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14. 薄紅に染まる、ひとひら


場内アナウンスがアップの開始を告げると同時に、隊列を組んだ2つのチームが一斉にランニングを始めた。
遠くから眺めていても両チームとも足並みも揃っているし、息のあったかけ声も大きく響いてスタンドまでよく聞こえてくる。
どちらのチームからも一筋縄では勝たせてくれなさそうな雰囲気を感じて、試合が終わって一時的に緩んでいた気が引き締まった。意識しなくても自然と背筋も伸びる。

この試合を勝ったどちらかが準決勝まで勝ち上がってくると、青道と対戦する可能性があるのだ。
目の前にいずれ対戦するかもしれないチームがいるから、どうしたって意識してしまう。
まぁ、どんなチームが相手だろうと勝ちは絶対に譲れないのだけど。


ところで私たち青道野球部はというと、本日の1試合目に出場し、春季東京都大会の初戦を7回コールドで快勝して順当なスタートを切っていた。
初戦突破の余韻に浸る間も無く、監督から昨晩に告げられていた通りにメンバーは居残って2試合目を観戦することになっている。
グラウンド整備と試合前ノックを挟んで、2試合目の試合開始はちょうどお昼頃になるらしい。
太田部長が用意してくれていたお弁当入りの段ボールを受け取った私は、腹ペコな選手たちの待つスタンドへと急いでいる。

重たい段ボールを座席に置く時に思わずどっこいしょ、と声に出てしまって「オバハンか! 」とノリツッコミしてきた東を一睨みして黙らせる。
「東はお弁当抜きだからね」と冗談を交えながら選手たちにお弁当を配っていると、淡い髪色のアイツがいないことに気が付いた。
20個ちょうどのお弁当が一つ余って、私の手の中で唐揚げのいい香りを漂わせている。
私もお腹空いちゃったなぁ。

「あれ? 小湊がいない……トイレかな? 」
「小湊くんならさっき自販機に行きましたよ」
「もう、お弁当冷めちゃうじゃん! 小湊のこと探してくるから、これよろしく」

小湊の分のお弁当を貴子に手渡してスタンドを離れると、球場から出る手前でスカートのポケットをまさぐって記録員証の所在を確かめる。
指先がカードの端を捉えて、安心して 小さく息をつく。
あ、良かった。今日はちゃんと持ってた。

あれは去年の秋大3回戦の時の出来事。
試合後に記録員証を忘れて場外へ出てしまって、場内に戻れず慌てたことがあった。
確かあの時は、場内に戻れずあたふたしている私に気づいて、呆れた顔した小湊が記録員証を探して場外まで持ってきてくれたっけ。
ちなみにその後、コンビニの焼きプリンを奢れってせがまれて、二人で買いに行ったのもよく覚えている。

運営係が眠たそうにパイプ椅子に腰掛けているのを横目に場外へ出ると、正面には自販機が一台ぽつんと佇んでいて、そこにはすでに小湊の姿はなかった。
背番号4を探してぐるりと周囲を見回すとその瞬間、強い風が吹いてスカートのプリーツが膨らむのを慌てて抑える。

球場の周辺に咲く満開の桜の花びらが一斉に宙へと舞う。
視界いっぱいに広がる桜吹雪の中に、見慣れた後ろ姿を見つけた。
声をかけようと思って開きかけた唇は自然と結ばれて、その幻想的な光景にただただ、息を飲むだけ。

淡い色の髪がさらさらと風に揺れて、春の陽射しが柔らかく身体の輪郭を浮かび上がらせる。
視界が花びらで霞むほどの桜吹雪に、小湊の姿が溶け込んでしまいそうだと思った。
どんな風に形容したらいいのかわからないけど、その姿は桜の神さまがいたらこんな感じなのかな、と思うくらいに美しくて、儚くて、いとおしい。

呼吸をするのも忘れてその光景を見つめていると、名前を呼んでもいないのに小湊がこちらを振り返る。
とっさのことで声が出なくて、ほんの数秒間お互い無言で見つめ合ってしまう。なにこのシチュエーション、映画とかドラマで見たことあるやつだ。
心臓がキューっと締め付けられる感覚に身動きがとれなくって、何か呼びかけようとするのに言葉が浮かばないから、口がぱくぱくしてしまう。

小湊は含み笑いを浮かべながら桜の下を離れて、こちらへと歩み寄る。
ずっと見つめてしまったことが急に恥ずかしくって、誤魔化すように口調を強めた。

「探したんだからね! もうノック始まっちゃうよ! 」
「すみません。桜が綺麗だったので、見惚れてました」

まぁ確かに、小湊の言い分もわからなくもない。
実際、この球場の周辺では桜祭りが行われるほど、春は桜の名所として賑わう街らしい。
……ていうか、さっきから小湊がずっとニヤニヤしてるのが気になって仕方ないんだけど、何を企んでいるんだろう。

「いつもは俺がみょうじさんのこと探してばかりなのに、今日は探しに来てくれたんですね」
「まぁ、たまにはね」
「今回はちゃんと記録員証を持ってきました?」
「ちゃんと持って来たよ! もう忘れないし!」
「また忘れたら俺が持って来てあげますよ」

