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17 透きとおる真夜中に溺れる


「……ここで沢村君に継投ですか」
「仕方ないわね。降谷君、肩で息をしているもの」

 府中市民球場行なわれている明川学園との四回戦は、二点を先制され青道は零対二とリードを許している。
 現在は四回表の二死一塁で、青道高校の守備の真っ最中だ。

 十時から開始した試合も進むにつれて、太陽の角度が徐々に高くなり、気温をじりじりと上昇させる。
 気温と湿度の高さに表情を歪め、何度も不快そうに汗を拭う降谷君のピッチングは、初回から苦しいマウンドだった。
 スコアボードに刻まれている2と、三つ続いた0を恨めしく思いながら眺める。

「この場面、走者がいるのにリリーフ慣れしてる川上君ではなくて、沢村君なんですね」
「まだ中盤だから、川上君は後ろに残しておきたいんでしょう」

 ふむ、なるほど。
 川上君を先に登板させて、残りの投手が実戦経験の乏しい一年生の沢村君だけとなると、確かに心もとない。
 しかし、昨晩の自主練で打席に立った片岡監督に向かって、左打者へのインコース攻めの練習をしたとも噂で聞いている。左打者の多い明川打線を意識しての練習だったのだろう。
 監督曰く、『気持ちの乗ったいいボールだった』とのことだった。
 トーナメントを勝ち上がり、修羅場を潜り抜けた分だけ、彼らは強くたくましくなる。高校生の成長速度の速さには驚かされてばかりだ。

 継投した沢村君は、危なっかしい一塁牽制を披露した後、打者をサードフライに打ち取った。
 高島先生と同時に息を吐く。
 あまりに緊張しすぎて、無意識に二人とも呼吸を止めていたらしい。顔を見合わせてお互いに苦笑した。

 四回裏は、先頭打者の伊佐敷君がレフト線への二塁打で出塁し、四番の結城君は四球で歩き、五番の増子君が初球で送りバントを決め、一死二・三塁の場面で迎えたのは、チャンスによく打つ御幸君だ。
 マウンドの楊君は、内野手に前進守備を要求している。やはり、あのバッテリーの主導権を握っているのは楊君で間違いなさそうだ。

「いま伊佐敷君がスタート切ってましたけど……まさかセーフティースクイズですかね?」
「あれはフリね。楊君を揺さぶりたかったんでしょう。この場合で御幸君にスクイズのサインを出すことは、考えにくいわ」

 よく考えてみたらその通りだ。
 内野手は前進守備を敷いてるし、スクイズしたところでホームで刺される可能性が高い。
 しかも打席にはクラッチヒッターの御幸君。
 片岡監督は間違いなく『打て』のサインを出しただろう。
 しかし、スタートを切る素振りで楊君に揺さぶりをかけようとする、徹底した走塁意識の高さには目を見張る。青道の野球は本当に繊細だ。

「あっという間に追い込まれちゃいましたよ……いったい何を狙ってるんですかね」

 打席の御幸君は、三球でノーボール、ツーストライクに追い込まれている。三球目のインハイのストレートは、ボール球のようだけど無理に打ちにいった。
 次は遊び球を混ぜてくるのか、それとも勝負球でくるのだろうか。御幸君の読みはどちらなのか気になる。

「そんなに心配しなくていいわ。御幸君は彼のようなコントロールの良い投手と相性がいいのよ」

 高島先生の得意げな発言の通りに、御幸君はアウトローを狙い、ボールからストライクゾーンに入ってきたスライダーを捉え、左中間を真っ二つに切り裂いた。
 レフトがクッションボールの処理に手間取る様子を確認していたのか、三塁コーチャーは『回れ回れ!』と連呼し、御幸君は二塁を蹴った後に速度を緩めずに走って、三塁まで陥れる。
 二塁走者の結城君が余裕を持って生還し、青道は御幸君のタイムリースリーベースでやっと二対二の同点に追いついた。

 極度の緊張からまた呼吸を止めていた私は、大きく息を吐きだした途端にクラクラしてしまって席に座り込む。
 足元に置いておいたスポーツドリンクを一口飲んでも、味がよくわからない。舌まで震え上がっているなんて……情けないや。

「しっかりしなさい。試合はまだまだこれからよ」

 試合は高島先生の言葉通り、喉がヒリヒリするような展開になっていく。
 結局、白州君のスクイズはホームで防がれ、続く坂井君は凡退で逆転とならなかった。

 沢村君は小気味良く五回から3イニングを無失点に抑え、楊君も六回まで追加点を許さない白熱した投げ合いが続き、試合が動いたのは七回。
 代打の小湊春市君がインコースを華麗にさばいてレフト前ヒットで出塁し、沢村君の絶妙な送りバントで一死二塁となった。
 続く倉持君の打球はセカンドのエラーを誘い一死一・三塁の形を作ると、大胆不敵にも初球から盗塁を仕掛け、一死二・三塁になる。
 青道は長打が出れば一気に逆転、リードが広がる大チャンスを迎えた。
 打席には二番小湊亮介君。
 技巧派で選球眼の良い彼なら、スクイズや進塁打、四球での出塁など、様々な攻撃に対応ができる。
 でも、この場面は逆転するための一点が確実に欲しい。
 はたして、片岡監督はどのカードを選択するのだろう……私ならどんな選択をするか。

