Melty Lover | ナノ

番外編

 星合(後)


 晶子の手を引いた宇都木は、賑やかな通りから一つ外れた古い路地に入った。
 老舗の飲食店が立ち並ぶこの通りを晶子は利用したことがない。
 どちらかというと年配の観光客や高級志向の客、あるいは昔からこの地区に住んでいる者しか通行しない、そんな印象があった。
 だが、今日は何故か様々な人々が同じ方向へ流れていく。その中には晶子のように浴衣を着ている若者や、家族連れの姿が目立っていた。
 通り路は街灯もまばらで、ふっと一瞬闇に眩まされる一画がある。
 そこを行き過ぎ、ひとつ瞬いた晶子は目の前に広がった光景に思わず感嘆の声を漏らした。
 古い町屋と石畳が敷き詰められた風情のある路地は細い川の流れに沿って柳や桜が植えられている。季節ではないので花の姿はないが、その代わりのように笹飾りと色短冊が木々に結び付けられていた。
 それを浮かび上がらせるのは竹細工のランプシェードに包まれた燈火。人工的な白々とした明るさではなくやわらかな燈色の灯があちらこちらに浮かび上がり、幽玄な夜道が作り上げられていた。
 ずっとどこへ行くのだろうと思っていた晶子の驚き顔に、企みが成功した表情の宇都木は軽い笑い声を立てる。
「八月半ばまでライトアップしているって聞いて、晶子を連れて来ようと思ったんだ」
 こういうデートもいいでしょ、と落ち着きなく周囲を見回している晶子にささやく。
 デートという言葉にうろたえて、そういえば目的なくぶらりとするお出かけ(デート)はしたことがなかったと思い至った。
 基本的に会社員の宇都木とサービス業に携わる晶子とでは休日が合わない。
 最近は式の準備もあり、月の休みの半分は彼と合うようにシフトを組んでもらっているが、準備や打ち合わせに時間を取られて一般的なデートをする暇もなく過ごすことがほとんどだ。
 つくづく普通の恋人同士とは違う順番で進んでいるのだなと自分たちのはじまりを振り返って思う。
(気持ちより先に触れ合い、だったし……)
 あの時は呆然とするばかりで考えが追い付いていなかったが、会うのは二度目なのにかなり際どいことをされていた、と今さらながらに気づいて赤面した。
 出逢ったその日から彼のペースに乗せられている。
 流されやすい晶子にも非はあるだろうが、もとより経験値が全く足りていないので少しは手加減してほしい。
 彼女をよく知る人々に言わせれば、それくらい強引じゃないと晶子はいつまでたっても恋愛できないということになるのだが。
 否定できないところが情けない。
 男性に対し、恋愛という面において自分が線を引いている自覚はあった。
 宇都木が現れなければ、今もまだそういったこととは無縁だっただろう。――それとも、以前から想っていたという『彼』が行動を起こしていたのだろうか。
 恋ではない好意を持っていた彼から宇都木の存在しない状況で告白されていたら、自分はどう思ったのだろう。
 宇都木ではなく彼と、こういう関係になっていたのだろうか――
 繋いだ手の先にいる人物が宇都木でないことを想像するのは、今の晶子には難しかった。
 慣れない下駄に足を取られがちになる晶子を気遣いながら他愛のない会話を交わす。
 自分を見つめるやわらかな瞳に、ほんのりと胸が温かくなる幸せ。
 その相手が別の人になっていてもおかしくなかったことを考えると、今こうしていることがとても不思議に感じられる。
 途中の小さな(やしろ)の前で配られていた短冊に願い事なども書いてみて、ライトアップされた路地を堪能して最終的に宇都木が向かった先は、創業何年といった肩書を持つ割烹料亭だった。
 塀に囲まれた歴史ある日本家屋に慄いて、晶子はぷるぷるしながら宇都木にぴったりと寄り添う。
 ちなみに「ここに入るんですか?!」「そうだよ、運よく予約取れたから。ラッキーだったね」「ぜ、贅沢過ぎませんか……!」「たまにはいいでしょ」というやり取りを経由した後だ。
 テーブルに着いてもそわそわと落ち着かない晶子だったが、料理が出揃うと、緊張は頭の隅に追いやられた。
 普段接しているのが洋食ばかりなので、美しく盛り付けられた和食に夢中になる。
 目をキラキラさせて一つ一つじっくりと眺め、口に運んでは頬を緩めている晶子の正直な反応につられて、宇都木も箸を動かし始めた。
 こう喜ばれるといろいろと画策する甲斐がある。晶子自身は、いつも不慣れな言動をしてしまう自分に落ち込んだりしているのだが、宇都木がその様子こそを楽しんでいることは知らない。
「この店、以前外国からいらした方が、是非行ってみたいとおっしゃってね。接待に使ったんだ」
(この出汁はなんだろう)と、はしくれでも調理に携わる者として興味深く味わっていたところ、宇都木がそう説明を加えた。
「いかにもって日本文化って雰囲気ですものね」
「さすがに芸妓は呼ばなかったけどね。どちらかというと料理の味じゃなくて造形に感動していらして。腹具合は物足りなかったのかな、ここを出たあとラーメン屋に行ったよ」
 あの日は翌日がきつかったと苦笑交じりの宇都木に、晶子もクスクス笑う。
「次の機会には家庭料理をいただきたいとおっしゃっていたから、そのときは晶子に作ってほしいな」
「……お客様に出せるものなんて作れませんよ?」
 そのとき、自分がちゃんと宇都木の隣にいるのだろうかと密かな疑問を隠して、晶子は諾とも否ともつかない言葉を返した。。
「晶子の作る料理がうちの『家庭』料理になるんだから、それでいいんだよ。僕も料理上手な奥さんを自慢したいし」
 宇都木はいつもさらりとこんなことを言うから、晶子も困惑してしまうのだ。
 どこまで本気かわからない。でも、ただの義理で喜ばせを言うタイプでもないから、素直に受け取ればいいだけなのかもしれない。
「……敦也さんも手伝ってくださいね、そのときは」
 晶子が小さく付け加えたお願いに宇都木は破顔した。

