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13. はちみつとレモンの憂鬱


「みょうじさん……もしかして風邪ですか? 」

どこか確信めいた問いに大きくこっくりと首を縦に振ると、小湊はそれはもう盛大にため息をついた。
仕草から察するに「マネージャーのくせに体調管理すらできないのかよ」といったところだろうか。
眉間に深くシワが刻まれるのを見て、罪悪感で胃がじわりと痛む。

ここ数日、やたらと喉が乾くし、空咳が出る予兆があった。
風邪のなりかけの自覚があったから、手洗いうがいや食事にも気をつけていたのに、あっという間に悪化してしまうからこの時期の風邪はたちが悪い。
今朝は起きた時から完全に喉が枯れてしまって、まるで老婆のような声しか出せなくなってしまった。
お父さんには亡くなったひいばあちゃんの声にそっくりだと笑われて、反論したかったけどそんな気力もなくて黙って睨むことしかできないのが悔しかった。
こんなしわがれた声を部員たちに聞かれたら恥ずかしいから、コミュニケーションは筆談とジェスチャーだけにすると決めている。
ジャージのポケットからメモとペンを取り出すと『こんな時にごめん』と書いて小湊の顔の前に運んだ。

「別に迷惑じゃないですけど……帰って休んでた方が良いんじゃないですか? 」
『無理はしないよ』
「当たり前です。少しでも体調が悪化したら、すぐに帰ってもらいますよ」

鋭い眼光で一瞥されると、怯んでしまってペンを走らせる手が止まる。
久々に刺々しい口調で突き放されて、思わず泣きそうになってしまうのは風邪をひいてメンタルが弱っているからなのかもしれない。
こんな時くらい優しくしてほしい、なんて思う反面、小湊が怒るのも当然のことだと思う。

今週末には春のブロック予選を控えていて、青道高校はブロック予選は免除されているけど当番校としてAグラウンドを貸し出し、予選の運営も担当するからこれからが大忙しなのだ。
しかも、3週間後には本大会も始まるというのに、マネージャーの私が風邪をひいて選手に移してしまったら……と最悪の事態を想像するだけで、背筋に悪寒が駆け抜けていく。

春大ベスト16以上の戦績を納めれば夏大のシード権が獲得できるとあって、オフシーズンの厳しいトレーニングを耐え抜いたチームは虎視眈々と上位進出を狙っている。
もちろん、我が青道高校の目標は常に全国制覇なので、都大会優勝は絶対条件なのだ。
そんな大事な公式戦を控えて、マネージャーである私が選手たちの足を引っ張るわけにはいかない。

朝練へと急ぐ小湊の背中がどんどん遠ざかっていくのに遅れないよう駆け出すと、マスクのせいで息がしづらくて苦しくなる。
いつもは部員たちに送っているエールも、今だけは自分に送りたい。頑張れ、私。
風邪なんかに負けないんだから!



「なぁ亮介、さっきみょうじさんにキツく当たってなかったか? 」
「……そんなことないけど」
「俺にはそう見えたけど、違ったか? 」

アップが始まる前のグラウンド整備中に、文哉が爽やかな笑顔で問いかけてきた。
隣に並んでトンボをかけていると、土埃で足元が茶色く煙る。
さっきのやりとり、見られていたのか。なんて答えれば誤魔化せるのか、手を動かしながら思考を巡らせる。

「別に、普段と変わらないけど? 」
「みょうじさん、なんか落ち込んでたぞ」
「風邪ひいて弱ってるからそう見えるんじゃない? 」
「そういうもんかな」
「そうだよ」

普段から二遊間を組んで練習しているから、お互いの考えそうなことはある程度わかってしまう。だからこそ、文哉を言いくるめるのは一苦労だ。
それにまだ文哉は納得していないようで、どうにも腑に落ちない、といった表情をしている。
こういう触れられたくない時に限って、勘が鋭いから面倒くさいヤツだ。

「まぁ、風邪ひいてる時くらい優しくしてやろうな」
「善処するよ」
「それにさ、亮介は覚えてないかもしれないけど、今日は3月14日だぞ」
「今日って何かあったっけ? 」
「ホワイトデーだよ」

……今日がホワイトデー?
まさに青天の霹靂、寝耳に水だ。
忘れていたというより、今初めて知ったと表現した方がしっくりくる。
それぐらい俺にとっては……というより野球部員には縁遠いイベントごとだったので、文哉の発言は衝撃的だった。

驚愕して表情が固まっている俺を見て、文哉は「やっぱりな」と苦笑いしている。

「……知らなかった」
「仕方ないよ、みんなブロック予選の方に気を取られてるもんな」
「文哉はお返し用意したの? 」
「昨日クッキー買ってきた」
「そういう時は声かけろよ」
「悪い、自主練に集中してたみたいだったから」