「この場面、スクイズですかね」
「その理由は?」
「外角に投げられたら引っ張って右打ちするのも厳しいし、犠牲フライを狙うにしても浅いとタッチアップできないし……そう考えるとバントも上手い小湊君なら、スクイズが一番リスクが低いかと」

 脳内に思い浮かぶのは、バント練習を念入りに行なっている小湊君の姿。
 毎回必ずオールコースのバントをきっちりと転がすまで、バットを手放すことはなかった。
 あれだけの準備をしている選手なら、片岡監督も迷うことなくスクイズのサインを出せるだろう。

「良い勘してるわ。さぁ、答え合わせよ」

 打席の小湊君はヒッティングの構えから、バントの構えに持ち直す。三塁走者の弟・春市君は素早くスタートを切った。
 楊君はスクイズを読んでか、アウトハイにウェストボールを投じ、小湊君は打席から飛び出して当てに行く。
 一瞬の攻防に、呼吸をすることを忘れて目を見開いた。
 投げ出すように伸ばしたバットの先に、ボールが当たり、打球は三塁と投手の中間地点に転がる。楊君がマウンドを駆け下りて捕球すると同時に、三塁走者の小湊春市君が生還。
 ここで一度歓声が上がるが、それも束の間。
 打者走者の小湊君をアウトにしようと一塁へ送球した隙を突いて、二塁走者の倉持君が三塁を蹴ってトップスピードで本塁へ突っ込むと、バックホームも間に合わずセーフになった。

「ツ、ツーランスクイズ!?」

 スタンドが驚きでざわつく間にも、いつのまにか小湊君は二塁まで陥れている。
 ここで二度目の歓声が上がった。
 たった数十秒の攻防で、一気に二点のリードを広げた青道スタンドは、今日一番の大盛り上がりだ。

「スクイズ、当たったわね」
「いや、まさかツーランスクイズだとは思いませんでした」
「機動力が機能すれば、攻撃の選択肢が一気に広がるわ。彼らは本当に心強い存在ね」

 味方だと心強いけど、敵に回すとこれほど厄介な打線はないと、改めて思い知る。
 だって、このあとは青道自慢のクリーンナップが待ち構えているんだ。私が投手だったら、泣いて降板を嘆願するだろう。
 
 それでも楊君は最後までマウンドを守り続け、明川学園のエースとして堂々としたピッチングで仲間たちを鼓舞し続けた。
 

 青道打線も一年生投手陣の力投に応え精密機械を打ち砕き、七対二で明川学園を下して、青道が準々決勝へと駒を進めた。







『薬師と市大三の試合はよく見ておいた方がいい。薬師とは練習試合をしたことがあるけど、打線に破壊力があって勢いがあるチームだ。もしかしたら、一波乱あるかもしれねぇぞ』

 昨晩、恩師の藤代監督からかかってきた激励の電話で忠告された言葉がよみがえる。
 やたらと真剣な口調かつ意味深な低い声でそう脅されて、「そんなぁ大袈裟ですよ」なんて軽い調子で返答した、昨日の私を思い切りぶん殴りたい。

 しかし、センバツ8の市大三がシード校ですらない薬師高校を相手に乱打戦にもつれ、ましてや打ち負けて敗退するところなど、想像できるはずがなかった。
 それはきっと、驚きの表情でグラウンドを見つめる観客と選手たちも同じ心境だろう。
 恩師からの忠告を半信半疑で心に留めていたけど、今あの意味深な言葉の意味をまざまざと思い知らされている。

 薬師高校はクリーンアップに一年生が三人名を連ね、真中君から放った四番轟君のツーランで初回からいきなりの四得点。
 点を取られては取り返し、一度もバントを使わずに積極的な攻撃を仕掛ける薬師打線は、確かに破壊力抜群だった。
 リードされていてもベンチからはよく声が出ていて、怖いもの知らずで勢いを感じさせる雰囲気がある。
 
 一方の市大三は、打線の調子は良かったが、それ以上に薬師に点を取られてしまった印象が強い。
 エースの真中君が早々に降板し、予定外の継投が続いた。終盤には再び真中君が登板したけど、ピッチャー強襲の打球に倒れ、負傷退場。
 計算できる投手を使い切ってしまった市大三は、薬師の超攻撃なバッティングに押し切られ、結局サヨナラ負けをした。

