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ベットサイドにいちごジャム
まさかインターホンのチャイムで目覚めるだなんて、昨晩には夢にも思っていなかった。
カーテンの向こう側からは、うっすらと日の明るさが差し込み、小鳥のさえずりが聞こえている。ぼんやりとしていた意識が一気に覚醒して、枕もとで充電していたスマホのロック画面で時間を確認すると、すでに待ち合わせの十一時を五分ほど過ぎた頃だった。慌てて連絡しようとロックを解除してアプリをタップすると、春市から数件のメッセージが届いていて『家に着いたよ』と送られてきていたのは、つい三分ほど前のことだった。
一度目から間隔をあけてもう一度、ピンポーンと室内に響き渡る。転がるようにベッドから降りて玄関へと小走りで向かうと、乱れた髪を整える暇もなくドアを開ける。そこにはにこやかな笑みを受かべる春市があった。

「おはよう。昨日はよく眠れた?」
「ご、ごめん春市! 寝坊しちゃった!」

玄関先で土下座をしようとすると、全力で止められた。
「ごめんごめんねごめんなさい!」と口早に謝罪を繰り返すと、眉尻を下げて安堵したように一つ息を吐きだした。

「寝坊で良かったよ。なまえに何かあったんじゃないかって、心配してたから」
「本当にごめんなさい。久しぶりに会えるの楽しみにしてたのに……」

春市と会うのは約一か月ぶりのことで、春季リーグが始まる前の貴重な一日オフを使ってデートに誘ってくれていたのだ。
久しぶりの一日デートに浮かれまくっていた私は、ここ一週間にうちに美容院へ行ったり新しい洋服やデパコスを買ってみたりして、とにかく今日を楽しみにしていた。
それにもかかわらず、トラブルは突如舞い込んできた。昨晩はデート前夜だから早めに上がろうとしていたのに、トラブルの処理に追われて定時を一時間過ぎ、二時間過ぎ、やっと帰宅したのは日付を超える少し前のことだった。
さっとシャワーを浴びて夜食を済ませ、ベッドに入ってからの記憶が無い。ベッドに転がりながらアラームをセットするつもりだったのに、一瞬目を閉じた隙に睡魔が襲い掛かってきて、疲れ果てていた私に抵抗などできなかった。

「気にしなくていいよ。昨日も急に残業になったってライン来てたし、大変だったね」
「うぅ……ありがとう。すぐ支度するから、部屋入って待ってて」
「お邪魔します」

綺麗に片付いているとは言えない状況だけど致し方ない。急いでも身支度には三十分もかかるし、そんなに長い時間を外で待たせておけないし。
春市を部屋に招き入れると、急に腕を引かれてすっぽりと彼の腕の中に納まってしまう。ぎゅうっと抱きしめられると、身動き一つ取れない。心臓がものすごい勢いでバクバクと脈打つから、破裂するんじゃないかと思ってしまう。付き合ってしばらく経つのに、いまだに急なスキンシップにはドキドキしてしまうのだ。

「は、春市、どうしたの?」
「……だってずっと、なまえに会いたかったから」

耳元でそんな甘えた声を出されると、腰が砕けそうになるから勘弁してほしい。肩口に触れた春市の髪は、さらさらしてジャンプーの残り香が微かに鼻腔まで届く。形の綺麗な頭を数度撫でると、肩に額がぐりぐりと押し付けられてくすぐったい。お腹の辺りに回された腕の力がぎゅーっと強くなって窮屈なくらいなのに、もっとぴったりとくっつきたいとすら思う。

「……私も、会いたかったよ」
「うん。なかなか時間作れなくてごめんね」
「それは私も同じことだよ。今日だって寝坊しちゃったし……」
「あはは。じゃあ、お互い様ってことだね」

私たちはお互いのオフや隙間時間を合わせながら、月に一度の逢瀬を続けてきた。
出会った時から社会人の私と、名門大学の強豪野球部に所属している春市は、花火の打ちあがる真夏の神宮ナイターで出会った。
それまではまるで接点の無かった私たちは、偶然にも隣の席に座った。その日、初対面ながらも球場の非日常な雰囲気に流されて何度か言葉を交わし、贔屓のチームの勝利に浮かれた勢いで帰りがけに連絡先を交換した。
それから数回のデートを重ね、春市から告白されて付き合いだしてから、もうすぐ二年が経とうとしている。
ここ最近の春市は、春季キャンプに連日のオープン戦と慌ただしい毎日を送っていて、週に何度か電話をすることしかできていなかった。圧倒的に二人きりの時間が足りなかったのだ。私にも、春市にも。

「急いで支度するから、春市はそこに座って待ってて!」
「……うん」
「あのー、春市さん? 着替えたいのですが……?」
「いいよ、僕が脱がせてあげる」
「え、えぇ? 何を言ってるの、ちょ、ちょっと、春市!」

いきなり横抱きにされたと思ったらベッドに放られて、驚いてぎゅっとつむった目を開くと、赤面した春市が視界いっぱいに広がる。ギシッとスプリングが軋む音が、真昼の部屋に静かに響いた。
春市の大きな瞳の中に、私の間抜けな顔が映って見えて恥ずかしくなる。爽やかな見た目によらず、毎日バットを振って豆だらけの手のひらが、優しく頬を包み込む。

「……なまえ、ダメ?」
「ダメじゃ、ないけど……私、まだすっぴんだし」
「すっぴんだって可愛いよ」
「〜〜っ、春市のそういうところ、ず、ずるい!」
「だって、本当のことだし」

春市の薄くて形の整った唇が、ふんわりと額に降りてくる。それに続けて、まぶた、鼻の先、頬へと柔らかなキスが降ってきた。
伏せていた目を薄く開けると、とろっとした瞳と目が合って、もう逸せない。
あ、これは完全にスイッチが入っちゃってる目だ。

「……春市、あの、ランチビュッフェの予約してくれてたよね?」
「ここに着く前にディナーに予約変更しておいたよ」
「映画観に行こうって言ってたじゃん! 間に合わなくなっちゃうよ?」
「夕方の回でチケット買っておいたよ」

なんという段取りの良さ。さすが、私の自慢の彼氏である。退路を一つひとつ丁寧に排除されて、今度こそもう本当に逃げられない。

「……なまえは、嫌なの?」
「…………嫌じゃ、ないよ」

抵抗することを諦めた私は、とうとう観念して春市に抱きすくめられる。
本当はちゃんとメイクして、髪も巻いたりして、新しい洋服を着て会いたかったけど。
でも、春市がこのままの私でも良いって言ってくれるなら、それでもいいのかなって。
唇に触れるだけのキスを、何度も重ねるのが始まりの合図。優しい腕に身を委ねる幸せを分けてあげたくて、私からもキスをすれば、照れてはにかむ春市がたまらなく愛おしくて胸がきゅうきゅうと鳴くのだ。
『もっとくっついていたい』って心の声が春市の心臓からも聞こえてくるような気がして左の胸にぴたりと耳をくっつける。

「なまえってくっつくの好きだよね」
「春市も好きでしょ?」
「うん、好き。大好きだよ」

トクトク、トクトクって優しい心音と、春市の声が全身に染み渡る心地良さに、うっとりと目を閉じる。たまには、そんな二人きりの休日もいいよね。

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