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きっと、雪のせいだ
スキー場を思わせるような銀世界が眼科に広がる、白く眩しい朝。
雲一つない青空が澄み渡っていて、吸い込んだ空気が冷たい温度で気管を突き刺す。微かな吐息がたばこの煙のように細く立ち昇る光景が連なって、余計に寒々しさを増すようだ。
青道高校野球部専用グラウンドは、その広大な地表のすべてをすっぽりと新雪に覆われてきらきらと朝日を反射して光っている。
青道高校は高校野球の名門というだけあって、野球部専用のグラウンドが二面、室内練習場、寮まで完備されているので、全国から選手が集まってくる。
人数は少ないけど、雪国育ちの部員も在籍している。
その中でも、長野出身の沢村と北海道出身の降谷のテンションが、昨晩からずっと高い。彼らは雪を見ると、故郷を思い出してものすごくテンションが上がるらしい。
「一番乗りだ〜!」とスコップを片手に絶叫しながらもの凄い勢いでAグラウンドの方へと駆け下りていく二人を、小湊が慌てて追いかけている。
その後に続いて御幸先輩と倉持先輩も気怠そうな足取りで追いかけて行った。
あの三人がいれば、暴走気味な沢村と降谷を任せておいて大丈夫だろう。

ところで俺はというと、沢村たちと別れてBグラウンドへと向かっている。Bグラウンドは何かにつけて整備が手薄になりがちだ。
俺がまだ二軍にいた頃は、毎日世話になっていた場所なので、無下にはできない。
それにきっと、あの子もこっちに顔を出すはずだ、と打算的なことも考えていたりする。
Bグラウンドの入り口で佇む見慣れた後ろ姿を見つけて、おはよう、とかけた声が思ったよりも高く弾んだ。

「東条、おはよう」
「やっぱり雪積もったね」
「そうだね。まさかこんなに積もると思わなかったけど。これ、今日だけじゃ雪かき終わんないよね」
「あー、この様子だとグラウンド復旧するのは二、三日ぐらいかかるかも」
「うわぁ、萎えるなぁ」
「でもさ、昨日のうちに融雪剤撒いといて正解だったね」
「うん。昨日頑張っておいて良かった」

早朝で眠いからなのか、それとも雪の反射で眩しいのか、みょうじはしきりに目を擦ってまばたきを繰り返している。その仕草はなんだか小動物っぽい。
しかも、グラウンドコートの下にいったい何枚着込んだのか、上半身がモコモコと膨らんで、まるで冬支度の整ったリスみたいだ。
極め付けに白のマフラーをグルグルと巻きつけて、顔だって半分マフラーに埋もれてしまっている。
その姿が可愛いな、なんて思ってしまって、自然と口角が上がってしまうので手で覆って隠す。
俺はどうやら感情が顔に出やすいタイプみたいだと、最近になって気がついてから日頃から気をつけないといけないと、自分に言い聞かせている。
まぁ、俺の中で芽生えつつある新しい感情には、今のところみょうじはまだ気付いてすらいないんだけど。

「今日は防寒対策ばっちりだね」
「昨日は東条からネックウォーマー借りちゃったから。マフラーもちゃんと巻いてきた」
「今日も貸したのに」
「それは良くない! せっかくお母さんから貰ったんだから、東条が付けてあげなきゃ」

みょうじの見せる笑顔は、澄まして作られた笑顔で自撮りする女子よりも、ずっと自然体でちゃんと感情があって、目の当たりにするたびに胸の内側がくすぐられる。
そんな風に彼女に対して新しい感情を感じるようになったのは、去年の夏頃だった。

夏大を勝ち上がっていくチームの裏側で、俺は応援でしか勝利に貢献できない鬱憤を、自主練で解消していた。
そんな時に、メンバー外の自主練にも付き合ってくれていたのがみょうじだった。
自宅が近所だということもあって、メンバーの自主練が終わった後、メンバー外の自主練が終わる夜遅くまで室内練習場にみょうじの姿があった。
メンバー外の部員の努力はすぐに報われるわけでもないし、誰かに指示されて動いていたわけでもなかったはずだ。
それでもみょうじはティーバッティングのトスを上げ、何十球もマシンの球入れをして、ゴロ捕球の球出しをしたり、サポートが必要そうな部員たちに声をかけ続けていた。
そんな彼女のひたむきな姿に惹かれて、新たな感情が芽生えた。その小さかった芽は、日々少しずつ成長して存在を主張してくるから困ってしまう。