「誰にメールしてるんですか?」
「藤代監督にね。薬師と練習試合したことがあるっていうから、スコアを送ってもらおうかと思って」

 帰りのバスは通路を挟んだ隣の列の席に、御幸君が腰掛けている。
 他人の携帯電話を覗き込むだなんてイイ度胸しているよ、まったく。

「スコアを送ってもらえたら、俺にも見せてください」
「もちろん。そのつもりだよ」

 さっきからインターネットで薬師の情報を探ろうにも、なにしろ新監督が着任して日が浅いチームなので情報量が少ない。
 監督の轟さんの名前を検索すると、社会人野球で四十歳まで活躍していたという記事だけは、かろうじて見つけられた。
 でも、肝心の四番轟君や、途中から登板して快投を見せていた背番号18の真田君の情報は見当たらなかった。

「……みょうじセンセー、焦ってますか?」

 御幸君のからかうような囁き声を聞いて、ハッとして顔を上げる。いつの間にか眉間にシワを寄せて画面を見ていたことに気付いた。
 顧問が選手の前で余裕の無い姿を露呈するわけにはいかない。無言で携帯電話をポケットにしまう。

「焦ってなんかないよ」
「ハッハッハッ、誤魔化すの下手すぎですよ」
「…………ほんとムカつくなぁ」
「え? 今なにか言いましたか?」
「静 か に し な さ い 」
 
 ここがバスの車内じゃなければ、タイキックをお尻に喰らわせているところだ。
 この状況を理解した上で調子に乗ってくるのだから、御幸君は本当にタチが悪い。
 おいコラ、ニヤニヤすんな。
 
「薬師も明川の時みたいに分析してくれるんですよね」
「まぁ、できる範囲でね」
「みょうじセンセーの薬師対策、楽しみにしてますから」

 御幸君の挑発的な物言いに乗っかるように口角を上げ、黒のフレームに縁取られた目をまっすぐに見る。

「あの轟君を相手に御幸君が投手陣をどうリードをするのか、楽しみにしてるからね」
「ハハッ……上等」

 私たちはお互いに発破をかけて、故意にハードルを上げてしまう。
 安い挑発に乗らなければ良かったなぁと後悔するくせに、売られた喧嘩は買わないと気が済まない私の性格も、御幸君にはすでにお見通しなのかもしれない。

 府中市民球場から引きあげ、帰寮したバスから各々の荷物を抱えて降車する選手の後に続く。

(……もうすぐ給料日だし、本当に寝袋買おうかな)

 薬師の打者の傾向、走者の動かし方、投手の癖、捕手の配球など、洗い出さなきゃならない情報は山のようにある。映像資料は一試合のみ。他に情報を集めようもないから、先程の試合に集中して分析するしかない。
 今夜はきっと徹夜でビデオを繰りかえし見ることになるだろうな。一度通しで試合を見ただけじゃ、見逃してしまうささいな仕草もあるかもしれないし。
 そうなると、いちいち家に帰るのも面倒くさい。いっそのことプレハブにマイ寝袋でも常備しようかと、ここ最近は真剣に検討している。

「寝袋? なんで?」
「えっ、私いま声に出してた?」
「いや普通に声に出てましたけど」

 さりげなく近くを歩いていた御幸君と、目を丸くして見つめ合う。最近の私は心の声が口から飛び出しがちだ。
 しかも御幸君に聞かれていたとは……これからは気をつけなくちゃ。

「今の発言は聞かなかったことに」
「しませんけど?」
「……ぬぅ」
「で、なんで寝袋なんですか」
「最近、帰宅するのが面倒くさいんだよね。今日もどうせ徹夜だし。もはやプレハブに寝泊まりしたいなって」

 誤魔化すのも面倒くさいので本音をぶっちゃけると、露骨にドン引きした顔をされる。そんなに軽蔑した目で見ないでよ。
 私、一応これでも野球部の顧問なんだけどな……。

「その発言、人前でしない方がいいですよ」
「うん。私も今の失言だったなって反省してる」

 私は監督室へ、御幸君は自室へと分かれるところで、不意に呼び止められる。
 やけに真面目な顔して、私の目を射るようにまっすぐ見るから逸せない。

「バッテリーミーティングが終わったら、俺も合流します」
「御幸君は余計な気を回さなくていいから。これは私の役割なの」
「徹夜はしないって、約束してくれますか」
「……努力します」

 どうやら御幸君は私が食堂やらプレハブに居座ることが、よほど気に入らないらしい。
 ……まぁ、それはそうが。
 顧問が生活圏内にうろうろしてたら、さすがの御幸君も気が休まらないだろう。
 ビデオカメラのデータをDVDにダビングを始めると、しばらく時間がかかってしまう。このすきま時間にコンビニでエナジードリンクや軽食を買って戻れば、ちょうどダビングが終わっていた。
 プレハブにこもりますので、と一言告げれば「よろしく頼む」と片岡監督。
 太田部長に賑やかに送り出され、プレハブに到着してドアを閉めれば、あとはしばらく一人の時間だ。

 「さて、終バスの時間までには三回くらいは見かえせるかな」

 ここからは時間と、自分の集中力との戦いだ。
 パソコンを起動してDVDの再生を始め、まっさらなノートにペンを走らせた。