青い鳥(4)
 
 終業式を終えると、ホームルーム後に今期最後の部活動がある。彼女を捕まえるために、部活終了後に全ての業務を片付けておかなければ。
 理事長室に籠ってしばらく、ノックの音に顔を上げた。

「古賀理事、ご無沙汰しております」

 顔を覗かせたのは藤岡だった。例の女生徒も、続いて入ってくる。その時点で、用事の見当がついた私は一旦仕事の手を止めた。
 改めて詫びを入れに来た、というところか。

「この度は、我々の軽率な行動により大変ご迷惑をお掛け致しました!」

 二人揃って深々と頭を下げられ、どういった顔をすべきか少々悩む。

「他校であれば、厳罰になるところを古賀理事の骨折りで、支障なく済みました。ありがとうございます」
「……問題になれば学園の評判にも関わりますから、此方にも利あってのことです。――内輪であっても婚約中と言って良い関係だったのが幸いしました」

 先に調べていたこともあるが。
 この二人のケースが特殊だったからこそ、取れた手段だった。

「その後、問題はないですか。騒いでいた生徒もいたようですが」
「楠木先生や矢嶋先生にもご尽力頂きまして、なんとか。それに、非難を受けるのも当然だと思っております」

 それはまあ、そうだ。
 口を挟まず、藤岡に寄り添う女生徒に目を向ける。
 大人しやかなところは変わらないが、ある種の者たちの嗜虐心を誘っていたオドオドした雰囲気は払拭されていた。
 もう、揺らがない瞳をしている。
 不安要素があるといえばこの娘だけだったが、この様子なら大丈夫だろう。
 茅乃さんを傷つけた分、彼らには言いたいこともあったが、彼女がこれでいいとしているのだから、我慢しよう。

「私や学園の生徒たち、教諭各位に迷惑をかけたと思うなら、その分幸せになることが、これからのあなた方の責務だと思って下さい。――それから、認められたとはいえ、学内では親密な会話は慎むこと」

 少しからかうように付け足すと、頬を赤くして恐縮する。そうして二人に微笑んで、退出を許した。

「――そうだ、理事長。報道部のことなのですが」

 扉の前で立ち止まった藤岡が発した言葉に目を瞬く。

「今回の件で、騒ぎを拡大した責を課すとお聞きしましたが、我々に協力もしてくれたのも、彼らなので……」
「ええ、その辺りは注意で済ませます。少し雑多になりすぎた様ですから、報道部の内訳に手を入れようかと考えてはいるのですが」

 そうですか、と安心したように頷く藤岡も茅乃さんと同じで、大概、人がいい。
“あのとき報道部に暴露さえされなければ”とは思わず、そういった話題を提供してしまった自分も悪いと考えるのだろう。
 さすが長年の友人、思考が似通っていてムカつく。

「引退した香坂くんには、会見のこともあわせて世話になりましたから。楠木先生と彼のシナリオがなければ、乗りきれなかったと思うんですよ」

 見世物になった甲斐はありましたね、と笑って、もう一度頭を下げて部屋を出て行く藤岡に、その時私はどんな顔をしていたのか。

 ――何故、忘れていた。
 ――子どもとはいえ、ある意味、藤岡よりも厄介な者のことを。

 茅乃さんと彼が書いたシナリオ、ということは、少なくとも数回は接触があったということだ。
 それが何故、報告書に記載されていなかった?
 私が彼を警戒してからこちら、どんな小さなことも、報告されなかったことはないのに――

 カチリカチリと脳内であらゆるピースが填まる。
 指示を出すべく、急いて受話器を取り上げた。



 飼い犬に手を噛まれる。
 父なら、噛まれた飼い主にも原因が有るのではないかと皮肉っただろうが。
 統率が執れていなかった、結局はそういうことだろう。

「申し訳ありません……!」
「ここ数ヶ月は、校内に入ってからは兵頭が担当を」
「兵頭は先月一杯で外れることが決まっていましたから、外のガードは別の者に任せることにしたんです」
「報告書も、特に深く読み取ることをしていませんでした……本当に彼女が改竄を?」

 呼び出した警備責任者、彼女につけていた者たちが私の前で目線を落とす。

「でなければ、あったはずの時間が書かれていない説明がつかない」

 藤岡や他の教諭の話では、会議のあった翌日から“会見”まで、茅乃さんと香坂が共にいた時間があることは間違いないのだ。
 演劇部の有志や報道部員もいて、二人きりではなかったにせよ、それが記されていないこと自体がおかしい。
 報告書には、時間ごとに彼女の行動が記されている。
 問題の数日には、ただ【藤岡関連ミーティング】とだけあり、香坂が関与していたことは、一言もなかった。
 私が香坂の動向に注意せよ、と言い置いていたにも関わらず、だ。
 本来ならここには、【藤岡関連ミーティング;香坂の接触あり】として、様子を探る記述がなければならない。
 先ほどの藤岡の言葉がなければ、再度確認することもなく、流し見ただけで済ませていただろう。
 何があったか、知ろうとすることもなく。

