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 ベッドの向こう側で、震えながら頭を抱える大人の姿の春歌に、何か声をかけるべきかと悩んでいると、彼女ははっとして此方に振り返った。
 改めて述べるが、春歌は目覚めた時から何故かすっぽんぽんである。何の恥もなく正面を見せる彼女から、反射的に真斗は顔を逸らした。
 今の現状にすら追い付けていないのに、生まれたままの姿を晒した恋人を目の前に平常でいられる訳がない。動揺が大きくなるだけだ。それに今は朝で部屋もこんなに明るく、加えて春歌の身に天変地異が起きている状況。どんなに美しいからと言って見る必要はない。決して、見る、必要は、ない、聖川真斗。
 頭で悶々と言葉を繰り返し必死の思いで自分の浅はかな部分を押し殺していると、春歌が突然ベッドにのり、四つん這いになって真斗の方へ近づいてきた。裸の女性が、ベッドを這って迫って来る。その光景に慌てた真斗は逃げねばと後ずさるも、すぐ後ろには日が差し込む窓と壁。その窓際にはランプ等を置く小さなテーブルのスペースしか空いていない。背後が駄目ならば横に抜けようと足を踏み出したところでもう遅く、腰の辺りを捕まれてしまった。
「ま、真斗さん! 私を抓ってください!!」
 物怖じしている真斗を強く揺さぶりながら、見たこともない凄い剣幕で春歌が言った。現状を受け入れがたいのだろう。真斗の手をガシッと掴み、縋るように更に詰め寄ってくる。
「きっとこれは夢の続きなんです! 目が覚めるかもしれません、お願いします!」
「お、落ち着けハル! 俺がお前を痛めつけるような真似ができると思うか!」
 真剣な眼差しで真斗の利き手を掴む彼女の手を、反対の手で包み抑え込んだ。すると春歌は少しきょとんとした表情で間を置き、やんわりと握られた手を見つめると、ぎゅっと瞳を閉じて大きく息を吐いた。恐らく混乱しているのだろう。手も唇もわなわなと震わせ、顔も青ざめてしまっている。無理もない、普段通り目を覚ましたら訳もわからず大人の姿になってしまっているのだから。
 真斗は手を離し、すぐに着ているシャツを脱ぐと春歌に突き出した。
「あ」
「……着てくれ」
 差し出されたシャツを見て漸く自分の姿に気がついたのか、春歌は素直に受け取ってくれた。
「えっと、ありがとうございます……」
 少し恥ずかしそうにお礼を言う笑顔が可愛く、つい抱きしめてしまいそうになる。そんなお礼など構わないから早く着てその素肌を隠してほしい。
 真斗に背を向け、ベッドの上でさっとシャツに袖を通す。大人の姿とは言え、身の丈はあまり変わっていないようなので、真斗のシャツはひとふたまわりも大きい様だ。ボタンを留め終えると、春歌はシャツを纏った際に覆われた長い髪を両手で掬いさらりと払った。背に流された柔らかな髪が緩やかに舞い、花のような香りが鼻腔を擽る。その長髪に慣れた様子も仕草も、普段の春歌と合点が合わず、やはり違和感が募る。
 すると春歌は何やら右手で頬の辺りに触れ、指先で頬をつまんでいた。
「いててっ」
「……」
「夢じゃない……」
 どうやらまだ夢だと疑っていたらしい彼女は自分で抓った頬を手の平で擦りながらぼそりと呟いた。その様子に真斗もまさか夢を見ているのではないかと思いたかったが、今日初めて彼女の姿を見て驚きと共にベッドから落ちた時のあの痛みが未だにじんわりと残っているので、やはり夢では済まなそうだ。
「ハル、その姿はいったい……。昨日まで確かにお前は……」
「昨日……?」
 ぶかぶかのシャツに身を包んだ春歌が、真斗の問い掛けにゆったりと振り返り、八の字に困らせた眉間を唸らせる。何かを思い出そうとしているのか落ち着かせているのか、額に手を当てて首を傾げていた。
 春歌の部屋のこの白いベッドで眠りに落ちる昨晩を思い出す。何度思い返しても、その時の春歌はこれまで共に過ごして来たあの春歌だった。彼女の身にいったい何が起こっているのか。
「……えっと、私たぶん、あなたの言う"昨日の春歌"じゃないと思います」
「何?」
