先触れを追い越し、居室の扉を叩き開けた。
ソファーで呑気に茶なぞ飲んでいる男に、床を蹴る勢いで歩み寄る。
『おや、アキ。君が来るとは聞いていなかったが』
『戯言はいい、彼女はどこだ』
尚もしらばっくれようと、薄ら笑いで口を開きかけた野郎を睨み付けて黙らせる。言葉遊びを続けるつもりがない私の様子に、レオはつまらない奴だと肩をすくめた。
『意外と早かったな。もう少しかかると思ったんだが』
『思わせ振りに目撃情報をバラ撒いておいて、よく言う』
余裕の笑みで悪友は、わからなさすぎても面白くないだろう、と
嘯いた。
彼女の行方を探す私のもとに集められた、レナード・ウィンスレットの目撃情報。
来日の予定はなかったはずの男が、いつもの気まぐれを起こしたものかと思えば、レイリオールの叔父を訪れたり、街をうろついたり。
だが、こちらに来ておいて私に会いに来ないというのは、奴の行動パターンから考えておかしかった。更には叔父が持ってきた写真が決め手だ。
――ウィンスレット卿が連れていた女性、これは暁臣の恋人じゃないのか?
その時点でだいたいのことが読めていたが、念のためとホテルの防犯カメラの映像を直接見せてもらい、確信した。
レオの傍に控えた、妖艶な雰囲気の女性。それは究極に“変装”した茅乃さんだったのだ。
腰まで流れる茶色のウィッグ。眼差しにまで艶を乗せたような化粧。彼女が自ら選ぶことはないだろう、扇情的に肌を見せたドレス。
おまけに、やるとなれば徹底的に役を作り、言葉使いまで変えてしまうひとだ。
普段の彼女しか知らない警備の者たちが見落としても仕方がない。
これは、私でなければ見破れない。叔父が彼女を判別したこと自体驚きだが、その叔父も、対人関係に記憶力が強い秘書の言葉で気がついたらしい。
その解に辿り着いた時には、レオは既に日本を発っていて――手を回しレオが所有するプライベートジェットの同乗者を調べれば、間違いなかった。
こちらもすぐに飛んで追い掛けたかったが、予定のないフライトの許可を得るのに手間がかかり、丸一日の遅れを取ってしまった。
『何が目的だ。こんなところまで彼女を連れ去って――隠蔽工作を行っておきながら、わざわざヒントも置いて』
『目的も何も、知人を家に招待しただけだが? 丁度、旅行先の相談を受けたからな。知り合いがいないところでゆっくりしたいという彼女のリクエストに答えただけさ。古賀の警護を撹乱したのはワザとだが』
――だから何故この男にそんなことを相談するんですか茅乃さん!
『だいたいお前たち、別れたそうじゃないか。だったら彼女が休みにどうしようと、俺がナニをしようと関係ないだろう?』
煽られている。わかってはいたが、ここ数日の疲労に加えて、あと少しで届くという思いが私の忍耐を弛ませていた。
『関係ないわけあるか! 彼女は私のものだっ』
『本人に言えよ』
と言うか、もの扱いしたら、セッキョーが始まるぞ、などとわかった風なことを言う。それが更に腹立たしい。
お前な、といい加減我慢ならなくて、レオに掴みかかった私にガードマンが気色ばむ。
それを眼差しで押さえた悪友は、こちらに何か言おうとしたが、被さるように割り込んだ声にその動きを止めた。
『レナード、やっぱりあの部屋昼間でも暖房が必要だと思うわ、寒すぎて……』
庭先から黒髪を背に流した女性と、お付きなのかメイドが入ってくる。
厚手のストールを身体に巻き付け、品のよいワンピース姿の彼女が、部屋の中、掴み合い一歩手前の私たちを認めて固まった。
――パクリと口を開け、パクリと口を閉ざし、背を向けたと思えば脱兎のごとく走り出して。レオが爆笑する。
「――茅乃さん!」
もちろん後を追った。
「いやあああなんで暁臣くんがいるのおおおぉっ!?」
そんなこと。
貴女を捕まえに来たからに決まっている。
というか、茅乃さん、いま私を見て『げ』って言いましたね? 『げ』って何ですか、失礼な。しかも全速力で逃げるとは、どういうことですか。
「どうして逃げるんですか、茅乃さん!」
「や、だってなんか怒ってるし!」
茅乃さんが着ているのは裾の長いワンピースだというのに、意外と足が早い。縮まらない距離にイラついて、スピードを上げた。それに気づいた彼女が更に必死に手足を動かして。
他人の城(うち)で追い駆けっこを始めた私たちに、困惑する使用人たちが見えたが、構っていられなかった。
――行方不明の知らせを聞いてから、香坂との取引を知ってから、貴女を失ってから、ずっと休まらなかった。
ひとりで貴女がどんな思いをしているか、想像しただけで、苦しかった。
それが。
「だいたいですねっ、どうしてレナードの城になどいるんですか! 貴女が失踪したと聞いて、私がどれだけ心配したと……!」
「失踪なんてしてないし! ちょっと冬休みを利用して旅行しようと思っただけだし!」
叫び返しながら茅乃さんは身の丈ほどの高さがある垣根の一つに飛び込んだ。
春には花をつけた蔓薔薇が絡む、緑の迷路。ウィンスレット古城ホテルの売りのひとつだが、今は邪魔なだけだ。焼き払ってやりたい。
狭い通路は、小回りの利く茅乃さんには有利だが、育ってしまった私には動きづらいのだ。
