終わりを待つ部屋で
 

 ――そなたには悪いことをした。
 耳をすまさなければ聞き取れないほど微かな声に、彼女は微笑んで、頭(かぶり)を振った。
 一回りも年下の男に嫁ぐことになったのはまだしも、そのあとすぐに発覚した彼の病。
 彼と彼女の結婚生活のほとんどは、薬湯の薫りに満ちた寝室にて送られた。
 それなりに愉快でした、と答えると寝台の少年はクッと喉を震わせる。
 はじめて顔を合わせたころによく聞いた、快活な笑い声はもう聞けない。
 若い身体を蝕んだ病巣が、思うままに感情を吐き出す力も、彼から奪ってしまった。
 健やかに成長するはずだった手足は、細く肉を削られて。ふっくらとしていた頬はやつれ、太陽に当たることがなくなった皮膚は、青白くその下の血管を浮き立たせていた。
 姿も声も呼吸もすべて、今にも消えてしまいそうに弱々しいなかで、瞳だけが強い彼の意思を表している。
 王冠も錫杖も玉座も『次』に移されてしまったが、それでも彼はまだ王だった。
 ――次の王は、結局叔父上に決まったか。
 訊ねた彼の声音に潜む自嘲に眉を伏せて、彼女は肯定を返す。
 ――やはりそなたには詫びねばならん。私と婚姻を結んでおらねば、叔父上に嫁ぐこともできただろうに。年齢も、無理がない……
 途切れ途切れに紡がれる悔恨に、彼女は今度は否定を返す。
 ――失礼を申し上げれば、公は趣味ではありません。もしもも何も、最初から眼中にございません。
 キッパリと告げた彼女の言葉に、彼は目を見張ったあと思わずといった風に吹き出した。
 笑いの衝動に息をつまらせ、咳き込む彼の背を彼女は慌てて擦る。
 喉を苦しげに喘がせながらも、少年はくつくつと肩を震わせた。
 ――趣味ではない、か。当代きっての色男と言われた叔父も、そなたにかかれば形無しだな。
 上掛けを直すために伸ばされた彼女の手を、彼が掴む。互いの指に填められた誓いの印に目を留めた。
 ――私は、めがねに適ったか。
 少年の乾いた唇が、指先に触れる。
 逸らすことを許さない強い眼差しに、彼女は小さく笑みをこぼす。
 ――充分に。
 ふっと視線を緩め、彼は疲れた溜め息をひとつ落とし、目を閉じた。彼女の手を握りしめたまま。
 ――眠りますか。
 ――ああ。まだ、傍に……
 ――ずっと、おります。
 ……ずっと、貴方の吐息が果てるまで。ちりちりと燃える命の焔が消えるときまで、それからも。わたくしだけは貴方のもの。
 言葉にせず告げた想いを汲み取ったのだろうか、安堵したように彼の全身から力が抜けた。
 豪奢に整えられた寝室には、部屋の主と彼女だけが存在していた。
 広く閉ざされた空間に、二人だけ。
 扉の外は、もう次の世が始まっている。まだ、今の世が生きているというのに。
 幼くして王となった彼を宰相として後見し、また利用するために娘を王妃に据えた父ですら、彼のことなど忘れたように忙しなくしている。
 たまに現れては、お前を嫁がせたのは時期尚早だったと愚痴る父に、嘲りを覚えるのは彼女の心が狭いのだろうか。
 父の道具は一人娘の彼女しかいない。
 そのため、十の幼王に成人を過ぎた彼女をあてがう無理を通したのだ。
 それがまったくの無駄だったと悟ったとき、荒れた父を彼女は冷めた目で見つめるだけだった。
 彼女は彼の立場を磐石にするため嫁いだが、できたことと言えば枕元で彼の寝息が途切れぬか確かめるくらいだ。
 彼の具合がいいときは、か細い呼気にあわせてゆっくりと会話した。
 これまでのそれぞれのことを。
 二人になってからの日々を。
 彼より長く生きている彼女のほうが、重ねた歳の分だけ話すことは多い。
 侯爵家の姫でなければ、学術都市に行き、様々なことを学んでみたかった。そう呟いた彼女に眉をひそめず、おもしろそうだと愉しげに言ったのは少年だけ。
 これからでも遅くないだろう、と彼がいなくなったあとのことを含ませて、笑った。
 王妃である彼女は、伴侶である彼の死後、修道院へ入ることが決まっている。父や、次の王である前王弟に利用されぬため、彼女自身が決めたことだ。
 ――わたくしで良かったのですか。
 父の意図があったとはいえ、嫁き遅れに近い彼女を、妻に迎えて。
 ――宰相の庇護がなければ、私などとうに王宮に巣食う者共に呑み込まれていた。そなたは美しいが、可愛がられるだけのために育てられた令嬢でもない。あの舅殿の娘がそなたで良かったと思っているぞ。
 虚勢ではなく、現状を理解し、己が力を得る時間を待てる度量が少年にはあった。
 成長すれば、その手に権力を取り戻せるだろう意思も。
 だからこそ、彼女は父の道具に甘んじ、年下の彼に添うたのだ。
 青年になった彼が、敵を駆逐し真の国王になるとき、力になるために。
 ――それも、今は夢。
 終わりを待つ部屋で、彼女は彼との新しい始まりを思う。
 ……一緒に行きましょうか。身軽になった貴方の魂だけ抱いて、国も民も関係ない、ただ個だけで生きる世界へ。
 ささやいて、少年の真白い額にかかる髪をすき、そっと口づけた。


fin.
初出:2013/02/21 投稿サイト

バトンを答えるついでに何か更新したほうがいいかなあと思って書いたため、雰囲気に頼っています。ごめん。
ちなみにお題↓
【ねー深月織、余命短い小学生と重度のマニアである図書館司書、二人のせつないごっこ遊びの話書いてー。 http://shindanmaker.com/151526】

なんでこうなった。

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