×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -







20 独り占めなんてされないで


 数分間のCMが終わり、高校野球ダイジェストの爽やかなテーマソングが流れだすと、ざわついていた食堂内が波が引いていくように静かになった。
 試合があった日の夜は、ミーティングと合わせてMXの高校野球ダイジェストを見ることが青道野球部の恒例行事だ。ハイテンションな男性アナウンサーのMCと、初々しい女子高生アシスタントによるたどたどしい番組進行を挟みつつ、試合のハイライト映像には全員が釘付けになっている。
 その様子を横目で眺めながら、数分前に届いた神田からのメールを開いて目を通す。

 神田は母校の神山高校の同期で、チームを率いるエースだった。
 六年前の夏、神山高校を西東京大会決勝戦へと牽引したのは、神田の力が大きかった。
 神田は今もプロ入りを目指して、大学卒業後は社会人野球の世界へと足を踏み入れている。
 高校生の頃から運動神経抜群の選手で、投手でも上位打線を任されるほど好打者だった。
 まるで野球をするために生まれてきたようなーーそんな男。まるで、ウチの正捕手のような野球センスにあふれる選手だ。
 打者としての神田は、特に変化球を狙い打つことを得意としていて、変化量の大きいカーブやスライダーを捉えるのが上手かった印象が今でも強く残っている。
 準決勝で対戦する仙泉学園の真木君は、大きく縦に落ちるカーブを得意とする投手。
 好投手のカーブ攻略法を聞き出すには、神田が最もふさわしくて相談しやすい相手だった。

「部員数八十人を超えるベスト8常連の強豪校。今年の春、市大相手に一点差の投手戦の末に敗れていますね。一年の時からエースナンバーを背負い、その計り知れない将来性にプロも注目しているほど……」

 滝川君の解説を聞きながら、このあとどうやって話そうか考えをまとめる。
 選手たちは静かに滝川の話に集中しつつも、エース真木君を知っている門田君が「確かメチャクチャでかい投手いたよな」と小声で噂をするのが聞こえてきた。
 そう、真木君にはその高身長を体現するようなあだ名がついているーー大巨人・真木洋介。

「長身から投げ下ろす角度のあるストレートに、日本一高い所から放たれると言われるカーブが特徴です」

 滝川君の解説がひと段落ついたところで、神田から仕入れたばかりの情報を提供するために、私も手を挙げる。

「私からもよろしいでしょうか」
「あぁ」

 片岡監督が短く頷いて、全員の視線が私に集まってきた。毎回、この瞬間が一番緊張する。だって、みんなすごく真剣な顔つきなんだもの。小心者の私はこの物々しい視線を感じるだけで萎縮してしまう。
 早くこの空気感にも慣れたいな……と思いつつ、一つ咳ばらいをしてノートのページをめくる。

「真木君のカーブは、縦に大きく曲がりながら落ちるのが特徴です。
 カーブを決め球として投げるシーンが目立ちますが、実はカウント球として初球から投げてくることも多いです。初球からストライクゾーンにカーブを投げた時に、六割以上の確率で見送りストライクを稼いでいますね」
「確かに……初球、外角にカーブ投げられるとつい見逃しちゃうんだよなぁ」
「初球カーブにヤマを張るのもいいかもな」
「初球から積極的にスイングしていけば、プレッシャーがかけられそうだ」

 選手たちの反応をうかがうと、みんな一同に頷いていた。どうやら的外れなことは言っていないみたいで一安心。
 神田からの返信を参考し、私の分析を組み合わせながら考察の発表を続ける。

「真木君のカーブを攻略するポイントは、長打を狙って強打したり引っぱろうとせずにバットを内側から出して、投手の頭上を超えるような打球を意識することです。
 あとは、一打席目はカーブの軌道に目を慣らすために一球はしっかりと見てください。
 記憶したカーブの軌道を頭の中で想定して、自分の『頭上に出てくる感覚のカーブ』だけを狙うと、縦に大きく落ちても軌道にスイングが入れやすくなります」
「おぉ……なんかすげー具体的なアドバイスだ」
「どんなスイングをすればいいのかイメージがしやすいな」
「俺、大巨人のカーブも打てそうな気がする……!」
「いや、打ってくれなきゃ困るんだけど」

 選手たちは自然とバットを構える仕草をして、打席に立った時のイメージをしている。今すぐ真木君のカーブを打ちたくてうずうずしている感じ。
 さっきのカーブ攻略法は、神田がメールで送ってくれた文面をほぼそのまま読みあげただけなのだけど、選手たちのリアクションを見ているときちんと参考にしてくれてるみたいで、ほっと肩の力が抜けた。
 あとで神田にお礼の電話をしておこう。
 きっと「なんか奢れよ」ってたかられるんだろうな。これで勝てるなら一晩の酒の席を奢るくらい安いものだ。



