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14 ペテン師には敵わない


「みょうじ先生って彼氏さんはいるんですか?」

 そのセリフは、なにげない談笑のワンシーンに差し込まれた、鋭い刃。
 その切っ先が私の喉元に当てられる。
 吉川さんは私を陥れようとしているわけではない。それぐらいのことはわかっている。
 この会話は顧問と生徒の健全なコミュニケーションの一環であり、年上の女性に対する純粋無垢な興味から発生したものだ。
 そう、たとえるなら、お花畑を無邪気にスキップしている最中に偶然、足を着いた場所に「地雷」が埋まっていただけなのだ。
 これは事故なんだ。吉川さんはなに一つ悪くない。
 
 ……ただ、タイミングが悪かっただけで。





 無事に初戦突破した翌日の、夕食後の食堂。
 テレビの前のテーブル席に腰掛けて、室内をぐるっと見渡してみる。
 中央のテーブルにはプロテイン品評会(味、成分、価格を総合的に評価して情報を共有する)のメンバー、その他のテーブルには自主練終わりに訪れた部員たちが陣取っている。
 そして、ここには有志で結成された「スコアブックの読み書きを勉強する会」(以下、「スコア会」と略称)のメンバーが居合わせ、それなりに賑わっていた。
 
 スコア会のメンバーは、講師役のマネージャー陣、沢村君、降谷君、小湊春市君、アドバイザーの御幸君で構成されている。
 そして、なぜか私もアドバイザーとして招かれていた。
 沢村君からアドバイザーに指名をされた時には遠慮したものの、マネージャー陣から「ぜひ!」と懇願され、御幸君の口車に乗せられて、今ここにいるわけだ。
 スコア会の目的は、「ベンチ入りする一年生たちにもスコアの読み方くらい覚えさせよう」である。発起人はマネージャーの藤原さんらしい。
 一年生ながらベンチ入りをした沢村君と降谷君が、スコアの読み書きもできない(というか野球規則もだいぶ怪しい)と聞き、スコアの勉強中の吉川さんと一緒に勉強させよう! という粋な計らいだ。
 藤原さんはさすが三年生マネージャーである。しっかり者で面倒見の良い彼女が、後輩マネージャーや部員たちに慕われるのもよくわかる。

 記念すべきスコア会 第一回目の勉強会は、優秀な講師陣の親切丁寧な説明と、もう一人のアドバイザーである御幸君の適切なツッコミを挟みながら、順調に進行していた。
 ちなみに、一年生のベンチ入りメンバーのため召集されていた小湊君は、すでにスコアの読み方は理解しているとのことだった。
 しかし、沢村・降谷コンビのお守り役としてフォローに回ってくれていたので、私の出る幕は皆無に等しい。
 ていうか、私はこの場に必要あったのか? と首を傾げたくなるくらい役に立っていなかったのだけど……それは、まぁいいか。

 (しっかり者が多くて楽だわぁ)

 なんてほのぼのとした気持ちで勉強会の風景を眺めていたのだけど、私の出番は終盤に用意されていた。
 スコア会が始まって小一時間ほど経過して、沢村君と降谷君の集中力もそろそろ限界を迎えようとしている頃。
 今日勉強した分の復習として、試合の映像を見せて実際にスコアを書かせてみることにしたがーーそれはもうてんやわんやの大騒ぎだった。

「えっ、ダブルプレーってどうやって書くんだ!?」
「今のは打者のところに4-6-3って書いて、一塁走者のマスに……」
「送りバントの書き方……忘れた……」
「1-4って書いて、四角で囲むんだよ!」
「シングルヒットだったのにいつの間に二塁へ!?」
「今のはシングルヒットと送球間に進塁してたんだよ!」
「盗塁って……え……?」
「打者のボールカウントにチェックつけて、盗塁した走者のマスにSって書いて……」
「見逃し三振ってどうやって書くんだ〜〜!?」
「Kだよ!」
「ちょっと待って、まだ球数数え終わってないのに次のイニング始まっちゃうよぉぉぉ」
「もたもたすんなよ〜」

