T. How came it to be so?
▼ 15. エンゲージ
「あつや、さん」
呼び掛けると、先を促すようにこちらを見つめる瞳。
キスをされすぎて、痺れて腫れぼったいような気がする唇を震わせる。
思いを溜め込むな、と晶子に言ったのは宇都木だ。だから、彼は晶子の言葉を聞く義務がある。強引にそう結論を下し、萎みそうになる気持ちを叱咤して、口を開いた。
「あのね、あの……もっと、こんな風に、ちゃんと、話がしたいです……敦也さんが、何を考えてる、とか、」
「晶子がどう思ってるとか?」
コクリと頷く。
自分たちは順番がバラバラだ。
知り合ってすぐ結婚すると決まって、親しくなる前に触れ合って。気持ちが身体に引っ張られているのか、身体が気持ちに引っ張られているのか、わからない。
これでは想いを告げることも出来ない。
彼の想いを信じることも出来ない。
「だから、あの、っ」
ちゃんと、話をしたいと言っているのに。
さわさわと太股を滑る手のひらが、悪戯に落とされるキスが、晶子の息を弾ませる。
目元を赤くして詰るように睨む晶子に、宇都木が笑う。
「わかってる。ちゃんと話そう――こっちを治めてから、ね」
「ひゃあっ、んん……!」
ズルリと足の付け根に熱が擦りつけられて、覚めかけていた快楽に再び火がつけられた。
すっかり気を緩めていた晶子は、堪えることが出来ず、鳴き声を上げる。
「い、やあっ、あっ、や、あぁっ」
両足を押さえられて、膝が胸に付くほどに折り曲げられた。恥ずかしい姿勢に逃れるため手を動かしても、男の力には敵わず、その間も宇都木の欲望は晶子の弱いところを責め立てる。
身体を揺らされて、肌をくすぐる荒い息に、実際には繋がっていなくとも、感じてしまう。
胸の間に浮かんだ汗も、勝手にこぼれる涙も舐め取られて、甘い悲鳴も奪われた。
彼の熱情を精一杯受け止めて、晶子が伸ばした手は、しっかりと握られた。
耳元でごうごうと忙しなく鳴る風をうるさく思い、晶子は眉をしかめる。何のことはない、自分自身が呼吸する音だったのだが。
浅く早く息を吐き、その代わりに吸い込んでいるはずの酸素は、何故かうまく肺まで届いてくれない。
苦しくて、ふうぅ、と呻くような声が喉から出ていく。肌の表面全体がピリピリしていた。頬にかかる髪も身体を預けているシーツすら、触れると痺れた痛みを生み、また声が漏れる。
迂闊に動くととんでもない悲鳴を上げてしまいそうで、止まりそうになる呼吸を静かに宥め、全身に貼り付いた電気を散らす。
そうやって落ち着こうとしていたのに、構わず伸びてくる手があった。
「……っあ、ッ!?」
ズルリと異物が内側に差し入れられる。それはなんの抵抗もなく、彼女の奥へ侵入を果たし、悪戯にその場で遊び出した。
ひゅっと息を飲んで、晶子は身体を固くする。宇都木の指先が内壁を擦る感覚が、ひどく強く感じられる。くちくちと身の中で立てられる音に、ぶるりと背筋が粟立った。
「ゃあっ……、あ、やめ、なで、なでない、で……っ」
麻痺したようになっている唇はうまく動かすことができず、ちゃんと言葉を発しているのかさえわからない。
中を探る指はそのまま、ふくらんだ芽を、親指の腹がギュッと押さえ込む。悲鳴をあげた。
いやだだめだと触れられた場所から生まれる快楽に、泣きじゃくる晶子を許すことなく、宇都木は更に指を増やす。
「……は、っうん、……あつや、さ、やぁ……!」
喉を激しく震わせながら自分の名を呼ぶ晶子に、宇都木はどこか満足気な息を吐いた。
ひく、ひく、とひきつった呼吸を繰り返している晶子の頬に流れる涙を拭い、そのまま唇を重ねる。
「んっ、ん」
最初は啄むように。宇都木の舌が、噛んで赤くなった晶子の唇の表面を舐めて、歯列を割って、口腔を蹂躙する。埋めた指も抽挿を始めた。
まるで行為をなぞるように出し入れされる感覚に晶子は怖くなり、首を振って制止の声を上げる。当然、聞き入れられるわけもなく。
身内を擦られる動きに合わせて息が弾む。
「や、も……っ、敦也さん、あつやさぁん……っ!」
愛撫のせいで頭はまともに働いてくれず、晶子はただ彼の名前を呼び続けた。
「可愛いね、晶子」
男の肩口にしがみついて、ぽろぽろ涙をこぼす晶子の耳に、宇都木が囁きを落とす。
――きゅうきゅう締め付けて――僕の指、食べてる音が聞こえる――?
