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8. 最高のハイタッチを


朝八時の神宮球場はしんと静まり返っている。
ここに来るのは夏大以来で、背の高い照明を見上げているとチリっと胸が痛んだ。
夏の残響が耳元を掠めるから、聞こえないふりをして背を向ける。
今は目の前の試合に集中しなくちゃ、と自分に言い聞かせて。

今日は神宮ではなくて、すぐ隣の神宮第二球場で試合が行われる。
今日は一試合目ということもあって、朝が早いため日の出とともに起きて家を出てきた。
さすがに朝が早すぎて眠気に襲われて、目を覚ますために胸いっぱいに空気を吸い込むと落ち葉のしっとりと湿った匂いが鼻をかすめた。十月も半ばになると早朝は肌寒くて、ブレザーを羽織るとちょうど良い。

九月から始まったブロック予選を通過し、本大会も準々決勝まで勝ち上がってきた。
今日も勝てば秋のベスト4が決まる。秋の都大会は優勝すれば春のセンバツ出場が当確になるし、より重要な一戦なのだ。
今日勝てば甲子園出場にグッと近づくから、選手たちの横顔はピリッとした緊張感で引き締まっている。

二十人のベンチ入りメンバーのうち、小湊は背番号14を任されていた。
予選からすでに代打や守備固め要員として数試合を経験している。
四月に公式戦用のユニフォームを発注した時には、一回りも大きいサイズを選んでいて袖を通す時のことを心配していたけど、それも余計なお世話でしかなかった。
黄色で縁取られた青道の刺繍も、青いアンダーに真っ白なユニフォームもぴったりとよく似合っている。
わかってはいるつもりだったけど、高校球児の成長はとても速い。一年生たちも半年経って少しずつ身体に厚みがでてきたし、経験も積んでプレーのレベルも高くなってきたことは、マネージャーの私から見ても明らかだった。
この試合は初めて二番セカンドとして小湊がスタメンに選ばれている。
今まで正二塁手の同期がスタメンを張ってきたけど、本大会からバッティングの調子を落としていたので、練習でも調子の良い小湊を起用したと監督が教えてくれた。
一人残ってバスの中で交換用のオーダー用紙を記入する。
「二番 4 小湊亮介」の文字を、激励の意味も込めて丁寧に書き上げた。
なかなか堂々とした雰囲気で書けたんじゃないかなと自己満足でニヤニヤしてしまう。

「みょうじさん、何してるんですか。探しましたよ」
「オーダー用紙を書いてたの。どう? なかなか上手く書けたでしょ」

バスの入口から小湊が顔を覗かせたので、鼻高々にオーダー用紙を見せつける。
数秒眺めた後に「まぁ、いつもよりかは」とか可愛くない返事がきたので思いっきり睨んでやった。モチベーションが下がるからこういう時は素直に褒めてほしい。

「で、どうしたの?」
「今日の対戦相手について確認したくて」
「この後のミーティングで共有するけど」
「早めに確認しておきたいんですよ」
「いいよ。特別に教えてあげよう!」

持ち歩いていた対戦相手のスコアとデータをまとめたノートを開くと、隣の席に腰を下ろして覗き込んだ。
バスの座席ってどうして隣の席がこんなにも近いんだろう。距離が近すぎて腕と腕がぴったりと密着している。
しかもバスには私と小湊の二人だけ。緊張しちゃうじゃん、こんな状況。

「相手の先発はエースですよね?」
「おそらくね。今までの試合は全部先発完投してるし。エースは右のスリークォーターでマックス135km/h。四死球は1試合に二つ、三つくらいしかないから、コントロールは良いね」
「変化球は?」
「カーブとスライダーとシュートの三種類。狙うんだったらカウントも稼げるし空振りも取れる決め球の」
「スライダーかな」「スライダーですね」

声が重なって、思わず顔を見合わせる。
どうやら同じことを考えていたらしい。説明に夢中で忘れていたけど、とにかく小湊との距離が近かくて、あと少し身を乗り出したら唇に触れてしまいそう。慌てて顔を逸らしてノートに視線を落とす。

「せ、正解!」
「他には何かありますか?」
「六十球超えると制球が甘くなるから、序盤から球数多く投げさせる工夫もした方がいいね。あと、クイックは上手くないから盗塁は積極的に仕掛けてもいいと思う」
「……みょうじさん」
「ん?」
「本当に好きなんですね」
「……なにが?」
「野球が」

いきなり何を言い出すのかと思えば、この発言は褒められていると受け取ってもいいんだろうか。驚いて目が丸くなる。
データ分析もマネージャーの仕事の一環だから当たり前のことなんだけど、改めて褒められると嬉しい。こういう時に野球を好きになって良かったと思う。