最近の小湊は私をからかうことにハマっているらしい。
歳下のくせして妙に世話を焼きたがって、私のお株を奪おうとしている。
良くも悪くもいい度胸している後輩だ。
いつもならムキになって言い返すところだけど、今日の小湊はやたらと機嫌が良さそうだから、まぁ、別に許してやってもいいかな。

さっきの試合での得点には小湊の四球を選んでの出塁や犠打が貢献している場面も多かったし、なおかつタイムリーも打てたから余計に上機嫌なんだろうな、と心中を察してみる。
ベンチへ帰ってきた小湊と交わしたハイタッチの手の痺れる感覚が、今も鮮明に蘇ってきてむず痒い。
それに守備も良くって、今日だけで三併殺も取れたのだから大したものだった。でも、からかわれている手前、素直に褒めるのも癪に触るなぁ。

「早くスタンドに戻ろう、お弁当が冷めちゃうよ」
「ちょっと待ってください、動かないで」

入場口へと歩き出そうとした瞬間、突然に左腕を捕まれて足がもたつく。
いったい何事かと思ったら、小湊の右手が目の前に近づいてきて、反射的に目をつむる。
すると、指先が髪に触れて思わずびくりと肩が跳ねてしまう。
緊張して身体が固まっている隙に、小湊の指が髪を一房掬ってサラリと流した。
いったいなぜ髪を触られているのかわからなくて、掴まれている腕が熱くて、顔まで熱くなりそうで。
早く放してと思うのに、このまま抱きしめてくれたらいいのに、と矛盾した願望が脳内をぐりぐると巡ってオーバヒートしそうになる。

そんな私の気持ちを知るよしもない小湊は、のんきに笑って手を私の目の前で広げて見せた。

「桜の花びら、ついてましたよ」
「……ほんとだ。全然気づかなかった」
「あげます。手、出してください」
「捨てればいいじゃん」
「せっかく綺麗だったのに、もったいないじゃないですか」

……綺麗って、 花びらのことだよね?
と、思っても口になんて絶対に出せるはずもなくて。
小湊は呆けている私の腕を引いて、手のひらに花びらをそっと置いた。
マメだらけのかさかさした手があったかくて、手のひらに収められた小さな花びらが可愛らしくて、なんだか無性に嬉しくなって、胸がいっぱいになる。

「さっきの小湊も桜の神さまみたいで、すごく綺麗だったよ」
「なんですか、桜の神さまって」
「……桜を咲かせる神さま? かな? 」
「なんだか花咲か爺さんみたいですね」
「そうじゃなくて、こう……小湊が桜吹雪に包まれてて、それがすごく綺麗で……桜の神さまがいたらこんな姿かな、って」
「そんなこと言ったらみょうじさんだって、」

小湊が何か言いかけた言葉に覆い被さるように、メガホンを打ち鳴らす音と野太い歌声がスタンドから聞こえてきた。
おそらく試合前ノックの開始に合わせて、スタンドの控え部員が応援歌を歌い始めたのだろう。
場内の様子が気になってちらりと視線を入り口に向けると、するりと小湊の手が離れていった。
もう少しだけ、この時間が続けばいいのにと思ってしまう、早く戻らなくちゃいけないのに。
小湊はなにかを言いかけて開いた口を閉じて、小さく笑った。

「今なにか言いかけなかった? 」
「なんでもないです。それより中に戻りましょう、早くしないと東さんにドヤされますよ」

よーいドンの合図も無く先に走り出す背番号4に遅れないよう、慌てて後を追いかける。
小湊はいつだって私の少し前を走っていて、追いかけるのも追いつくのもすごく大変だ。
体力が無いから息は切れるし、汗もかくし、前髪だって乱れてしまう。
だけど、置いていかれたくなくて、できれば並んで走っていたくて、夢中で背中を追いかける。
息が苦しくってキツイのに、不思議なことに小湊の背中を追いかけるのは、嫌じゃない。

結局、追いつけないままスタンドに着いて、肩で息をしながら席に座ると貴子が心配してお茶を差し出してくれた。本当によくできた後輩だと思う。
お礼を言ってから一口飲むと、緑茶の爽やかな風味が渇いた喉を潤す。

ちらりと横目で盗み見た小湊は、汗一つすらかいてないから、余計に憎たらしい。
置きっ放しにしていた青いスコアブックを手に取って開くと、ひらりと淡い花びらが膝の上に舞い落ちてきた。
さっき手渡されたそれを無意識に握りしめていたようで、少しシワになってしまっていた。
花びらを人差し指と親指でそっとつまみあげてハンカチに包み、エナメルバックの中にしまう。
この桜の花びらを見返すたびに、あの幻想的な光景が記憶の中に蘇るなら、捨ててしまうのはやっぱりもったいない。
どうしてもあの光景を忘れてしまいたくなくて、まばたきのシャッターを何度も切ってまぶたの裏に焼き付けた。
桜吹雪に包まれる、いとおしい神さまの後ろ姿を。