 思ってもいなかった言葉と反応を返された。てっきりあからさまに動揺した様子で首を横に振りわからないと言われるかと思っていた。だがこの短い間に彼女は脳内で自分なりに事態を整理し、気持ちも落ち着かせていたのだ。真斗が知る春歌には見られないその切り替えの早さに唖然とした。大人らしい振る舞いだと。
 もしくは思い当たる事が何かあるのか。"夢の続きかもしれない"とも言っていた。
「その、私は突然大人になった訳ではなくて、真斗さんと出会ってからちゃんと10年ぐらいは経ちましたし、思い出もあります。だから、えっと……」
 やはり信じられない事に変わりはない。つまりどういう事なのか、どう伝えればと春歌は口ごもる。
 彼女の言う事が本当なのであれば、この春歌は昨日まで一緒だった春歌ではなく、真斗と出会ってからもうすでに何年も生きており、身も心も立派に大人。その経験も記憶もちゃんとあると言う。成長した彼女からすれば、ここは過去の世界と言う事だろうか。つまり。
「未来から来たと言うのか」
「そ、そういうことになりますね」
 目が覚めたら急に大人の身体になってしまったのではなく、未来の春歌がこの時間に現れた、と。だが、だとしたら、この時間の春歌は一体何処へ行ってしまったのか。
「もしかしたら、私と入れ替わったのかも……」
「わかるのか?」
「いえ、なんとなく……」
 入れ替わったと言うのは、10年後の大人の春歌が此処に居るのだから、此処に居るべき16歳の春歌が10年後の世界に行ってしまった。そういう事なのだろう。とても信じられないような話だが、何よりこれから先10年分成長しその記憶を持った春歌が此処に居る事が、何より確かな事実である。信じられなくても理解しなければならない。
「ほら、女の勘です」
 にこりと微笑みそう言ってみせる表情から、もう先程までの目に見えた焦りや動揺は薄れていた。女の勘だ、等と笑って言える余裕が出てきたのだ。本来一番困惑していたであろう春歌の精神が、成長してより逞しくなったものだと思った。
 そして今最も心配なのはその未来に言ってしまったらしいハル(混同するので16歳の春歌をハルとする)。目の前の春歌は落ち着いてきているが、あのハルがひとり未来の世界に投げ出されてしまっていると思うと気が気でない。きっと慌てふためき混乱しているに違いない。もしかするとひとりきりで不安で泣いてしまっているかもしれない。そう思うと今すぐにでも助けに行ってやりたいが、そんな簡単に未来に行けるものか。何故彼女ひとりだけなのか。せめて傍にいてやりたいのに。
「どうしたら元に戻るんだ……」
 目に入れておかないと心配で心配で居ても立ってもいられない。
 それに早く元に帰ってきてもらわなければふたりの仕事にも影響が出てくる。社長や周囲に何と言えば良いのか。やっと父や親族にも、アイドルとしての夢を認めさせたばかりだと言うのに。夢に駆け出したばかりだと言うのに。
「大丈夫です! あちらに行ってしまった春歌には、大人の真斗さんがついてますから、何も心配はいりません」
 そう言って、そっと髪を撫で付けながら部屋を懐かしげに見渡す春歌。ややはしゃぎながら、お気に入りの(だった?)家具に触れては、おもむろに棚の引き出しを開けている。
「しかし戻す方法がわからなければ、このまま……」
 未来の事は知らないが、真斗が信じる春歌であれば、きっと将来も作曲家として真斗のパートナーとしてプロの道を進んでいることだろう。確かに、目の前にいる彼女であれば、共に仕事はできるかもしれない。だがそれでは何の意味もない。真斗はハルと、この自分と歩んで来た春歌と共にプロとして生きていくと誓ったのだ。既にプロとなっている春歌と仕事をしても、自分はただの足手纏いになるだろう。いや、彼女こそ未来に帰らなければ自身の仕事や私生活に支障を来すのではないか。
「お前は、未来へ帰れなくても良いのか?」
「…………」
 平然と昔の自分の部屋を物色する春歌は、作業机の上を眺め、ふたつ重ねて置かれた手帳を見つける。その内のひとつ、12月に入り新調したばかりのハルの手帳を手に取ると躊躇いも無くページを開いた。
「きっと何とかなります」
 手帳に目線を落としたまま軽い調子で言う春歌。壁を向いているので何とかなると言い切ったその表情がどんなものかは窺えなかった。
