×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -


2/2




あれは、俺が存在し始めてから3世紀程過ぎた頃の事だ。
今よりも未熟だった俺は、お気に入りの煙管を咥えて死期の近い奴らを調査していた。煙をふかしながら、10年分の死人リストを片手に町をふらついていたのだ。今日……1995年2月5日のページをじっくり見つめながら。
ちなみに死人リストは、どこの誰がいつ死ぬかという要項が書かれた書籍だ。名前と出生地と年齢、それから魂の番号……所謂個人を識別するものが、ちんまりと書いてある。それが、死ぬ日付と時刻順にきっちりびっしり文字として並んでいるのだ。
俺はそれをぱたんと片手で閉じた。今日迎えに行く輩と偵察に行く輩をほぼ暗記し終えた為だ。
ローブのフードを被る。死神の定番とも言える黒いローブだ。所々傷んでいて、そろそろ繕い直すべきだなと袖を見やる。再度煙を吹き出すと、俺は煙管を咥えたまま歩き出した。

ブーツの足音が昼間の院内に響く。かつかつという独特の単調なリズムだ。
俺が病院ばかりに足を運ぶのには訳がある。と言うのも、死神は5人程いて、担当を分け合って魂を回収している。人間の数は決して少なくはないので、一人では到底迎えに行ききれないのだ。だから各々の担当範囲が決まっている。ある奴は全ての駅、ある奴は地下道。そして俺の仕事範囲は主に入院病棟な為に、病院に出現する事が多い。
そういった訳で、ここにも何度も来た事がある。故に地理は完璧と言っても過言ではないだろう。しかしそう上手く患者の元に辿り着ける訳でもない。淡々と目的の病室へ向かうが、いちいちすれ違う人の情報が頭に入ってくるのだ。看護婦だったり患者だったり見舞いだったり。脳内が個人情報でごちゃごちゃになる。まあ、横を通り過ぎた医者がターゲットだった、という事も多々あったから、軽視してはならないのだが。
そこの角を曲がれば、目当ての患者の部屋に着く。背負っていた鎌の柄を片手で掴んだ。扉を通過すると共にそれを引き抜き体の横に携える。個室に一人、そいつは検温をしていた。傍には看護婦がついていた。予想から少しずれた展開に思わず足が止まる。

勘弁してくれ、周りの輩の顔は見たくない。

今この場でその患者の魂を抜き取れば、看護婦は医者を呼んで必死に蘇生術を行うだろう。俺はそれが嫌いだ……と言うより苦手だ。
運命には逆らえない。それを知って尚も生かそうとする。それが苦手だ。同じような光景を散々見てきた俺にとって、もっとも心の痛む場面なのだ。
だが役目は役目、私情を挟んではならない。静止した体を無理矢理動かした。再び足音を響かせたのち、看護婦の隣に立った。
患者の額をじっと見つめる。そうすると個体番号が頭の中に入ってきた。

『…………同じか』

リストのものと一致。俺はため息をついた。
懐から小瓶を取り出す。栓を開けると共に、点滴の袋をかける看護婦から目を逸らした。ぎゅっと強く握りしめた鎌を、横たわるそれに降り下ろした。
刃は透過して患者の腹に突き刺さる。その瞬間患者の鼓動は異常に低下し始めた。突如鳴り響く大きな音。それはベッドの横にあった機械から発せられていた。異変に気付いた看護婦は、素早く緊急のボタンを押すと、意識確認の為に肩を叩いて脈を計り始めた。その間に鎌との接触面から魂を引き抜くと、小瓶に入れてやる。外に出てこれないよう頑丈に栓を押し込むと、それを出した場所へしまった。そうして目を瞑ってベッド脇を通り過ぎた。

悪く思わないでくれ、そいつは寿命を全うしたんだ。

がらがらと扉が開き、担当の医師が駆け込んでくる。必死に生き返らせようとする二人を尻目に、黙って部屋を後にした。


『……切れたか』

丁度廊下に出たところで、火皿一杯に詰まっていた刻み煙草が全て燃え尽きた。灰を床にこぼさぬよう、そうっと携帯の灰皿にかすを放る。

『…………』

また吸おうかと思ったものの、面倒になってやめる。第一、俺は煙草は好きだが、ヘビースモーカーという訳ではない。煙管をさっさとローブの中へしまうと、持っていた鎌を背負って次の病室を目指した。





次の目当てである患者は、個室を出て東側を真っ直ぐ歩いたところにいる。そいつの名前は毛利寿三郎。肺の病で入院している16歳の患者だ。こいつはあと1か月後に呼吸不全で死んでしまう。なので、その下見に行くという訳だ。

