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「#エロ」のBL小説を読む
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25. パンドラの箱は開かれた


ホームルームが終わってしばらく経つと、教室に残っているのは俺と純の二人だけになった。
男と二人きりの放課後なんて、我ながら虚しいとは思っている。
野球部を引退しても、結局はつるむメンバーは変わらないし、グラブやバットをペンに持ち替えただけで相変わらずな毎日だ。
日中の喧騒が遠のいた教室には、二本のペンで文字を書く音だけがBGMになっている。お互いに雑談を挟むような雰囲気は一切なかった。
カレンダーは十一月に替わったばかりで、お互いの入試まであと約二週間しかないから追い込みでとにかく忙しい。今の集中力は打席に立っている時に匹敵すると思う。
そんな焦りと緊張を密閉したような沈黙を破ったのは、純の独り言のような問いかけだった。

「そういえば亮介……みょうじさんのこと振ったらしいな」
「…………は?」

あまりに唐突な問いに、ペンを走らせていた手が止まる。
反射的に顔を上げると、純は手を止めて頬杖をつきながら窓の外をぼんやりと眺めていた。
さっきまで夕焼けで空が橙に焼けている途中だったはずなのに、すっかり濃紺のカーテンが空を閉じていた。一番星の金星が遥か上空で瞬いている。

「否定しないってことはマジだったんだな」
「……なんで純がそんなこと知ってるわけ?」
「一昨日、みょうじさんから直接聞いた」
「みょうじさんがこっちに来てたの? 俺は姿を見かけなかったけど」
「駅前のファミレスで小論文の添削してもらってたんだよ」
「へぇ……そうだったんだ」

俺の知らない間に二人で会っていたという事実にもびっくりしたけど、先輩が卒業式の日の出来事を純に打ち明けていたことには更に驚いた。
動揺を隠して平然を装うけど、強がりなのはきっと見透かされている。

純に言う通り、俺は卒業式の日に先輩から告白されて、そして断った。
それは紛れもない事実で、人生で唯一自らの選択を後悔している出来事だった。
不意に押し寄せる後悔から目を逸らしたくて、あの日のことには蓋をして箱にしまい込んで記憶の奥底に沈めていた……はずだったのに。
そのパンドラの箱を無理やり引っ張り出してこじ開けようとするのは、純だった。

「俺はてっきり亮介が振られたんだと思ってたんだけどよ」
「なんでそう思ったわけ?」
「だってお前、卒業式終わった後にみょうじさんと抜け出して帰って来てから、すげぇ落ち込んで様子がおかしかっただろ」
「……そうだっけ」
「しらばっくれるなよ。あの後、歯磨き粉で顔洗ったり、何も無い場所でつまづいたり、ワイシャツのボタン掛け違えたりしてたじゃねーか。あとは……」
「わかった。わかったから。もう思い出さなくていいから」

箱の中から引っ張り出されたのは数々の失態で、忘れていたつもりが純の記憶にはしっかりと刻まれていたらしく、恥ずかしくて消えたくなった。
純のヤツ、面白がってニヤニヤと笑ってるから、いつか仕返してやろうと堅く誓う。
俺だって弱みならいくつも握っていることを、純はどうやら忘れているらしい。

「俺はよぉ、亮介はみょうじさんのことが好きなんだと思ってたんだけどな……違うか?」
「……」
「否定しないってことは肯定することと同じだぜ」
「否定するつもりは、ないよ」
「それならなんでお前は告白しねーんだよ」

純の睨みの効いた視線が、すべてを見透かすように俺を貫く。
机に身を乗り出すように肘をついて距離を詰めてくるから、観念してペンを置いた。
段々と語気の強くなる純をいなしながら、どうにか話題を逸らせないか考えてみるけど、一度こうなった純からは逃げられないのは最初からわかっていた。
チームで揉め事が起こると、どんなに些細なことでもとことん話し合おうとしたし、その輪の中心には必ずと言っていいほど純がいた。
こうなったら俺も腹を割って本音で話すしかない。そうしなければ、夕飯までに寮に帰れそうもない。
居住まいを正して純と真っ直ぐに向き合う。

