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11. 神さま、あのね


年始の練習始めの朝は、とにかく早い。
ずっしりと閉じてしまいそうなほどに重たいまぶたを擦り、何度目かの欠伸をして酸素を吸い込んでも、まだ眠気が払えそうになくて昨晩の夜更かしをひどく後悔する。こうなることは最初からわかっていたくせに、昨日の私は相当なバカヤローだ。
でも、深夜一時まで一気に見たドラマの再放送は、クラスメイトたちの噂通り確かに面白かった。
高校生の男女がもどかしい両片想いを繰り広げるドタバタなラブストーリーは、巡り巡って最終的には両想いになってハッピーエンドを迎えた。
大人気の少女漫画が原作なだけあって王道なラブストーリーなんだけど、ラストのキスシーンにはちょっと泣けてしまったなぁ、と思い返すと同時に、また欠伸が溢れて目尻に涙が溜まる。

やたらと眠たげなのは部員たちも同じみたいで、噛み殺せなかった欠伸が所々で白く浮かんでは消えてを繰り返している。
東なんて大阪からの夜行バスに揺られて今朝に帰寮したというのだから、満足に寝れていなくてフラフラしてるし、今も半分眠っているようなものだ。伊佐敷がしきりに声をかけては目覚めさせているみたいだけど、アレはたぶん後で監督から怒られる。間違いない。
これからグラウンド開きがあるというのに、主将がシャキッとしなくて一体どうやって後輩たちに示しをつけるつもりなのか。まったく、世話の焼ける主将で困っちゃうなぁ。
イラッとする気持ちを抑えながら部員たちを間をぬって東の背後に立って、脇腹をくすぐってやったら声を上げて巨体が飛び跳ねる。
私の耳元でワーワー騒いでいるのをシカトして「眠そうな東にはくすぐると目が覚めるよ」と伊佐敷に助言すると「みょうじさん、凄いっスね……」と褒められた。
新年早々、褒められると気分が良い。
部員が全員揃った後に監督たちが現れると、それまでの眠たげだった彼らの表情が一気にピリッと引き締まる。
どこか正月ボケた空気にいつもの緊張感が戻ってきて、私の眠気もすーっと覚めていった。年が明けても相変わらず監督の顔は怖い。

異様に厳かな雰囲気のなか、これからグラウンド開きが行われる。
まずは部員たちが各ポジョンに分かれ、守備位置に盛り塩を置き、その後から監督自らの手でお神酒を撒いて回り、グラウンドをお清めする。
こうして今年の選手たちの安全と成長を祈願するのが青道野球部の伝統なのだと、先輩たちから話を聞いた一年前がやたらと懐かしい。
冷たい指先を揃えて二礼二拍手、グラウンドに乾いたいくつもの柏手が重なって響く。
どうかみんなが怪我なく野球ができますように。甲子園に行けますようにと、心の底から野球の神様に祈った。



もう昼前だというのに気温はなかなか上がらなくて、冷え切った空気に頬をさらしているとピリピリと皮膚が痛い。
グラウンド開きが終わり、野球部一同は寮からほど近くの神社へと移動を始めていた。
ぞろぞろと列を成して歩く光景は、まるで蟻の行列みたいだなぁ、なんて思いながらぼんやり眺めてみる。部員たちの髪の隙間から見える耳が赤くて余計に寒々しい。同じく私の耳もちぎれてしまいそうになくらい、赤くなっているんだろうなぁ。
グラウンドのお清めの後には、野球部全員で初詣に行くことが毎年恒例行事になっている。
必勝祈願のために祈祷もしてもらうのだけど、神様の前に立つと信心深い方じゃなくてもなんだか神聖な気持ちになって、自然と背筋が伸びた。我ながら単純な人間だと思う。
念には念をということで、お参りの列にも並んで賽銭箱にありったけの小銭を投げ入れた。御利益もよくわかっていないけど、神様に両手を合わせて祈る。

部員たちが怪我をしませんように。今年こそ甲子園に行けますように。

そして、あともう一つの願いはーー


「みょうじさん、いつまで手を合わせてるんですか」
「ちょ、ちょっと待って……あと一つだから」

三つ目のお願いをしている最中に、不意に背中を突かれて肩口から後ろを振り返る。背後には怪訝そうに眉根を寄せる小湊が立っていた。
なんてタイミングに現るんだ、まったく。三つ目の願いが祈りづらくなったじゃん。
もう半分ヤケクソになりながら再び手を合わせて、目をつぶって祈る。
背中に突き刺さる視線が痛いから、そそくさと最前列から離れてちらりと横目で見ると、やたらと真剣な横顔で手を合わせる小湊が新鮮に映った。
グラウンドに立っていなくても、かっこいいのか。こんなの卑怯だ、反則だ。心臓がとくとくと速い鼓動で脈を打ちはじめる。

小湊と出会ってから三日も顔を合わさないことなんて今まで一度もなかったから、ものすごく久しぶりに再会したような感じがする。
たった三日で大げさかもしれないけど、本音を言えばこの三日間がとても寂しかった。
小湊に会えなくて、声すら聞けなくて。
毎日を当たり前のように一緒に過ごしているから、会えない日がこんなにも寂しいなんて、知らなかったし、知りたくもなかった。
片想いを拗らせすぎている自覚はある。やっぱり恋をすると、自分の感情のコントロールが難しい。

