×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -



※本誌ネタバレ注意





私には高いところを見上げると無意識にだらしなく口を開けてしまう癖がある。
いつもはその様子を「間抜け面だね」なんて彼女に向かってほくそ笑む彼氏は、重たそうな一眼レフのファインダー越しに見上げるティラノサウルスのジオラマを、静かに興奮しながら撮影している最中だ。
すごいね、大きいね、強そうだね。なんてありふれた単語を並べるだけの語彙力の枯渇した感想は、足元を駆け抜けていく元気いっぱいのちびっ子たちの口からも頻繁に発せられている。
そうか。枯渇してしまったのではなくて、私の語彙力は小学校低学年くらいで成長が止まってしまったままなのだなと、初めて訪れた恐竜博物館で思い知る。
そんな私に比べて、付き合いだして六年になる月島蛍という男はバレーも上手くて博識で、極め付けに背も高く顔立ちも非常に整っている。なぜ才色兼備なこの男と、平々凡々な私が付き合っているのか、たまに自分でも不思議だなと思う。

蛍は普段から口数はそんなに多い方ではないけど、口にしたことはだいたい達成してきたから有言実行の男だ。
学芸員になると言って選んだ大学にスポーツ推薦で合格、部活と学業と恋愛を器用にこなして卒業し、枠の少ない博物館での正規職員として働きだしてもうすぐ一年が経とうとしていた。
私の方が一年早く大学を卒業して社会人になったというのに、蛍の方がよっぽど早く社会人生活に慣れている様子なのが悔しい。
上司の愚痴とか、お局に目をつけられていて面倒くさいとか、仕事のやりがいのなさとか、そんな話しは一度だって聞いたことがなかった。
私なんて毎週末会うたびに酒に飲まれながら仕事なんて辞めてやる! と生産性もなくひたすらに愚痴りまくっている。
蛍ははいはいと受け流すだけで、いつも話しを半分しか聞いてくれない。それくらいの扱いで接してくれる気楽さは、私にはちょうど良かった。
気怠そうな相槌とか、ほんのり冷たい瞳に見つめらると、怒りで熱くなった頭がゆっくりと36.5℃まで冷却されていく。そんな時間が、どうしようもなくいとしかった。

「たまには息抜きも必要でしょ」
蛍からの提案で、年末の休みに珍しく遠出の旅行に行くことになっていた。
行き先は蛍に任せてしまったけど、早朝の仙台駅からゆっくりと滑り出した新幹線に乗っても、待ち合わせした時からずっとだらしなく表情は崩れっぱなしだった。
昨晩、荷造りをしながらもすでにニヤニヤし続けていたんだけど、今は蛍がすぐ隣にいるからなおさらだった。
蛍は恐竜や古代の生物も好きだけど、新幹線やその他の電車にも精通していて、新幹線の名前の由来とか、最高速度は何km/hとか、色々教えてくれた。
蛍の脳には私の何倍もの記憶容量のスペックが搭載されていて羨ましい。私の脳はいくつかの嬉しかった思い出と、忘れたくても忘れられないような恥ずかしい思い出と、これから先の一年分くらいを記憶しておくだけのスペックしかない。

「恐竜が生きてたのってどのくらい前なんだっけ?」
「六千六百万年前」
「ろくせんろっぴゃくまんねんまえ……」

なんと途方もない年月なんだろう。そしてなんて大きくて骨太で怖い生き物なんだろう、恐竜って。
私はトリケラトプスの骨格標本の前で、今世に生まれ落ちたことを心の底から良かったと思っている。
もしも、道端で野良猫と出会すような感じで恐竜と遭遇した日には、逃げる間も無く頭から丸呑みされるだろう。
私は蛍のように運動神経は良くないし、走って逃げようとしてその場で転んで……後はご想像の通りです。
でも、私は性根は優しい人間なのでこのトリケラトプスに同情してしまう。
ある日突然に衝突した隕石のせいで、寒くて辛い氷河期が訪れてわけの分からないまま凍え死んで、骨になってまで無理やりに形を保たれて、六千六百年後にこんな風に晒し者になるなんて、私には耐えられそうにない。

