第1話

彼を初めて見たのは、バロンとダムシアンの国交100周年記念のピアノリサイタルの会場だった。
ダムシアンのホールで開催されたその式典。
普段は生花で飾られているホールだったが、
その時はバロンの紋章が刺繍された緋色の垂れ幕と
ダムシアンの紋章の刺繍のある黄色の垂れ幕に覆われていた。
女性的な彫刻による室内装飾や色とりどりの花は、
バロン王国の軍国主義には合わなかった。
僕にはそれが、国交記念というよりかは、バロンに迎合しているように思えた。

トランペットが高々と音色を奏で、ホールの外にバロンの飛空挺が到着したことを告げた。
沢山の大砲を備え付けた飛空挺が着陸し、バロン王と共に大勢の近衛兵が降りてきた。
この日のために用意された緋色のカーペットの上を歩くバロン王の姿は
剛健とも尊大とも見えた。
ホールは瞬く間にバロンの軍服で埋め尽くされた。
体に張り付くように誂えられたその服は、
ダムシアンの貴族が身に纏うゆったりとしたローブとは対照をなしていた。
直線的で筋肉質な男性美を極限まで高めている。
ダムシアンからも、バロンの兵団へ入りたいと志願するものがいるが、
それはあの軍服が着たいからだとよく言われている。
僕には、その服は、人の個性を失わせる、統制力の象徴のようにしか思えない。
しかし、国の紋章で埋め尽くされたこの赤と黄のホールに、
その軍服は恐ろしいほど映えた。
ダムシアンの衣装の方が、間の抜けた寝巻のように見えてしまうことが、
僕にとっては屈辱だった。

舞台では演奏家や歌手が次々に腕を披露している。
独自の芸術文化を持たないバロンにとって、ダムシアンの文化は最高の輸入対象だ。
国交が始まった時、最初に彼らが輸入したのはフォークとスプーンだった、
というのはダムシアンでは今でもジョークと共に伝えられている。
僕たちに出会う前、彼らは一体どのように食事をしていたのか。
僕は彼らを何か下等な獣のようなものだと年上の貴族から教えられた。

少し退屈していた僕は、ボックス席でオペラグラスを弄んでいたが、
彼の登場と同時に一気に彼に惹き込まれることとなった。
軍靴の踵音を響かせながら、彼は舞台袖から現れた。
シャンデリアの光が銀髪を輝かす。
オペラグラス越しにその光の反射を見ていたが、
僕は眩しさに目がくらみそうになった。
彼が深々と礼をして、ピアノの前の椅子に腰をかけた。
演目ではバロンの近衛兵が1曲だけピアノを弾く。
バロン人が作った音楽は存在しない。
この近衛兵が演奏するのは、ダムシアンの音楽家がその昔、
バロンの貴族のために作った曲だ。
彼が鍵盤の上に指を添える。
演奏が始まった。
左手で常に一定のリズムを刻み、右手がそのリズムに合わせてメロディを奏でる。
同じフレーズを4回繰り返すと曲は終了する。
両手共に常に同じリズムだ。
僕にとって、耳に入ってくる音は、旋律というよりも振り子時計の規則的な運動と思えた。
ダムシアンの演奏家は感情過多となる傾向が強く、
ピアノの上では体全体でリズムをとり、その表情には恍惚の笑みが浮かんでいる。
しかし、今ピアノを弾いている彼は、背筋をピンと伸ばし、
目を鍵盤の方へ伏せたままの姿勢を保っている。
それは僕に軍隊行進の場面を連想させた。
周りと歩調を合わせて行進する中で、捧げ筒、抱え筒との上官の命令に従って、
持っているライフルを動かす。
彼が音を楽しんでいるようには思えない。
楽譜に従って、鍵盤を叩いているだけだ。
これほどまでに何の感慨も起こさない演奏を、僕は聞いたことが無い。

この曲の譜面を見たことがあるが、夥しい音符が五線譜上に整列させられ、
見ているだけで眩暈を起こさせた。
作曲家はこの譜面に、生活の中に規律しか存在しない、
バロンの軍国主義を見事に表現している。
きっと彼は、上官の命令で仕方なくこの曲の練習に取り掛かったのだろう。
そして、同じことを軍務の中でもやっていくんだろう。
望むと望まないとに関わらず、彼は敵兵の整列する戦地に
突撃の号令で命を顧みずに突っ込んで行くのだ。
僕には彼が無残に敵兵の銃弾を浴びて倒れるところを想像した。
世界一カッコいいと言われている、あの軍服を弾が貫通し、彼の若い血が滴る。
彼に関する限り、傲慢な軍人というイメージは消え去り、
何かエロティックなものを思い起こさせる。
そして、僕の想像では、命令が理不尽であればあるほど、
彼の表情は恍惚さを帯びて行くのだ。
心臓から血が滴り、血の気の失せた唇を苦痛と快楽で歪ませる彼の姿を想像する。

そこで、演奏は終わった。
会場から拍手が起こる。
彼は登場した時と全く変わらない無表情を客席に向けて、
再度礼をすると、引っ込んで行った。
もうすぐこのリサイタルも幕だ。
僕はなおざりに立ちあがり、居住まいを正した。
そこで、僕のいるボックス席と対をなして設置された、
バロン王のいる席の方へ何気なく目をやって驚いた。
ピアノを演奏していた彼が、バロン王の隣の席にいたからだ。
バロン王は彼の頬を一撫でし、彼をねぎらっていた。
彼は全く無邪気な表情を浮かべていた。
先ほどの、からくり人形のような動作からは想像できないほど、人間的だった。


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