「難しそうな顔してますね」
「……そんなことないよ」
「そんなことありますね、その反応」

小湊のことを考えている時に限って、本人が話しかけてくるから本当にタイミングが悪い。しかもニヤニヤしながら顔を覗き込んでくるから、さらにタチが悪い。
悔しくって下唇を噛んでしまう。さっきリップクリーム塗り直したばかりだったのに。
もういっそのこと素直に言ってしまおうか。
小湊のこと考えてたんだよって。

「……それよりさ、おみくじ引かない?」
「話を逸らしましたね」
「運試ししようよ! 良い運勢を引いた方が勝ちね」
「おみくじって勝負するもんじゃないと思いますけど」

思っていることを素直に口にする勇気なんて、一ミリもなかった。ノミも呆れるほどの心臓の小ささである。我ながら相当にビビりだと思う。
とりあえず、おみくじに誘うことでなんとか話題を変えることに成功した。
小湊って文句を言いつつも誘えばつきあってくれるところが、ポイントが高い。たまにキツイ物言いをする時もあるけど、さりげないところで優しくて、惑わされてばかりで困る。私ばかり意識してしまって、馬鹿みたいだ。
おみくじ箱の前に二人並んで同時にお金を入れて、ガサゴソと選びに選んだくじを引く。
せーのでくじを開いた瞬間、思わずお互いに顔を見合わせた。

「やった! 大吉! 」
「みょうじさんってくじ運だけはいいんですね」
「中吉だからって負け惜しみはやめたまえ」

渾身のドヤ顔で胸を張っておみくじを見せつけると、面白くないと言わんばかりに鼻で笑われて私の大吉をつまみ上げられてしまった。
これでも先輩なんだけど、まったくもって敬われている感じがしない。これは間違いなく確信犯である。
まじまじと文面に視線を落とした小湊は「良かったじゃないですか」と半笑いで恋愛運を指差した。

「恋愛 遠回りだが 叶う、らしいですよ」
「え、ほんとに? 小湊のも見せて」
「いいですけど」

同意より早くおみくじを奪って真っ先に恋愛のところに視線を這わす。
そこには「叶う 急ぐな」とシンプルなお告げが記されていて、また心臓がおかしなリズムを刻みはじめる。

….…叶うって、誰と?


「なんで固まってるんですか」
「あはは、良かったね! 恋愛、叶うってさ」
「目が笑ってないですよ」

無理やり取り繕って笑ってみたけど、まるで意味が無い。
中吉がつまみ上げられて手の中に私の大吉が戻ってきたのに、引いた直後の嬉しさが空気の抜けていく風船みたいに萎んでしまった。
ぐるぐると渦を巻きながらマイナス思考の沼へと陥ってしまう。小湊と他の誰かの恋が叶ってしまったら、どうしよう。
去年の秋に告白されていた、あの子の残像が脳裏にチラつく。可愛らしい見た目に反して勇気のある子だった。
小湊にはきっと、あの子みたいな可愛らしい女の子が似合っている。私みたいに中途半端な気持ちをぶら下げているやつとは、違って。

「みょうじさんは俺の恋愛が叶うの、嫌ですか?」
「……! …………!!」
「なんですかその顔芸」
「顔芸じゃない!」
「蒼褪めたり怒ったり、本当にせわしないですね」
「今に始まったことじゃないでしょ」
「確かに」

小湊ってたまに核心を突くような鋭い発言をするから、冷や冷やしてしまう。当の本人は涼しい顔をしているけど、私の頬は焦るあまり火照り出した。顔が赤いのがバレないようにマフラーに鼻先まで埋める。ちょっと息苦しい。

「寒いんですか」
「ちょっとだけね」
「手、出してください」

言われるがままにコートから手を出すと、ホカホカのカイロを手渡された。小湊のポケットに入っていた物なのに、私なんかのために差し出してくれたのか。
嬉しさのあまり何かが込み上げてくるのを堪えて、垂れてきそうになる鼻水を啜る。小湊の優しさが手のひらをじんわり温めてくれる。
こういう時に思う。小湊のことを好きになって、良かったなって。

「いいよ、気持ちだけ貰っておく」
「風邪引かれたら困るんで貰ってください」
「小湊のカイロじゃん」
「もう必要ないです」
「意地っ張り」
「寒がり」
「頑固」
「強がり」
「もーほんとに可愛くない!」
「可愛くなくて結構です」

薄くて形の良い唇を少しだけ尖らせる。
小湊が不機嫌な時に見せる仕草だと気がついて、慌てて先に歩き出した背中を追いかけてグラウンドコートの裾を掴んだ。

「小湊、ごめんね」
「別に怒ってないです」
「カイロ、ありがとう」
「……どういたしまして」
「後輩が優しくて、私は幸せ者だなぁ」
「褒めてももう何も出てこないですよ」
「だって、本当のことだし!」

にんまり笑ってそう言うと、尖らせた唇が緩んだ隙間から深いため息を吐き出した。白い吐息がふわふわと浮かんでは消えていく。
同じ歩幅で帰路を歩きながら、私も小湊の真似をしてふーっと白い息を吐き出してみる。
まるでタバコの煙みたいで少し大人になった気分だったのに「子供みたいなことするんですね」ってからかわれたから、不意打ちチョップを容赦なく後頭部に振り下ろした。