 冷えた緑茶を口にすると、晶子は大きく息を吐き出す。
 浴衣の帯が苦しくなろうとも、目一杯料理を堪能したのだ。明日は胃もたれ間違いない。
 胃のあたりをさすりながら、こんな機会でもなければそうそう見ることもできなかった洗練された技を、自身のレシピに活かそうとぐるぐる考え始める。
 受け答えが上の空になってきた晶子に、宇都木が少々悪戯な眼差しを向けたことも気づかず。
「晶子、満足した?」
 声はなくコクリと頷いた彼女に、そう、と微笑んで宇都木は罠を投擲する。
「知ってる? この料亭ご休憩も出来るんだよ」
 意味がわからず軽く首を傾げた晶子は、にこやかな笑みを保ったまま続けられた宇都木の行動に固まった。
「休んでいく?」
 背後の襖を開け、寝具が敷かれた部屋を目前に晒して訊ねる男に晶子は必死に首を振る。
「ゆゆゆゆかたですしっ」
「着付けできるって言ってたよね?」
「食べたばっかりだしっ」
「カロリー消費する?」
 にじり寄られて腰を下ろした姿勢のまま、ずり下がり狼狽える晶子に、宇都木がプッと吹き出した。
「なんてね。そこまでの時間は取ってないから」
 からかわれたと晶子はムッとしたものの、反面本気でないとわかって肩の力を抜く。
 そこを突かれた。
 軽く腕を引かれて、宇都木の膝に抱え込まれる。晶子が目をぱちぱちさせていると、合わせ目に指を這わせてくる。ギョッとして彼女は身を捩った。
「敦也さん……! ダメですってばっ」
「あと十五……二十分でどこまで出来るかな」
「しなくていいですっ……ん!」
 耳朶をキュッと噛まれ、晶子は小さく声を上げる。
 そのままうなじに唇が押し当てられる。まとめ髪のせいで、普段は隠されている場所が露で、晶子が首筋に朱を走らせる様を宇都木は楽しんだ。
「俗な嗜好はなかったと思っていたけれど。浴衣、意外とそそるね」
「や、もうっ……」
 場所が場所だからか晶子の抵抗は強く、ジタバタと手足を動かして宇都木の腕から逃げようとする。そうして晶子があたふたすると、余計に宇都木が面白がると薄々気づいているのだが、こればかりは簡単なことではないのだ。
 くつくつと宇都木が肩を揺らす。
「あ、敦也さんいじわる……!」
 涙目で(なじ)る言葉も、男を喜ばせることをわかっていない。
 唇を捕えられて、甘く齧られる。
 布の上から胸を揉みしだかれて、ふるりと震えた。
 おそらく宇都木は情欲に駆られているわけではなく、こうやって晶子の反応こそを味わいたくて、時折強引な手に出るのだろう。己の欲をコントロールしているのがいい証拠だ。
 晶子自身を求められているのか、単に物慣れない娘を弄って楽しんでいるのか、宇都木の考えていることは晶子には謎すぎて、不安になることもある。
 だが。
「――晶子」
 誘う声に身をゆだねて、晶子は熱い息を吐く。
 最初から、宇都木は晶子の名前だけを呼んでくれていたから、拒めるはずもなかった。

「浴衣って脱がせやすいかと思ったらそうでもないんだね」
 結局軽く触れ合うだけで晶子を解放した宇都木は、再び夜の道をゆっくりと行きながらそんなことをつぶやく。
「……浴衣(よくい)として着るのでもなければ、補正とか下着をちゃんとつけるもの」
 実のところ、身を包み込んだ肌襦袢が侵略を阻み、乱されなくて済んだのだ。
 素肌を味わうことができなかった宇都木は、繋いだ彼女の指先を撫でながら、「じゃあ」と口の端を上げる。
「今度は、浴衣(ゆかた)浴衣(よくい)として着るようなところへ行こうか」
「知りません!」
 往来でささやかれる艶言を叩き落とすように却下して、笑う宇都木に晶子はそっぽを向いた。

 短冊に何の願い事を書いたの、という問いかけには答えず、繋いだ手を握り返す。
 叶うかどうかは、晶子の隣にいる人だけが知っている――


 了.

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