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4 ジョーカー&ジョーカー


 社会人になって初めてのゴールデンウィークは、それはもう幸せな五日間だった。
 しばしの間、仕事のことも、御幸君と接触したあの昼休みのことすら、きれいさっぱりと忘れていた。毎日夜ふかしに朝寝坊もし放題で、最終日の夜は明日からの出勤に震えた。地震かと思ったら、私が震源地でびっくりした。
 ゴールデンウィークがあけると、すぐに中間テスト期間がはじまるから忙しくなる。しかも、主任からは「四月の間はお客様期間で、五月からはさらに忙しくなるわよ」とやんわりと予告されていたから、余計に恐ろしくなった。
 そして、万が一にも無いだろうと思っていた最悪のシナリオが、残酷にも休み明け早々にはじまろうとしていた。

『お呼び出しをします。みょうじ先生、みょうじ先生。放課後になりましたらジャージに着替え、野球部専用グラウンドまでお越しください』

 はて、私が名指しで呼び出されたような気がする。しかも、高島先生の声で。
 「空耳だよね」と同意を求めて生徒の顔を見ると「いや、先生だよ」と指をさされた。
 「人のこと指さすのやめなさい」と軽くたしなめると「せっかく教えてあげたのに」と恨めしそうな声が背後で聞こえた。
 そそくさと教室を出ると、廊下でもじろじろと生徒からの視線を感じて肩身が狭い。わざわざ校内放送で呼びだすことないのに。なんのつもりだ。あの人は私の抱えている事情を知っているはずなのに。ていうか、むしろ高島先生くらいにしか打ちあけていないのだけど。校内放送を聞いていなかったということにして、しれっと帰宅してやろうか。そうしよう、それがいい。

 『放課後、待ってるからね』

 スマホのロック画面に、高島先生からのメッセージ。ガックリと肩が落ちて、そのまま卓上に突っ伏す。
 ……さすが高島先生だ、抜かりがない。
 校内放送で全教職員と全生徒に聞こえるように呼びだしたうえに、ラインまで送ってきた。念には念をしっかり押してくる。
 『承知しました』とだけ返信すると、秒で既読がついた。これはもう逃げられないぞ。放課後に起きるであろうアレコレを考えると、また食欲が無くなってきた。
 机の引きだしからわしづかみで取りだしたお菓子をもそもそと貪っていると「栄養ある物を食べた方がいいよ」とコンビニの菓子パンをかじりながら諭される。いやそれこっちのセリフですわ……という本音は噛みくだいたクッキーと一緒に、喉の奥へと流しこんだ。





「みょうじ先生には、今日から野球部の顧問になってもらいます」

 高島先生はにっこりと、女神様のように微笑む。なにを馬鹿なことを言っているんだ、この悪魔。しかもこの笑顔、ゴリ押しする時のやつだ。脳内はフル稼働で美しい悪魔のゴリ押しを回避するための手段を模索しはじめる。

「ちょっと待ってくださいよ。私、天文部の顧問なんですけど!」
「ゴールデンウィーク明けに退部者が一名出たので、天文部は同好会に降格したのよ。よって、あなたは顧問をする必要が無くなったわ」
「いやいやいや、顧問の私がその話を聞いてないんですけど!」
「いまさっき決まったことよ」
「退部者は誰ですか。私、辞めないように説得してきます」
「諦めなさい。退部の理由は痴情のもつれよ」
「えぇ……」

 高校生の男女の痴情のもつれは、まぁよくあることだけど、たいていの場合は人間関係の修復は不可能に近い。もつれる痴情すら無い今の私には、ある意味うらやましいことだ。いいなぁ、みんな青春してんなぁ。

「ということで、あなたは今日から野球部顧問になります」
「私、前にも説明したとおり野球部に因縁があるんですよ。はっきり言って、嫌いなんです。ですから、丁重にお断りします」
「あら、『私、もう逃げません』って宣言していたのは、どこの誰かしら」
「……さぁ、誰でしたっけ?」
「そうは言いつつも、しっかりジャージまで着て来るし、ヤル気はあるじゃないの」
「校内放送で呼びだすから、逃げらんなかったんですよ!」

 退路から絶ってから理責めで追いおんでこようとするから、私も必死に抵抗する。
 こうなったら泣くぞ。泣いてうやむやにできるんなら、いくらでも嘘泣きするぞ。

「先に言っておくけど、泣いても無駄だからね」
「……」
「返事はYes or ハイのどちらかよ」
「……私に拒否権は無いってことですか」
「You are right.」

 さすが英語教師だ、発音がパーフェクトで感動する。感動しすぎて泣けてきた。
 悪魔もとい高島先生は大学の先輩でもあり、青道の採用試験を紹介してもらった御恩もあるので、私は彼女に決して逆らえない。
 あぁ、神様はなんて無慈悲なんだ。私には選択権すら握らせてくれないなんて。

「私がスカウト活動でグラウンドに顔を出せない日だけ来てくれれば、それで構わないわ」
「どうしても私じゃないとダメなんですか?」
「野球部でのマネージャー経験もある、あなただから任せたいの」
「…………」
「これは業務命令よ」
「それは野球部副部長としての業務命令ですか?」
「いえ、理事長の孫としてよ」
「ずるいですよ! こんな時だけ権力振りかざして!」
「あら、権力はこうやって使うものなのよ。よく覚えておくといいわ」

 残念ながら一番下っ端の私に、振りかざせる権力など存在しない。ただ美しい悪魔の命令に翻弄されるしかないのだ。最悪だ。さすがにこの展開までは予想していなかった。
 力なく首を垂れると、バシッと音を立てて背中を叩かれる。シャキッとしなさい、と無言の圧をかけられたので渋々と背筋を伸ばして、先に歩き出した高島先生の後に続いてグラウンドへと足を踏み入れた。

 あーあ、本当に最悪だ……