本日二回目の盛大なため息が漏れる。
さて、これからどうするべきか。
これから陽が沈むまでは練習があるし、寮の付近にはコンビニぐらいしかない。手作りのチョコのお返しがコンビニで買える物で済まそうだなんて、いかがなものか。
でも、選択肢がコンビニ以外に無い。すでに手詰まり、白旗を振りたい気分だ。
アップの最中もお返しをどうするべきか悶々と考え続けていた。
先輩は渡せなかったとはいえ、本命用のチョコを俺にくれたわけだし、きちんとしたお返しが渡せないにしても、誠意を伝える義務はあるだろう。

朝から考えに考え抜いて、日が暮れる頃にはようやく一つの答えにたどり着いた。
先輩が貰って嬉しい物かどうかはわからないけど、きっとアレなら役に立つはず。


「亮介、どうしたんだよその袋。のど飴しか入ってねぇじゃねーか」
「まぁ、差し入れってやつかな」
「みょうじさんにか」
「そういうこと」
「それにしても何個買ったんだよ……すげぇ量だな」

ダウンが終わった後、着替えもしないでコンビニに走り、ありったけののど飴を買って来た。
ちょうど寮に戻ってきた純と鉢合わせて、びっくりした様子でレジ袋を覗き込んでくる。
袋の中身はちみつレモン味、かりん味、梅味だなんて変わり種もある。
のど飴の全種類をレジに持っていくと、さすがに店員も驚いた顔をしていた。
悩みに悩んでも今の俺にはこれぐらいしか思いつかなかった。
声も出せないくらいに痛んでいる喉が少しでも潤ってくれたら、と密かに願って。

「早く喉も治してもらわないと困るからね」
「あの人、アナウンスも上手いから欠かせないよな」
「それに普段は騒がしいのに静かだと、なんか物足りないし」
「おぉ……そっか」
「じゃ、渡してくる」
「風邪移されんなよー」

ひらりと後ろ手を振って純と分かれると、再びグラウンドへと降りて行く。
すれ違うチームメイトたちにも不審な目で見られたけど、適当に返事をして先を急いだ。

普段、マネージャーたちは部室代わりにアナウンス室で着替えをしている。
この時間だともうすでに着替え終わっているかもしれない。
足早に建物に近づくと、先輩が施錠している姿が見えた。どうやら間に合ったらしい。

「みょうじさん」
「!」
「みんな先に出たんですか? 」

いきなり声をかけたからか先輩はびくりと身体を強張らせて振り返ると、ワンテンポ遅れて頷いた。
そしてやはり膨れたレジ袋を凝視する。なぜ呼び止められたのか理由もわかっていないから、不思議そうに俺の顔とレジ袋を交互に視線を動かす。
両手で袋を広げて先輩の前に差し出すと、先輩は頭上にクエスチョンマークを浮かべながら目を丸くして覗き込む。
そして中身を確認するなり、予想通り不審な目で俺の目をじっと見つめてきた。

「これぐらいしか用意できなかったけど、ホワイトデーのお返しです」
「!!」
「のど飴舐めて、早く喉を治してください」

先輩は何度も瞬きを繰り返して、しきりに自分自身を指差す。
おそらく「これ全部、私に? 」というジェスチャーだろう。
先輩の他に誰がいるんだよ、とツッコミたくなる台詞をグッと飲み込んだ。
相手は病人なのだから、いつもより優しく接しなければいけない。
脳裏に文哉の爽やかな笑顔が再生される。やめろ、こんな時に出てくるな。

「そうですよ。これ全部、みょうじさんにあげます」

マスクをしているのに驚きを隠せていないのは、わざとらしいくらい大げさなリアクションのせいだ。
慌ててコートのポケットから携帯を取り出すと、ものすごいスピードで文字を打って、消して、また文字を打ってから画面を目と鼻の先まで持ってくる。
本当に画面と鼻がぶつかりそうなくらい近いし、逆に見づらくて仕方ない。
ちょっと落ち着いてほしい。

『心配してくれてありがとう。ホワイトデーも覚えてたんだ!』
「今朝、楠木に教えてもらいました」
『素直に言わなければいいのに。正直だね』
「嘘はつきたくないですから」
『そういうところが小湊らしいよ』

目を細めて穏やかに微笑む先輩が妙に大人びて見えて、キュッと心臓が締め付けられた。
細い指が袋の手を掬い上げて、俺の手から先輩の手元へと移る。
ニコニコしながら一つずつのど飴を手に取っている様子が完全に浮かれていて、嬉々とした様子を確認できたのでとりあえず肩の荷が降りた。

『いっぱい舐めて、試合までにはのど治すから』
「! ……あぁ、はい」
『春大がんばろうね!』
「はい」

『いっぱい舐めて』の文面に薄っすらと下心が疼いたけど、当の本人には下心なんて微塵も無いから、お互いのために黙っておくことにする。

不意に強く風が吹いて、先輩のスカートが揺れる。
いつもなら寒さに身震いをしていたけど、冬のような冷たさは緩んで生温い春風が俺たちの間を吹き抜けていく。

先輩と出会って二度目の春が、もうすぐ始まろうとしていた。