Melty Lover | ナノ

U. Then what happened?

 02.密かな攻防


 胸にあるリングが、指に填める約束の証が、自分が誰のものか教えて、支えてくれる。
 晶子はそれに掴まって、揺らされやすい自分を少しでもしっかりと保てばよいのだ。
 ――そうは言っても、長年培ってきた性格は早々には直らず。
 宇都木に言った大丈夫は、実のところあまり大丈夫ではなかったりした。


「晶子ちゃん、そこ終わったらドルチェの試作品、味見してくれる?」
「ふぁ、はいっ!」
 店内の掃き掃除をしていた晶子は、厨房からかけられた我妻の声に飛び上がる。上ずった返事に、我ながら動揺しすぎだと少しばかり反省した。
 わかっているのだ。自分さえしっかりしていれば、なんの問題もないのだと。
 『それ』は『それ』として、仕事仲間として、友人としての節度を持って接していれば、いいいのだ。
 ……言うは易しって本当だ。
 ひとつため息を吐き出したあと、道具を片付けて手を洗い晶子は厨房へ向かう。明かりを落とした店の奥で、まだコックコートを着ている我妻と、臼井、北原がドルチェの乗った皿を前に腕組みしていた。
 スクエアプレートに、丸いドーム状のケーキがデコレートされている。すでに味見をされたものもあり、それを見る限りムースがメインになったドルチェらしい。
 白い外観にはピンク色のチョコレートが削って飾られ、中から見えるピンクのムース、赤いソース、グリーンのムースが層になって、目にも綺麗だった。
 来月からのランチデザートにプラスされる一品があると聞いていたので、恐らくそのための試作だろう。
「だからぁ、ランチのセットにこのケーキは手間がかかるしコストが大きいってば」
「こうフォークを刺したら中から春が! ってよくね?」
「一品ならいいんだけどね……」
「んー。シンプルに凝りすぎたか」
 遅れてやって来た晶子は、やりあう三人の会話に入っていけない。ポツンと入り口に立ち、口を挟むタイミングを見計らっていた。
 戸惑っている彼女に気づいた我妻が、顔をあげて手招きする。少し躊躇ってから、晶子は我妻の隣ではなく、臼井のそばへ移動した。
 あからさますぎただろうか。
 だが、晶子は他にどうやって、彼の好意を避ければいいのかわからない。一方で、そんな晶子を苦笑して見つめる我妻に、申し訳ない気持ちを覚えたりもする。
 自分が想いを寄せる相手以外の人物から、好意を示される。そんな状況に置かれたことなどなく、考えてもいなかったので対処の方法がわからないのだ。
 そ知らぬふりをして行き過ぎればいい。理性ではそう理解していても、うまくできないのが晶子だった。
「とりあえず晶子ちゃんにも味見てもらおうよ」
 晶子が我妻に抱いている緊張感に気づきもせず、明るく声を上げた臼井が、皿を手渡してくる。
 晶子はフォークを手に取り、白いドームの表面に刺し崩す。
 控えめな性質に似合わない大胆さでケーキを切り取り、一口でそれを食べた。
 トロリと舌の上で溶けるチョコレート。桜の香りが鼻孔を通り、口の中に果肉の甘酸っぱい刺激が広がる。ピスタチオペーストの触感が残るムースと刻まれたナッツの歯ごたえ、シロップが染み込んだビスキュイ生地の舌触りで、飽きない効果を生み出していた。
 ベースがチーズのムースなので、こってりしすぎず、もう少し、もうちょっと、と食べたくなる味だ。
 合わせるのはやはり桜をブレンドした紅茶だろうか。緑茶でもいいかもしれない。ランチセットのドリンクはブレンドティーと決まっているから、プラス金額で限定の飲み物を出すのが定番だ。
 ――ただ、
「どうかな?」
 期待するような我妻のまなざしに、こくりと頷いて晶子は口を開く。
「桜の風味とチェリーのソースがアクセントになっておいしいです。女の子受けすると思う」
 でも、と、拳を打ち付けあって喜ぶ我妻と北原に申し訳なく思いながら、続けた。
「臼井さんが言ったとおり、コスト面で考えるとランチのデザートにするのはもったいないかなって。結局カットした形で出すんですよね? ケーキを崩した時のワクワク感が、それじゃ半減するし、それに、ええと……ご、ごめんなさい」
 続くダメ出しにみるみるヘコんでいく二人に、晶子の声が小さくなる。項垂れた男たちの背中をド突いて、臼井がカツを入れた。
「最後まで聞きなさいよ。耳に優しい言葉ばかりじゃ成長はないのよッ」
「いえあの、私個人の意見ですからそんなに重要でも……」
 栄養士の資格を持ってはいるが、持っているだけなので役には立たない。製菓の勉強を本格的にしたわけでもないので、言ったことは主観に過ぎないのだ。
「いやいやいや……、晶子ちゃんの感覚、信用してるから。続けてください」
 少しばかりハの字になった眉をして、笑みを浮かべた我妻が先を促す。
「……それなら、最初から中のいろいろが見えるようにしたらどうかなと……。目に嬉しいのも女の子、好きだから」
 すかさず臼井がカクテルグラスを差し出した。北原が冷蔵庫から余っていた具材を取り出し、時折晶子に確認しながら、我妻が試行錯誤の上、層を作っていく。
 最終的に、プース・カフェ・グラスを用いて桜のムースとチェリーソース、割ったビスキュイ、ピスタチオムースを層にして出す形に決まった。ドーム状のほうも併せ、改めて新作としてオーナーの確認を得るらしい。
 積極的に交わす意見と、考えを認めてもらえること、それによって得られる達成感に晶子は昂揚する。
 晶子の菓子作りが上手いのは、レシピがあってのことだ。彼らのように無から有を作り出すことは出来ないけれど、その手伝いが出来ることは嬉しい。
 話し合っているうちに我妻との間にあった緊張感なんてなくなったし、いいことずくめ――だと思ったのはまだ早かったようだ。