「うぅ……寒い、疲れた、腰痛い、寒い」
「大丈夫? 一旦休憩する?」
「いや、大丈夫。ちょっと愚痴言いたかっただけだから」
「あんまり無理すんなよ」

俺は自分の守備範囲のセンター周辺と、みょうじは右中間の周辺を黙々と雪かきし続けていた。
繰り返し何度も雪をグラウンド外に出しても出しても、土が見えているのは自分のすぐ近くだけ。
水分をたっぷり含んだ雪は重たくて、腕からじわじわと全身の体力を奪っていく。
しかも、その水分は次第に手袋を侵食していくから、指先が冷え切って痺れはじめた。
途方もなく続く雪かきに、さすがのみょうじも愚痴を零した。

「東条は偉いよね、愚痴一つ言わないで頑張ってて。朝からずっと雪かきしててさ、ボール使って練習したくならない?」
「うん、まぁ、それはそうだけどさ。雪かきもトレーニングだと思えば、頑張ろうって気になるよ」
「東条は前向きだなぁ」
「みょうじだって前向きじゃん」

俺も雪かきの手を止めて、短い休憩を取ることにした。みょうじはまだ吐き出したりないようで、深いため息をつく。
Aグラウンドの方からは、拡声器を通したような沢村の大きな声が『雪かき舐めてると腰痛めるぞ!!』とここまで響いてきた。
みょうじは慣れた様子で聞き流している。

「そんなことないよ。マネージャー同士だと愚痴ってばっかりだし」
「愚痴って、例えば?」
「指が赤切れしまくって痛いとか、乾燥しすぎて唇切れたとか、正月太りで顔が餅みたいだってからかわれたとか」
「え、誰がそんな酷いこと言うの?」
「金丸」

念のために該当者が誰か尋ねてみたけど、やっぱり信二だったか、と肩を落とした。
それと同時に、苛立ちが込み上げてくる。
みょうじはしっかり者だけどキツイ性格なわけではなく、適度に隙もあるので部員たちからは取っつきやすい存在だ。
例外に漏れず、信二はよくみょうじに絡んでいて、からかっていじったりすると怒って言い返してくるところが面白いんだと、冗談交じりに話していたことがあった。
信二のやつ、本命の子には話しかけにいけないくせに、なんとも思ってない子にはやたらと無駄絡みするところが厄介だ。積極性を発揮する場面を完全に間違えている。

「……それは良くないね。あとで怒っておくから」
「いや、別にそんな怒ってないから大丈夫だけど」
「信二はデリカシー無いから。今のうちにちゃんと言っておかなきゃ、調子に乗るよ」
「東条、なんか顔が怖い」

指摘されてはじめて眉間にしわが寄っていることに気づく。
自分がからかわれたのに信二を庇おうとしているんだ、お人好しにも程があると思う。
みょうじは苛立つ俺を宥めるように、話の流れを軌道修正しようと違う話題を振った。

「東条はさ、たまには愚痴とか言いたくならないの?」
「俺は投げたり打ったりしてれば、ストレス発散できるからなぁ」
「ストレス発散の仕方が健全すぎる」
「まぁ、でも正直しんどいなーって時は……たまにあるかな」
「東条でもそんな時があるんだね」

みょうじは目を丸くして俺を見上げる。
正直、俺だって聖人じゃない。しんどくて塞ぎ込みたくなる夜だってある。
自分の弱さだけは他人に見せたくなくてひた隠しにしてきたけど、みょうじの前でなら少しだけ、本音を零しても許されるだろうか。

