Present
「ふゆうまれ」
よく乾燥した冬も間近なこの日。部屋の中で水蒸気を吐き続ける加湿器から立ち昇るその白い息を眺めながら、春歌はそう声を漏らした。
心ここに在らずと言った様子でそう言うものだから、真斗は一瞬、彼女の一人言だと思っただろう。
しかし春歌はこの一人言のような呟きを、彼に向けた発言として受け取って欲しかった為、わざとゆっくりとそう言った。
「どうした突然、考えが口に出ているようだな」
そうそう、そんな風に捉えてもらいたくって、上出来です。
春歌は頭の中で繰り広げる極秘ミッションのその第一の作戦に成功した事を密かに喜びつつ、楽しんでいた。
一方で、緊張もしていた。
春歌にはひとつ、最終的に真斗に問わねばならない事がある。だがしかしその問はあまり直に聞く気にはなれず、あくまで遠回しに、会話の最中にさりげなく、その情報を聞き出す事が今回のミッションの全貌である。
既に成功した第一の作戦を念の為補足しておくが、案外さりげなく会話を切り出すのは難しく、そもそも"遠すぎず近すぎないテーマ"をぽんと放り投げ会話を広げるような話術を、春歌は持ち合わせていない。だがこの一人言のような、彼へ向けた最初の言葉、我ながら上手く思い付いたものだと思っている。冬生まれ――核心に触れてはいるが直接的でなく、それだけでは何を意味するかよく分からないので相手の気を巧みに引く。
この第一の作戦が、今回の企ての全てを左右すると言ってもいい。当の真斗がこの発言(と言うより無気力に声を上げた春歌)に興味を示してくれているので、ここから普段通りに会話を進めれば、存外容易くミッションコンプリート出来るかもしれない。
しかし、ここからが勝負。知りたい情報を遠回しに引き出し、結果相手に何が知りたかったのか悟られずに締め括る形が理想なのだ。
「そうなんです、真斗くんは冬生まれさんです。真斗くん、小さい頃からセーターやマフラーとか、暖かい冬用の物を贈られる事が多いのかなって」
「そうかもしれんな、あまり意識した事はないが」
「冬生まれさんに夏生まれさんは、その季節を乗り切る為のお洋服や小物や、その季節らしいデザインの贈り物をされている事が圧倒的に多そうだと思っていたんです」
「春や秋もそうだろう」
「デザインに関しては春秋もそうなんですけれど。その季節は夏冬に比べて快適な気温が続くので、衣類だと、一年を通して着れる使える服、もしくは近づいている夏冬の為の衣服類になったりと、貰えるプレゼントの幅が大きく広がります」
なるほど、と相づちながら、真斗は演劇の台本に目を通している。
幾年か前なら、真面目で情の熱い真斗は、春歌の話や相談なら、必ず正面から真摯に、それこそ愛する恋人へ神経を集結させて聞いていたのだが、今では時々このような少しだけ素っ気ない様子。これも春歌の狙いのうちであった。他の事に集中していれば、何となくで会話していた内容などは、すぐに忘れてしまうはず。その方が春歌にとって都合が良いので、あえて彼が集中しているその脇で話を切り出した。
(ごめんなさい、真斗くん。本当はお邪魔したくないんです、けど……)
これ以外チャンスはないと思った。
せっかくのふたりで過ごせる時間だが、真斗も春歌も、多忙を極める今となっては、家の中でさえ仕事があるので、休日も揃って机やキーボードに向かって仕事をしている時間が多い。
もっと若い頃は合間を縫っては愛を囁きあったものだが、年月とは砂時計まさにそれで、時間の分だけ流れるのが摂理(だからと互いの愛が冷めたとは言わない、年相応に落ち着いたと言い聞かせている)。