「……よく考えてみなよ。半年前に振られたヤツに今さら告白されたって、みょうじさんにしてみたらいい迷惑でしょ」
「それはお前の憶測でしかねーだろ」
「まぁ、確かめようがないからね」
「だったら確かめてみればいいじゃねぇか、今からだって遅くなんかねぇよ。大事なのはみょうじさんがどう思うかじゃなくて、亮介がどうしたいかじゃねーのか?」

純の口から発せられる正論は銃弾の如く、後悔で錆び付いたパンドラの箱の鍵を壊すには充分な威力だった。
記憶の奥深くにしまい込んでいた箱の中を開いてみれば、ただ重たくて大きいだけのガラクタばかりで、必要のない物ばかりを大事にしまっていたんだと気付かされる。
純のおかげで思考がシンプルになっていくのが、悔しいのと同時に清々しい気分だ。

「前から思ってたんだけどさ」
「なんだよ?」
「純ってみょうじさんのこととなると、随分と真剣になるよね」
「あの人には随分世話になったからな……それはお前もだろ、亮介」
「そうだね。世話を焼かせてばっかりだ」
「それとな、お前にもこれ以上……後悔してほしくねーんだよ」

純の視線が机上を彷徨い、表情には苦々しい悔しさを滲ませる。
「これ以上」の意味は言葉に出さなくてもすぐに理解できた。
少しひんやりとした教室内が、じんわりと真夏の蒸し暑さを取り戻したような、そんな感覚がして堅く握った手のひらの中に汗が滲む。

「なんかさ、今の純って少女漫画に出てくる当て馬みたいだね」
「当て馬とはなんだコラァ?!」
「肝心なところでライバルの背中を押しがちだよね」
「別に俺はみょうじさんに惚れてねーよ! お前と違ってな!」

時折、純の醸し出す感傷的な雰囲気を茶化して誤魔化そうとすると、キレて目くじらを立てるのがお決まりのパターンだった。
あの決勝戦敗退を、純は、そして俺もまだ、完全には精算できていない。
後輩たちが秋大で優勝し、来春のセンバツ当確になってもなお、夏の決勝戦で味わった悔しさで腹わたが煮えくりかえって眠れない夜もある。
それでも、大学でも野球を続けなさい、とまた家族が後押ししてくれた。
そして、先輩も同じことを言って背中を押してくれた。
俺の背中を押してくれるのは、いつだって大切な人たちの言葉だ。

「純はさ、いま俺の心配してる場合じゃないんじゃない? まずはその添削だらけの小論文をどうにかしなよ」
「……痛いところ突くじゃねーか!」
「でも、お礼は言っとくよ。ありがとう」
「ったくよぉ……もう誰にも遠慮なんかすんじゃねーぞ! タイミングだけは間違えんな!」
「それはわかったから、教室で吠えないでくれる?」

それとついでに、純も背中を押してくれた。背中を押すと言うよりは、飛び蹴りを喰らった気分だけど。
それでも、ずっと淀んでいた頭と胸の中は秋晴れの空のように澄み渡った。
こじ開けたパンドラの箱から余計な物はすべて捨て去って、残ったのはたった一つの感情だけだ。
これだけあれば、俺はもう答えを間違えることはない。

・ * ・

「あー! 春市君、やっと見つけた!」
「こんばんは! お久しぶりです」

土手で素振りを終えて寮に帰る途中、明るいソプラノに名前を呼ばれて声のする方を探す。
室内練習場の入り口で手を振っていみょうじさんの姿を見つけて、慌てて駆け寄った。
珍しいお客さんだ。兄貴とはもう会えたのだろうか。

「今日は神宮大会前の差し入れしに来たよ! ついでに受験生たちに陣中見舞いもね」
「いつもありがとうございます!」

手渡された赤い箱のチョコレート菓子は、春の関東大会前にも差し入れてくれたものと同じで"きっと勝つ"の験を担いでいるのだと、兄貴から聞いたことがあった。
単に激励するだけではなくて、ちょっとだけウケを狙いにいくのがみょうじさんらしい気遣いなんだと、穏やかな笑みを浮かべた兄貴が話してくれたことをふと思い出す。