「悠長なことを……」
 やや呆れた声色で真斗がそう言うと、春歌は小さく笑みを湛えてくるりと振り返る。尚も視線は開いた手帳に向けられ、それを凝視したまま足元も見ずに真斗の方に歩み寄って来た。
「今日って12月5日ですか?」
「む……ああ」
「……今度のお誕生日で18歳……」
 ぶつぶつ言う春歌の言動から察するに、ハルの新しい手帳の最初のページ、今年最後の月には早々に真斗の誕生日が書き込まれているらしい。誕生日に当人の名前と迎える年齢を一緒に書き込むのが彼女の書き方だ。それを本人は勿論わかっていたから、真っ先に手帳を開いたのだろう。
 真斗の年齢を把握した春歌は手帳から視線を上げ、目の前の彼を見上げた。
「な、なんだ?」
「いっ、いえ……若いなぁって。私が居た未来の真斗さんはもう27歳ですから」
 簡単に未来の姿を思い浮かべてみるが、きっと昔見た父の若い頃の写真のような容貌になっているだろうと思い至って妙な感覚に陥った。
 しかしこの春歌が27歳の真斗を知っているのなら、彼女は26歳と言う事になる。先ほどの話から考えても、その数字には合点がいく。だが見た目からしてせいぜい20歳過ぎぐらいだろうと推察していたので、少し驚いた。
「そう言うお前も随分若く見えるぞ」
「もう、子供っぽいって言うんですか?」
「そ、そんな事は……!」
 まさかそんな風に拗ねられるとは思ってもみなかったので、怒った素振りを見せる春歌に慌てて謝ろうとすると、彼女は何も気にせぬ顔で可笑しそうに笑った。その笑顔に釣られて真斗も僅かに頬を緩ませた。ほんの少し抱いていたお互いの緊張も解れた気がする。
 その時ドレッサーの上に置かれた小さなデジタル時計が、ピピピッと音を鳴らし出した。真斗はアラームを止めると、ふっと仕事や今日一日の事を思い出す。真斗はこれから仕事に出かけなくてはならないが、春歌はどうすれば良い。もし彼女が出掛けなければならない用事があるとして、行った先々でその場を混乱させてしまうのはわかりきっている。
 ハルの今日の予定はどうだったか、何と話していたか思い起こしていると、春歌が長い髪を揺らして駆け寄って来た。
「これからお仕事ですか?」
「あ、ああ。とりあえず支度をしてくる。……お前も服を着ていてくれ」


 自室に戻り身支度を整え、荷物を持ち戸締りをしてから、再びハルの部屋に戻った。
 そこではハルの服を着て、長い髪も綺麗に梳かし、すっかり見違えた春歌が出迎えてくれた。ハルの服を着ているのに大人の姿をしているギャップに加えて、リビングのテレビを点けてひとりああだったそんな事もあったと盛り上がっている様子が、未来から来た事実を浮き上がらせており、なんとも言えない光景だ。
「えっ、真斗さんそんな格好で出かけるんですか?」
 テレビの音量を落としつつ真斗の姿を見てそう訊ねる春歌。彼女からファッションについてそんな反応をされた事がなかったので、少し不安になりながら今日のコーディネイトを見返してみる。
 襟と袖口にシンプルなラインが付けられた水色のワイシャツに、ハルからよく似合うと褒められたすらっとした黒のパンツ、腰にはすっきりとした使い易さ重視の革のベルトで締め、手にはこの冬になってから初めて着る自分もハルもお気に入りのグレーのコートを持っている。普段と変わりは無いと思うのだが、大人の姿と言えど、やはり恋人の春歌にはがっかりされたくない。何かまずかっただろうかと訊き返した。
「……おかしいか?」
「かっこよすぎます! 駄目です!」
「か」
 即答だった。しかも思っていた答えと違う言葉だった上、それをずばりと恥ずかしげもなく発言された。そんな強気な春歌にときめく間もなく、彼女は一気に捲し立てる。
「真斗さんが主演映画のポスターのお着物でショッピングモールを歩いたら大変でしょう? CDデビューしたステージの衣装で駅に行ったりしたらどうなります? それぐらい目立つ事です!」
「……主演映画に、デビュー……?」
「!!!!!」
 かなり気になる言葉を続け様に耳にした。真斗が言葉を繰り返すと、春歌はハッと大きく息を呑み、やってしまったと言わんばかりに両手で口を覆った。