「晶子ちゃん、遅くなったし送るよ」
 通勤に使っているバイクのキーを片手に、我妻が言った。荷物を取りにロッカールームに向かおうとしていた晶子は、その言葉に固まる。
 確かに、終電ギリギリの時刻で、一人で駅までの道を行くのは心細い。が、それよりも晶子にとって、『我妻と二人きりにならない』という、宇都木との約束を守ることのほうが最優先事項なのだ。
 再び緊張感が高まる。
「送らせて?」
 ニコリと微笑む我妻に、他意はない、ように見える。が、しかし。
「えと、あの、反対方向だし、悪いから……」
「夜道を晶子ちゃん一人で帰すほうが心配なんだ。俺を安心させると思って、ね?」
 既視感を覚える会話に、このままでは先日の二の舞に! と晶子が恐々としていると、意外なところから助け手が現れた。
「我妻、明日早出でしょ? 晶子ちゃんはあたしが送ってあげるから、とっととお帰り」
 晶子の背中から抱きついた臼井が、我妻にしっしと追いやるように手を振る。
「臼井も一応女子だろ……女の子だけで不安なのには変わりないって」
「一応ってなんだコラ。今日はダーリンが迎えにきてくれるんだもーん。車だし、ついでに晶子ちゃんくらい送ってあげられるもーん」
 ぎゅうぎゅう抱きしめてくる臼井に戸惑いながら、晶子は苦い顔をする我妻に、謝るように頭を少し揺らした。
 ふっと吐息のような笑みと共に、しょうがないなあ、と我妻は諦めの言葉を漏らす。
「ちゃんと家まで送り届けてよ。引っぱりまわさないように」
「つくづく失礼だねアンタは」
 臼井の文句には何も答えず、我妻が晶子に視線を向けなおす。そのまなざしは晶子がいたたまれなくなるほど、あくまでもやわらかい。
「じゃあ晶子ちゃん、また今度ね」
 何が今度!? と疑問を問い返す間もなく、我妻は先に店を出て行った。
 我妻の姿が見えなくなった途端、肩の力を抜いた晶子に、臼井が「さて」と声をかける。 
「ダーリンが来てくれるまで時間があるし。ちょっとイロイロお話しましょうか、晶子ちゃん?」
 ――その綺麗な笑顔に嫌な予感がしたのは、気のせいだと思いたい晶子だった。