「そういえば、お兄ちゃんと伊佐敷の姿が見当たらないんだけど、どこにいるか知らない?」
「まだ学校に残ってるんだと思います。最近は試験対策で帰ってくるのも遅いんですよ」
「二人とも今月が試験だっけ」
「伊佐敷先輩は今月末だと聞いてます。兄貴は確か来週が試験ですね」
「えぇ! お兄ちゃんもうすぐ試験じゃん!」

まるで当事者のような慌てっぷりで、笑顔から一転して急にソワソワしだすから、面白くなって笑いそうになってしまう。
とはいえみょうじさんは真剣に取り乱しているし、冷静を装おうと腕組みをして難しい顔で唸りだした。
コロコロと表情が変わる一部始終を目の当たりにして、兄貴がこの人のことを気に入る理由が少しだけわかる気がした。
みょうじさんのそばいると、兄貴も退屈しなかったのだろう。

「春市君、細い油性マジック持ってる?」
「部屋にありますよ」
「借りてもいいかな?」
「わかりました。いま持ってきますね」

急いで部屋に戻って油性マジックを手に取り、待たせていたみょうじさんに手渡した。
ありがとう、と声を弾ませたみょうじさんは、トートバッグから黄色い箱の栄養食を取り出して、油性マジックで箱の表面に何やらメッセージを書きこんでいる。
やたらと楽しそうなのはなんでだろう。

「なんて書いてるんですか?」
「試験直前のお兄ちゃんにね、スペシャルメッセージを書いてるんだよ」

ペンを走らせるみょうじさんの眼差しは優しくて、兄貴がみょうじさんを見つめる柔らかな横顔とどことなく重なって見える。
性格は全く異なる二人なのに、妙に醸し出す雰囲気が似ている瞬間があって、唐突にその理由が知りたくなった。

「あの、前から思ってたんですけど」
「ん? なに?」
「みょうじさんと兄貴って仲が良いですよね」
「……そうかな?」
「そうですよ! 兄貴、みょうじさんと話してる時はすごく楽しそうだし、みょうじさんを見てる時はすごく優しい表情してるんですよ!」

無意識で興奮気味に畳み掛けると、みょうじさんは鳩が豆鉄砲を食らったように驚いて、まばたきを数回繰り返した。完全に手も止まっている。
そして、すぐに目を伏せて消え入りそうな薄い笑みを唇に浮かべる。
その表情からは、何かを諦めてしまったかのような、形容し難い儚さを感じた。
この薄い笑みの裏側には、いったいどんな感情が隠されているのだろう。

「まぁ、昔はよく自主練にもつきあってたし、私に気を許してくれてるんだとは思うよ」
「へぇ……そうだったんですね」
「……その顔は納得してないね?」

その返答にドキッと心臓が大きく跳ねた。
面白がるように目を細めて僕の顔を覗き込んでくるから、恥ずかしさに頬へと熱が集まってくる。
図星だった。納得がいかないと思っていたことを、なぜ気づかれたんだろう。
露骨に態度を表情に出したつもりなんてなかったのに。

「すみません。そんなつもりじゃなかっだですけど」
「いいよ! 春市君の考えてること、私にも教えてよ」

みょうじさんは小さく声を弾ませて、まるで秘密の作戦会議をはじめるみたいな、楽しげな空気を作り出す。
きっと兄貴もこんな雰囲気に絆されたことが、過去に何度もあったのかもしれない。

「みょうじさんの前で見せる表情は、小さい頃の僕によく見せてた表情とすごく似てるんです」
「……と、言いますと?」
「笑顔が優しいんですよ。雰囲気が柔らかいって言うか……伝わりますか?」
「……うーん。ちょっとよくわからないなぁ」

みょうじさんはまるで漫画のキャラクターのように、大袈裟に首を傾げて困惑に眉を潜めている。
このリアクションを見る限り、本当に思い当たる節が無いのだろう。

「上手く伝えられなくてすみません」
「謝らなくてもいいんだよ」
「僕は多分、みょうじさんが羨ましいんだと思います」
「えぇ? なんで?」
「最近の兄貴は……小さい頃みたいに笑いかけてくれないですから」