「俺がしんどくなった時はさ、内緒で話しを聞いてくれる? 二人きりで」
「……二人きりで?」

みょうじは俺の全てをまだ知らない。ひた隠しにしているのは、弱さだけじゃない。
部員に頼られたら断れない彼女の優しさに漬け込もうとしている、狡さがあること。
そして、その優しさを利用して距離を縮めようと策略を巡らせていることも、彼女は知らない。

「だって、愚痴なんてあんまり他人に聞かれたくないだろ?」
「確かに」
「じゃあ、契約成立ってことで」
「えぇ、契約なの?」
「そう。だからみょうじが愚痴りたい時は、俺にも聞かせてよ」
「そしたら毎日愚痴っちゃうけど、平気?」
「もちろん」

東条は優しいね、って彼女は笑う。
いつかその屈託のない笑顔を、俺だけが独占したいと思っているだなんて知らずに。
優しさの裏側に下心があるだなんて、気づきもしないで。

「今日から東条は私の愚痴聞き係ね」
「俺で良ければいくらでも聞くよ」
「俺で良ければじゃなくて、私は東条がいいの!」
「ん? それはどういう意味……?」
「はい、休憩終わり! サボってたらいつまで経っても雪かき終わんないよ!」

呆けたまま立ち尽くす俺を置いて、みょうじはライト周辺へ向かって歩き出した。
俺も彼女の後を追いかけて、さっきの発言の意味を問いただそうとしたのに『助太刀するぞ! みょうじ、東条〜!!』という沢村の大声に阻止されてしまった。みょうじが手を振って沢村の呼びかけに応える。

「ナイスタイミングで騒がしいのが来た」
「騒がしいとはなんだ! 失敬な!」
「……ほんと、タイミング悪い」
「……? どうしたの?」
「降谷も来てくれたんだ! 助かるわぁ」

絶妙なタイミングで現れた二人のせいで、さっきまでの良い雰囲気が混沌としてしまって肩を落とす。
気落ちした瞬間に気付いた降谷に心配されたけど、なんでもないよと笑って誤魔化すと、それ以上は追求してこないのが降谷の良いところだ。

「おい、東条。お前さっき、結構攻めてたじゃねーか」

降谷の背後から信二がニヤニヤしながら顔を出した。反射的にパンチが繰り出して、信二の横っ腹にクリティカルヒットする。

「いってぇな! いきなり何すんだよ!」
「信二も好きな子にだけは積極的になる方が良いと思うよ」
「余計なお世話だ!」
「俺が気に入ってんだから、みょうじのことからかって遊ぶの、やめてね」
「……お、おう」

目だけの牽制は投手の時からの得意技だ。
信二にじろりと睨みを利かせれば、帰塁する三塁走者のように表情を硬らせる。

「東条が独占欲強いって知ったら驚くだろーな、アイツ」
「いいんだよ。これから少しずつ教えていくつもりだから」
「……ねぇ、二人でなに話し込んでるの?」

あからさまに表情を強張らせた信二と、にこやかな笑みを浮かべた俺の間から、みょうじがひょっこりと顔を出した。きょとんとした表情で俺たちの顔を交互に見比べる。

「内緒だよ。ね、信二?」
「おー」
「……ふぅん、まぁいいや」

いまいち納得していなさそうに口を尖らせて持ち場へと帰って行く後ろ姿を見送る。
みょうじのいる前では我慢していたのか、信二は盛大にため息をつきながら頭を掻いた。

「さっさと告白しちまえばいいのに。俺は脈ありだと思うぜ」
「それは気が早いよ。脈があるって確信できないうちはまだ様子見だね」
「東条ってそういうとこやらしいよな」
「それにさ、今はそれどころじゃないだろ」
「それな。さっさと雪片付けてフリーバッティングやりてーわ」

とりあえず、恋愛のあれこれはひとまず置いておいて、目の前の雪かきの作業に専念しよう。
真っ白なグラウンドのところどころではしゃいだ声がこだまする。
雪がレフ板みたいに日光を反射して、汗を拭ったみょうじの横顔がいつもより可愛く見えるのはきっと、雪のせいだ。



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