まだ若いのに……家族は悲しむだろうな。

20歳に届いていない者の死を手助けするのは、あまり得意ではない。どうしても同情を挟みかねないのだ。それは年齢が若くなればなる程に大きくなる。反比例というやつだ。先日それを同期に相談したら、お前は、コウノトリの精と死神とで生まれ間違えたのでは?と言う始末であるし。まあ俺もそれには納得した。どうせならコウノトリをやっていた方が、幸せだっただろうと。……人には見えずとも、愛し合っている夫婦の元へ赤ん坊の魂を与える方が、こちらとしても気が楽だ。死神らしかぬ考えではあるがな。

『ん……危ない』

角を曲がり損ねるところだった。やはり、考え事をしながら歩く事は不注意に分類される。後頭部をやんわりと掻きながら左へ曲がった。

こちらも狭苦しい個室だった。
中では、点滴を受けながら窓の外を眺める容貌の良い青年が寝ていた。寂しげに、眉の両端を下げた表情で、外を飛び回る鳥を見ている。その姿は儚げであったし、綺麗だった。くるんとカールした赤毛と、切れ長でそれでいてぱっちりした瞳と、すっと線を引いたような鼻筋と……。若いというだけで充分感情移入してしまうのに、見た目が美しいせいで、余計に魂を取りたくなくなりそうだ。

さっさとやる事をやって出よう……。

早速げんなりした俺は、そいつの枕元に寄ろうと1歩踏み出した。
その時だ。

「……あんた、誰?」

青年は、こちらを見て首を傾げた。

『……??』

誰、とは?誰か……見舞いの客でも来たのか?俺は後ろを振り返ったが、そこには人のひの字すら無かった。戸が開く気配もないし、寧ろ廊下からは足音さえも聞こえなかった。
不思議に思って、首を傾げながら青年の方をもう一度見た。

「あんたっすよあんた。変な黒いカッコの、あ、ん、た」

視線を戻した先で、びしっと人差し指を向けられた。完全に俺の事を指しているようで、呆れた顔までしていた。
最初、俺は何が何だか理解できなかった。

俺か?俺が見えているのか?何故見えるんだ?だとしたらこいつは何者なんだ?それとも幻覚か何かを?

本来、俺の姿は普通の人間には見えない。霊能者とか、超能力者の中には、俺たちの存在を確認できる輩は居ても、ごく一般の人間は可視する事はできない筈だ。
俺は恐る恐る自分の顔を指で示し、俺か?と問うた。すると青年はこくこくと頷いた。お前以外に誰が居るんだ、という表情で。

「あんたや言うてるっしょ……」

リクライニングで背もたれを起こした青年は腕を組んだ。

「あんた、普通のおばけやないねんな?」

見透かすように、じっと目を細められる。
俺はフードをばさりと降ろし、傍へ近付いた。彼は引く素振りを一切見せない。

『普通のおばけ、という事は、お前は普段霊的存在を確認する事ができるのか?』

「へ?せや言うてますやん。……もぉちっさい頃から見てはるから慣れてしもてん」

そう言ってけらけらと笑う。かなり元気そうだ。ちっさい頃からと聞いた俺は更に首を横に倒した。

『ちっさい頃から……?』

「そそ、俺霊感あるみたいで。内臓飛び出た女の人やったり、ずぶ濡れの男の子やったり……よぉ見てましたわ」

笑顔で話す内容ではない。
そう思ったが口には出さなかった。
俺を見て驚かないくらいなのだから何を口に出しても無駄だろう。

『なるほど……だから俺を可視する事が出来、且つ驚かない、と』

「おばけにはよう慣れとりますんで。……ほんまはちょいびびったっすけどね」

「ん?……びびった?」

聞き返すと、彼は目線を逸らした。俺に対して、何だか気まずいようだ。

「やって、あんた死神っしょ。まさか……そんな大層なモンがいきなり来るとは思わへんくて……」

覚えず1歩引いた。
正体がばれていたのだ、それにほんの少し動揺した。

……そうか。

考えが繋がった気がした。
人というものは実体しか見られないものだと思っていたが為に、彼に精神的ダメージを与えてしまった事に気付いた。俺が突然現れるのはショックなのだ。存在自体が恐怖の塊であるし、あなたは近い内に確実に死にますと宣告しているのだから。……常人なら取り乱してもおかしくはない。
しかし彼は違った。平静だった。限りなく凪だった。
されど、俺の考え通り打撃は食らったようだ。心なしか、目が潤んでいるように感じられる。

『……突然来て、悪い事をしたな。』

「いや、ええんです。それがあんたの仕事っしょ?」

ぶんぶんと頭を横に振る。目尻に微かに溜まった涙を親指で拭って、ふっと嘲笑した。

「それに、俺ももうすぐあきまへんなぁ思てましたし」

『…………そうか』

彼のベッドの足元に腰をおろした。身を引いたり避けたりはしなかった。
あきまへんとは、もう体がもたない事を自覚しているという意なのだろう。自分の死期を悟っているという、俺の存在に対する答えなのだろう。
壁を隔てた向こう側からは、爽やかな空が窓を通してこちらを覗いている。それを彼はリモコン一つで消し去った。カーテンを閉めたのだ。