言うつもりのなかった本音がぽろっと溢れて、自分で自分にびっくりした。
いくらなんでも絆されすぎだろ、僕。

「そりゃそうだよ。だって二人は兄弟だけど、ライバルだもん。ライバルにやたらと笑いかけたりしないでしょ?」

みょうじさんはなんで僕が悩んでいた答えを、こうもあっさりと見つけてしまうんだろう。いかにも最初から答えを知っていたかのようだ。
胸に引っかかっていた何かがすとんと落ちるような、これが腑に落ちるという感覚なんだと理解する。

「でも、僕なんかが兄貴のライバルだなんて」
「私から見たら、少なくともお兄ちゃんはライバルだって意識してるように見えたよ。気になるなら本人に確認してみたら?」
「それは……やめておきます」
「あはは! そうだよね。そんなこと面と向かって聞いたら野暮だもんね」

みょうじさんは鈴を転がすように、よく笑う。
そして、そんなみょうじさんの隣で兄貴も柔らかい笑みを浮かべる姿を、僕は何度も目撃してきたことをまた思い出した。
やっぱり知りたいと思う。兄貴があの笑顔を見せる、みょうじさんの胸の内を。
今度こそ一歩踏み込んで、尋ねてみる。

「あの、みょうじさんは兄貴のこと、どう思ってますか?」

一瞬、ピンと空気が張り詰めるのを肌で感じた。
でも、踏み込んでしまったのに今さら引き返すことなんてできない。
みょうじさんは少しの間黙って目を伏せて、思慮深く言葉を探っている。僕もその間を静かに待っている。
意を決したように勢いよく顔を上げたみょうじさんは、なんだか泣きそうな、でも微笑んでいるような、そんな複雑な感情を顔に貼り付けていた。

「小湊も春市君も、大切な後輩だよ」

そう言い切った言葉には嘘偽りの色は見えなくて、それなのに少しだけ震えて聞こえた。
正直、その答えなんて返せば正解なのかわからなくて、言葉に詰まってしまう。
みょうじさんはそれ以上のことは触れずに「まだ書き途中だったね」と再びペンのキャップを開けた。
僕はさっき見たみょうじさんの表情が表す感情が、なんという名前かわからずに脳内を模索している。
結局、その感情の名前に該当するものは見つからなかった。

スペシャルメッセージを書き終えて顔を上げたみょうじさんの表情には、薄っすらとまとっていた憂いのベールはもう見当たらなかった。

「これ、お兄ちゃんと伊佐敷に渡しておいてもらえるかな」
「せっかく来てくれたのに、直接渡さないんですか?」
「もうすぐ夕飯だし、長居してもみんなに気遣わせちゃうから。それに神宮大会も応援しに行くし、その時にまた会えるからいいんだ」

みんなに気を遣わせないための配慮に、みょうじさんの気遣いを感じられる。
こういうさりげない気遣いができるからこそ、突然の訪問にも誰かがみょうじさんを陰で悪く言う場面に遭遇したことがなかった。

「わかりました。兄貴にもみょうじさんが来てくれたことを伝えておきますね」
「頼まれてくれてありがとう。今日はたくさん話せて良かったよ。春市君も神宮大会、頑張ってね!」
「ありがとうございます。頑張ります!」

笑顔でひらひらと手を振って踵を返し、駐輪場へ歩き出す後ろ姿に小さく手を振り返した。
手渡された黄色い箱に書かれたメッセージを読んでみる。兄貴、きっと喜ぶだろうな。早く帰って来ないかな。



「おぉ〜! 春っちもみょうじさんから差し入れ貰ったんだな! んん?!
なんか春っちだけ数が多くないか!?
えこひいきなのか!? VIP待遇なのか!?」
「栄純君うるさいよ」
「僕も貰った」
「良かったね、降谷君」
「降谷と態度が違う! 俺だけに冷たい! 遅れた反抗期の到来なのか?!」
「栄純君、黙って」

タイヤ引きを終えたのか、ゼェハァと息を切らしながら栄純君と降谷君が戻って来た。
それなりの時間を走り続けて疲れているはずなのに、無駄にうるさいのはなんでだろう。まだ走り込みが足りないんじゃないかと思う。