行く手を遮る木々に八つ当たりをして、翻るスカートを追う。
「茅――茅乃っ、逃げるなッ!」
「呼び捨てっ!? 逃げるってば、なんか暁臣くん怖いしーーー!」
私が追い付くまでのわずかな滞在時間で順路を把握していたのか、茅乃さんの足は迷うことなく迷路の奥へ進んで行く。
この先は、表側の庭園に出る道と、ウィンスレットの身内しか入ることが許されない東屋へいく道に分かれている。
彼女がどちらへ行くのか、見極めようと顔をあげた瞬間、一枚の布が目前を遮った。
彼女が羽織っていた毛織りのストール。振り払ったときにはもう、彼女の姿はなく。そこまでして逃げるか、と少し呆れた。
通常なら、一般に解放されている表側に行ったと考えるだろう。
――だが。
冷えた空気の中を走ったことで喉を痛めたのか、ケホケホと咳き込みえづきながら、彼女は薄暗い塔の中へ足を踏み入れた。背後を気にしながら何度か振り返り、追っ手がないことを確かめ、肩の力を抜く。
「思わず逃げちゃったけど……。なんでいるかなぁ、もう……」
「貴女を迎えに来たからですよ」
彼女が完全に中へ入ってから、扉を閉めた私は、邪魔の入らぬよう閂を差し込み、答えた。
風が起こりそうな勢いで振り返った彼女は、まるでモンスターに遭遇したかのような顔でこちらを見つめる。心外だ。目を眇る。
「――ウィンスレットには学生時代、休みのたびにレオに強制招待を受けていたんですよ。昨日今日来た茅乃さんより、ずっと内部の構造を知っています。先回りすることなどお手のものです」
何か言おうとして、しかし言葉が出てこないのか口をパクパクしていた茅乃さんだったが、結局諦めてガクリと肩を落とした。
「もう……頭グチャグチャだから、一人になって考えようと思ってたのにっ」
語気荒くぼやきながら彼女は身を翻し、螺旋階段に足を乗せる。登ることに躊躇いのない足取りに、この塔の内も熟知しているとわかった。
塔の曰く故に、他人を――使用人でさえここに近付けたりしないレオにしては、かなり珍しいことだ。それだけ茅乃さんを気に入っているということなのだろうが。ムカつく。
「……そう言えば、ちゃんと聞いていませんでした。何故、レオと」
「いや、なんか、いつの間にか? 単にしばらくどこかに行きたいなって愚痴っただけなんだけど」
その原因に思い当たり、口をつぐんだ。
「家に招待してやるからアドバイザーになれとか言われて、よくわからないままこの塔の内装チェックさせられて――若い娘の好みがどうとか」
女の子が使うならこの階段は不便よねぇ、とコメントしながら、黙り込んでしまった私をどう思ったか、茅乃さんは肩越しにチラリと振り返る。心なしか、気まずげに。
「…………暁臣くん、会社の方ヤバくなってない?」
「数日休んでも大丈夫な様にはしてきましたが」
茅乃さんに別れを告げられたあと、自棄になって働いたお蔭で余裕はある。自分でしなければ気がすまない質なだけで、実は他に任せても構わない仕事もあるのだ。
この際、彼女を口説き落とせるまでサボってやる。
「そうでなく……ええと、あの、――香坂くんが、」
「言わなくて、いいです」
「……へ?」
途中で遮った私に、扉に手を掛けていた茅乃さんが、気の抜けた声を出した。彼女の口からその出来事を聞きたくなくて、先に言葉を紡ぐ。
「彼との話は済みました。もう貴女が自分を犠牲にすることはないんです。それに関して、詫びなければいけないことがまだ有りますが――同じことを貴女に強要した私が言えることではありませんが、だからこそ、二度と、私を――誰かを守る為でも、自分を投げ出すようなことはしないでください……」
今もまだ、たとえ一度でも、茅乃さんが自身の意に染まぬ相手に身を捧げたことを想像しただけで、自分を殺したくなる。私のせいだと思えば、思うほど。
だがここで身を引くなど卑怯なことはない。
傷つけた私が、傷を癒せるなどと思い上がるつもりはないが、嫌がられたって傍にいる。
忘れてしまえるまで、否、そのあとも、ずっと。
「……なんか誤解してない?」
ぎゅうと眉間に皺を寄せて、戸惑った声を出した茅乃さんは、私が知らず瞳に浮かべていたらしい労りに、怪訝な声を出す。
「いえ――言わなくていいんです」
「待て。何をお聞きになりやがりましたか理事長。香坂くんにスクープされたことじゃないの?」
部屋に入った彼女はクルリとこちらに向き直り、腕組みし、詰問の姿勢に。
「……スクープというか、そもそもうちの警護が情報を流したのですが、」
「ああ、どうりで……、って何やってんだ古賀!」
しっかり雇用人管理しなさいよ! という茅乃さんの言い分はもっともで、申し訳ありません、と小さく謝ると、ため息を落とされた。
「じゃあ、自業自得よね。暴露されても大丈夫だろうと思ってたけど、やっぱり何か後味悪いじゃない。免職とか退任とかってことになったら、私にも原因の一端がないわけじゃないし、」
腕組みしたまま、淡い色の壁紙に背を預け、ぶつぶつと呟く。
――今度は私が怪訝に思う番だった。
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