「我妻と何があったのかしら、晶子ちゃん」
 非常灯だけ灯った店の裏口に移動するなり、臼井が晶子ににじり寄った。
 臼井の問いかけから逃れるようにあちらこちらへと視線をさ迷わせたあと、晶子は諦めてがくりと肩を落とす。
 唇を笑いの形に歪ませて、ニマニマしている臼井を恨めしげに見つめて唸る。
「どうして何かあったってわかっちゃいますか……」
「いやあ、近くで見ていると、ねぇ。今まで無警戒だったのに、明らかに距離を取ってるでしょ。我妻も我妻で、いつもの慎重さはどこへ行ったのかってくらいガンガン距離を詰めてるし」
 臼井の観察眼に感心すればいいのか、わかりやすすぎる自分を反省すればいいのか晶子は判断に悩む。そうしてしみじみと続けられた言葉に目をむいた。
「そっかー。我妻ってばとうとう告白したかー」
「な」
 なぜ、
「どっ、」
 どうして、
「しっ……」
 知ってるのか――と、まともに答えられない状態で晶子がわななく様子を見た臼井は、気の毒げな笑みを浮かべる。
「……あー……、ええと、晶子ちゃん? うちの連中、結構前からみんな気づいてたよ? 我妻が、晶子ちゃんに気があること」
「…………!!!」
「別に隠してる様子もなかったしねぇ。当の本人だけには通じてなかったけど」
 当の本人である晶子は、自分の鈍さを改めて思い知らされ、いたたまれずに両手で顔を押さえる。
「だって! そんなことぜんぜん……!」
「うんうん、晶子ちゃんがとっても奥手だってことは、みんなよおおぉおっく、わかってたから。あえて誰も指摘しなかったのね」
 顔を押さえたままブルブルと頭を振る晶子に、臼井は苦笑する。
「――と、いうかさ、晶子ちゃん、意識して自分をそういう対象だと思われないようにしてたでしょう」
 静かな確認に、晶子は何も言えずに俯いた。
 その通り、だったから。
 誰かと親密になれば、そのあとに必ず失望が来る。
 それが嫌で。
 いっそ自分と言う存在を気にとめられないよう、周囲に埋没していた。
 ……傷つくのが嫌だった。
 期待して、信じて、裏切られて。
 仕方ない、自分はそういう役回りだからと納得して――納得したフリをして、ずっと過ごしてきた。
 好意を示されても、姉や妹に会えば――否、姉妹でなくとも、晶子よりも素晴らしいひとが現れたら――また、捨てられる。
 自信を無くし続けてきた晶子は、心変わりをした相手を引き留めようと思えるほど、強くない。
 だから、傷つけられる前に、傷つかないように、最初から期待なんてしない――そうやって予防線を引いて、自分を守ってきたのだ。
 ある意味傲慢なことだと理解しながら、先に好意を拒絶していた。
 期待しなければ、誰にも心を預けなければ、傷つくこともない。
 被害者面をしておいて、自分から、他者の想いを切り捨てていた。
 ひどく狡い、行いだ。
 気がつかないように気がつかれないように、感情を鈍らせて、姿を隠していたのに。
 どうして我妻は晶子を見てしまったんだろう。
「私、我妻さんの気持ちには答えられないし、どうしていいのか……」
「結婚相手の彼がいるから?」
 晶子は頷いて、行き場なく靴の先を見ていた視線を上げる。
「結婚の約束をしている義理とか、そんなものじゃなくて。――彼が好き、だから」
 思えば、誰かに宇都木への想いを言葉にしたのは初めてだった。
 言ってからパアッと顔を赤くした晶子に楽しげな一瞥を与え、そりゃそうよね、と臼井が軽く肩をすくめる。
「我妻もねえ。エンジンかけるのが遅いっての。晶子ちゃんの気持ちが余所に行ってから奮起しても手遅れだっていうのに」
「彼が現れなかったら行動しなかったかもしれませんよね……?」
 そういった意味合いのことは、以前言われている。
 もしもを前提にした『ああだったら』『こうだったら』という話は、結局起こらなかった時間で。
 想われていたと知っても、嬉しいよりもまず困惑が先立つ。
