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Blue halation
適度に冷房の効いた室内から外へ出ると、一瞬にして蒸し暑い空気に全身が包まれて、思わず息が詰まった。試合開始前よりもずっと鋭さを増す日差しに目を細め、休憩中に日焼け止めも塗り直さなきゃと腕をさする。
スタンドからは応援団や吹奏楽部やチアガールたちがバラバラと降りてくるので、場外は一時的に人でごった返す。人混みを避けてこの球場で唯一の自販機で青のペットボトルを購入し、お目当ての彼を探してキョロキョロと周囲を見渡してみる。

ダウンはもう済んだのかな?
もしかしてミーティングしてるとか?
それか着替えてたりするのかも。

様々な憶測が脳内で飛び交って、頭の中が慌ただしい。雑多な人混みの中から、彼の姿はなかなか見つけだせない。
次の試合の公式記録員も任されているので、今日もあまり時間が無いから早く見つけ出したいのに。

……早く、会いたいな。

なんて、まるで恋する乙女みたいなことを想ってみたりする。恥ずかしいな、私。

「よぉ」
「えっ、わ、み、御幸君!」
「悪ぃ、驚いた?」
「びっくりしたよ、もうっ!」
「ビビりすぎだろ! はっはっはっ」

唐突に肩を叩かれて、鼻は瞬時に汗と制汗剤の混ざった匂いを嗅ぎつける。まさかと思いながら振り返れば、すぐ後ろに御幸君がいるではないか。白い歯を見せながら、悪戯っ子みたいな笑顔を浮かべて。私もつられて笑顔になってしまう。つい「会いたかった」と口走りそうになるのを、グッと堪えてその代わりに勝利を称える言葉を贈ろう。

「今日も勝ったね! おめでとう!」
「おー、ありがとな。そっちもアナウンスお疲れ」
「御幸君も大活躍だったね!お疲れ様」
「んで、誰か探してんの?」
「御幸君のことを探してたんだよ」
「え? 俺?」

レンズの向こう側のぱっちり二重が見開かれて、大きな黒目が丸くなる。試合中はキャッチャーマスクやサングラスに隠れて、御幸君の表情をちゃんと見ることはできない。
でも、目の前にいる彼の表情は結構豊かで、試合中とのギャップを感じる。遠くから彼を眺めていた時は、見た目からなんとなく気難しそうなイメージを抱いていたけど、実際に会ってみれば案外に話しやすい。私が想像していたよりも年相応で、ちゃんと男子高校生って感じで安心する。

「この前、奢ってもらったお礼が言えてなかったから」
「そんぐらい別にいいのに」
「嬉しかったからお礼言いたかったの! この間は本当にありがとう」
「律儀だな」
「そんなことないって。あとこれ差し入れ」
「ありがとな。喉渇いてたから助かるわ」
「どういたしまして」

大事に握り締めていた青のペットボトルはこのあいだ御幸と私が飲んでいたのと同じ物。胸の前に差し出したそれを受け取った御幸君は、すぐに白のキャップを開け喉を鳴らして飲んでいる。上下する喉仏を眺めながら、同期の部員たちにすら感じたことのない色気を感じ取っている。
うん、やっぱり御幸君ってかっこいい。そんなことは知ってはいたけど、本人を目の前にすると余計に強く感じる。

「そういえば、こないだ聞きそびれたんだけど」
「何を?」

御幸君はキャップを閉めながら、横目でちらりと私を見る。私は首を傾げる。御幸君が私に聞きたいことって、なんだろう。
思い当たる節は……特にない。

「自分のとこのチームは、勝ち上がってんの?」
「あー…うちは三回戦で負けちゃったんだ」
「……そっか。もう引退してたんだな」
「最後の試合もベンチ入らないでアナウンスしててさ。だから、なんか引退したって実感がわかないんだよね。今日も球場運営で普通に働いてるし」

私たちが引退したのは、青道の初戦の翌日だった。
春大では夏のシード権獲得まであと一歩のところで敗退、一回戦から始まった夏大は二試合を勝ち進んでいた。
私は記録員の座をメンバー外の部員に譲り、球場運営のアナウンスや公式記録員としての仕事に徹して、グラウンドの外からチームを支えていた。
三回戦では、序盤からリードされるキツイ展開で手に汗を握りながら、声が動揺で震えないように平静を装うので精いっぱいだった。
そして、とうとう一点差を覆すことができずに、チームは負けた。
選手たちがグラウンドに膝をついて泣いている時にも、私は仕事を優先して泣くことすら許されなかった。
球場運営の仕事は好きだし、それなりにプライドを持って全うしている。でも、あの日ばかりは、窓ガラスとフェンスを挟んだ向こう側のグラウンドが、とてつもなく遠い場所にあるように感じて、ただただ悲しかった。 選手たちと一緒に泣けないことが、心底悔しかった。

