書きの写真より毒々しい赤色の麻婆豆腐を、涼しい顔して食べている。なんらかの調味料を追加したのだろうけど、辛そうすぎる。一口食べれば舌が痺れてしまいそうだ。
 増子君はもくもくと生姜焼き定食を食べすすめているので、私も食欲を刺激されて箸がすすむ。
 あー、やっぱり生姜焼きも炊きたてのご飯も、どっちも最高に美味しい。コンビニ飯にも飽きていたから、いい気分転換だ。
 ご飯を食べはじめたら機嫌が良くなってきたので、私からみんなに話題を振ってみる。

「みんなはいつも一緒にお昼を食べてるの?」
「そうっすね」
「なんだぁ、お昼くらい彼女とかと食べたらいいのに」

 薄氷にヒビが入るような緊張感が走り、一瞬でその場の空気が凍った。
 ちょっと茶化すつもりで口走った発言は、どうやら彼らの地雷を踏みぬいてしまったらしい。みんなの箸がぴたりと止まっている。

「……なんか、ごめんね」
「彼女がいたらこんなむさ苦しい野郎どもと、飯食わねーっすよ……」
「彼女……彼女かぁ……」
「しっかりしなよ、坂井」
「……うが」

 肩を落とす門田君を無言で労うのは楠木君。うわ言を繰り返す坂井君を励ますのは、小湊君と悲しい目をした増子君だ。
 青道野球部なら校内の注目度も高そうなのに、案外モテないんだな。
 というか、色恋沙汰にうつつを抜かせるほど余裕のある生活を送っていないから、まぁ仕方ないのかもしれない。今のレギュラー陣だって決して安泰ではないし、控えメンバーも虎視眈々とスタメンの座を狙っている。

「夏にメンバー入りしたら絶対にモテるから! そうしたら女子から告白されまくりだよ。みんな、希望は捨てないで!」
「……俺、頑張って坂井を蹴落とそう」
「えっ」
「俺は倉持を蹴落すわ」
「いいね。その調子だよ文哉」
「サードは誰にも譲らない……!」

 お、増子君が喋った。
 と思ったら、坂井君と門田君がバチバチに睨みあっているし、楠木君と小湊君は悪い顔して笑いあっている。
 「女子からモテたい」という一見不純そうな動機も、選手たちの闘志に火をつけられるなら……まぁ、それはそれでいいんだ。

 彼らがワーワーと騒いでいるあいだに、生姜焼き定食はぺろりと完食した。
 「ごちそうさまでした!」の六つの声が響くテーブルの居心地が良くて、心がちょとだけ和む。

 たまにはにぎやかな昼食も……悪くないのかもしれない。