 彼らは案の定、パニックに陥った。
 講師陣に泣きつき、小湊君のフォローも追いつかず、御幸君にからかわれ、頭に詰め込んでいた知識がパーンと弾けて飛散したのだ。まるで膨れ上がった風船が耐えきれずに破裂するかのように。
 まさに、阿鼻叫喚の地獄絵図である。 
 スコア記入の基礎は「なんとなく」理解しても、いざ実際の試合となるとスピードに記入が追いつかない。
 記録員デビューしたばかりで、パニックに陥るのは誰しもが経験することだが、三人の取り乱し方はそれはもう尋常ではなかった。 
 その場の収拾がつかなくなってしまったので、とりあえず一回の裏が終わってから中断することに。
 ペンを置いた彼らの耳からは、煙が立ち昇っているかのように見えた。本当に。
 講師陣も疲労困憊、沢村君と降谷君と吉川さんの頭はショートしているし、お守り役の小湊君と御幸君もさすがに呆れ果てているようだ。

 「……とりあえず、今日はもうお開きにしようか」

 どんよりとした雰囲気を払拭するように、私から声を上げて提案した。全員が小刻みに頷いている。
 今日初めてアドバイザーらしい(?)発言ができて満足だ。
 
 そんなこんなで会がお開きになり、解散間際のひと時に談笑していたところで、緊張感から解放された吉川さんが息を吹き返す。

 ーーそして、冒頭に戻るのだ。





「その質問に答える前に、アンケートを取ろうかな」


 多くの視線が背中に刺さる感覚を感じながら、私は食堂中に聞こえるように声を張って宣言した。
 質問してきた吉川さんはあっけにとられて困惑の表情を浮かべている。スコア会の面々も同様だ。沢村君の口をぽかんと空けている。
 私の答えに息をころし耳を澄ませていた野次馬たちが、声を潜めてなにか話している。

 (は? アンケート?)
 (なに言ってんだあの人)
 (質問の答えになってねーよ!)
 (おい、彼氏いると思うか)
 (いないにジュース一本)

 野次馬たちはひそひそと話しているつもりなのだろうが、私の地獄耳にはすべての声が聞こえている。聖徳太子が生きていたら、さぞ驚くことだろう。
 しかも、人様の彼氏の有無のジュースを賭けだした。信じられない、最低だ!
 高校球児に賭博はご法度だ……あとできつく説教しなくては。

「じゃあ、質問です。私に彼氏がいたら悲しい人、手を挙げてー?」

「……」
「…………」
「………………」

 この空間を漫画的な表現で表現したら「シーン」という効果音がぴったりだろうな、と冷静に分析する。
 それくらいに食堂内は静まり返っている。外のセミの鳴き声まで鮮明に聞こえてくるくらい。
 私は背後を振り返りながら、室内を睨みをきかせながら見渡す。
 さっきまで私の背中に穴を空ける勢いで凝視していたくせに、今は全員が視線を逸らしている。
 この期に及んでスルーするつもりなのか。
 そんなの絶対に許さない……!

「……もう一度聞きまーす。私に彼氏がいたら悲しい人、手を挙げてー?」

 あえてもう一度、プレッシャーを与えるように同じ質問を繰り返す。
 そして、また室内をぐるっと見渡した。
 野次馬たちはお互いを小突きあって「生贄」の役を押しつけあっている真っ最中だ。

 (おい、おまえが手挙げろよ)
 (なんで俺が!)
 (そういうおまえが手挙げればいいだろ!)
 (え〜〜俺がぁ?)
 (……めんどくせぇ)

 こほん、とわざとらしい咳払いを一つ。
 すると、いくつかのテーブルからいくつか手が挙がって、いち、に、さん……三人ほど挙手している。
 三人だけとか……寂しすぎない……?
 私ってそんなに人望が無かったのか……とショックを受けつつも、これまでの自分の態度を振り返れば、まぁ仕方ないだろう。