でも、野球と同じくらいに小湊のことも、


「……うん、好き。大好き」
「ずいぶん野球に一途なんですね」
「片想いだけどね」

少し好意を匂わせるようなことを言ってしまったけど、勘付かれなかったかな。
焦ってちらっと隣を見るけど、小湊は至って普段どおりだし真剣な眼差しでノートを覗き込んでいる。
こんなに近くにいて好意を匂わせるようなことを言ったのに、まるで意識されていなくて女子としてどうなんだろう、私。
でも、今はそんなことで落ち込んでいられない。小湊も初のスタメン起用で気合い入っているし、私も記録員としての仕事がある。気合いを入れて頑張らなくちゃ。
溢れそうになるため息を飲み込んで、ふるふると頭を振って落ち込みそうになる気持ちを振り払う。
その様子を見ていた小湊が「ついに頭までおかしくなりました? 」とか言うから、懲らしめてやろうとチョップを振りかざしたら左手でいとも簡単に掴まれてしまう。
急に恥ずかしくなって、離してとせがめば抵抗もせずに手を離してくれた。
自分でそう言ったくせに名残惜しいと思ってしまうのだから、だいぶ言動が矛盾している自覚はある。
動揺している私の気も知らないで、口角をニヤリと上げて余裕そうな表情を浮かべている。本当にかわいくないやつ。
それなのにどうしようもなくドキドキしてしまうしそんな小湊が好きなのだから、私は本当に頭がおかしいのかもしれない。





まるでピンと糸が張り詰めたような空気が、グラウンド全体を覆っている。
喉の奥が詰まるような感覚に襲われて息苦しい。ベンチの選手たちの表情もみんな緊張感でみなぎっている様子だ。
それほどにこの試合は厳しい展開を迎えている。
両チームは三回までに二点ずつを奪い、そのまま白熱した投手戦にもつれ込んでゲームは膠着状態になっていた。

二対二のまま迎えた七回裏。
先頭打者の九番が四球を選んで出塁し、一番は犠打で走者を送り、一死二塁になった。
千載一遇のチャンスで打席に入ったのは、今までノーヒットの小湊だ。
ベンチとスタンドはチャンスに沸き立っているけど、私は固唾を飲んでペンを握る。
今日は序盤からカットで粘ったりバントでの揺さぶりを掛けて中盤以降に山場を作る戦法を実行している。
そのおかげか相手エースの投球数すでに百球を超えているし、ここでタイムリーが出れば勝敗を決める一打になるかもしれない。
内野手はバックホームに備えてジリジリと前進守備を敷く。外野手は浅い打球を予想してか、浅めの守備位置で打球に備える。

三塁側のベンチからは、左打席に立つ小湊の様子がよく見えた。
大きく息を吐いて肩の力を抜くと、ゆったりと構えてエースと対峙している。
エースが投げ込む渾身のストレートが二球続けてファールになってカウント0-2に追い込まれると、ベンチから檄を飛ばす声により力が入る。特に東の声がよく響いて、左側の鼓膜が痛い。
そんな心配しなくても大丈夫だと、私にはわかっている。
あのスイングはストライクゾーンぎりぎりのクサイ球をカットしにいっただけなんだから。
その証拠に、エースが投げた三球目がゆるく滑り落ちていくのを、今度こそバットの先で捉えて弾き返す。
キンッと甲高い金属音がした瞬間に「長打コースや!」と叫んだ東の声に弾かれるように三塁コーチャーがゴーの指示を出すと、二塁走者は迷いなくホームへと突入してくる。
レフトは懸命に打球を追いかけるけど、前進守備を敷いていたために落下点には到底追いつきそうにない。打ち上がった打球はレフト線の内側ギリギリのところにポトリと落ちた。
その瞬間、三塁側のスタンドから弾けるような歓声と賞賛の拍手が惜しみなく降り注ぐ。
今日の初ヒットが逆転タイムリーになるなんて、小湊って本当に凄い。
私もスコアを記入する手を一旦止めて、力一杯の拍手を贈る。
二塁ベースに足をかけながらエルボーガードとフットガードを素早く外しランナーコーチャーに手渡すと、歓声に答えるように高々とガッツポーズを掲げる。
その光景がとても、とても眩しい。
認めることが悔しいけど、小湊って本当にかっこいい。

後続も四球で出塁し、東の豪快なスリーランホームランで三点を追加し、一気に六対二とリードを広げた。
ゆっくりとホームベースを踏んでホームインした小湊を、選手たちが次々とハイタッチで出迎える。私も右手を大きく伸ばした。

「ナイバッチ、小湊!」
「ありがとうございます」

私より一回り大きな手のひらが、パチンと右の手のひらを軽く弾いた。じんじんと喜びが痺れるように伝わってきて、自然と口角が上がってしまう。
こんな風に、選手の努力が実を結ぶ瞬間をすぐそばで応援できることが何よりも嬉しくて、幸せだと実感する。
マネージャーになって良かったなぁって。


その後はエースが四点のリードを守りぬき完投勝利を収め、青道が準決勝に駒を進めることになった。
整列に駆け出す選手たちの背中からは自信が溢れているように見えて、甲子園がもうすぐ目の前まできているという手応えが、確かにあった。


春のセンバツ出場まで、あと二勝。