「……彼が相手だったから、惹かれる気持ちを自覚できたんです。もし、彼より先に我妻さんに告げられていたとしても、親しかったぶん、自分の気持ちがよくわからなかったと思う」
 宇都木とは、こちらが壁を作る前に、引っぱり出されて、与えられる感情に振り回されて、隠れることもできなくなって。
 否応なく、今までの自分を変えられてしまった。
 なによりも驚くのが、晶子本人がその変化を受け入れたことだ。
 戸惑いはあるものの、抵抗も反発もなく、あっという間に宇都木に気持ちを預けてしまった。
 本来なら、もっとも苦手にするタイプの男性で、晶子でなくともいくらでもふさわしい相手がいるだろう人。
 正直に言えば、未だに彼が何を考えているかわからない部分がある。
 二人でいると触れたがり、睦言をささやく彼だけれど、一般に言う恋愛感情を晶子に対して持っているわけではないと――なんとなくだが理解している。
 習い性になったいつもの卑屈な考えではなくて、不思議なことに、それが事実だとわかるだけ。
 女性として見られていて、向けられる好意は確か。嘘もない。
 我妻への嫉妬めいた感情を示すことから、執着もされている。
 だけど、どこか本心は隠されていて、彼は晶子の知らない事情によって彼女を選んだ。
 知りたくても、晶子が太刀打ちできない経験値を持っている男が相手では、探ることもできなくて、――それでも宇都木が、紅美香でも瑠璃でも他の誰でもなく、「晶子がいい」と言ってくれたから――今までのトラウマを忘れた訳じゃないけれど、その言葉を受け入れて、側にいることを自分で決めた。
 謎な人でも、好きだと思う自分の気持ちを認めた。
 裏切られるかもしれない。
 また、傷つくかもしれない。
 今度こそ誤魔化すこともできず、立ち直れない結果を迎えるかもしれない。
 でも、それでも、信じたいと思ったから――もう一度、殻に隠れることはできない。
 結婚すると自覚し始めたばかりで、本当にこれでいいのかふとした瞬間まだ迷うけれど、最初の頃のようにないものにしようとは思わなかった。
 今は自分の気持ちと、宇都木との先を考えるのでいっぱいいっぱいで、我妻のアプローチにどうしたらいいのか考える余裕がないのだ。
 ぎこちなく、それでもしっかりと気持ちを吐露した晶子に、臼井はわかっていると頷いた。
「こういう縁って、タイミングだものね」
 臼井の悟った大人の物言いに、持っていた罪悪感が少しだけ楽になる。
 仕方のないことだと、保証されたようで。
 我妻が、晶子にとって良い仕事仲間だっただけに、好意に気づかなかったこと、あからさまな拒否を見せるのが申し訳ない。
 でも、応えることはできない。
 引く様子もない我妻に困らせられていても、嫌いな人ではないから完全に拒否することもできなくて、自分の優柔不断な性格に落ち込んでしまう。
 告白なんてしてほしくなかった、と思った。
 そして一番困っているのは、我妻が晶子に対してどうしたいのかが、よくわからないことだ。
 付き合いを求められるわけでもなく、我妻はただ優しくするだけ、会話の機会を増やしているだけで、これで嫌な顔をすると自分がひどく薄情で自意識過剰な人間ではないかと思う。
「私、どうしたらいいんでしょう……?」
「晶子ちゃんはもう答えを出しているんだし、放っておいていいんじゃない? 我妻も、見てるかぎりじゃ何かしてほしいわけでもなさそうだし」
 応えられないことは我妻にもわかっているのだから、なんでもない顔していればいいのよ、とあっさり終わらせる臼井に頷きながらも、自分にできるだろうかと眉を下げる。
 何でもない顔で振る舞うこと、それ自体がとても難しいのだと、晶子はまたため息をついた。
 


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