「うるせーぞ沢村ァ! 何を騒いでやがる!」
「純も沢村も近所迷惑になるから。静かにしなよ」
「スピッツ先輩、お兄さん! お勤めご苦労さんです! 試験対策は順調でしょうか!?」
「俺らのことはほっとけ! お前は自分の調整に集中しろオラァ!」

青心寮の門をくぐって制服姿の兄貴と伊佐敷先輩が帰って来た。
受験間近でピリピリしているのか、栄純君に吠えた伊佐敷先輩のこめかみには青筋がいく筋も浮かび上がっている。
兄貴はいつもの余裕そうな微笑を浮かべて、さりげなく僕の手元を覗き込んできた。

「いい物持ってんじゃん、春市。これ、どうしたの?」
「おかえり、兄貴! これ、みょうじさんが兄貴に受験前の陣中見舞いだって。スペシャルメッセージ付きだよ」
「スペシャルメッセージとは?!」
「えっ、みょうじさんが来てるの?」
「いや、さっき帰ったばかりだよ」
「なんで引き留めておかなかったんだコラァ!」
「引き留めたんですけど、夕飯前だし長居してもみんなに気を遣わせちゃうからって言って……」
「ったくよぉ。気ぃ遣いすぎなんだよな」
「……」

兄貴は手渡した黄色い箱をまじまじと見つめる。
スペシャルメッセージが気になるのか、覗き込もうとする栄純君にチョップを振り下ろして撃退した。
さりげなく後ろから盗み見している伊佐敷先輩の方はいいのだろうか?
兄貴は真剣な眼差しでメッセージを見つめたまま、何か考えこんでいるようだ。

「おい、亮介」
「……なに」
「今なんじゃねーのか……タイミング」
「タイミング? 何の? ねぇ、兄貴」
「春市、これ預かっておいて」

今日はよく物を預けられる日だ。
兄貴に渡した黄色い箱が戻されて、ついでに通学鞄も手渡された。
チョップを喰らって撃沈していた栄純君とぼんやりしていた降谷君が、ここぞとばかりに黄色い箱のメッセージを盗み見ようと覗き込んでくる。
兄貴は踵を返して門の方へと歩きだして、思わずその後ろ姿を呼び止める。

「兄貴、どこに行くの? もうすぐ夕飯だよ」
「みょうじさんに会いに行ってくるよ」
「自転車に乗って帰ったし、今からじゃ無理だよ!」
「走れば追いつくでしょ」

あぁ、この不敵な笑みはグラウンドでよく見かけた時のと同じだった。
ブレザーの裾を翻して颯爽と駆け出した背中を、僕ら一年生は呆けながら見送る。
伊佐敷先輩だけは訳知り顔でニヤつきながら「頑張れよー!」と意味深な声を、遠ざかっていく背中へ叫んでいた。

「なぁなぁ、春っち。これってお兄さんの似顔絵だよな……?」
「うん、多分ね」
「に、似てな……」
「降谷君、その先は言っちゃダメだよ」
「だってこれ、へたく」
「栄純君!」

二人の軽率な失言を窘めると、とりあえず黙らせることに成功した。
さすがに言っていいことと、言ってはダメなことがある。
まぁ、二人の気持ちもよくわかる。スペシャルメッセージに添えられた兄貴の似顔絵らしきイラストは、正直に言うとあまり上手ではなかった。
丸っこいフォルムに、狐目な男の子が笑っているイラストは、言われてみれば確かに兄貴に似ているような……気がする。そんなクオリティだ。
でも確かに、メッセージや似顔絵からみょうじさんの人柄の温かさを感じられるような気がして、僕は兄貴がまた羨ましくなる。
卒業してからも温かく応援してくれるみょうじさんの存在に、兄貴は今も支えられているはずだから。

もう一度、黄色の箱に綴られたメッセージに視線を落とす。
そこには力強い文字で、こう書かれている。

『 小湊なら絶対に大丈夫。
  いつもどおり頑張って!
      応援してるよ! 
            みょうじ』