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シナリオはもういらない
「野球のルールを覚えたい?」

大きな瞳を瞬かせながら、小湊君は私の言ったことをそのまま復唱した。
私の机に肘を置いて振り返っているので、机一つ分を挟んですぐ目の前に端正なお顔がある。
昼休みで教室も廊下もざわざわと騒がしいけど、小湊君の声はよく通って聞こえやすい。
少し前まではこの距離感を何とも思っていなかったのに、『みょうじさんも僕のこと真剣に考えてよ』と小湊君に言われたあの日から、私はこの距離感が近いような気がして、やたらと意識してしまっている。
そんな小湊君はというと、翌日から普段通りの態度に戻っていたので、あの日の昼休みの出来事は夢か幻だったんじゃないかとさえ思いはじめていた。

「今からだと遅いかな」
「いきなりどうしたの」
「この間、春の大会を見に行ったんだけど、ルールがよくわからないから何が起きてるのか理解できなくて。いつの間にか試合も終わっちゃって、せっかく球場まで行ったのにもったいなかったなと思って」

私はクラスメイトとしての小湊君のことしか知らない。
異性として意識するようになってまだ日は浅いけど、もっと小湊君のことが知りたいと思って野球場まで足を運んだのは、つい先日のこと。
小湊君のポジションはセカンドで、二番目に打つということ。九回の攻撃と守備を繰り返して多くの点を取ったチームが勝つ、というかなり大雑把な情報しか持たないで野球場まで来てしまったから、実際に試合も見てみてもわけがわからなくて混乱してしまった。
周りの観客の話し声に聞き耳を立ててみてもツーナッシングとか、ワンマンとか、ダブったとか、野球用語が混ざった会話の意味すら理解できなかった。
野球場まで行けば何とかなるとさえ思っていたのに、その考えは楽観的すぎたようで頭を抱えてしまった。野球ってすごく難しい…!
完全なる準備不足のせいで内心パニックを起こしながら、セカンドを守っている小湊君の姿をぼんやりと眺めていることしかできなかった。今となっては非常に後悔している。

そして、同じ悲劇は二度と繰り返さないようにと、小湊君に野球のルールの教えを乞おうとしているわけです。

「そういうことだったんだ」
「ルールがわかってた方が応援もしやすいかなと思うんだけど、やっぱり私には難しいかなぁ」
「そんなことないよ。僕がルールを覚えたのは小学生の頃だったし」
「だよね! 私も頑張ろっと。それでね、野球のルールブックでおすすめがあれば、教えてほしいんだけど」
「ルールなら僕が教えられるけど」

なんて有り難い提案なんだろう。小湊君の背後から後光が見えるみたいだ。
もしも野球の神様が本当にいるとしたら、きっと小湊君みたいな姿なのかもしれない。
よろしくお願いします!と即答したいところだけど、自分で思っていたよりも野球のルールを知らなかったので、まずは基礎知識を身につけるところから始める必要があった。

「最初にルールブックを読んで一通りの知識を覚えてから、わからないことは小湊君に質問したいんだよね」
「その方が効率もいいかもね。寮に初心者向けのルールブックがあるから、それを貸そうか」
「え、いいの!」
「もちろん。今日帰る前に寮に寄れる?」

なんてこった! ルールブックを借りることを口実に、お部屋訪問のイベントが発生したではないか!
普段、一般生は近寄ることすらない野球部の寮に招待されてしまって、急接近の予感に心臓が高鳴ってしまう。
こういう展開は少女漫画の場合だと、部屋に二人きりになってイイ感じの雰囲気になってそんな時に限って同室の部員が帰ってきてしまって二人で小湊君の布団に隠れて、それから……みたいなパターンが王道だと思うのだけど!
いわゆるラッキースケベな展開が起こりうるシチュエーションである。でも待って、今日の私、下着が上下バラバラだったような…?

「……わ、わかった!」
「すぐ渡せるように用意しておくね」
「そういえば、今日は練習じゃないの?」
「今日は一応、オフなんだ。自主練始める前に本を渡すよ」
「あのさ、ちょっと気になってたんだけど、なんで初心者向けのルールブックなんか持ってるの?」
「一年生の頃、栄純君にルールを教え直した時に使ったんだよ」
「沢村はそんな状況でよくメンバー入りできたね……」
「栄純君はポテンシャルが高かったからね」

小湊君のさりげなく沢村をフォローする優しさにジーンとしてしまう。
沢村を軽くたしなめたりしている小湊君を見かけることは多々あっても、彼を悪く言うことは一度だって聞いたことがない。
信頼できる仲間、そして気のおけない友達である二人の距離感が、羨ましいなとも思う。私はどうしたら小湊君ともっとお近づきになれるんだろうか。