「なまえ、口がまた開いてる」
「……!」
「間抜け面」

おい、なぜいま私に向かってシャッターを切った。間抜け面の私をわざわざ高画質の一眼レフで撮る必要ないじゃないか。
消して! と必死に訴えても、はいはいと流されて今度はプテラノドンにレンズを向けている。自分は写真を撮られるのはあまり得意じゃないくせに、私には不意打ちで撮ってくるんだ。まったくもう。
蛍は慣れた手つきで数回、カシャカシャとシャッターを切った。

「あ、蛍、危ない!」

写真を撮るのに夢中になっている蛍の長い脚に、前方不注意の幼児が走ってきた勢いのまま衝突した。あまりのすばしっこさに私の注意も遅れてしまった。
故意ではなかったとはいえ、見知らぬ人にぶつかってしまった幼児は気まずそうに足元でもじもじとしている。
私はすかさずフォローに入ろうとした。だって、蛍はいつだったか子供と接するのは得意ではないと言っていたことを、唐突に思い出したから。
子供は考えてることがわからないから苦手だ、と微かに表情を曇らせながら言っていたような。

「痛いところはある?」
「….…ないよ」
「走ったら危ないよ。気をつけてね」
「ごめんなさぁい」

なんという尊い光景なんだろう。
夢中になっていたプテラノドンから視線を外し、長い脚を折って屈んだ蛍は、小さな手を取って柔らかな眼差しで、とても穏やかな声で幼児を諭した。
そういえば、博物館で働き始めてから子供と接する機会も増えたと、いつだったか話していたような。
そっか、苦手だった子供も克服したのか。というか、初めからそこまで苦手でも不得意でもないと気付いたんだろう。だって、蛍はいつまで経っても子供みたいな私と付き合い続けられるくらいなんだから。
私は蛍の優しげな横顔を見つめながら、私はきっとずっとこの人のことが好きなままなんだろうなぁ、と静かに想いを重ねる。

幼児は頼りない足取りで母親の元へと走り寄って、細い脚に両手を広げて抱きついた。
母親は見た目からして二十代半ばだろうか。息子の代わりに申し訳無さそうに頭を下げる。私たちもそれにつられて会釈をする。
私とさほど年齢も変わらなさそうなのに、すでに一児の母親とは。赤の他人だけど、心の底から尊敬の念を抱く。私はまだまだ貴方と同じステージに進めそうにもない。
高校卒業までは誰しもが横一直線に並んでいた人生ゲームは、二十代になると人によってライフステージの進み具合が早いか遅いかに分かれてくる。
私たちの生まれ育ちは田舎なので、高卒で就職した同級生の中にはすでに結婚、出産、子育てを経験している子たちも少なくない。
この間、結婚が決まったと久しぶりに連絡をくれた元クラスメイトに近況を報告して、こう聞かれた。
「え、高校生の時の彼氏とまだ付き合ってるの? じゃあ、もしかしてそろそろ結婚するとか?」
そんなの知るか、私が知りたいわ! と口先まで出かかって、ぐっと喉の奥へと飲み下したことがあった。
私と蛍の付き合いは、高校卒業、大学進学、就職を経験してもあまり波風立つこともなく続いてきた。
これはひとえに私が蛍にべた惚れで、どんなに素っ気なくされても、部活で忙しいからと放置されても、健気に想い続けてきたことが報われているからなんだろう。
蛍はあまり未来の話はしない。今週あった出来事とか、高校の共通の知り合いの近況とか、そんな事ばかり話していても楽しくて幸せだったから、これから先の私たちの話しをしたことはなかったと思う。
私たちこのままいけば結婚するのかな? とか、どこに部屋を借りようかとか、子供は何人欲しい? とか。
そんな予定すら決まっていない空想の未来を肴にして酔えるほど、蛍は子供じゃない。
そりゃ私だって、そんな浮かれた未来の話しだってしてみたいと思うことはあっても、蛍はまだ社会人一年目だし、なんなら私だって社会人二年目の若手だ。
仕事すらまだ一人前にこなせないのに、誰かと生きていく将来に責任なんてまだ持てそうにもない。
私たちが一つ二つとライフステージを進めていくのは、数年後になるかもしれない。
もしくは、蛍は私じゃない誰かを選んでステージを進めるかもしれない。
そんなの嫌だけど、絶対。