「それで、何なんだ。相談なら乗らんこともないが」
珍しく仕事を邪魔する形で話を持ち掛けてきた春歌を妙に思ったのか、真斗が不審そうに言った。
「えっと、その……相談という程ではなく……」
いけない、彼の意識が完全に此方に向いてしまっている。
今は真斗に不信感を持たれるよりも、此方の話をそこまで考えさせない事の方が重要だ。この微妙なラインを保つのが最も困難かもしれない。
「少し考えを纏めたくて、聞いてほしい、と言いますか、いえ、聞き流していてほしいと言いますか……」
しどろもどろではあるが、ここで嘘を並べてもすぐに見抜かれてしまうのは目に見えているので、本心を隠しつつを正直に答えた。
「そうか? ……その方がいいなら」
真斗はそう言ってから、テーブルに置かれたやや冷めてしまった緑茶を一口含み、腑に落ちない様子で再び台本に視線を落とした。
ことんと置かれた湯呑みの音が、ひとつ区切りを付けてくれたようで春歌は静かに胸を撫で下ろす。
「それで、そうそうプレゼントのお話でした」
春歌は、然もこの議題がそこまで大した問題点ではない事を強調させるように、そのように切り出した。
「……例えば、四ノ宮さんはとてもぬいぐるみさんがお好きです。なので可愛いぬいぐるみさんを選んでみようと考えますよね。でも、いざお店に並ぶ様々なぬいぐるみさんを見ていると、大きさも色も手触りも、何が好みなのかわからないものです。そして何より、ご本人が日頃から好きと言っている物を贈る時……これが一番引っかかるポイントになります。四ノ宮さんは、そのぬいぐるみさんを既に持ってらっしゃるのではないかと言うことです」
まるで舞台演劇の台詞のように長く、けれど出来るだけ平坦に、彼の気を引き過ぎない程度の一人芝居。まるで一世一代とでも言いたげな春歌は、この駆け引きに真剣だった。
「ぬいぐるみと一言で言っても、私は四ノ宮さんがお気に入りのブランドも知りませんし、例えばクマさんを沢山持っているけどウサギさんは少ない、なんて事情まで詳しくは知りません」
そこでふと、聞き流してほしいと言われてもやはり春歌の声をそれなり聞いていたらしい真斗が、顔を上げた。
「確かに四ノ宮は動物のぬいぐるみを、家族や人から貰うことが多いそうだが。最近では部屋がぬいぐるみに占拠されて大変らしく、いつ大きいぬいぐるみを迎えても良いように、それら専用の部屋を準備しているらしい」
「凄い……」
それはそれで友人の有益な情報なので覚えておくとして。
「次は四ノ宮の居場所が狭まらないよう、ワイシャツに犬の刺繍でもするか。来年は戌年だからな」なんて自分だけ人の贈り物をサクッと決定している真斗に思わず、「ずるいです自分ばかり!」と声を上げそうになり危なかった。
何故なら、まさに、来る真斗への誕生日プレゼントは何にするかを決定する為の今ミッションである。
真斗は裁縫や料理等、自分の得意分野をフル活用した贈り物を考え選び、それを実行しきちんと形に出来るのだから本当に本当に感心で羨ましい。用意できる時間も限られているので、全ての友人知人に毎度手作りと言う訳にはいかないが。それでも、彼の引き出しの多さには驚かされる。
春歌にも、彼女にしか作れないものが幾つもあるが、真斗の器用さと周囲への誠実さに時々悲観的になる時がどうしてもある。恋人であるが故、一番近くで見ているが故、他人よりも余計それを実感してしまう。
学生時代から作曲家を志し、その夢を実現させた春歌。曲を贈りものとした事はもちろん何度もある。これこそ春歌の本分であり、彼が最も喜んでくれる愛の形でもある。