「……いやぁ……っ」
その通りのことを口にされて、自覚と同時に激しい羞恥に襲われる。
逃げようとしても、急所を押さえられたのと変わらない状況に、身を震わせることしかできない。
詰るように肩に爪を立てるささやかな抵抗を宇都木は笑って、晶子の汗ばんだ額に、唇に、胸にキスを落とす。
「ひぁ!」
ビクリと白い脚が空を蹴った。
掻き回すように中を抉られて、晶子はまた鳴き声を上げる。
彼女の声が一番高くなる場所を探り当てた宇都木は、しつこくそこを嬲った。じくじくと痛む腹の中から、溢れるものが怖いと訴えると、宥められ、無防備な肌に刷り込むように、好きだよと、可愛いと繰り返される。
それを、素直に信じられたら、楽になれるのだろうか。
「敦也、さん、っ……」
瞬間、宇都木の動作が止まる。
これまでの比でない高みに押し上げられ――熱に浮かされて、自分が何を口走ったかも知らないまま、晶子は完全に意識を飛ばした。
「……うぐぅ」
柔らかなリネンのシーツに顔を埋めて呻く。閉ざされたブラインドの隙間から差し込む光は、既に陽が頂点にあることを教えていた。
寝具に埋もれながら金縛りにあったように身動きひとつせず、晶子は内心冷や汗を流していた。
寝ぼける余裕もなく、ここは宇都木の寝室だということがわかる。ついでに言うならば、昨夜のこともキッチリ記憶にはある。いっそのことなければよかったのに。
ふぐぐぐ、とまた呻く。
(身体がとても重ダルいのです……! 喉の奥もガサガサしています……! さらに追い討ちをかけるように、口には出して言えないところが、なんだかヒリヒリし、て……っっ!)
奇声を上げそうになったタイミングで、ドアを開閉する音と共に「晶子、そろそろ起きた?」と宇都木の呼びかけが聞こえてきた。
寝たふりはやめて、のろりと上体を起こす。裸の胸を上掛けで隠すことは忘れなかったが。
眉をハの字にして、困り果てた様子で彼に目を向けた晶子に、宇都木は軽く吹き出した。
「しどけない格好で誘ってくれるのもいいけど。お腹すいてない?」
すいている。それよりも口の中がカラカラで声が出せない。喉が貼り付いて、息を吸い込んだ途端咳き込んだ。
苦笑した宇都木は一度向こう側にとって返し、ミネラルウォーターを持ってくる。目の前に差し出されたペットボトルを無言で受け取り、一気に半分ほど飲み干した。そうして一息ついてくと、停止していた思考が動き始め、晶子は青くなった。
「う、家……! 無断外泊っ」
「昨夜のうちに連絡しておいたよ。お酒の飲みすぎで寝ちゃいましたから、泊まらせますって」
そつがない、というのだろうか。家に帰ったあとが余計に怖い。
「……なにか言ってました……?」
「いや? お姉さんが出られたけど、お世話かけますとしか聞いていないよ」
その言葉で、帰宅したら、からかいを含んだ尋問コースが決定した。何しろ、「晶子の困った顔が可愛くって大好きなんだもん!」と公言して憚らない姉のことだ。宇都木との間にあったことを根掘り葉掘り訊いてくるに違いない。
(言わないけどね!)
すでに頬を真っ赤にしてぷるぷる震えている晶子を面白そうに眺めたあとで、宇都木はサイドテーブルの紙袋を手に取った。
「晶子」
姉対策に頭を支配された婚約者に呼びかけて、こちらに顔を向けさせる。丸い目をきょとんと瞬かせた晶子は、彼の手の中にあるものに気づいて更に目を丸くした。
「昨日、一緒に取りに行こうと思ってたんだけどね」
ベッドの端に腰を下ろした宇都木は、チラリと意地の悪い笑みを閃かせて、昨日の晶子の行動を軽く責める。先に言っておいてくれたら、飲み会は断ったのにと晶子は唇を結んだ。
宇都木がグレイ地の艶やかな天鵞絨ケースから、指輪を取り出す。
それば、花の萼に模された、本当は一目で気に入っていた――エンゲージリング。
手を、と言う宇都木の言葉に晶子は一瞬|躊躇(ためら)いを見せる。だけど、彼の柔らかい瞳に促されて、おずおずと左手を差し出した。
薬指に納まった指輪に、嬉しさと同時に戸惑いを感じる。
いいのだろうか。これを、受け取ってしまって。
本当に宇都木は、晶子と結婚することを納得しているのだろうか。自分は――?