「ずっと歩き回ってたから疲れたでしょ」
「ちょっとね。でも、蛍がいろいろ解説してくれたから楽しかった」

三時間もたっぷりと博物館見学を堪能した私たちは、蛍の借りてくれたレンタカーで近くの温泉地の旅館を目指している。
車窓を流れていく風景は夜の闇に深く沈んで、ぽつりぽつりと民家の明かりが星明かりのように灯っているだけだ。

「私、棚の端から端まで大人買いする人、初めて見たよ」
「まぁ、あそこのミュージアムショップ限定の商品も多かったからね」
「ちびっ子たちも驚いてたよ。あの人は石油王かもしれないって、噂話してた」
「ずいぶん大袈裟だね。わざわざ福井まで来たんだから、これくらい当たり前でしょ」

かくいう私も、蛍のミュージアムショップでの豪遊ぶりには取り巻きのちびっ子たちと同様に驚かされた。
ただでさえ蛍の部屋には恐竜のミニチュアレプリカがずらりと並べられているのに、その数を遥かに超えそうな点数のレプリカやらフィギュアなどを、太っ腹にもカード一括払いで購入したのだ。
蛍は「仕事の為だから」と言い切っていたけど、私には私利私欲を満たす為の買い物にしか見えなかった。
年明けには大量の配送品が月島家に押し寄せるだろう。蛍のお母さん、きっと目を丸くして驚くんだろうな。蛍、ちょっとこれどうしたの? と聞いている姿が脳裏に浮かぶ。

「あんなにたくさんレプリカ買っても、あの部屋に飾りきらないでしょ」

少しだけいじわるに含み笑いで運転手に問うと、むっつりと唇を結んでしまった。
あれ、もしかしてちょっと不機嫌、だったかな?

「僕、春には家を出るつもりなんだよね」
「自分で部屋を借りるつもりだったから、あんなに買い込んだんだ」
「それでさ、君も住むでしょ」
「?」
「僕と一緒に」
「……!」
「何とかいいなよ」

白い耳たぶが、ほんのりと紅く滲む。不機嫌じゃなくて、緊張してただけみたい。
眉間にシワ寄せちゃってさ、照れ隠しのつもりがバレバレなんだから余計に愛おしくなるよ。

「……広い部屋を借りなくちゃね」
「別に君とならどこでも良いけど」
「じゃあ、六畳一間共同トイレでも良いの?」
「なまえに部屋探しさせたらロクなことにならないでしょ。部屋はいくつか僕が探すから、一緒に選ぶよ」
「うん、そうしよう。春になるのが楽しみだね」

春になれば、私たちの付き合いは七年目になる。
別に結婚するわけでも、出産するわけでもないけど、今の私は蛍のそばにいられる時間が一秒でも長くなるだけで、充分に幸せなのだ。
きっと、十年先も、五十年先も、いつか死んで、白くてすかすかの骨になっても、蛍のかたわらでずっと蛍のことを想い続けるんだろうな。
もし私が先に死んだら、あのプテラノドンの骨格標本のように展示してくれても構わない。
死んでからも晒し者になるなんて嫌だと思っていたけど、蛍のそばにいられるならそんな人生でも幸せかなって、今はそう思うよ。



prev next
back