「わ、私ったら……! こういう事、きっと教えちゃいけないんですよねっ、ごめんなさい!」
 きっと今のは春歌が未来生きた中で経験した事を例に諭した言葉なのだろう。それはおのずと真斗の未来の話である訳だが。彼女が言うようにそれらは今の真斗が知って良い事ではないだろう。これからプロになる為に日々精進していかなければならないのだ。もし"なれる"から等と怠けて少しでも努力を怠れば、その輝いた未来には絶対に辿り着けはしない。
 激しく気になりつつも、頻りに謝る春歌や、自分自身の怠慢防止の為にも聞かなかった事にした。
 しかしまあ、いけないと思ってもつい考えてみてしまう。プロを目指すこの自分が、ポスターにでかでかと載るようなその未来で、それを嬉しそうに見上げる春歌の笑顔を思うと、未来の事とは言え誇らしく思えた。
 一先ず春歌を宥め、今日の事を話す。
 春歌も先ほど手帳を確認してだいたいは把握していたらしい。幸い今日のハルは特に急いで出掛ける用事も無く、半日を一週間後の持ち込み企画の作曲やデータ処理に回すと言っていた。ただ、昨日に曲を送ったばかりで、ややリテイクの心配があるとも話していた。もしかするとそのリテイクの要求がメールか電話で来るかもしれない事を伝えると、それぐらいなら問題なく対処できると春歌は笑って言った。
「ひとりで大丈夫か?」
 真斗は仕事の為、春歌を残して出かけなくてはならない。不安であろう彼女をひとりにしてしまう心配な気持ちからそう訊ねるが、春歌は事無さげにとても落ち着いて笑っているので、少しやるせない。
「じゃあ私も行ってみたいです」
「……悪いがそれは駄目だ」
「やっぱりそうですよね」
 しょんぼりと落胆する春歌に、やるせないと言うくせに何もしてやれない自分の無力さに嫌気が差す。
 一緒にいてやりたい気持ちは山々だが、大事な仕事に彼女を、増してや春歌をよく知るスタッフもいる現場に突然大人の姿になった彼女を連れて行く訳にはいかない。ややこしくなってしまう上、周囲に何と説明すれば良いものか、そればかり気になって仕事にもならないだろう。
「少し残念です」
「……すまないな」
「ま、真斗さんが謝ることでは……」
 外出を制限された事よりも、真斗に謝られた事に慄いた様子の春歌は、萎縮気味に手を振った。すると何か思い当たったのか、顔の前で振っていた手をそっと下ろす。
「えっと、私も真斗くんとお呼びしますね」
「ん? ああ、構わん。寧ろその方がお前らしいと思えて助かる」
 そういえば初めから気になっていた。春歌は目覚めてからずっと真斗を"真斗さん"と呼んでいる。慣れた風に春歌がそう呼んでいるということは、将来はそれが当たり前になるということ。少し距離を置かれるような寂しさと同時に、彼女に相応しい男性としてそう慕われているのだろうかと何処かくすぐったさも覚える。
「"真斗さん"では他人のように感じますか?」
「いや、そうは……」
 続きの台詞を選ぶ前に、彼女のなんとも言えない複雑な笑みを目の当たりにしてしまい、言葉は失われた。あの無垢で純真な少女がこんな表情をするようになるのか。それともこのろくでなしがそうさせてしまう未来があるのか。
 戸惑っていると、春歌がにこやかに微笑んで見せた。
「私のことはハルって呼んでくださいね」
「未来でもそう呼ばれているのか」
「そういうことにしてください。せっかく過去の世界にいるんですから、少しでも10年前の気分を味わいたいんです」
 前向きだ。気にかかる言い方だが、どうしようもないと落ち込まれるよりも心持は明るい方が良い。そんな様子には少しばかり安心した。
 非日常的な出来事のお陰で時間が押してしまったが、そうゆっくりもしていられない。壁に掛けられた時計を確認すると、真斗は変装用の眼鏡をかける。
「では、俺はもう出かけるからな。何かあったらすぐに連絡してくれ。……本当にひとりで大丈夫か?」
「ふふ、そんなに心配しなくても私は大丈夫ですよ。あ、真斗くん」
 玄関へ向かう真斗に少し待つように言ってぱたぱたと台所へ駆けて行く春歌。その背中を見て、笑い方や走り方の癖は変わらないんだなと思った。