「自分たちの試合なのに、ベンチ入りすらできなかったのかよ」
「夏大はどこの球場も人手が足りてないからね。試合に立ち会えただけ良かったのかも。ただ、試合に負けて泣けないのはさすがにキツかったなぁ」

こういう時にどんな顔をすればいいのかわからなくて、とりあえずヘラヘラと笑ってみせる。会話の空白を埋めたくて喋りすぎて、つい愚痴っぽいことを溢してしまった。
御幸君は何か考え込むように、押し黙る。

「あ……ごめん。こんなこと言うつもりなかったんだけど」
「謝ることねぇよ」
「……あはは。みんな頑張ってくれたんだけど、なかなか勝てないね」
「チームが負けて、悔しいんだろ。無理して笑うことねーよ」

御幸君の明るい栗色の瞳が、私の瞳を真っ直ぐに貫く。あっさりと作り笑いを見透かされて、私は急に泣きたい衝動に駆られる。私たちはチームメイトではない。でも、御幸君は私の隠していた悔しさも痛みも、いとも簡単に暴いてみせた。
御幸君の綺麗に整った顔が、微かに歪む。
その表情を見て、唐突に昨年の夏を思い出した。西東京大会決勝戦、青道がサヨナラ負けで甲子園出場を逃した、一年前の夏。
御幸君も主力選手としてグラウンドに立っている姿を、私も目の当たりにしていた。
だから、私の気持ちを見抜けたんだ。負けることの悔しさも、胸の内側で疼く痛みも、きっと御幸君も同じように味わってきたはずだから。

「ありがとう……慰めてくれて。次の試合も頑張ってね。青道ならきっと甲子園に行けるよ」
「あぁ。甲子園だけは、どこにも譲るつもりねーよ」

真っ直ぐな眼差し、力強い声、自信を漲らせた表情に、私は強い引力で惹かれる。熟れた果実がぽとりと地面に落ちてしまうように、私も自然と落ちていく。逆らうことも抗うことも、御幸君の前では無意味だと知った。
届くはずないのに、手を伸ばしてしまう。
叶うはずないのに、願ってしまう。
甲子園に行きたい、と心から焦がれたあの日と同じ感覚。これは確かに、甲子園に恋をした、あの時と同じ感情だ。

「……私、そろそろ戻るね」

御幸君に対して新しい感情を抱いたことを自覚して、急に気恥ずかしくなった。なんだか自分がすごく不純な人間のように思えて、逃げるようにその場から離れようと踵を返す。
直射日光を浴びたせいか、首筋を伝う汗が止まらない。火照る頬が熱くって、冷たい水で顔を洗いたくなる。無性に喉が渇いて仕方ない。

「なぁ」
「……ん?」

不意に呼び止められて心臓が大きく跳ねた。振り向いた先には、照れくさそうに頭を掻く御幸君の姿。
何かを、期待してもいいんだろうか。一歩、二歩と、離れた分だけ御幸君に歩み寄る。
さっきよりもう少しだけ近くで、端正な顔を見上げる。ふーっと小さく息を吐き出すと、意を決したように視線を私に向けた。
うわぁ、近くで見ると余計に顔が良い。

「このあとって空いてる日、あるか?」
「四回戦以降は運営も無いし、空いてる日もあると思うよ」
「それならさ、応援しに来てくれたら嬉しいんだけど」
「……それって、友情応援ってこと?」
「あー……とりあえず友情応援ってことでいいか」
「?」

含みを持たせた物言い。逸らされた視線。
歯切れの悪い言葉尻。御幸君には何か考えがあるのかもしれない。その何かは、私にはよくわからない。
でも、まぁいいか。御幸君から応援しに来てほしいって誘ってくれたし。もともとこっそり応援しに行こうと考えていたところだし、ちょうど良かった。

「来れる日あったら、事前に教えてほしいんだけど」
「いいよ。じゃあ、ライン教えてくれる?」
「俺、ラインやってねーんだよ」
「じゃあ、メールアドレス教えて」
「おー」

ポケットから携帯電話を取り出して開く。
スマホじゃないだね、と言うと「これで十分だから」と欲の無い答えが返ってくる。
少しくすんだ白の携帯電話は、だいぶ使い込まれたような雰囲気を醸しだしている。
物を長く大事に使う人なんだ、御幸君って。新しい一面をまた一つ見つけられたことが、嬉しい。
私もスカートのポケットからスマホを取り出すと、少し離れたところから元気な声が飛んできた。