 そもそも、藤岡のスクープ自体が怪しくなってくる。
 香坂が、記事をチェックしていないはずはない。学園のWebニュースの基礎は、彼が構築したものだ。
 現在は新しい部長に任せているが故に、見逃したとも言えるかもしれないが――彼の性質からして、憶測と下世話な噂にまみれた記事が学園内に広がって行くのを、ただ傍観していたとは思えない。
 そう、意図しての放置だろうと予測する。
 それによる、彼にとってのメリットはない。だから、騒ぎを広げる意味はない。
 ―― 一見は。

 そこで、彼が私と彼女との関係を知っていたとすればどうだろう。
 兵頭の背信が、ここで引っ掛かってくる。
 あってはならないことだが、私の情報を他者に、この場合は香坂に流す。意図は後回しにして、そういう事実があったと仮定する。
 私と彼女の間にあった、【藤岡】という鎖が、この騒ぎで排除され、彼女は自由になる。
 それが、彼にとってのメリット。
 だが、もうひとつ何かがある――茅乃さんに想いを寄せる彼が、自由になった彼女に、近づくための駒が。
 考えたくない、嫌な予想。
 私と似ている彼が、焦がれる相手を手に入れる、方法。
 それは。

「――まだ見つからないのか」

 申し訳ありません、と返す彼らが腹立たしく、書類を指で弾いた。
 茅乃さんの行方がわからなくなった、と連絡があったのは、私が警備の穴を調べ始めてすぐのことだった。

 部活動に従事していると思っていたのは間違いだった。
 彼女は終業式を終えたあと、一度は部室に顔を出したものの、すぐにそこを後にし、職員と挨拶を交わして――門を出てすぐ、タクシーを拾い、何処へか消えてしまったのだ。
 もちろん、警護も途中まで追っていたのだが、まるでそれを知っているかのように、車は脇道や大通りを行ったり来たりし、一時見失い、次にタクシー見つけたときには、彼女の影も形もなかったという。
 どう考えても、計画的。
 冬休み中の仕事は、あらかじめ済ませたり交代を頼んだりしていたことから、失踪には彼女の意思が関わっているとわかった。
 だが、古賀の情報網に引っ掛からず彼女が容易く姿を隠せた事実に、第三者の存在が浮かび上がる。
 誰かが手引きしなければ、こちらの目を惑わすことなど素人の彼女には無理なのだ。

 誰が。
 何の目的で。

 先ほどからの推測と、予感に嫌な想像ばかりしてしまう。
 出来ることなら自分の足で探し回りたい。
 しかし情報をまとめ、指示を出す者は、私しかいない。
 苛々と、待つしかない状況に、頭が煮えそうだった。

「暁臣さま……」

 戸惑った声音の秘書が告げた言葉に、眉を潜めて頷く。
 その場にいた者たちに視線をやって、下がらせた。と言っても、なにかあればすぐに駆けつけられる距離だが。
 腹を焼く焦燥に、厳しい顔つきのまま、来客を招き入れた。

「――ご機嫌よう、古賀理事長」

 周囲の刺々しい態度に気づかぬ訳もないだろうが、若年とは思えぬ落ち着きで、軽く笑みさえ見せて香坂郁弥が入ってくる。
 掴み掛かりそうになる自分を抑えるのに苦労した。
 今この時に、自らやって来る目的は何だ。

「なんだかバタバタしてますね? お忙しいところに時間を取らせるのも申し訳ないですから、手早く済ませましょうか」

 こちらの刺すような眼差しにも臆することなく歩み寄った彼は、テーブルの上にUSBメモリを置く。
 指先で、5センチもない小さな補助記録装置を押さえて。
 若者らしくない冷ややかな笑みを浮かべる。

「この中に、貴方がある女性に対して行なった非道に関しての情報が詰まっています。今すぐ、記事にして出せる状態にもあります。――いくらで買って貰えますか」
 金が目的でもないだろうに、そんなことを吐く青年に、静かに問う。

「情報源はうちの者だった兵頭か」
「やっぱりバレましたか。あからさま過ぎるから、もう少し考えた方が良いんじゃないかって言ったんですけどね」

 肩をすくめる彼に、深刻そうな気配はまるでない。こちらを破滅させる情報を握っているにしては、軽すぎる態度に違和感を持った。
 私が一言指示を出せば、彼を拘束して、この場であったことも彼の握る情報もなかったことに出来ると、理解していないはずはないだろうに。
 自信があるのか。
 あるいは、どうでもいいと思っているのか。
 それとも、もう目的を果たしているからか――

「彼女をどこへやった?」

 殺気を押し殺して問うた答えは、キョトンとした瞬きだった。



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