だがお互いにプロの芸能の道を歩んでいる今、曲を贈ろうものなら、"これはどこで発表するといい"、"何で使えそうだ"と色っぽい話ではなくなってしまう複雑な経験もあるので(その際は両者が乗り気なケースがほとんど)、出来れば全く別の物がいい。
そう、もっと普通の、恋人らしい贈り物を考えたい。
少し前までは、自分にしか生み出せない特別なものを精一杯考え、贈る事で満足していたが、そんな世界に一つだけの私の愛を見せたい少女思考は何年か前に忘れて来てしまった。
とは言え最愛の人へのプレゼント、少しでも本人が望むもの、喜ぶもの、笑顔になる物を選びたい。いちからオリジナルでなくとも、選ぶ時の情熱を冷めやってはならない。在り来りではだめ、それから本人に贈られるまではできるだけ知られたくない。キラキラと商品が並ぶ店頭で恋人の為のプレゼントを悩み倒すという経験がしたい。選ぶ、贈る、喜ばれる満足感を味わいたい。
その為の事前調査。その為の脳内会議を今日まで重ねてきた。本人からできるだけ、今何が欲しいか、情報を聞き出す必要がある。
「そう言えばトモちゃんみたいに、自分から欲しい物を教えてくれる人もたまにいますよね。流石のトモちゃんも、誰にでも言ってる訳ではないと思うんですが、私が尋ねると必ず、あれが欲しいかなーって教えてくれます」
「お前達の仲の良さが窺えるな」
いくら仲がいいからと言っても、恋人である真斗に何がいいかと聞くのは、友人にそれを尋ねるのと微妙な違いがある。我ながら厄介な女心。いっそはっきり訊けたら楽だろう。
そもそも彼に何が欲しいかと尋ねたところで、真斗は何でも嬉しいと答えるだろう。
春歌もその気持ちはよくわかる。真斗が自分の為に沢山悩んで選んで贈ってくれた物なら、いつだって何だって心から嬉しいのだから。
そう、直接"何が"と訊いたところであまり参考にはならず、結局最後まで悩むのは自分なのだ。ならば悩んでる事も隠し通して、本人が遠慮なしに欲しいものを率直に知り、もう大人なのだから少し格好つけてスマートに渡してみたい。
(そうです! ここで……「例えば真斗くんなら、一十木くんに何が欲しい? と訊かれたら何と答えますか?」です!)
春歌は予め、流れの中で自然に発言できそうな台詞と、話に詰まった緊急時用のふたつの切り札を用意していた。
これだ、ここしかない。春歌はついに核心に突く問いかけを思い付いた。今こそ、惜しみなく一枚目のカードをセットする瞬間。
予習復習万全、もはや決め台詞とでも言えよう切り札を弾のように放つ!
が!
「自分の欲しいものを思い浮かべ、そこから考えてみるのも手ではないか?」
「っえ?」
奇しくも一枚目の切り札は提示する前に弾かれてしまった。なんという事か、ただ静かな声色で真斗が先手を打ってきた。
「……え、私が欲しいものですか?」
「ああ、相手の喜ぶものを選びたいのは勿論だが、時には贈り主が好むものを選んでみると親交に繋がると聞くぞ」
趣味に走りすぎず、押し付けがましくない程度にな。丁寧にそう付け加えた真斗。へえああそうかなるほどそういう選択肢もあるなら今後の参考にしよう良いアイデア。
違うそうじゃない。
(……そうじゃないんです真斗くんっ!!)
騒然とする脳内会議中にも関わらず、あまりにはっきりと頭の中で木霊する自分の声に狼狽えた。今ほど心の声が口から跳び出てしまったのではないかと疑った日はない。
現段階で春歌は本来の目的を何一つ達成出来ていない。真斗から得た情報は友人の愉快なぬいぐるみ事情だけでもおおそのお話は後日改めて楽しく聞かせて欲しい!!