「あー! キャップが見知らぬ女子高生をナンパしてるぞ!」
「うるせーヤツに見つかった……」
「申し訳ございやせん! うちのキャプテンがご迷惑をおかけしております!」
「栄純君が迷惑かけてるんだよ。少しは空気読もう?」
「いいぞ、小湊。もっと言ってやれ」

人波をかき分けてずんずんと御幸君に詰め寄るのは、背番号1と背番号4の二人。
名前は確か、沢村君と小湊君。
試合直後だというのにやたらと元気が良いのはなんでだろう。やっぱり強豪校の選手のスタミナは半端ない。少々興奮気味の沢村君を遮り、御幸君を庇うように二人の間に立つ。

「御幸君とは友達になったの。だから、ナンパじゃなくて連絡先を交換してただけだよ」
「そうだぞ沢村。邪魔すんな、あっち行ってろ」
「はっ! それは失礼致しました!」
「御幸先輩、すみませんでした。栄純君、早く戻るよ」

嵐のようにやってきて、嵐のように去っていく。ピカピカの背番号1が弾むように歩くすぐ隣で、背番号4が見えないリードを引っ張るようにそばにいる。
あの二人はいつもあんな感じなんだろうなって、なんとなく雰囲気だけを見ればわかってしまう。小湊君、いつも大変だろうなぁ。

「あの子、沢村君だよね?」
「あぁ。騒がしくて悪ぃな」
「ううん、全然。沢村君って面白い子だね。エースがあれだけ元気なら、チームの雰囲気も明るくなりそう」
「……みょうじって、あーいうヤツがタイプなわけ?」

すっと細められた目蓋からひんやりとした視線が注ぐから、目をぱちくりと開く。

「好きなタイプってこと?」
「そーだよ」
「それはちょっと違うかな。どちらかといえば、弟にしたい感じ」
「弟になったら余計にうるせーぞ、アイツ」
「あはは! 毎日楽しくなりそうだね。で、御幸君の好きなタイプは?」
「え、俺の? 気になる?」
「……うん」

この流れに乗じて、気になっていた御幸君の好きなタイプを思い切って聞き返してみる。我ながら大胆な事をしたものだと思う。
けど、きっとこんな機会はなかなかない。だからこそ、思いきったことができたのかも。
ちなみに私は、普段はこんなに大胆な性格ではない。
御幸君は少し考えこんで、ニヤッと笑う。
まるで新しい悪戯を思いついた子供のような無邪気な笑顔。心臓がきゅっと掴まれたような動悸を感じて、私はこの笑顔に弱いんだと知る。

「いま気になってるのは、声が綺麗なヤツ」
「ふぅん。御幸君って声フェチなんだね」
「ちなみに、俺はそいつに名前呼ばれんの、結構好き」
「……それって、もしかして」

私の心の中で、答え合わせをする。数少ないヒントから導き出された答えは、一つ。
私の都合の良い勘違いでなければ、思い当たる節は……ある。
でも、まだちゃんと、答え合わせができていない。今ここで、御幸君の口から答えを聞いてもいいだろうか。

「みょうじさん、そろそろ戻って来てください!」

口を開きかけた瞬間、私を呼ぶ声に遮られて我に返る。反射的に腕時計を見ると、戻る予定の時間を数分遅れていた。球場運営に遅刻は厳禁だ。全身からどっと汗が噴き出す。

「ごめん、いま行く!」
「じゃあ、俺も戻るわ」
「あ、待って、御幸君!」
「ん?」
「私もね、いま気になってる人がいるの」
「……誰だよ、そいつは」
「メール、送ってくれたら教える……かも」
「わかった。今晩メールする」

足早に去っていく背番号2を見送って、私も本部へと踵を返す。
御幸君から届くメール、楽しみだな。ドキドキする。早く夜になればいいのにって思う。

でも、今は次の試合に集中しなくちゃいけない。席について青の背表紙を開くと、真っ白いスコアのひんやりした紙面が心地良くて、手のひらでそっと撫でると心臓の高鳴りが少しづつ収まっていく。愛用している四色ボールペンを握ると手にしっくりと馴染んだ。



試合開始のサイレンが鳴った。
今日もまた、いくつもの夏が私の目の前を通り過ぎる。御幸君の夏は、まだ続いていく。
青道の真っ白なスコアがこれからたくさん埋まっていきますように。
この夏いちばん多く記憶に刻むのは、鮮やかに輝く青と、あの無邪気な笑顔でありますようにと、心から願いながら。



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