指に煌めく指輪を見つめて、じっと俯く晶子に、宇都木はもう一度手を伸ばす。
ヒヤリとした細い鎖が、晶子の首筋を飾る。ペンダントトップは指輪と同じ花に象られたピンク色の石。
宇都木は瞠目した晶子の手を取り、その指にくちづけた。
「仕事中は指輪を外さないといけないだろうから、そのときはこっちにね」
同様にネックレスの石にもくちづけ、最後に晶子の唇にも触れた。まだどこかぼうっとしている様子の、彼女の頬を包み込んで。
「考える準備は出来た?」
問われた意味がわからなくて、訝しむ色を面に浮かべた晶子に、「晶子も式の準備を始めないと、ギリギリだよ」と、まるで自分は準備を済ませているようなことを言う。
「し、式……」
「うん。僕の都合で申し訳ないけど、式場は会社系列のところを使わないといけないんだ。たぶん晶子も気に入ると思うけど」
書類をいろいろもらって来ているから、食事を済ませたら一緒に見よう、と立ち上がった宇都木の腕を、とっさに掴んだ。
「だって、あの、敦也さんは、……いいの?」
目的語が省かれた晶子の質問の意図を読み取ったのか、彼はふっと笑みをこぼす。宇都木は彼女の髪を引っ張った。
「晶子がいい」
痛くはない強さでされるイタズラは、彼の癖なのかもしれない。
仕方のない自分を叱るようなそれを、晶子は最初から嫌いではなかった。
“晶子がいい“
その言葉に嘘のないことを信じて、胸に残る躊躇いを振り捨てる。
こちらの答えを待って見つめる瞳に、晶子は唇を開いた。
****
ロッカー室の前で、おはよう、と掛けられた声に顔を上げる。いつも通り、人好きのする笑顔の我妻がいた。コックコートの腕を捲りながら近づいてくる。
「おはようございます」
「一昨日、大丈夫だった?」
それは飲みすぎたことなのか、宇都木のことなのか、対人経験の少ない晶子には読み取れない。
だから少し首を傾げるように曖昧に笑って、我妻を見上げる。
自意識過剰かもしれない。
あまり深い意味はなかったのかもしれない。
だが、宇都木が気にする以上、晶子はハッキリしておく義務がある。婚約者の誠意として。
「あの、ですね。いろいろご心配掛けちゃいましたけど、大丈夫ですから、――ちゃんと、彼との結婚、納得できてます」
昨日一日、宇都木と過ごしたことで、晶子もぼんやりと結婚を他人事ではなく実感し始めた。
あまり難しいことは考えないで。シンプルに。彼と一緒にいるということを考えると、そんなに気負う必要はないと思えたのだ。
式場の資料を見たことや、晶子の気づかない間に進められていた準備を知ったのも良かったのかもしれない。
あとは晶子が彼と結婚する自覚を持つだけ。
今まで結婚を夢でも考えたことがなかった晶子にはハードルが高い気がするが、そのままで構わないと宇都木が言うから、ゆっくりでも大丈夫なのだと思う。
言葉にしたことで、我妻にもわかったのだろう。「そう」と、にっこり笑ってくれた。
やっぱり深読みし過ぎだった様だ。世話好きの我妻は、頼りない晶子を仕事仲間として心配したのだと、安堵して晶子も笑顔を見せた。
(考えすぎでしたよ、敦也さん、ってあとでメールしておこう)
我妻の名前を聞くだけで、苦虫を噛み潰したような顔になる婚約者を思い浮かべながら、仕事の支度に向かおうとした背に、我妻が声を投げ掛けた。
「――好きだよ、廣川さん」
ピタリと晶子の足が止まった。
茫然と振り返った先に、笑顔のままの我妻。
「好きだよ」
冗談だとも、別の意味だとも思い込むことができない強さで、もう一度繰り返されて、晶子の肩が震えた。
「わ、私、け、結婚っ、」
「うん。でも、俺は好きだから。覚えておいて」
立ち尽くす晶子の頭をポンと軽く叩いて、我妻が仕事場へ姿を消す。
(覚え? 覚えてって、何を? え? だって、敦也さんと結婚するのに、するって、やっと……)
ぐるぐると混乱した頭は冷静な答えを出してはくれない。晶子は胸元に下げたリングを、ギュッと握りしめた――