「みょうじセンセー、いますか?」
「はーい、いるよ」

 ミーティングが終わりさっそく神田に連絡を入れ、案の定「飲み行こうぜ、みょうじの奢りで!」と要求された電話のあと。試合の映像を見返している時にプレハブに御幸君が訪れた。
 いつもなら遠慮なく上がりこんで隣にどかっと座るのに、今日の御幸君はなんだかよそよそしい雰囲気で行儀よく隣の席に腰かける。
 そういえば、ミーティングの最中も目が合うこともなかったような気がする。いったいどうしたんだろう。
 図々しくも厚かましくない御幸君なんてーーそんなのもはや御幸君ではない。

「ミーティングで話してたカーブ攻略法、ずいぶんと具体的でしたけどあれどうやって分析したんですか」
「あぁ〜あれは野球部の同期にアドバイスしてもらったんだよ」
「なるほど……だからやけにテクニカルな指示だったのか」
「同期に変化球を打つのが得意なヤツがいてね。連絡したらすぐに教えてくれて助かっちゃった!」

 今日の御幸君はなんだか様子がおかしいのでわざと明るく受け答えしてみせるのに、やはり浮かない表情をしている……ような気がする。
 メガネのレンズが急に分厚くなったのかな? と思うくらいに、彼の瞳が見えづらい。いつもならまっすぐに目を見てくるのに、視線が全然交わらないのはなんで……?

「さっき電話してた人が、同期の人ですか」
「そうだよ。今は鉄道会社のチームで投げてるの」
「へぇ……それはすごいですね」

 窓の外を見つめる御幸君の横顔がますます曇っていくようで、私は内心焦りまくっている。
 なんなんだ、今日の御幸君は。試合前で情緒不安定なのか。私はこんな時にどんな言葉をかけたらいいんだろう。顧問としてちゃんと励ましてあげなきゃいけないのはわかっているんだけど、語彙力が枯渇していて上手い励ましの言葉が見つからない。
 もう一度神田に電話して選手の励まし方を教えてもらいたいくらいだ。そんなことしたら「んなもん自分で考えろ!」って一蹴されそうだけど。

「青道との決勝で投げてたエースなんだけど、わかる?」
「あぁ、サウスポーの神田さんですよね。すげぇキレのいいスライダー投げてた。そういえば三番を打ってた」
「そうそう。さすが御幸君、記憶力が良い!」

 悩みに悩んでさりげなくおだててみたけど、華麗にスルーされてしまって気まずいの時間が流れる。
 もうどうしていいのかわからない。完全にお手上げだ。私がいくら明るく振るまったって、御幸君には全然響いていない。
 御幸君は、藤代監督に叱咤されてうずくまっていた私に一番欲しかった言葉をくれた。
 でも、私は今の彼にかけてあげるべき言葉がなにも見つからない。  

 (……私、御幸君のことなんにもわからないんだな)

 そう思うと、とてつもなく情けなくて猛烈に泣きたくなってきた。
 グラウンドの外でさえ顧問としての役割を果たせないなんて、私の存在価値は無いも同然じゃないか。

「……神田さんとは今でもよく連絡取ってるんですか」

 全身を刺すような張りつめた空気を破ったのは、御幸君の問いかけで。私は予想もしていなかった彼の発言に目を丸くする。

「いや、たまにだけど」
「さっき、『今度飲みに行こう』って電話で話してましたよね」
「あぁ、電話してたの聞こえ「ふたりで行くんですか」
「えっ」
「ふたりで飲みに行くんですか」

 レンズ越しの瞳が強い視線で私の瞳を捉えて、決して離そうとしない。ごまかしたり、はぐらかしたりすることを許さないーーそんなプレッシャーが込められた鋭いまなざしに気圧されてしまう。
 御幸君は時折、七歳も年下のように思えない態度をとってくるから困るし、戸惑う。この圧の強い瞳に絡めとられると、私は途端に呼吸の仕方すら忘れてしまうから。

「それは……まだわかんないけど」
「ふたりはやめておいた方がいいですよ。……みょうじセンセーって酔っぱらうと面倒くさそうだし」
「なんでそんなこと知ってんの? まさか高島先生から聞いたとか?」
「え、マジですか。ただの俺のイメージだったんですけど」
「御幸君のイメージの私って……?」
「酒に弱いのにその場の雰囲気が楽しくてついつい飲みすぎて潰れてそうなイメージです」
「うわぁ……悔しいけど当たってる……」
「はっはっはっ! じゃあ絶対ふたりで飲みに行かないほうがいいですね。介抱役がひとりじゃ荷が重いでしょ」
「……そうだね」

 私は普段の行動から酒癖を見抜かれてしまって、動揺を隠しきれない。
 キャッチャーの洞察眼ってこんなにも鋭いものなのか。御幸君の前で下手に素は見せない方がいいなーーと自分に言い聞かせる。

 私の酒癖を推理しているうちに、御幸君はいつの間にかいつものペースを取りもどしていたようで、机に広げていたスコアを手に取って熟読しはじめた。
 なにががきっかけだったのかさっぱりわからないけど、御幸君はいつもの調子に戻ったみたいだし、とりあえずこれで一件落着……かな?