「小湊君!」
「ごめん、待たせた?」
「ううん。いま着いたところ」

待ちに待った放課後。
ホームルームが終わってすぐに近くのコンビニに立ち寄ってから、野球部の寮に訪れた。
私が待ち合わせの門に着いたとほぼ同時に、小湊君が部屋からやってきた。
まるでデートの待ち合わせのやりとりのような会話に、くすぐったさを感じてしまう。

「なにニヤニヤしてるの」
「なんか、デートの待ち合わせみたいなやりとりだなって思って」
「そ、そうかな」
「小湊君、動揺してる?」
「してない!」

小湊君は嘘をつくのが下手くそだ。
私が指摘しなければ、いま赤面していることに気づかないだろう。こういう、小湊君のちょっと不器用な一面にも、私はじんわりと惹かれている。
男の子だってわかってはいるんだけど、可愛らしいなと思ってしまう。きっといま口を滑らせてしまえば、距離を置かれかねないのでこの想いはもっとお近づきになったら、伝えてみようと決めている。

「えへへ」
「……まだ何かあるの?」
「小湊君がラフな格好してるの、初めて見るなと思って。いつも制服か学校のジャージかユニフォーム姿しか見たことなかったし」

目の前の小湊君は、薄い水色の半袖Tシャツに、赤の縦ラインの入ったジャージを履いている。
いつもの教室で見ているきっちりとした制服の着こなしと雰囲気が違って、すごく良い。何が良いのかって聞かれたら具体的に答えるのに戸惑うけど、とにかくラフな格好の小湊君はめちゃくちゃ良い。
生活感を感じさせる佇まいに、今まで知らなかった一面を垣間見た時のときめきで心臓がきゅーっとなる。

「そんなこと言ったら、僕もみょうじさんが制服と学校のジャージを着てるところしか見たことないよ」
「そうだっけ?」
「そうだよ。この間の試合も制服で来てたでしょ」

ちなみに、この間の出来事は試合中にずっと混乱していたので、自分がどんな服装で出かけたかすら覚えていない。帰りの電車で情報処理しきれなかった脳が燃え尽きていたので記憶もほぼ真っ白である。

「ちゃんとルール覚えたらさ、今度は私服で球場に来てよ」
「別にいいけど、なんで?」
「僕もみょうじさんのラフな格好、見てみたいから……ダメ?」

小湊君にちょっとだけ甘えるように首を傾げる仕草をされて、ダメだと断れる女子はいない。断言できる。
弟属性の小湊君はさりげなく甘える術を無意識にやってしまうので、あざとさ部門では青道野球部No. 1の座に君臨すると思う。
私にもその自然なあざとさを演出する術を、ぜひ教えていただきたい。

「全然ダメじゃない! でも、あんまり期待しないでね」
「楽しみにしておくよ。あ、でもミニスカートはダメだからね」
「えー、なんで?」
「なんでも」

つい最近、買ったばかりのミニスカートは、どうやら小湊君のお好みではないらしい。
夏まで着回せるかなと計算して買ったのだけど、野球場に着て行くのはやめておいた方がよさそう。残念だけど仕方ないか。

「あと渡し忘れてたけど、これがルールブックだよ」
「ありがとう! 私からもルールブックを貸してもらうお礼に、差し入れ持って来たよ」
「ありがとう、嬉しいな。わざわざ買って来てくれたの?」
「私もコンビニ行きたかったから、ついでにね」
「自主練終わったら食べるよ」
「喜んでくれて良かった。自主練も頑張ってね!」

どうやらすでにルールブックを持って来てくれていたらしく、部屋訪問のイベントは残念ながら発生しないようだ。
さっきコンビニで確認してみたら案の定、下着の上下がバラバラだったのでちょっと一安心。
ルールブックと差し入れを交換すると、小湊君は顔を綻ばせながら袋の中身を覗き込む。
差し入れはプロテイン配合のドリンクと、小腹を満たすためのゼリー飲料を選んでみた。
差し入れの品物も気に入ってくれたみたいで私まで嬉しくなる。

この瞬間に、二人の間に良い雰囲気が流れている気がするから、いま告白してみようかな……まだ言っていなかった本音を。

「あ、そうだ。小湊君に言ってなかったことがあったんだ」
「そうなの?」
「野球のルールを知りたいって思った理由、もう一つあるんだよね」
「それは……なに?」

どうしよう。さっきまで柔らかだった視線が急に鋭くなって、怪訝な態度に怯みそうになる。少し周りくどい言い方をしたせいでものすごく警戒されてしまった。
だけど、女は度胸が大切。もうここまできたら、言ってしまえ!