「自分の事やさかい、手に取るよぉ分かるんすわ。弱っとる、生命力低下しとる、って。せやからもうすぐお迎え来るやろなあって思てん」

ちらりと横を見やった。彼の言うとおり、よくよく見れば顔色も悪いしやつれている。目元には不自然な影が出来ていたし、人間が見てももう駄目だと分かるだろう。

「腕は点滴だらけやし、胸には手術の痕も沢山やからね。その上この肌の色、目の隈。誰もがもうあかんて思っとる筈なんや。せやろ?死神さん」

自分の寿命の事を聞かれていると分かった。
俺は勿論戸惑った。仮に可視可能人物が問いをしてきたら答えない方が良いと聞かされていたが、隠し事や嘘は苦手な性格なのだ。いわば正直すぎるのだ。
だから、話すか話さないかは最初から決まっていた。

『…………ああ、お前はもう駄目だ。後1ヶ月でこちらの世界に来る』

「ふは……やっぱそうでっか」

彼は一瞬悲しそうな顔をしたが、次にはふにゃっと涙ぐんで笑ってみせた。

「本当の事を言ってくれておおきにさんっす。そうかぁ……後1ヶ月なんやね、寿命」

『…………。』

俺の選択はどうやら正しかったようだ。時間が残されていない事をはっきり言った事によって、彼は真っ直ぐに自分の運命を受け止めたようだ。

「こうしてみると、短かったなあ……俺ん命。……もっと色んな事してみたかったし、色んなとこ行ってみたかったわぁ」

『…………。』

「けど、遅かれ早かれ皆死ぬんやし、俺もその時が来たら抵抗はしないっすよ」


言葉が出なかった。
とてつもなく冷たい鋼に押し潰されたように、悲しかった。今までこんな感情を持った事はなかったのに。……同情しすぎたのだろうか。自分の痛みであるかのように辛かった。
何もできないで、どこにも行けなくて、普通なら当たり前に実感できる幸せすら、必死に手を伸ばしてやっと掴める。その代わりに毎日が辛酸を舐めるようで、どんなに頑張ってもそこからは抜け出せず苦しみ続けて、最後は呆気なく逝ってしまう。
何と言ってやれば良いのか。そもそもこいつの苦労を知らない俺が、そんな易々と口を開く事ができるのか。まだ新米の俺はうつ向いて黙っている事しかできなかった。





『……1つ聞いても良いか?』

うつ向いて指を組ませたまま、俺は問いかけた。

「ん?なんすか?」

『…………お前は、生きている内に何がしたい?』

青年は目をぱちくりさせた。
“何で死神さんが生きてる内にしたい事聞いてくんのやろ”とでも思っているらしい。

『何がしたいんだ?食べ物か?場所か?』

更に質問を重ねると、青年は眉間に皺を寄せながら口に手を当てて何やら悩み始めた。急かしてしまったようだ。

「え、えと、俺は…………友達とお祭りにでかけて……それから一緒にご飯食べたりしたくて……後は、犬を飼いたかった……っす」

『……そうか』

俺はそれだけ聞いてすっと立ち上がった。ブーツの音を響かせて、部屋の出入り口に向かう。唐突な行動だったのか、彼は始終不思議そうに目をぱかんと開けていた。

『明日も来るから、待っていろ』

振り向き様に捨て台詞のようなものを吐いて、俺はドアをすり抜けていった。






















『祭りと飯と犬か……』

廊下を進みながら先程聞いた願い事を復唱する。人間の子供らしい、ほんわかとした希望だ。どこかの悪魔の“別の悪魔を呪って欲しい”だとか、どこかの天狗の“金がたんまり欲しい”だとかいうものより、ずっと温かい。……と言うか大体俺にできる事などたかが知れていて、元来命を預かる事に関する能力しかないのだから、そんな大層なものを願われる方が困る。そしてそもそも、俺らを可視する悪魔や天狗に残りをどう過ごしたいかなど聞く事は稀だ。
祭りと飯と犬。何回か口に出す内にふと気が付く。

何故、こんなにも覚えようとしているんだ……?

初めて人間と話したから?
初めて人間の心を聞いたから?

疑問に対する完璧な答えは出てこなかった。
それは俺が完全な死神だったからだ。

「祭りと……飯と……犬…………」

ただ、1つは分かった事はある。
青年に心を許した時から、彼の思い通りの事をさせてやりたかったのかもしれない。







back