 春歌はすぐに小さな小包を手に戻ってくると、それを真斗に差し出した。
「はい、良かったら持って行ってください。何も食べてないんじゃありませんか?」
 いつの間にそんなものを用意してくれたのか、簡単な物ですけど、と言って青い風呂敷のコンパクトな包みを渡してくれた。きっと自分が現れたごたつきのせいで、真斗の朝食の時間が無くなってしまった事をわかっていたのだろう。献身的な気遣いを有り難く受け取る。
「本当は朝のうちに食べてほしいんですけど、お忙しいでしょうからお時間が空いた時にでも食べてください」
「ああ、ありがとう。……わざわざすまないな」
「いいえ」
 柔らかい笑みで返す春歌は、然も当たり前だと言わんばかりに首を振った。
 受け取った包みを鞄に入れようとすると、真斗が脇に抱えていたコートを何も言わずに持ってくれる。真斗が鞄に包みをしまい、コートを受け取ろうとすると、既に彼女はコートの前を寛げさせ、大きく広げて待っていた。あくまで自然に。その好意に甘えて一度鞄を置き、袖を通して着せてもらった。着せ方がやたら上手いと思ったが、きっと慣れているのだろう。真斗が下からボタンを留めつつ振り返ると、春歌は上のボタンへ手を伸ばして留めていく。何もそこまでしてくれなくとも……と照れながら言うと、お仕事に行かれるんですから女はこれぐらいしないと、と朗らかに笑った。
「では、行ってくる」
「はいっ、行ってらっしゃい!」
 僅かに頬を赤く染め、花が咲くように笑って見送る春歌がたまらなく愛しく思えた。それはそうだ。例え10年経った姿であろうと、彼女が春歌であることに変わりはない。どんな先の未来でも、真斗は春歌を愛している自信がある。可愛い恋人が出勤する自分に尽くしてくれているのだ。それを思うだけで胸が熱くなる。
 気づけば真斗は感情のままに手を伸ばし、彼女の小さな頭を引き寄せていた。そしてその柔らかな髪にキスをする。愛しい人の香りがした。
「わわっ……えっ?」
「ん、どうした」
「いいえ……」
 見下ろした春歌は大きな瞳をぱちぱちと瞬かせ呆然としていた。驚かせてしまっただろうかと引き寄せた腕を下ろすと、彼女はすぐに微笑み、自ら近寄ってきた。そして真斗の肩に両手を重ねて乗せ、傾けさせると、唇の傍にキスをした。
「な」
「……気を付けてくださいね?」
「は、ハル」
「あれ? この頃の私はお返ししなかったんですか?」
「っ……」
 此方がキスをする度に彼女からこんな可愛らしいお返しを貰える日々がこの聖川真斗の未来にあると言うのか。それは朝から大変な毎日だ。そんな生活を送ってしまっては彼女との甘い時間に麻痺を起こしてしまいそうで恐ろしい。すでにこの頭も心も春歌でいっぱいだと言うのに。
 春歌に見送られ、玄関の戸を閉める。冷たい冬の風を感じると、やけに頬が熱く感じた。これから仕事なのだ、気を引き締めねばと心の中で渇を入れた。
 それに当の本人があの調子なのでついうっかりしてしまいそうだが、彼女(ら)を元に戻す方法を何としてでも考えなければならない。春歌が夢の続きと言っていたのが気になる。夢でも何でも今は手がかりを集めるしかないだろう。
 とりあえず今日一日は世間から隠すことで凌げるとしても、このまま入れ替わったままというのは困る。もしかしたらこのまま未来に行ってしまったハルには会えなくなってしまうかもしれないと考えるだけでも絶望的だ。未来の真斗がついているから大丈夫と春歌は言っていたが、その未来の自分を信用していいものかよくわからない。春歌であれば全力で守ると誓えるが、今の真斗のように仕事などで傍を離れた際、もし何かあったらどうする。
 心配ばかりしても助けられはしない。気を揉んでいることで仕事を疎かにしてしまうようでは、後でハルに叱られてしまう。
 未来の真斗が愛しいハルを不安がらせないよう、心細くないよう、守ってくれていると信じて、今は自分のやるべき事をしよう。


To be continue...






2014.05.05. とばり



 
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