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2. 花束の代わりに


その人はいつも緊張感のない顔をして笑っている。それがグラウンドの上であったとしても。

あの日もそうだった。
入部初日のノックで、センター前に抜けて行きそうな打球を、俺は捕球することしかできなかった。
他の上級生たちは体制が崩れた後でも正確にファーストミットへ送球していたのに、俺は上級生たちと同じようなプレーができなかった。
あのワンプレーを見せつけられて、今までの経験からセカンドの守備には自信があったのに、たった一日で今まで積み上げてきた自信を足元から崩された。
自分に厳しいつもりでいたのに、それだけ青道のレベルが高いということなのか。
覚悟はしていたつもりだけどやはり焦る。そして、自分の認識の甘さに内心苛立っていた。
そんな時に不意に声をかけられた。あのへらへらとした笑顔で「さっきのプレー、凄かったね」なんて安い労いの言葉をかけられて、抑えていた自分への憤りが隠せなかった。
あのプレーに満足なんかしていない。全然凄くなんかないし、周りの上級生たちはあの鋭い打球でさえ流れるように捌いていたのに、俺は。
安っぽい労いも励ましも、無意識にささくれ立った口調で跳ね返してしまう。
ちらっとその表情を伺うと、豆鉄砲を食らった鳩みたいな顔をしていた。
先輩相手にまずかっただろうかと不安がよぎる。でも、まぁいいか。言ってしまった後では開き直るしかない。

翌日以降、俺にだけ接する態度がぎこちなくなったのには、さすがに笑ったけど。





「あ、小湊君」
「ちわす」
「もう入学式終わったんだ」
「だから戻って来たんですよ」
「……だよねぇ」

入寮してから二週間経ってようやく今日、入学式を迎えた。
たった二週間しか離れていなかったというのに、両親は生き別れの息子と再会したかのように喜んで涙ぐんでいた。
特に母さんは抱きついてなかなか離れてくれなかったから、引き離すのに苦労した。これから先はしばらく実家に帰れない。
後ろ髪が引かれるような思いで手を振り、午後の練習に間に合うようにと急いで寮に戻ってきたところだった。
すでにジャージ姿のみょうじさんが寮の洗濯スペースで大量のタオルを干している。
ちょうど最後の一枚を干し終わったところで手招きされた。いったい何の用なんだ。
無言で歩きだした先輩の後をついていくと寮の自販機の前で立ち止まって、指を指す。

「どれがいい?」
「なんですか唐突に」
「いいから、早く選んで!」
「……じゃあ、サイダーで」

なんなんだこの人は。
先輩だから言うことを聞いたけど、あまりに行動が唐突すぎて意図が読めない。
戸惑っているうちに、ポケットから小銭を出して自販機に入れると迷いなくサイダーのボタンを押した。
取り出したそれを目の前に差し出してくる。え、俺に渡すの?

「はい、どうぞ」
「え、なんでですか」
「こんな物しかあげられないけどさ、今日ぐらい素直に奢られときなよ」
「だって奢られる理由が無いです」
「今日、誕生日でしょ?」

さも当然のようにさらっとそう言った先輩は、驚いて固まっている俺の様子を見て慌てだした。

「あれ、四月六日だよね?」
「合ってますけど、どうして」
「部員のプロフィールは頭に叩き込んであるからね」

いちいちドヤ顔されるのがうざったいけど、数十名いる新入部員のプロフィールもうすでに全員分を覚えているらしい。
たった二週間でとなると相当苦労したはず。普段はへらへらしてても、影で努力するタイプの人なんだろうか。人は見かけによらないものだと感心する。

「みょうじさんって、結構記憶力いいんですね」
「!」
「なんですか、その反応」
「小湊って私の名前、覚えてたんだ」

俺の記憶力を舐めてるのか。さすがにマネージャーの先輩の顔と名前くらい覚えている。
一瞬イラっとしたけど、先輩は嬉々とした様子でニヤニヤしている。何がそんなに嬉しいのか全く理解できない。

「さすがに野球部の先輩の名前くらい覚えてますけど」
「だって名前呼ばれたことなかったし」
「機会が無かったですからね」

手の中のサイダーが外気に触れて、薄っすらと水滴をまとっている。
朝練が終わってから水分を摂っていないし、ちょうど喉が渇いていたところだった。
飲み頃な冷たさのペットボトルのフタを開けると、シュワッと炭酸が弾ける。

「ご馳走様です、頂きます」
「どーぞ」

喉を鳴らして一口飲むと、渇いた喉に弾けるような清涼感が流れ込む。
その様子を満足そうに見ていた先輩は、あの力の抜けるような表情で言った。

「誕生日おめでとう。ついでに入学おめでとう」
「入学はついでなんですね」
「……小湊って意地悪だよね」
「冗談ですよ。ありがとうございます」

今日、まさか両親以外の人に誕生日を祝われるなんて思ってもいなかった。
期待なんか微塵もしていなかったのに、やっぱりおめでとうと直接言われるとむず痒いような嬉しさがこみ上げてくる。
俺はこの人のこと、あまりよく知らないで少々の嫌悪感を抱いていたらしい。
へらへらとした見た目に反して影で努力をしているし、何より後輩想いなところがある。あの労いの言葉も、純粋に後輩を思っての声をかけたんだろうと今更になって気づいて、罪悪感で心臓がチクリと痛む。

先輩は「どういたしまして」とふやけた笑顔で応えたけど、あの時みたいにもう不快に感じることはなかった。