ペースを完全に彼に掻き乱されてしまっている現状に、春歌は焦りを隠し切れなくなってきた。一体何の話をしていたんだっけ。
「どうした? 何も思い浮かばないか?」
「へっ? あ、そうですね、えーっと……」
先程までの饒舌っぷりはどこへ吹き飛んでしまったのか、まるで言葉を忘れてしまったかのように、春歌は調子外れな声で返答した。
何も思い浮かばないか? その言葉が心臓の嫌な所に突き刺さる。どこか見透かしたような彼の目元が、僅かに笑みを見せた気がする。
ここで真斗を無視して作戦を優先すると必ず怪しまれるので、とりあえず彼の提案に則り、自分が欲しい物をあれこれ並べてみる。
他にも欲しいものが色々あった気もするが、彼の前で何と言ったのか焦り過ぎてもう覚えていない。
「はぁ……男性は何を贈られると嬉しいものでしょうか」
「結局相談ではないか」
呆れる真斗に乾いた笑いで深く同意した。
半ば放心状態の春歌はあの威勢の良さも投げやり、二枚目にして最後の切り札を吐き出した。
今や一流の役者としても名高い聖川氏を相手に、変な一人芝居などせずに、端から相談だと呈して考えを仰げば良かった。
きっと一人で熱くなっていた自分が可笑しくて楽しかったのだろう。このあっさりと引いていく自分の熱が他人のように感じた。
「友人か? それか、仕事相手か?」
「あ、えっと仕事仲間で……」
コーヒー? 紅茶? じゃあミルクティーで。そんなノリで嘘をついてしまった事を後悔した。
「となると、年上か?」
「そうです」
「付き合いは長いのか」
「そ、そうですね、長めで……」
はらはらと薄っぺらい手札も散っていき、矢継ぎ早に繰り出される質問に頷くぐらいしか手段が無い春歌。
どういう訳か春歌の嘘はすぐにバレてしまうので、それ以前に嘘をつくこと自体に気が引けるので、本来は言わないようにしているのだが、この苦しい局面に何と言えば良いのか、咄嗟には言葉が出てこなかったのだ。
「俺ばかりが質問してどうする」
泣き明かす子供をあやすように頭を撫でてくれる彼の笑顔に、身体中の力が抜けていく。ああ、呆れた、こんなにも緊張していたの。
会議室では諦め悪く、未だにこの状況を乗り切ろうと空言を並べていた。
もう何処から失敗していたのか。既にミッションから外された頼もしいメンバーが次々と春歌の傍を離れていき、さしずめたった一人丸腰で敵地へ飛び込んだ新米スパイのよう。それよりも酷い。蟻の群れに落ちた角砂糖。羽を欠かれた飛べない蝶。
いえただの、嘘のつけない私と、とっても上手な貴方。
「……ふむ、冬用コートに珈琲メーカーに新しいスピーカーか。ありがとうハル、クリスマスの参考にさせてもらうとしよう」
「……!!」
それらは彼に促されるままに打ち明けた春歌本人の最新データだった。
あまりに一点ばかりに固執し過ぎて、いつの間にか逆に情報を抜き出されていた事に気づき、春歌は狼狽しぐったりと頭を垂れた。
最も、勝手に勝負を始めて勝手に惨敗しているのだが。その虚しさも彼の清々しい表情も含め、見事な完敗だったと自分を褒めよう。
「ハル、もう充分だろう。俺に訊きたいことがあるのではないか?」
「…………」
知小謀大、破鏡不照。
この脳内の真っ白な解答用紙にそんな言葉がぴったり当てはまり、春歌はただ敵陣のど真ん中で両手を上げた。
あなたに戦いを挑んだ私が間違いでした。無謀でしたが、精一杯頑張ったこの私を笑って下さいますか。
不完全燃焼のまま虚しく蒸発していった計画が、まるで快適に部屋に拡がるこの水蒸気のように呆気なく。
「…………お誕生日プレゼント、何がいいでしょうか……」
まだ一月以上も先の話だろうと言う彼の声は、さらさらと散る敗北者の耳元を通過していったのでした。
fin.
舞台はミッションイン●ッシブル(違います)。
診断メーカー「同棲してる2人の日常」様
お題「プレゼントに何が欲しいかの探り合いをする」
18.02.07.とばり