「……吉川さん、ごめんなさい。"本当のこと" を公表したら、悲しむ部員がこんなにいるの。だから、その質問には答えられないわ」
「そ、そうですよね! 私こそ変なこと聞いちゃってすみませんでした!」

 心底残念そうな演技をしながら謝罪すると、吉川さんも平謝りを繰り返す。
 高島先生の優雅な笑みをイメージしながら、大人の余裕を気取ってにっこりと微笑む。
 
「謝らなくていいのよ、大したことじゃないわ」

 そんな風に普段より丁寧な口調で吉川さんを慰めつつ、さりげなくこの場を立ち去ろうと、席を立ったーーその時だった。

「そうですよね。"本当のこと" なんて、他のやつらの前じゃ……言えねぇよ」

 今まで不気味くらいに大人しく気配を消していた御幸君が、意味深なセリフとともに最悪のタイミングで口を開いた。
 食堂中の視線が、私たちに集まる。 
 私はすぐさま『これ以上なにも喋るな』と視線で制したのに、鼻で笑って一蹴された。
 御幸君はいったい、この場でなにを言うつもりなの……?

「 "本当のこと" って……いったいどういうことや、御幸!」

 プロテイン品評会の会員である前園君が、椅子を蹴飛ばすように音を立てて立ち上がり、御幸君をビシッと指差す。
 "なにか" を察したような青ざめた顔をして、その指先はブルブルと震えている。
 いったい "なに" を察したんだ、前園君……お願いだから、変な勘ぐりだけはやめていただきたい。
 私はこめかみに青筋が立つ感覚を覚えて、徐々に頬が引きつりだした。
 すべて御幸君のせいだ。これからどんな展開になるのかーー嫌な予感しかしない。

「どういうことって……ねぇ……みょうじセンセー?」
「御幸君は黙って! 前園君は落ち着きなさい」
「御幸、おまえ、まさか……みょうじ先生に手ぇ出したんやないやろな!?」

 な、なんでそうなるの〜!?

 と、絶叫しそうになるのはなんとか我慢したけど、前園君の発言に動揺しすぎて膝から崩れ落ちてしまった。
 藤原さんが差し伸べてくれた手を取って、よろよろと立ち上がる。
 私の動揺している様子を目の当たりにして、野次馬たちの目が好奇の光を宿して輝いている。おいやめろ、そんな目で見るな。

 これが公衆の面前でなければ、私は今ごろ御幸君の顔面に正拳突きを喰らわせていたかもしれない。
 御幸君は今、私を罠にはめて陥れようとしていると、はっきりと感じる。
 せっかく演技までして取り除いた「地雷」を、私の手から奪い取ってわざわざ足元に埋めこんだのだ。
 「さぁ、あとはここを踏むだけです」くらいにお膳立てまでして……酷いにもほどがある!

「悪ぃな、ゾノ。みょうじセンセーは "本当のこと" は言いたくないんだって」
「ま、まさかお前ら付きあっ「てないーい!」
「えっ」

 レンズの向こう側の目がいやらしく、おもしろがるように細められる。
 形の良い唇がニヤリと歪んだ瞬間、堪忍袋の緒がブチ切れる音が脳内に響いた。

「私は誰とも付き合ってない! だいたい野球部の顧問やってて、彼氏なんてできるわけないでしょ!?」

 大人のくせに取り乱して情けないし、みっともない。もはや半泣きである。
 そんな私を見た部員たちは、私のあまりの剣幕と発言の悲惨さに、哀れみの表情を浮かべている。
 でも、私は御幸君の策略で罠にはめられたんだから、衝動的に泣きたくもなる。恥ずかしすぎて顔が爆発しそうだ。

 だから、恨みも辛みも嫉みも全部こめて、私は保身のために叫ぶ。

「今は野球が恋人です!!」

 まさに負け犬のような捨てゼリフを吐いて、私は食堂を飛び出す。
 出入り口の扉を閉める刹那、その数センチの隙間からほくそ笑む御幸君の顔が見えた。

 そして、私は明日の私に誓う。
 御幸君が謝ってくるまで絶対に、絶対に、絶対に、一切口を利かないと。