「好きな人が頑張ってる野球を、私も好きになりたいって思ったの」
「……好きな人って、もしかして」
「もしかしなくても、小湊君のことだから!いま言ったこと、忘れないでね。じゃあ、また明日、バイバイ!」
「ちょっと待って、みょうじさん!」
「や、やだ! 追いかけてこないで! うわああっ、小湊君、足速い!」
「言い逃げなんてさせないよ」

話してる途中から恥ずかしくて堪らなくて、言いたいことを言って、その場から走って逃げ出した。と、思ったら、小湊君にあっさりと追いつかれ捕まって、立ち止まる足。
そもそも、体育の成績で3しか取ったことのない私が、野球部の小湊君を振り切れるはずがなかった。私は少し走っただけでも息を乱しているのに、小湊君は全然平気そうだ。
恐るおそる振り返って表情を窺おうとするとあの大きな瞳でめっちゃ睨んできた。小湊君のこんな必死な形相、初めて見る。こわい。

「小湊君、怒ってる? せっかくのイケメンが台無しだよ」
「今は茶化さないで。ちゃんと僕の話を聞いて」
「は、はい……」

すごい剣幕で迫られて、腹の底に響くような低い声で真剣に諭される。いったいこれから何を話そうというのか。
私は捕獲される前の野生動物のように震えあがって怯えている。今から私を獲って食おうとでもいうのか。それはやめた方がいいと忠告したい。私、お菓子ばっかり食べてるから美味しくないと思うよ。
なんて現実逃避している場合じゃない……!

「僕もみょうじさんのことが」
「ちょっと待って!」
「どうして」
「……それは良い話? それとも悪い話?」
「悪い話じゃないと思うけど」

悪い話じゃないということは、良い話ってことなの?
小湊君の紅く染まった頬と、熱をはらんだ眼差しを見つめていると、今から告白してくれるのかな、ってそんな都合の良い期待をしてしまう。
でも、私の勘違いじゃないのなら、その期待はきっと外れない。

「それなら……聞きます」
「僕もみょうじさんのことが、好きだよ」
「!」
「先に言っておくけど、嘘でも冗談でもないからね。僕は本気だから」
「うぅ、嬉しい……でも……」
「でも?」
「小湊君が引退するまで待たなきゃなんだよね。……私、我慢できるかな」
「それなら、待たなくてもいいよ」
「……え?」

緊張した面持ちで小湊君は一度だけ深呼吸して、腕を握る力を更に強める。
ちょっと痛いくらいにぎゅっと握られて、男子の中では小柄な部類の彼でも、私よりずっと力強いのだと思い知らされる。ちゃんと男の子なんだと、見せつけられる。
私にも小湊君の緊張が手のひらを伝って移ってしまう。そして、意を決したように小湊君が口を開いた。

「僕も引退まで待てそうにないから……だから今日からさ、僕の彼女になってよ」
「そ、それは……お、付き合いする、ということ……?」
「そうだよ」
「相思相愛?」
「そうだね」
「男女交際?」
「そうなるね」
「恋人同士?」
「そういうこと」

『お付き合い』に関連する四字熟語を知っているだけ羅列してみたけど、そのすべてを肯定してくれた。
小湊君と両想いだとわかって、嬉しくて舞い上がりそうになるのに、ふと先日のやりとりが脳裏をよぎった。
確認しておかなきゃいけないことが、まだあと一つ残っている。

「でもこの前、今は彼女いらないって言ってたよね……?」
「みょうじさんが彼女なら一生懸命応援してくれそうだし、もっと野球に打ち込めそうだなって思ったんだ」
「うん、うん……!」
「でも、引退するまで制服デートはお預けだけど、それでもいい?」
「もちろん! いくらでも待てる!」

喜びのあまり勢いで小湊君の両手を握ってしまって焦ってすぐに離したら、今度は私の両手が奪われて引き寄せられる。
しっとりと汗ばんだ熱い手のひら。大きな瞳の中に映り込んだ私。吐息が頬に触れる距離に、小湊君がいる。

「じゃあ、今日からよろしくね」
「よろしくお願いします……!」

想像していたシナリオよりも早く未来がやってきて、ちょっとの不安と明日からの新しい日々に胸が高鳴る。
小湊君の隣にふさわしいヒロインになるために、とりあえずルールブックを読み込むところから頑張ろうかな。


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